梅宮辰夫さんが週刊新潮だけに語った秘話 「勝新さんから“玉緒と寝てやってくれ”と頼まれて…」

芸能 週刊新潮 2019年12月26日号掲載

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「3軒だけだぞ!」

〈ドラマ「スクール☆ウォーズ」で共演した山下真司(68)はこう語る。

「やはり梅宮さんは昭和の大スターですよ。生存競争の激しい映画界で上りつめた人だけに貫禄やオーラは別格。年齢が15歳近く離れているので親子のように接して頂きましたが、僕にしてみれば“最強のオヤジ”。最後まで弱音を吐いたりはしなかった」

 梅宮は昨夏、本誌で連載中の「飢餓俳優 実録菅原文太伝」の取材にも応じている。著者の松田美智子氏が取材当日に誕生日を迎えたことを知ると、バースデーソングの代わりに菅原文太の十八番だった「夜霧のブルース」を歌ってくれた。傘寿を過ぎても、さらりと粋な計らいを見せる辺りは「夜の帝王」の面目躍如といったところだろう。〉

 女房との出逢いもそうだけど、誇張ではなく銀座には毎晩通っていたからね。

 学生時代、銀座を歩いていたところをスカウトされて、20歳で東映ニューフェイス5期生に合格した。銀座で遊び始めたのは26~27歳の頃。当時は、三船敏郎さん、裕次郎さん、宝田明さんといった東宝や日活の錚々たるスターが銀座を闊歩していた。でも、東映は京都が中心で、大泉の東京撮影所には飲み歩く先輩がいなかった。

 僕が「“銀座じゃ日活の俳優しか飲んでねぇよ”なんて言われるのはシャクじゃないですか」と(高倉)健さんをせっついても、「俺はいいよ、酒は飲めねぇんだから」と相手にされない。それなら、というので独自に銀座を開拓し始めた。大げさに言えば、東映の看板を背負って遊んでいるという気持ちもありました。

 昭和の時代だから、映画俳優は、それはモテたよね。ロケひとつとっても、銀座の夕景をバックに撮影することになったら、出勤前のホステスがバーッと集まってきてさ。制作進行のスタッフが、“すみませーん! お静かに!”と怒鳴ったところで、キャーキャー叫んで一向に進まない。こっちで“辰ちゃーん! 終わったらうちに来てよー”なんて声が上がると、“なによ! うちのほうが先よ!”。僕も調子に乗って、“おー、わかった。でも、明日も撮りがあるから今日は3軒だけだぞ!”という感じ。その頃は、銀座で飲むのにお金はいらなかったくらい。もう時効だから白状するけど、飲んでる途中で店のママが耳打ちするんだよ。“あっちで鼻の下を伸ばしてるお客につけておいたから”ってね。

(2)へつづく

特集「『最期の3年』単独取材から厳選! 『梅宮辰夫』が『週刊新潮』だけに語った『アンナと妻』『死生観』『芸能界への遺言』」より

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