中二病への哀歌
受験生の秋。天王山を下る最中、勉強への意欲が性欲と反比例して減退していく。そんななかで僕の成績はなんとも中途半端なこととなり、第一志望にB判定という宙ぶらりん状態となっていた。化学を放置し、物理に絶望し、数学に妥協する日々だが、僕の最近の考え事と言えばもっぱら「アニメの主人公になりてえ~~~~~~~~~~~~~~」なのである。お前は中1から何も変わっていないな、といいたくなる。そんな、昔のクソな自分の話でも書き残しておこう。
小学4年生から中学1年生くらいまで、つまり僕のリアルが鬱屈としたゴミみたいな環境だったころ、僕は妄想世界の中で主人公をやっていたのだ。メンバーそれぞれが属性を与えられ、確か僕自身は無能力だったりパイロキネシスだったり或は超越的存在だったり或は牧歌的生活に従事する善良なる市民だったり、様々な設定を編み出していたが、どのストーリーにおいても「僕が無双して」「可愛い女の子からちやほやされて」「ラブだけじゃなくてコメディ」「感動的でスリリングなドラマ性」が備わっていた。そう、これは最近話題の「なろう系」というやつだ。
なろう系。主人公がなぜか滅茶苦茶強い能力を誇り、美少女を救い、世界を救い、そして皆から持ち上げられる。このクソストーリーが最近はやっているのもうなずける。僕からすれば、だいたい僕が中1まで妄想していたようなことばかりなのだから、もしそのときにその妄想が現実の小説となって簡単にアクセスできたなら僕自身もどっぷりハマっていたことだろう。実際、僕は今ではあまり見ないようなテンプレートなハーレムものアニメを小6、中1の頃は好んでみていた。可愛いキャラ、何故かモテる主人公、かっこいい能力を使い、様々なものを救う。憧れるし、夢想してしまう。最高じゃないか。
これは典型的な中二病だ。しかも、とびきりイタイやつ。現実の自分は惨めなのだ。(美少女はそもそもリアルにはいないとはいえ)リアルの女からは馬鹿にされ、相手にもされず、かといって他にとりえもなく男同士の間でも特に誇るものもない。ただの人、という意識が無意識的にあった。それは10代前半の自分には苦痛で、そこからの逃避として自分の妄想世界を用意したのだ。その中で、自分は凄い、やれるんだ、かっこいいことができる、世界を救える、偉大な存在だ、美少女にもちやほやされる......という儚い幻想に溺れていたのだ。
今でも僕自身の無能は相変わらずだし、勿論ハーレムは築いていないどころかおそらく一生に一人の彼女もできないことが確定してきた。今でもアニメは見るし、化物語の主人公になりてえ~~~~~とか、最近ではもはや女体化して100万円貯めて南極行きてえ~~~~~~~~~~~とかカスタネットしかできないけど軽音学部入ってゆるふわガールズバンドやりてえ~~~~~~~~~~~~~~~とか、或は奉仕部に入って美少女たちと陰キャごっこしてえなあとか、アイドル事務所に入ってプロデューサーにプロデュースされてえ~~とか、まあ色々思うことはある。それらは全てクソな現実からの逃避として、楽しそうで、愉快で、ドラマティックで、毎日が最高の舞台であるかのような世界観に傾倒しているというだけのことだ。
現実はクソだし、まだ理想的な世界にも行けないから、僕はこの現実を生きるしかないということを無意識的に悟ったのは中学2年生くらいのことだったのだろう。そこから現実に何かをやろうと思い、まあそれなりに実践した。そして、夢から覚めた中学1年の終り頃から今までずっと、ずっと、僕は自分が無能
ただの人で、クズで、ゴミムシであるという絶望的で冷酷な現実に対して常に直面し、向き合い、まるで毎朝鏡の前で「思いあがるなお前はカスだ」と言い続けているかのような常の自己嫌悪、自己否定感、そういったものと葛藤している。いや、葛藤ではない。もはや服従している。心は完全に対自分へのルサンチマンに支配されている。そのような絶対服従、絶対否定の中で毎日をぬるりを生きているのだ。生きる価値もないし、意味もないけど、それでもとりあえず生きて居ようと。
間違っても「生きているだけでいい」という肯定はしてはいけない。生きる価値もないし、生きることに何ら意味はない。それでも、そうした全ての否定や虚無の上に生きているということだ。日々をジメジメとした陰鬱陰惨な心象風景の中で生きていく。これこそが、僕が今後の人生でやっていくことにした「僕なりの中二病の結末」である。最高にクールじゃないか。