梅宮辰夫さんが週刊新潮だけに語った秘話 「勝新さんから“玉緒と寝てやってくれ”と頼まれて…」
芸能 週刊新潮 2019年12月26日号掲載
梅宮辰夫が週刊新潮だけに遺した言葉(1/2)
昭和の銀幕スターは新時代の幕開けからまもなく81歳で生涯を閉じた。「仁義なき戦い」や「不良番長」で知られる梅宮辰夫さん(以下・敬称略)は、最晩年の3年間にわたってたびたび本誌(「週刊新潮」)の単独取材に応じてきた。6度目のがん闘病を告白した本誌だけに「辰兄」が遺した言葉とは――。
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〈2017年4月、本誌記者とのやり取りのなかで、俳優・梅宮辰夫は自らの「死」についてこう語っている。〉
(石原)裕次郎さんは52歳、鶴田浩二さんだって62歳で亡くなった。死んで惜しまれるのは若くして召された人たちでね。ふっと僕だけが異常に長生きをしているんじゃないかと思うことさえある。僕の場合、あと3、4年で逝っても不平や不満は言えません。
男は家長としての稼ぎがなくなったら無用の長物。ただの粗大ゴミですよ。テレビでは盛んに長寿を煽ってるけどさ、そういうムードは心底、嫌なんだ。「惜しい人を亡くした」「あまりに早過ぎる」なんて言葉をよく耳にしますが、長生きにも限度はあって、どこかであの世に旅立たないと周りの人間からしたらありがた迷惑って奴でしょう。
僕は他人の世話になりながら生き長らえたいとは思わない。死ぬときもなるべく静かに、葬式は身内だけであげてほしいと女房には言ってます。
〈今月12日に慢性腎不全で死去した梅宮は、本人が生前に望んだ通り、親族や近しい関係者だけを集めた密葬で送り出された。享年81。
6度目のがん闘病と人工透析を初告白した記事(19年3月14日号)をはじめ、生前の梅宮はたびたび本誌の単独取材に応じ、家族や闘病生活、芸能界への思いを赤裸々に語ってきた。
今回は、神奈川・真鶴に隠棲し、表舞台から距離を置いた最期の1年を含め、最晩年の3年間の取材のなかでも、とっておきの秘話をお届けしたい。まずは、共に日本映画黄金時代を築いた「銀幕スター」との交遊について――。〉
やっぱり、裕次郎さんは雲の上の人だったね。
僕が俳優としてそれなりに名前が売れてきた頃、銀座で飲んでたら友人のバーテンが耳打ちするわけです。“おい、いまあの店に裕次郎が来てるぞ”って。もう素っ飛んで行きましたよ。電信柱の陰から様子を窺っていると、そのうちに裕次郎さんが10人くらいのホステスに見送られながら店を出てきて、ガルウィングのベンツSLに颯爽と乗り込むんだ。ほれぼれしたよな。同じ俳優でも向こうは国民的大スター。挨拶なんてとんでもない。恐れ多くて近づくこともできなかった。「カッコいいなぁ、俺も早くあんな車を買ってみてぇなぁ」と思ったものだよ。
一緒に飲んだなかで印象に残っているのは勝新(太郎)さん。仕事での付き合いは、テレビドラマ化された「座頭市」にゲスト出演した時だけなんです。でも、ある時、飲みに誘われてね。一体、何事かと思ったら、お互い酔いが回ってきた頃に勝新さんがこう切り出すんだ。“おい、辰夫! 玉緒がな、お前のファンだと言ってうるさいんだ。1回、寝てやってくれ!”って。いや、これにはさすがに参ったよ……。
あと、文ちゃん(菅原文太)は、僕と女房(クラウディアさん)の出逢いの場に同席してくれた。
その頃、僕のいとこが銀座で伝説のスカウトマンと呼ばれていてね。そいつが“お前の理想通りのいい子がいる。日本人より日本人らしい子だから、いっぺん顔を出しなよ”と言う。それで、“文ちゃん、ちょっと飲みに行こう”って声をかけて銀座に繰り出したんだ。その店にいたのが女房だった。散々お店で飲んだ後に、女房を六本木に連れ出して、明け方の3時くらいまで3人で飲んだ。その間、文ちゃんはずっとふたりの仲を取り持ってくれました。
文ちゃんのお陰で女房と結ばれたと、いまでも感謝してますね。
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