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INTERVIEW - 2019.12.28

長谷川祐子と高谷史郎が語る「ダムタイプ」のこれまでとこれから

1984年に京都市立芸術大学の学生を中心に結成され、日本を代表する存在となったコレクティヴ「ダムタイプ」。その活動を包括的に紹介する展覧会「ダムタイプ|アクション+リフレクション」(東京都現代美術館)を記念し、同展のキュレーションを手がけた長谷川祐子と、ダムタイプの中心的存在である高谷史郎が対談。旧知のふたりが、ダムタイプのこれまでとこれからを語った。

 

奥からダムタイプ《LOVE/SEX/DEATH/MONEY/LIFE》(2018)と《pH》(2018)。「ダムタイプ|アクション+リフレクション」(2019、東京都現代美術館)展示風景より Photo by Nobutada Omote

ダムタイプには「信頼」がある

長谷川 ダムタイプはパフォーマンスのグループとして1984年に始まり、アート、音楽、演劇など広範に影響を与えながらやってきたひとつの活動体=コレクティヴですが、パフォーマンス中心だとなかなか展覧会にはしにくかったと思うんですね。

 それを昨年、フランスのポンピドゥー・センター・メッスで、インスタレーションを中心にした新作を加えた展覧会をやったら、7万8000人のお客様がいらして、(キュレーションをした)私が驚きました。シックなんだけどとても刺激的な展覧会ということで、フランスの観客には本質をちゃんと見ていただいたかなと思っています。そのメッスの後に東京都現代美術館で「ダムタイプ展」をつくるにあたって、高谷さんにはどういう展覧会にしたいという考え方や思いがあったのでしょうか。

ポンピドゥー・センター・メッスで展示された《LOVE/SEX/DEATH/MONEY/LIFE》 ©Centre Pompidou-Metz / Photo by Jacqueline Trichard / 2018 / Exposition Dumb Type

高谷 ダムタイプの展覧会というと、昔のパフォーマンスやインスタレーションの記録など、アーカイバルな作品をまとめた展覧会というイメージが強い。それは重要でもあるし、大きな意味もあると思ってるんですね。《Pleasure Life》(1988)以降、東京で公演している作品は知ってるという人も、それ以前のダムタイプは(関西でしかやっていないということもあって)あまり知らない。

 いまのダムタイプとは違うかたちの作品だったので、僕たちも全然情報を出していないんです。そういうものを排除してきたというわけではないんですけどね。今回の東京での展覧会では、《pH》(1990-1995)までをもう一度掘り返してまとめてみるとどういう展示ができるか。年表をつくるにしてもどういうものを取り上げるべきかとか、そういうところから始まったんです。そういう意味で、僕のなかではメッスからはだいぶ変わってきてますね。

長谷川 メッスはパフォーマンスをどうやってインスタレーションのかたちにするかということが主でしたよね。現代美術館で《MEMORANDUM OR VOYAGE》(2014)をつくっていただいたときに、新鮮なアクチュアリティを保ちながら、パフォーマンスがそこに現前する、でもリプレゼンテーションとは違う、というかたちを目指した。あのとき、ひとつの可能性がみえたのかなと思っています。

 ダムタイプにおいて、パブリケーションや記録のつくりかたが重要ですよね。今回は「データブック」という大きい本があって、そこにドローイング、コンセプト、みなさんが出された提案書とか、あるいはいろんな図面や進行表などが全部載っている。つまり、ディスカッションのプロセスも含めてプロダクションのすべてのプロセスが克明に記録され、残されているというのは、ほかのグループにはないと思うんですね。この展覧会を準備するプロセスでそれを整理整頓していくときに、「ダムタイプとはいったいなんだったのか」「ダムタイプ的なものとはなんなのか」というところが見えてきたと思うんです。

「ダムタイプ|アクション+リフレクション」展示風景より、《MEMORANDUM OR VOYAGE》(2014)  Photo by Nobutada Omote

高谷 そうですね。アーカイバルなダムタイプをどうやって見せるかと同時に、長谷川さんが仰ったアクチュアルな側面──つまりいまのダムタイプがどういう状態でどういう作品を見せているのかということについても考えました。いままでの「ヒストリーを展示する展覧会」とは全然違うかたちになってきているとは思うんです。

 なぜなら、ダムタイプに古舘(健)くんとか原(摩利彦)くんとか、そういう新しいメンバーも入ってきて──もちろんいまも山中(透)さんのように昔からのメンバーやパフォーマーとも一緒に仕事してるんですが──そういう人たちと一緒に作業をするいっぽうで、《Voyage》(2002-2009)以降、空白の期間が10年近くある。それぞれは活動してるんですけど、集団でやるのは本当に久しぶりで。「ダムタイプのインスタレーションとはなんなんだろう」と考えることのなかから、何かまったく違う、新しいインスタレーションが出てきつつあるなと思ってますね。すごくいい機会だったと思ってます。展覧会をつくることは、ダムタイプとして作品をつくることとは別に、今後自分の作品をつくる際の、ひとつの大きな節目になったという気はしてますね。

Voyage 2002-2009 Photo by Kazuo Fukunaga

長谷川 ここ5年ぐらい(アーティストの)コレクティブが注目され、流行っていますよね。美術雑誌でもコレクティブの特集が組まれたりしていますが、コレクティブというのはひとりの突出した個性が何かを表現するのではなくて、いろんな人たちの考え方とか視点を、社会的な問題意識とか美意識を反映しつつひとつのかたちにまとめ上げていくっていう意味ですよね。

 それは、いま起こっていることを感じ取り、吸収して、それを作品として実現するやり方にも関わっていると思うんですけど、私はダムタイプは80年代にそれを先どりして始めた人たちだと思ってるんですね。しかもなんとなくの才能が集まったんじゃなくて、メンバー各自がとても個性的じゃないですか。これだけ個性的で表現手段も異なる人々が、なんでこんなにちゃんと一緒に話ができてひとつの作品をつくれるのか。その驚異のプロセスを知りたいなと。

高谷 先ほど長谷川さんが仰ったデータブックには、ミーティングのやりとりがいっぱい出てくるんですけど、全員がプレゼンしあっているんですね。「僕はこんなことを考えてるんだ」っていうアイデアをひとつの企画書みたいにして、グループ内でプレゼンしあって、そのなかからこれは面白い/面白くないっていうのを議論している。ある種の信頼関係があって、そのうえで自分のアイデアを通したいという欲望がある。それらが全部混ざり合ったミーティングなんです。馴れあいじゃなくてね。

データブック Photo by Nobutada Omote

 「これは僕は嫌だ」とか「ネガティヴなこと書いてすみません」とか、そんなメモも大量に残ってるんですよ。(作品は)そういうすごく密なやりとりのなかで出てきたっていうのかな。才能とかそういうのじゃないんですよね。どちらかというと「よくできた会社」みたいな感じだと僕はずっと思ってます。映画でもなんでもそうだと思うんですよ。いい作品ができるときってそういうやりとりがある。ポロッといいものが出てきたわけじゃないなってすごく思います。

長谷川 私が今回一番言いたいことは、コレクティブにおける信頼関係ということです。いまの世の中で一番欠けてるのはそれで、結局ネットの世界でもなんでも、実体のないところからポンと言葉──いじめだとか根拠のない風評──がいろいろ出てきて、誰を信じていいのかわからない。信じる根拠もイデオロギーもないですし。だからいま、「信頼」という言葉が特別な意味をもってくる。

 私がダムタイプと最初に「アナザーワールド・異世界への旅」(1992-1993、水戸芸術館)で仕事させていただいたときに、「敵対関係は、信頼関係の上に成立する」ということをメンバーに言われたんですね。自分が相手のことをきちんと批判したりできることのベースには信頼があると。それを聞いて、当たり前だけどそうかと思った。みんな仲良しこよしじゃないんだなって。みんなが個性的ってそういうことじゃないですか。

 そういう「信頼」が、私がキュレーターとしてこの展覧会を通して言いたいメッセージなんです。

 最初期の《睡眠の計画》(1984)など、みんながルールブックを持って、そのなかでいろんなロールゲームをやったりとか、日常をちょっと逸脱するような部分がある。そういう日常と逸脱、観客とのアクチャリティの共有はそのあとの《Pleasure Life》でもずっと継続されていて、現在に至っている。一貫していてすごいなと思います。日頃みんなが経験している共通のことを、どんなふうに見ると面白いだろうっていう議論から始まってるのかなあと想像しますね。

高谷 現代美術は全部そういうところから始まってますよね。日常的なものをどう括弧に入れてもう一度見直してみるか。

長谷川 ダムタイプにとって重要なのはアクチュアリティといえます。ルールブックをもってゲームに参加したり、指示に従って指定された場所に行ってそこにある箱の中から外の風景を眺めたりして、実際に自分でアクチュアルな体験をする。以前、史郎さんが「アクチュアリティっていうことがとても大事です」と仰ったときに、それがキーワードだと思いました。それがパフォーマンスとインスタレーションの間に通底するひとつの特性かなとも思ってます。

メッスを経たからできたこと

高谷 今回、資料を整理していて面白いなと思ったのが、《Pleasure Life》の東京公演。終わってからお客さんが舞台のセットに入れるようにしていて、その写真が残ってるんですよ。つまりインスタレーションとして鑑賞できる舞台セットなんですね。それはニューヨークでもロンドンでもやってるはずなんです。終わってからどうぞ見てくださいって。

《Pleasure Life》東京公演終演後の様子

長谷川 それって当時としてはとても新しかったと思う。当人たちはあまり意識せずにやっていらっしゃるのでしょうが。

高谷 無意識ってことはないですけど、せっかくつくったのに遠い客席から見るだけじゃなくて、一つひとつのオブジェを見てほしいという欲望があったんです。舞台と客席が完全に切り離れたものじゃなくて、立体物として実際にそこにあるんだっていうこと。書き割りみたいな裏があるものじゃなくて、裏も表もない彫刻物、インスタレーションとして舞台装置をつくってるっていうことなんですよね。

  《Pleasure Life》は、都市や社会構造をグリッドに見立てて、その中でパフォーマーが翻弄されたり、ルールをつくったりしながら構成していくっていう舞台なんですけど、現代社会の構造がどうなってるかっていうことが、グリッドの中に括弧付きで入ってるっていう感じなんですよね。

《Pleasure Life》東京公演終演後の様子

長谷川 パフォーマンスがモニターを見ながらエクササイズしていたり、直接お互いに話さないで画面に映し出される相手と話したり、メディアを通してしかコミュニケーションができない現代の状況を予言しているようで、本当に面白かったと思います。あとは蛍光灯の使い方。あの灯りってとてもアンビエントですよね。あれは新しかったです。

高谷 そうそう、あの丸い蛍光灯って日本のものなんですよ。日本にしかなくて。

長谷川 よくちゃぶ台の上にぶら下がってるやつですよね?

高谷 そうですそうです。丸いライトがほしかったんですけど、丸い蛍光灯は日本のものしかなかったので、それを使っただけではあるんですけど。

 《睡眠の計画》のときも、写真撮影用のレフランプっていう、色温度が高くて青白い光を舞台上で使ったりとか、いままで舞台でそんなに使われてないようなものを使いたいと思ってましたね。僕は建築を勉強してたんで、最初は舞台なんて興味がなかったんです。でも舞台っていう構造自体はすごく大きな実験場だと思ったんですよ。何か立体をつくったときにどう照明を当てるかとか、そういうことがなんでもできるスタジオだなと。そう考えればいろんなことができるなと思って(ダムタイプに)参加し始めて、いまに至っているんです。だからみんなもっと実験場として劇場を使うべきだと思います。ありものの決まりきった照明のやり方でやっていくんじゃなくて、何を持ち込んでもいいんですから、いくらでもやることはあると思うんですよね。

長谷川 演劇は総合芸術的だと言いますけれども、映像、音、照明があり、パフォーマーの動きがあり、インスタレーションがあり、本当に総合的なかたちでいろんな実験ができるなと思います。《pH》や《S/N》(1994-1996)って、お客さんが舞台上を見下ろすような、舞台を取り囲む形状になっていました。それも実験場的なものに見えていました。

高谷 見下ろす視点っていうのは、観察するということですよね。例えば虫を捕ってきて虫かごに入れたら覗き込んでじっと見るじゃないですか。そういう観察の視点をお客さんに持ってほしいっていうのかな。上から見るっていうことは、舞台上と客席の境目は明解になっちゃうんですけど、でもいわゆる既存の客席と舞台の関係ではない。もっと自分も中に取り込まれたような、ケージの中で見てるような感覚ですね。 

 その「観察する」ということは《pH》においてはすごく重要だったんです。《pH》は、社会で起こっている出来事を「pH」=14段階に分かれているアルカリと酸の濃度のように14のシーンに分けて、細長い舞台上で起こることをずっと観察してもらう作品なんですけど、それには上から見てもらうのがピッタリだなと思ったんですね。

長谷川 蛍光灯とかアンビエンスな雰囲気、音もそうなんですけど、そういうものが人の内面に新しいかたちで入っていく言語だったと私は思います。《S/N》にしても、二項対立的な言葉を出していくことによって、いろんな議論や内容がどんどん展開しうる巧みなやり方だなと思って見てました。

S/N 1994-1996 Photo by Yoko Takatani

高谷 その当時は「ボーダー」に関して興味が尽きない時期だったんです。《pH》や《S/N》は全部ボーダーに関連して展開していってるんです。だけどもいまは、社会的なボーダーであるとか、いろいろなボーダーが溶解してきて、それが見えなくなってきつつあるとは思うんです。なくなってはいないですよ。決してなくなってはいないんですけど、ものすごく入り組んでいる。

 例えばテロの話にしても、どこからがテロで、どの人がテロリストかっていうのは決められないような、入り組んで溶け合ったような状態になっている。インターネットもまさにそうですよね。無限に情報があるので(神的な視線があれば公平なんですけど)、人は必ず何かのキーワードで検索をかけて、自分の見たいものしか見られない。溶解したひとつの塊の中から選択した、明解なラインの中でしか生きてないというか。すごく狭いんですよね。狭くしか見られない。もしインターネットの世界を俯瞰して見られればいいんですけどね。

 地球も、人工衛星とか地球の外から見ると「地球」がちゃんと認識できるけども、地球上にいる我々にとっては、平面に住んでいる二次元の虫と一緒のことで、三次元の空間が理解できないんですよ。だから地球がどうなっているかとか、大事なのかどうかってこともわからないのと一緒で、公平な視線というのはすごく難しい時代になってますよね。ボーダーで明解に分けていくのが難しい時代。

 そういうところでもう一度、《pH》のようなボーダーに関する作品を、溶け合った世界の中でどういうインスタレーションとして再構築するかというのが、メッスのときの僕の使命でした。

 さっきちょっと長谷川さんが言っていたので思い出したんですけど、メッスではダムタイプのそういう新しいインスタレーションと、《LOVERS》(1994 / 2001)や僕の作品や池田(亮司)くんの作品なんかが入っていて、ざっくりと「ダムタイプという集団があって、そこからどういう風にどういう作家が出てきたか」、長谷川さん視線で紹介された。

 けれど今回は、もっとダムタイプに絞り込んでるというか......。《LOVERS》はありますけど、ダムタイプの作品がずらっと並んでいてメッスとは全然違うし、面白いなと思うんですね。メッスを経て、もう一度ダムタイプの新しい作品と昔のコンセプトをいまどうリプレゼントするかみたいなところに集約しているのは、反対の行為のような気もするけども、(メッスで)昔を掘り起こしたからこそ出てきた展覧会なのかなという気はします。


「ダムタイプ|アクション+リフレクション」展示風景より、古橋悌二《LOVERS》(1994/2001) 国立国際美術館蔵 Photo by Nobutada Omote

長谷川 最初はメディアの新しい使い方によって──私はダムタイプを語るときショックと反復という言葉をよく使うんですけれども──ストロボとか、音とか、テニスボールが飛んできたりとかも含めて、身体のもろさ、フラジャイルな感じを、機械に対する避けがたい人間の葛藤を表すようなところがあった。それがひとつのランゲージであり、ドラマトゥルギーだったと思います。それと、さっき仰った《pH》みたいに14個のいろんな場面を想定しながらつくっていくっていう、微分的なやり方も重なっていました。

 それがポスト(古橋)悌二さんになってから、高谷さんと池田さんの圧倒的な超パーセプションというか、私たちのパーセプションとか聴覚を超えていく表現があったと思うんですね。自分たちの従来の聴覚とか視覚の限界を超えるという体験が、その後の新しいセンサーにつながっていくための通過儀礼のように思えた。

 そういう意味で、《OR》(1997-1999)はダムタイプのひとつの転回点として大事な作品だと思うんです。ポスト悌二として「死」という定義で括ることもあるんですけど、その先の新しい時代に向かって、ふたりの表現言語が葛藤を遂げながら次に推し進めていった、とても示唆的な作品だったなと。

 その後の《memorandum》(1999-2003)は、一回壊れてしまったものをもう一回構築したり拾っていったりする作品で、手仕事的に記憶を集積したと聞いているんですが、次の《Voyage》ではメンバーの体験をオムニバスに編みつつ、それを高彩度のデジタルのヴィジョンにつなげたハイパーに刺激的で、感覚的なものも含みながら、ドラマトゥルギーを合わせ技にする展開があったと思うんです。

 そしてメッスでつくっていただいた《Playback》(2018)は、1つ1つのユニットが独立してレコード盤におとしていく一方で、すべてのユニットはネットワークでつながれており、他者(ユニット)の音を知っている。ネットワークと自立性をとらえたとてもアンビエントな作品。何をとらえていいのかわからない現代の世界において、ひとつの意志が働いて、美意識あるいは音の空間を含むコスモロジーをつくっては、それがまた別のかたちとして次々に現れるという、とても現代的な作品だと思うのです。

 これが現在に対して見事にアクション/リフレクションしている。時代をリフレクションしながらそれを表現言語のアクションにしていくっていう、ダムタイプならではのかっこいい展開があって──あまりにかっこいいので、こんなんでいいんだろうかって思いながらテキストを書いたんですけど(笑)

ポンピドゥー・センター・メッスでの《Playback》(2018) ©Centre Pompidou-Metz Photo by Jacqueline Trichard 2018 Exposition Dumb Type

高谷 いやいや(笑)。メッスのときにつくってたイメージでいうと、「80年代から90年代の作品が未来から見るとゴミのように捨てられている」と。捨てられているなかで、その作品一台一台があたかもコミュニケーションしているように見えてくる。もちろん本当はコミュニケーションじゃなくて発信してるだけなんだけど、外から見てる未来の人は、何かコミュニケーションしてるんじゃないかととらえるんじゃないかとか、そんなことを想像しながらつくっていました。

 インターネットの世界でも何でも一緒なんですけど、勝手に発信してるだけの世の中でも、外から見るとコミュニケーションしているようにも見えるし、見えないとも言える。そんな関係性が生まれるプログラムをつくれないかなって思ってるんです。メッスのときは空間的な問題で3×4台のプラットフォームでしたが、今度は4×4台のプラットフォーム。グリッドになるので、グリッドとしてプログラムを構成し直さないといけないけれども、それによってもうちょっと明解になってくるかなとは思ってます。​

「ダムタイプ|アクション+リフレクション」展での《Playback》(2019) Photo by Nobutada Omote

長谷川 ダムタイプをYouTubeでしか知らなくて、ひたすらかっこいいとしか思ってないっていう、まだ実際のインスタレーションをご覧になっていない方もたくさんいらっしゃると思います。いま高谷さんがおっしゃったような作品の在り方を、若い観客がどういう風に感じ取ってくださるかってことは、私にとってとても楽しみな部分でもあります。

高谷 そうですね、そう思います。昔の遺物を見るんじゃなくて。

長谷川 もちろん昔のドラマトゥルギーも素敵なんですけどね。

高谷 そういうものも展示してますけど、いまのものが未来に遺物になるだろうっていう視線で見てもらったら面白いかなと思ってつくってる感じもしますね。いまはすごく殺風景で、なんでこんなものつくってるんだろうって思うかもしれないけど、未来の人が見たら「これは何か意味がある」と思って見るような。

長谷川 多くの読み解きがそこにあるだろうという。私は「アンビエント」っていう言葉にハマっているんですけど、アンビエントは「溶解してしまって、とてもわかりにくくなって、ボーダーがなくなってきている、二項対立じゃなくなってきてる」という現在の状況を表すにはピッタリの言葉だと思うんです。そういう意味では、音楽も美術も、思想とかロジックのあり方についても、いまはそっちの方向にいってるんじゃないかなと思います。

高谷 舞台上で照明を考えてるときも、太陽光のようなつくり方をしてみたりとか、そういうことをすごく考えてたような気がしますね、昔から。「舞台上のここに照明があってそこからこういう風にきてるんだ」じゃなくて、もっと遠いところから来ているようなイメージがつくりたかった。本当は不可能なんですけど、そういうふうに見せることはできるんですね。

 「外」を感じるような、ここで終わっちゃわないようなことがすごく重要だと思ってるんですよ。舞台って大きいんですけど、舞台上で小さくまとまるんじゃなくて、もっと外部から割り込んでくるような何かはほしいなとずっと思ってるんですね。

長谷川 ひとつのメタファーでいまおっしゃったのかもしれないんですけれども、作家の意識がどのように外部をとらえているかで全然違ってくる。いまの世の中、日本の周りで起こっていることだけじゃなくて、この世界のある場所で起こっていることを見て、それをリフレクションすることにも関わっているんじゃないかなと思います。

 ダムタイプは日本で唯一というか数少ない、いまの現状における社会的な問題とか人間性の問題に対してクリティカルな視点を持って活動を続けてきたひとつのコレクティブであると。

高谷 唯一じゃないとは思いますけどね(笑)。みなさんやっておられると思いますよ。舞台作品をつくってる人はかなりそういうことを考えてられると思いますけどね。

 「アート・ワールド」の中でやるってなるとまたそれはそれで大変じゃないですか。ダムタイプはそういうところを避けてきて、「隙間」っていう感じがするんですよね。隙間をすごくやってる。そこが面白いなとも自分では思いますね。

長谷川 ストレートフォワードのポリティカル・コレクトだとあまりにも直接話法で表面的なものになってしまう。そうすると、芸術の存在時間がとても短いものになってしまうので──さっき言った遠いところとつながっていくという意味においては──芸術は抽象性やメタファーといった距離が必要だと思うんですね。その距離を、非常に微妙なかたちで取っていた。

 演劇はわりとストレートフォワードじゃないですか。あまりにわかりやすい直訳というか反応なので私は演劇が苦手なんですけれども、漸近線(ぜんきんせん)として一番近寄ったところが《S/N》。言葉で差別や死の説明をするというよりは、むしろそこに対する次のリアクションとしてこの作品は提出されている、私はそのこと自体がものすごくコンセプチュアルだと思ってしまうんです。何か現実に物申すっていう直接的な話法ではないところで、高次の批評性や普遍性が感じられる。

高谷 《LOVE/SEX/DEATH/MONEY/LIFE》(2018)と《pH》のインスタレーションの作品と、あと古橋が死んだ以降につくった《OR》《memorandum》《Voyage》をインスタレーションにしたLEDビデオウォールも、この展覧会には全部入ってますので、ダムタイプがどんなふうに進んできたかっていうのが展覧会を見てもらったらわかります。いままさに新しい作品をつくってる、若い人たちが(ダムタイプに)いっぱい入ってきてるので、そういう人たちのアイデアも見られるという意味では、ダムタイプをざっと見通せる展覧会になってるとは思います。

長谷川 《pH》のインスタレーション・バージョンも、観客自身がとてもインクルーシブなかたちで中に入っていく。さっきおっしゃっていた舞台が終わったあとに見てもらったという精神が、洗練されたかたちでインスタレーションの中に出てきている。通奏低音のようにコンセプトが重なりながら進化していってるなっていう感じがします。その重なりの美しさを、今回の展覧会で全部見ていただけるんじゃないかなと思ったりもします。

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INTERVIEW - 2019.12.29

南條史生が振り返る、森美術館館長としての13年と日本のアートシーン。「それでも現代美術しかない」

2019年12月末で森美術館館長を退任する南條史生。2006年よりこの美術館を率いてきた南條が、13年間の森美術館と日本美術界を振り返る。

聞き手=編集部 ポートレート撮影=稲葉真

南條史生

日本でも屈指の集客力を誇る、東京・六本木の森美術館。この美術館で2002年から副館長、06年から館長を務めた南條史生が、19年末を以て退任する。「医学と芸術展」(2009)、「メタボリズムの未来都市展」(2011)、「宇宙と芸術展」(2016)、「未来と芸術展」(2019)といった多数の展覧会を手がけてきた南條は、この17年間をどう振り返るのか?

「現代美術は面白い」という空気はつくれた

──南條さんは2002年に森美術館の副館長に就任し、06年から館長を務められました。この美術館に在籍されていた長い時間を振り返ってみて、何が残せたと思いますか?

 いろんなことをやってきたけど、「目に見える部分」と「見えない部分」があって、僕自身としては後者の見えない部分への貢献が大きかったんじゃないかっていう気はしてるんですよね。

 まず「目に見える部分」=世の中の変化として「現代美術は面白そうだな」っていう空気はつくれたんじゃないかなと思います。

南條史生

 ひとつの例ですが、中堅の作家を、一般の人に見えるように可視化することをやりましたね。「面白そうだな」「見てみたいな」と思わせるような広報をしていくことによって、現代美術でも多くの人が見に来るわけです。

 例えば、レアンドロ・エルリッヒ(「レアンドロ・エルリッヒ展:見ることのリアル」2017-18)。私はシンガポール・ビエンナーレ(2008)で紹介して以来、面白い作家だなと思っていました。アートファンだって、最近「大地の芸術祭」や「瀬戸内国際芸術祭」で見ているでしょう。でもそれを東京の真ん中で大規模な個展として紹介すれば、インパクトは違う。多くの人に面白さが伝わる。

「レアンドロ・エルリッヒ展:見ることのリアル」より《建物》 2004/17

 今年開催した塩田千春も現代美術のアーティストですが、一般の人にそんなに広く知られていたわけではなかった。しかし、その強烈なイメージが、SNSなどを通じて、一般の人たちに広がって、歴代2位の入場者数(66万6271人)になった。そういうふうに考えると、森美術館は現代美術を楽しく、面白いもの、クールで知っている方がかっこいいもの、という印象を与えながら、誰にでもアクセシブルにしてきたとも言える。

不確かな旅 2016/19 鉄枠、赤毛糸 サイズ可変 Courtesyof Blain|Southern, London/Berlin/New York 「塩田千春展:魂がふるえる」(森美術館、東京、2019)での展示風景 撮影=Sunhi Mang 画像提供=森美術館

 別の言い方をすると、「現代美術はファッショナブルだ」という雰囲気をつくって、美術館のミッションである「アート&ライフ」の方向に社会を進めたのではないでしょうか。いつでも生活のなかでアートを楽しめるような社会、文化を生み出すことに貢献した。

 それは、東京のど真ん中のビルの上にあるこの森美術館だからこそできたんだとも思うんです。それには展覧会のラインアップがすごく重要だった。ある側面はオタクっぽくて、ある側面はジャーナリスティックで、ある側面は博物館的で......そういういろんな側面を見せながら、違うマーケットに訴求していった。でもそのコアにはいつも現代美術がある。

 例えば、地域にフォーカスした展覧会はしばしばジャーナリスティックな側面も持ち、「アラブ・エクスプレス展」(2012)なんかはすごくタイミングが良かったと思います。というのはあの展覧会は「アラブの春」が始まって、これからアラブ圏が民主化するぞという期待が満ちている時に開催することになった。でもシリア問題が起こる前だったので、紛争のイメージはまだなかった。そのほんの数年間の良いタイミングの時だったから、楽観的な気分でアラブの現代美術が見られたわけです。つまりあれより数年前でも数年後でもあの展覧会はできなかった。

 ほかにもインドや中国など、あまり知らないエリアの現代美術を紹介することによって、その土地や地域についての新鮮なイメージや知識を提供することができた。

 いっぽう、美術館という概念の拡張につながる新しい路線として僕がつくったのは「医学と芸術展」や「未来と芸術展」などの学際的(インターディシプリナリー)な展覧会です。これは、現代美術というものの文脈のとらえ直し、あるいは拡張につながるし、美術館そのもの定義の再考にもつながる。現代美術というジャンル分けの意味は何か、現代美術が博物学的な資料や科学技術の最先端の事例などと一緒に展示されたとき、現代美術はどういう意味を持つのかと。

「医学と芸術展:生命(いのち)と愛の未来を探る」(2009-2010)展示風景 撮影=渡邉修 画像提供=森美術館

 僕は若い頃、アジアや中東の古代遺跡を旅して回っていたので、そういう考古学的な長い時間の遠近のなかで現代美術を見ていくことを最初からやっていたような気がします。その意味では、現代美術の文脈を見直し、美術館概念の定義を広げたっていう側面はあるんじゃないかと思いますね。でもそのことの意味は、15年ぐらい後で理解されることかもしれない。

 個展にしてもアジアの作家、日本の作家、それ以外のエリアの作家をそれぞれ1/3程度のバランスでやってきました。アジアと日本の作家だけにするとそれはアジア美術の美術館という島宇宙になるので、それではいけない。やっぱり外の広い世界に開いていくべきだろうと。でもアジアと日本を重視することによって、この美術館の場所的なアイデンティティは明確化しているわけです。

 普通、欧米の美術館はコレクションによってアイデンティティが明確になります。でもこの美術館はもともとそんなにコレクションを持ってスタートしていません。だからコレクションというより、プログラミングの流れ──3年から5年のスパンで見たときにどのような美術館かがわかってくる、というやり方をしてきたのです。プログラミングの総体によって「世界の中のアジアにあり、その極東に位置する日本の美術館」っていう立場がはっきり出てくる。プログラムが美術館のアイデンティティを明確にしたとも言える。

「宇宙と芸術展:かぐや姫、ダ・ヴィンチ、チームラボ」(2016-2017)展示風景 撮影=木奥恵三 画像提供=森美術館

日本の美術館も安穏としてはいられない

──そうした試みは、実際に入場者数にも表れていますね。いっぽうで冒頭に仰った「見えない部分」というのは?

  例えば、まあ皆さん気がついていないかもしれないけど、美術館で最初に撮影を許可する方向に振ったのは森美術館でしたよね。あれは、新しい著作権システム「クリエイティブ・コモンズ」の導入によって可能にしたわけですが、そのために、これを創案した米国の法学者、ローレンス・レッシグ氏を招聘して、クリエイティブ・コモンズの仕組みや実例などの話をしてもらうなど、検証もしっかりやったわけです。

 そして、アーティストには、この新しい著作権システムを用いれば大丈夫だから撮影を許可しましょう、という話をした。最初はアイ・ウェイウェイ(「アイ・ウェイウェイ展─何に因って?」2009)でした。そういうかたちで、美術館と観客のあり方を変えて、いまでは、その考え方はほかの美術館にも広まっていますね。

 また「会田誠展:天才でごめんなさい」(2012-13)のとき、猥褻問題と著作権問題が起こりました。そこで我々は、美術館は実験的な表現の場であり、そこではできるかぎり「表現の自由」を守っていくというメッセージも発信しました。

「会田誠展:天才でごめんなさい」(2012−2013)展示風景 撮影=渡邉修 画像提供=森美術館 Courtesy Mizuma Art Gallery 
「会田誠展:天才でごめんなさい」(2012−2013)展示風景 撮影=渡邉修 画像提供=森美術館 Courtesy Mizuma Art Gallery 

──「表現の自由」と言えば、今年は「あいちトリエンナーレ2019」での「表現の不自由展・その後」展示中止で美術界が大きく揺れました。

 あいちトリエンナーレが残した一番大きな問題は、日本は検閲がある国なんだと世界中に思わせてしまったことです。そうなると、これから開催される「ヨコハマトリエンナーレ2020」やその他の芸術祭が全部その色眼鏡で見られる。例えば、海外の作家は日本の芸術祭に招待されたけど、参加したら何かしら政治的な視点とか、自分には理解できないような理由で検閲され、裁かれるのかなと思ってしまう。それが一番大きな損失です。国際的信用、とくに欧米の自由主義、民主主義諸国からの信頼が損なわれてしまった。

──日本の文化政策やアートマーケットについてもお聞きしたいと思います。日本はほかの先進国と比較するとやや変化のスピードが遅いと感じますが、いかがでしょうか?

 最近、日本のアートマーケットがほかの経済大国のなかで異例に脆弱なんだという認識が生まれてきましたね。「なんとかしなきゃいけない」と、国も政策に乗り出している。まだ有効な策は示されていないけれど、そのような認識を政府が持つに至ったというのはとても大きな変化です。これがいい方向に行けばいいなと思います。

 ただそのためには、本腰を入れてロビー活動するような美術の専門家と、にわか勉強じゃない政治家が必要なわけです。2018年に文化庁による「先進美術館構想」が炎上しましたよね。(構想の中では)美術館が使わない所蔵品を売るという構図が描かれていましたが、これでは根本的に美術業界の構造がわかっていないということになる。美術館の役割は作品を評価することです。その評価は展覧会と購入という行為で表現されます。美術館機能を強化したければ、もっと展覧会と購入の予算を増やすのが一番いい。作品を売る仕事はギャラリーやオークションです。その分業ができていることが重要です。両者の間に線引きがあるからこそ、美術館の評価行為は信用が高いことになる。

南條史生

──美術館の作品売却については、マーケットが強大なアメリカでさえ、その目的に制約(コレクションの再構築などに限る)があります。日本の文化政策についてはどう思われますか?

 現在の政権では「文化を観光資源、地域振興資源にする」という基本的な考え方が感じられますよね。それ自体は否定する必要はないと思います。文化財もいままでは保護することだけに専心し、PRや利活用ができていない。やはり素晴らしい美術品が沢山在るなら、モナリザやゲルニカのように、美術館の資産、國の文化資源として可視化して、この国の文化の厚みを象徴するものとして内外に広報し、活用するべきだと思うんですよ。そういう流れのなかで、日本の文化・芸術業界をどうやって活性化するかという課題が、いま目の前にある。それがある程度可視化されてきた時代ではあったと思います。

──いっぽうで中国やシンガポールなどはすでに文化に対して相当力を入れていますね。とくに中国では新しい美術館が次々と誕生し、香港にはM+もオープンします。

 中国の美術館には中身がないものもたくさんある。だけど勢いがあって学ぶのも早いですよ。批判をすればパッと対応してくるし、そういう意味で恐るべき国。M+は欧米的な意味できちんとやってますね。アジアで最大級ではあるけれども、まだオープンしてないからなんともコメントのしようがないかな。ただ香港の社会情勢を見ると、M+が検閲を心配せずに自由に展覧会が組織できるのかどうか、心配です。

──日本では国公立美術館がかなりの数を占めており、美術畑ではない館長がいる美術館もあります。いっぽう森美術館は欧米の美術館と肩を並べるような存在を目指してきたと思うのですが、この認識はあっていますか?

 その議論をするためには、まず美術館をアメリカ型とヨーロッパ型に分けて考えなくてはいけません。

 ヨーロッパの美術館は、基本的に公金で運営するシステムでやっているわけです。いっぽうアメリカの美術館はワシントンの美術館以外は、予算調達を全部自分たち、民間でやっている。どちらが正しいのかということはできないですが、日本の美術館はいずれにせよそのふたつの極の間のどこかに位置することになるはずです。

 流れを見ると、日本はかつてヨーロッパ型だったにも関わらず、ある時期に国が5つの国立美術館を独立行政法人化して、自分でも予算調達しろと言い出して、予算を減らし始めた。だけど日本のいままでの美術館には民間から寄付金を調達する文化も技術も蓄積されていません。また税法なども、整備されているとは言いがたい。だから本当に民間資金にシフトさせたいなら、そのための新しい人材を教育したり、雇う予算をつけたりしなければ無理でしょう。

南條史生

 ネーミングライツを導入する美術館も出てきたけど、まだ右往左往している状態だと思いますよ。アメリカの美術館では展示室に名前がついている場合は多いけれど、それもファミリーの名前であって企業名ではない。なぜなら文化は個人の問題であるという意識が強いから。寄付する主体も個人が多いわけです。

 もし日本の美術館が完全に民間のお金でやっていくべきなんだというポリシーに変わるのならば、そのための教育や、専門的な人材育成など、システム全体を育てるべきだと思います。

 森美術館は新しい美術館ですから、もともとそういうノウハウや蓄積は持っていませんでしたが、森ビルの支援に頼るだけでなく、自助努力もするべきだろうと考え、幅広いネットワーキングを通して、ファンドレイジングもやってきた。森美術館には「ディベロップメント」という部署がありますが、4人のスタッフがフルに働いて寄付を集めている。MoMAは40~50人くらいいるそうで、おそらく数十億円を調達しているから、全然比べ物にならないですが。我々はファンドレイジング担当者をニューヨークに送って、アメリカの美術館の仕組みを勉強してもらったりしています。

 そういう理由から、アメリカの館長は場合によると、資金集めが上手い人がなっています。それは美術の専門家というよりビジネス寄りの人。それはその方がアメリカにおけるある種の必然性があるからです。日本だって、公立美術館で美術専門家でない館長が来て、年間1億集めてくれたら、それはそれでいいと思うんですよ。でも無理かな。

 いまは世界的に美術館の基礎的な考え方が再度問い直されていて、美術館とは誰がどのように支援をするべきなのかという問題に対する回答が宙づりになっているんだと思います。だからその過渡期にあるなかで、日本の美術館もどういうミッションがあり、そのために誰が支援すべきなのかを考える時代です。美術館はどこで、誰が、誰の金でつくりたいと思っているのか、という背景、出発点によって、全部違う時代だと思います。「これなら正しい」というモデルはない。

リニューアルしたMoMAの外観

──とくに日本の美術館では、テレビ局や新聞社が展覧会の主催に入るという特殊な事情があります。美術館とメディアの関係性についてはどうお考えですか?

 森美術館は、(メディアに企画を)持ち込まれるよりも展覧会を持ち込んでいる。この企画を一緒にやってくれませんかと。そこがほかの美術館と全然違います。でも本来そのようであるべきではないですか?

 ただ、こちらの企画を持ち込んでもメディア側は「そんなの人が入らないでしょ」と言う可能性がある。でもそこは「ただ人が入る展覧会をやっていればいいのか」という反論もありうる。

 だいたい、なぜメディアが展覧会をやるのかと言えば、本業のミッションから照らして、ジャーナリズムとして「これは知っておいたほうがいい芸術ですよ」という意味もあったはずです。商業的なメリットだけを追うのでなく、「学術的にも意味がある」「メッセージ性が高い」「いまの社会事象と通底している」などの意義があるからこそ、メディアがやる意味があるはずで、そこが議論されるべきです。切磋琢磨して、いろんな議論をして、ギリギリのラインで両者が「じゃあこれならやる意義もあるし、投資も回収できそうだから力を合わせてやってみよう」となるようなありかたが正しい道だと僕は思います。

それでも現代美術しかない

──南條さんがこれまで手がけられてきた展覧会で一番チャレンジングだったなと思ったものはありますか?

 「未来と芸術展」だって相当チャレンジングですよ(笑)。

南條史生

──建築からファッション、バイオまで、濃い展覧会ですよね。これは南條さんにとっての集大成的なものとしてキュレーションされたのでしょうか?

 結果的にそうなったんですよ。なぜなら「未来」っていうのは、なんでも入る大きな器みたいなところがあるからね。

 もともとは「ネオ・メタボリズム展」構想を出発点にして、都市・建築論からライフスタイル、ライフスタイルから人間の身体へ、そして最後に哲学と美学を問題にするまで、というように繋がっていったんです。だから博物、科学技術、ファッションや漫画、現代美術を含む広大な領域になってしまった。

 ただ「未来」とは言っても「展示している」ってことは「いますでにある」ということなんですよ。じつは未来ではない。でも将来、我々の生き方が根本的に変わる原因になりそうなものを集めたということにはなる。未来の種みたいなもので、このままこれが発展すると甚大な変化につながりますよという警告でもあるんです。

「メタボリズムの未来都市展:戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン」(2011-2012)展示風景 撮影=渡邉修 画像提供=森美術館
「未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命―人は明日どう生きるのか」(2019-2020)」展示風景
「未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命―人は明日どう生きるのか」展示風景より、ディムート・シュトレーべ《シュガーベイブ》(2014-)

──南條さんは「未来と芸術展」以外にも、冒頭で言及されたように「医学と芸術展」「宇宙と芸術展」と、何かと芸術を組み合わせた展覧会を積み重ねられてますよね。そこには先ほども仰った「現代美術の文脈化のやり直し」をしていこうという狙いがあったと。

 それは大きいですね。美術は、美術の中だけで見ていたら美術としてのコンテクストで見ることになるわけですよね。でも美術をもっと大きなものの中に位置付けたら、美術の意味は変わってくるわけです。

 広いパースペクティブの中でアートを見ていくべきです。どうしても現代美術の関係者・専門家って現代美術業界の判断基準で見ているわけじゃないですか。「art for art sake」(アートのためのアート)っていうのは、それはそれで、少数のエリート意識に支えられ、強力な島宇宙をつくっている。でもそれだけでは十分ではないんじゃないか。

 人間が生きているなかで美術とはなんなのか。人間の生活のなかで美術とはなんなのかっていう基本に戻るべきなんじゃないかと僕は思う。

「宇宙と芸術展:かぐや姫、ダ・ヴィンチ、チームラボ」(2016-2017)展示風景 撮影=木奥恵三 画像提供=森美術館

──南條さんがそのような考えに至った背景には何があるのでしょうか?

 さっきも言ったように、僕は若い頃ものすごく多くの遺跡を見ているんです。そうした何千年も生き残った遺跡を前に、「いまつくられている、すぐにでも壊れそうな現代美術に意味があるのか」と思ったことがある。しかし考えた結果それでも「現代美術しかない」と思ったんです。なぜならいまの人間にはそれしかやりようがないから。そういう想いで僕は現代美術の世界に入っている。

 だからアートに関わる人間はそういう長いスパンで現代美術を見直すべきだし、周りにいる人たちもそういう視点を持つべきなんじゃないでしょうか。

──森美術館の新館長には片岡真実さんが就任します。最後に、今後の森美術館に期待すること、そしてアート界に期待することをお聞かせください。

 彼女は僕よりも国際性を強く押し出せると思う。国際美術館会議(CIMAM)の会長になったこともその可能性を表しているし、大きなネットワークの基礎になると思う。いままでの日本の美術館ができていなかった国際性が期待できると思いますよ。

 それに女性館長が重要になってくる時代ですから。時代精神としてもそういう方向にいけばいいと思う。

 アートは奥が深い世界だと思う。「未来と芸術展」では相当テクノロジーを入れましたが、いっぽうで、人工知能やバイオ技術が盛んになる時代には、アートの役割が見直され、より重要になると思います。アートは見ている角度によって違う側面を持っている。個人の趣味の対象であるかと思えば、学術研究の対象であり、また流行の一部になったり、あるいは商品となって投機の対象にもなる。深く見なければアートがなんであるかを見誤る。私は、アートは一生かかって付き合うべきもの、そして一生かかってもまだ新しい側面に出会う、不思議な世界だと思っています。人間が生きていくという現実の前で、アートがつねに重要というわけではない。しかしいっぽうで、好奇心を失わずに一生アートとともに生きることが大事だと思います。

南條史生