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ゲーセンのおじさんに見いだされた若者が「カプコンカップ」を制するまで ~かずのこ選手の過去・現在・未来~【前編】
『ストリートファイター』シリーズ、『ギルティギア』シリーズ、『ドラゴンボールファイターズ』に『SAMURAI SRIRITS』など、新旧様々な格闘ゲーム大会で好成績をおさめ、ワールドツアーを制覇してきたプロゲーマー、かずのこ(本名:井上涼太)。その圧倒的な攻略のスピードとセンスで“すべてのゲームに愛された男”とまで呼ばれたこの男のルーツとは? また、その魔王の如き強さの裏に隠された苦悩とは?
2019年、所属チームをBurning Coreに移して活躍の場をますます広げるマルチゲーマーのロングインタビューを、2回に分けてお送りする。

かずのこ:ゲームがいちばんの趣味だったと言っていいと思います。テレビとスーパーファミコンが一体になったもの(シャープ製のスーパーファミコン内蔵テレビ「SF1」)が家にあったので、『ドラゴンクエストV』などをやっていましたね。
――その頃から「スーパーファミコンの『ストリートファイターII』(以下『ストII』)では負けなしでした!」だったのでしょうか?
かずのこ:『ストII』も家にありましたけど、その頃は格闘ゲームはぜんぜんやりませんでした。「指痛くなるし、いいか」と(笑)。
――かずのこさんの配信タイトルを見ているとアクションゲームが好きだったのかなと思っていましたが、RPG好きだったんですね。
かずのこ:ゲーム好きな兄貴がいて、その影響だと思います。最初に自分で買ったタイトルは『ファイアーエムブレム』シリーズのどれかだった気がします。
――友達と遊ぶときも運動よりゲームですか?
かずのこ:運動が苦手だったんで、完全にそのタイプですね。スポーツは小学生のときにちょっとだけバスケをやっていましたが、ほんのちょっとだけです(笑)。勝ちたいとか上手くなりたいみたいな感じではなくて、遊びが楽しくてやっていただけのエンジョイ勢でしたが、中学校に上がって部活になると、周りがマジになり始めて。練習はきついのに、上手くないと試合にも出られないから楽しい時間も無くて。「シュート10本入れるまで帰れない」、そんな世界になったときに「あ、これは求めてるものと違うな」と思ってしまい、すぐ辞めてしまいました。
――ゲーセンデビューはいくつの頃ですか?
かずのこ:高校2年の時ですね。僕より先にゲーセンデビューしていた友達と家庭用ゲーム機の『ギルティギアX』をやった時、僕がけっこう勝てたんです。それで「おまえ、ゲーセン行っても勝てんじゃね?」と言われて連れていかれたのが最初になりますね。
でもゲーセンデビューは……ボコボコにやられましたね。その頃ゲーセンで稼働していたのは『ギルティギアXX』だったから慣れていなかった……なんていう問題ではなかったです。やっぱり高校生が家で友達とやっているレベルとはぜんぜん違っていました。
そのお店の常連にボコボコにされたのですが、そこで萎えてやめてしまうか、悔しくて上手くなるかの選択肢があったと思うんです。僕が選んだのは後者で、その格ゲー好きの友達よりハマりました。以降、ひとりでゲーセンに行くようになりましたね。自分でプレイするだけではなくて、上手い人のプレイをガン見して、コンボやセットプレイを覚えたりして、いわゆる格ゲープレイヤーになっていきました。
――もういきなり常連になったような感じでしょうか。
かずのこ:そうですね。その頃住んでいた志木にあったキング(現在閉店)というゲーセンに通っていましたが、志木ガイルさんというメチャクチャ強い人がいたんです。

かずのこ:それが意外と早かったんです。ゲーセンの大会とかでもすぐ優勝できるようになりました。
――あの当時だと、まだそんなにたくさんネットで対戦動画なども出回ってなかったですよね?
かずのこ:同じゲーセンの常連さんにすごく知識があるおじさんがいて、その人に「君、才能あるからいろいろ教えてあげるよ」と言われまして(笑)、たくさんのことを教わりました。
――ああー! ゲーセンによくいましたよね、そういう人!
かずのこ:仕込み入力とか、画面を見てるだけじゃわからない技術とかは、その人から教わりました。その人からもらった知識もあってだいぶ勝てるようになりましたね。まあ、そのおじさんには知識ない時から勝てたんですけど(笑)。
――本人が強いわけじゃなかったりするのもあるあるですね(笑)。
かずのこ:ゲームの上手い子供というだけで、ゲーセン常連の大人たちにかわいがられることは多かったです。「あいつに勝てないんだけど、ちょっと倒してみてよ」って何プレイかおごってもらったり。
――地元ゲーセンでエースプレイヤーになると、ホームの用心棒みたいな感じになりますよね。
かずのこ:ですね。おじさんたちに「ちょっとこのゲームプレイしてみてよ」と、すごくいろんなゲームを触らせてもらったので、それが後々いい経験になった気がしています。どの格ゲーにも通じる対人戦の考え方であったり。
――ホームの試合だけでなく、他の店に行ったりもしていましたか?
かずのこ:ホームゲーセンではエース級でも、たまに遠征勢が来たりするとよく負けていました。やっぱり都心のゲーセンのほうがプレイヤーも多くて、新しい攻略が出回るのも早いので。そうして地元の常連がみんなやられてしまうと悔しいので、遠征組が使っていたキャラを研究して、その人たちのホームへ逆に挑戦しに行くようになりました。
――リベンジのために他の店に行っていたんですね。そういう時は、どこのエリアから遠征に来た人たちかわかるものですか?
かずのこ:件の攻略法おじさんの情報網がすごいので(笑)、わかるんですよ。
そんなふうに地元ゲーセンの常連さんと仲良く遊んでいるうちに、常連さんたちから格闘ゲーム大会「闘劇」(2003年から2012年まで開催されていたゲームセンター向け格闘ゲームの全国大会)の存在を聞かされました。

※「闘劇」は「アルカディア」が運営に関わっており、誌面で大会レポートを行ったり、大会DVDの販売なども行っていた。
かずのこ:そうですね。ゲームは楽しく対戦できていたらいいやという感じだったので読んだことはなかったです。「闘劇」も「アルカディア」も知ったのは大学生になってからですね。ゲームで全国大会があるということが驚きだったのはもちろんですが、全国大会に出てくる人たちはどのくらい強いんだろうということにものすごく興味が沸きました。
――そこから、『ギルティギアXX』で「闘劇」を目指し始めたのでしょうか?
かずのこ:そうです。でも「闘劇」は3on3の団体戦ですよね。強豪プレイヤーの知り合いがいなくて困りました……。練習で遠征に行ってもあまりしゃべらないですし、そもそもバイトもロクにしてなかったので遠征に行く経済的な余裕もなかったんです。都内では池袋GiGOでしか練習していませんでした。毎日のように通っていたら常連さんに「強いね!」と声をかけてもらい、やっと話せる人ができたという感じで(笑)。その人も「俺がおごるからゲームやれ」というタイプの方でした。
――ええ!? 強いプレイヤーの活躍を見たいから俺がお金を出す、みたいな? スポンサーが付くのは最近になって始まったことじゃないんですね!?(笑)
かずのこ:「闘劇」は全国のいろいろなゲーセンで予選大会があるので、あちこちに行って予選に参加するのが普通でしたが、それもその方が車を出してくれました。一緒にいろいろなゲーセンを巡りましたが、おかげでさらに上達することができました。
――チームメイトは見つかりましたか?
かずのこ:その人を含めて3人揃ったので、いくつか予選に参加しましたが……本戦の切符は獲得できませんでしたね。当日予選も決勝で負けてしまって。
でも、せっかく来たんだから本戦も見ようと現地で観戦して、そこでかなりモチベーションが上がりました。「こんな世界があったのか!」と。さらに言うと、当日予選で実力を示せたことで、本戦に出ているような有名プレイヤーにも認識してもらえるようになりました。
――「来年、組みませんか」という話をもらったり?
かずのこ:当日すぐというわけではありませんでしたが、その年の「闘劇」本戦常連のプレイヤーさんにも声をかけてもらえるようになりました。さすがに人の車で遠征に連れていってもらってばかりいるのに、試合では「別の人と組みます」だと筋が通らないと思いまして、バイトをがっつり入れるようにして独り立ちをしました。そこからですね、一気に行動範囲が広まったのは。
――自分で稼いだお金なら好きなところへ行けますからね。そこからは毎年のように「闘劇」の常連になるわけですね。
かずのこ:次の年には本戦の2回戦で負けましたが、その次の年は3回戦、さらにその次はベスト8と、どんどん成績も上がっていきました。ついに準優勝まで行って、いよいよ来年こそ優勝だ! と思っていたところ、次の年から「闘劇」の種目に『ギルティギア』が選ばれなくなってしまったんです! 当時は「闘劇で優勝する」ことが人生の目標だったので、ショックというか……なんかこう、高まってる自分の持って行きどころをどうしたものかなと……。
――それはしんどいですね……。
かずのこ:それで、その時の僕が出した答えは「別のゲームをやり込んででも『闘劇』に出て優勝したい」でした。『ギルティギア』が種目に無いなら『ストストリートファイターIV』(以下『ストIV』)で出るしかないなと……。

かずのこ:いえ、全然。初代『ストIV』をサガットでちょっと遊んだくらいでした。ゲーム性も『ギルティギア』と全然違うので、サガットだからそこそこ勝っているだけで。
――初代のサガットは大暴れしていましたね。
かずのこ:「アルカディア」の誌面だったと思いますが、ウメハラさんが「ユンがめちゃくちゃ強い」と書いていたんです。何か飛んで降りていればいいらしい、地上戦しなくていいらしい、といった噂で。「このキャラなら今からでもいけるんじゃないか!?」ということでユンを使い始めました。
――後発だからこそ最短距離で勝ちに行かないと追いつけませんよね。
かずのこ:「闘劇」を目標に据えたので、そうなります。いちばん強い環境に身を置こうと思い、池袋の「ゲームサファリ」にめちゃくちゃ通いましたね。
――とは言え、『ギルティギア』シリーズとはまったく違うゲーム性ですよね。
かずのこ:いやあ、最初は本当に苦戦しました……。カプコン格ゲーに詳しい知り合いがいないので、「コレどうやってるんだろう?」と思っても聞く相手もいない。ひとりで調べて練習していました。負けては1000円札を両替して100円入れて……を繰り返しているだけの人でしたね。最強キャラを使っているのに勝率は50%もいっていませんでした。
――ぜんぜん違うゲーム性の中で、どうやって追いついたんですか?
かずのこ:うーん……、特別に何かしたわけではないですね。ただただ見て、研究して、やり続けた感じです。
――それがすごいですよね。普通はいくら練習したと言っても、すぐにはトップレベルには追いつかないですよ。何が違うんでしょうか?
かずのこ:子供の頃にゲーセンで常連おじさんから「あれやってよ。次はこれね」と言われて、いろいろなゲームに触れてきたことが利いてるんじゃないか、と割とマジで思っています。
――ああ、志木のゲーセンにいたというおじさん!
かずのこ:セットプレイやシステムなど、ひとつの格ゲーでしか使えない知識よりも、基礎力という部分でいろいろなゲームに対応できるようになったのは、自分の長所なのかもしれないと最近思っています。
――格闘ゲームの基礎力、ですか。
かずのこ:例えば、対人戦で発生する駆け引きや、相手の行動の読み取り方……などですね。こっちの動きに対して相手がどう対応するかを見て、その動きを誘い出す、というのはどの格闘ゲームにも共通しているので。そんな経験をいろいろなゲームで積んできたのかなと。
――それで念願がかなって「闘劇」で優勝するわけですが、そのときのチームメイトとはどこで?
かずのこ:おじさんボーイさんという、埼玉で一番強いヤンの人と組んだのですが、その人とはたまたま地元が一緒で。ゲームマグマックス川越(2019年4月に閉店)というゲーセンで、お互いに知らない人のまま、ひと言もしゃべらない状態で何十試合もガチ対戦を続けていたんです。そしたらおじさんボーイさんから「闘劇、一緒に組まない?」と話しかけてくれて。それが初めての会話でした。
――初めての会話が「闘劇、一緒に組まない?」とはすごいですね(笑)。
かずのこ:でもやる気は僕のほうがだんぜんすごくて、ひとりで池袋や新宿に行って対戦していました。おじさんボーイさんは面倒くさがって地元から出ない人でしたから。まあ、年齢も上だし、そのままで十分強いからいいか、と何も言いませんでしたが(笑)。
――そんな感じで、2011年の「闘劇」で優勝してしまうんですね。
かずのこ:ふたりともバランス良く活躍して。その当時は海外のプレイヤーの情報なども知らなかったので、Xiaohai選手のチームも知らずに倒していました。
――すごい(笑)。その時はまだ大学生ですか?
かずのこ:そうですね。でもその後、僕は大学を辞めてしまいました。
――やっぱり本当にやりたいことやろうという感じだったんですか?
かずのこ:「闘劇」で優勝したあたりから「GODSGARDEN(以下、GODS)」に誘われていて、その頃は今みたいにプロゲーマーやeスポーツといった文化は育っていなかったので、ここの決断はかなり悩みました。
でも、海外大会にも行かせてくれるというお話をもらって、もしかしたらすでに「プロゲーマー」という肩書きで頑張っているウメハラさん、ときどさん、マゴさんみたいになれる道もあるのかなと思い、飛び込んでみたんです。

かずのこ:今で言うゲーミングチームとも少し違うと思いますが、「今後配信は絶対武器になるから」と、定期的な配信に力を入れ始めたゲーマー配信団体でしたね。その頃は大会運営をしたり。最近のGODSとは体制も取り巻く環境も違いますが、先見性があったというか、道を示してくれた存在だったと思いますし、すごく感謝しています。
――海外大会に進出するようになったのは、GODS加入がきっかけなんですね。
かずのこ:そうですね。「闘劇」で優勝したという知名度もあり、海外大会から招待いただけるようになったので。
今でこそ日本でもeスポーツ文化がありますけど、当時は海外の大会で優勝したりすると、日本で優勝したときと本当に感覚が違いました。「サインしてくれ」「一緒に写真撮らせてくれ」と、ゲームをやっていてこんなに褒められることがあるんだ、と本当に驚きました。日本でも「闘劇」で勝ったりすると歓声も称賛ももらえますけど、それってあくまでも自分たちと同類の中での称賛なので。
会場から一歩外に出てしまうと、同年代の人はみんな就職活動などで忙しくしている。そんな中でゲームばかり上手くなっても……と。でも海外に出てみたら、認めてもらえた。卑屈になっていた意識を変えてくれたので、ゲームを頑張るときの気持ちが楽になりましたね。
――大学を辞めて配信や大会に専念するようになったわけですが、実際のところ生活できる状態だったのでしょうか?
かずのこ:最初の頃はバイトをしながらでしたが、GODSはニコニコ動画での有料チャンネル配信などにもいち早く取り組んでいたので、徐々に減らしていくことができました。「ゲーム配信で金を取るのかよ」という反発もけっこうありましたが、そこは当時の代表が「俺が言われておくからお前らは普通にしてていいよ」と言ってくれていました。
――その当時だと、企業のスポンサードを得ると言ってもそんなに多くはないでしょうしね。ゲームプレイを見せていくための活動資金をどうやって得るか、というのはeスポーツ前夜の大きなテーマだったと思います。
かずのこ:海外企業にスポンサードされて先にプロゲーマーになっていた人たちが、どのくらいの条件だったのかはわからないですが、自分はその当時はプロゲーマーだとは思っていなかったですね。
――プレイ動画を見せる人……今でいうストリーマーみたいな感覚ですか?
かずのこ:そうですね。大会に招待された時などは、先にプロゲーマーになった3人(ウメハラ、ときど、マゴ)とも一緒に行動することがちょくちょくありましたが、自分はプロゲーマーではないと認識していました。
――たしかにあの頃はプロゲーマーという肩書きは今より特別なものでしたよね。さらに言えば世間からの見え方は「それってちゃんとした仕事なの?」という部分も今以上に強かったと思います。
かずのこ:海外での熱狂を見て、それを信じて頑張りたい自分と、やはり就職しないといけないと思う自分がいて悩んでいました。海外遠征時はボンちゃんも一緒に行動することが多かったのですが、ボンちゃんとそういう不安の話になった時に「次に日本でプロゲーマーになるとしたら俺かお前だから、今はプロの誘いとか来なくて苦しいかもしれないけど、このゲームは真面目にやろうぜ」と真面目に言われまして。そのあたりから本気でプロを意識するようになりましたね。
――アツい話ですね。
かずのこ:そんなふうに頑張っていたら、『ウルトラストリートファイターIV』の「カプコンカップ2015」で優勝でき、GODSが本格的に企業さんからスポンサードしてもらえるようになりました。だから、所属は変わらないままユニフォームに企業のロゴが入り、プロゲーマーになったような……不思議な感覚でしたね。
『ストリートファイター』の世界に活躍の場を広げたかずのこ選手がぶち当たった壁と、マルチゲーマーゆえのあまりにも意外な苦悩について語るインタビュー。後編は12月27日掲載予定となっているので、そちらも楽しみにしていてほしい。
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2019年、所属チームをBurning Coreに移して活躍の場をますます広げるマルチゲーマーのロングインタビューを、2回に分けてお送りする。
じつはRPG・SLG出身!?
――2019年現在31歳ということですが、やっぱりゲームは子供の頃から好きだったんですよね?かずのこ:ゲームがいちばんの趣味だったと言っていいと思います。テレビとスーパーファミコンが一体になったもの(シャープ製のスーパーファミコン内蔵テレビ「SF1」)が家にあったので、『ドラゴンクエストV』などをやっていましたね。
――その頃から「スーパーファミコンの『ストリートファイターII』(以下『ストII』)では負けなしでした!」だったのでしょうか?
かずのこ:『ストII』も家にありましたけど、その頃は格闘ゲームはぜんぜんやりませんでした。「指痛くなるし、いいか」と(笑)。
――かずのこさんの配信タイトルを見ているとアクションゲームが好きだったのかなと思っていましたが、RPG好きだったんですね。
かずのこ:ゲーム好きな兄貴がいて、その影響だと思います。最初に自分で買ったタイトルは『ファイアーエムブレム』シリーズのどれかだった気がします。
――友達と遊ぶときも運動よりゲームですか?
かずのこ:運動が苦手だったんで、完全にそのタイプですね。スポーツは小学生のときにちょっとだけバスケをやっていましたが、ほんのちょっとだけです(笑)。勝ちたいとか上手くなりたいみたいな感じではなくて、遊びが楽しくてやっていただけのエンジョイ勢でしたが、中学校に上がって部活になると、周りがマジになり始めて。練習はきついのに、上手くないと試合にも出られないから楽しい時間も無くて。「シュート10本入れるまで帰れない」、そんな世界になったときに「あ、これは求めてるものと違うな」と思ってしまい、すぐ辞めてしまいました。
――ゲーセンデビューはいくつの頃ですか?
かずのこ:高校2年の時ですね。僕より先にゲーセンデビューしていた友達と家庭用ゲーム機の『ギルティギアX』をやった時、僕がけっこう勝てたんです。それで「おまえ、ゲーセン行っても勝てんじゃね?」と言われて連れていかれたのが最初になりますね。
でもゲーセンデビューは……ボコボコにやられましたね。その頃ゲーセンで稼働していたのは『ギルティギアXX』だったから慣れていなかった……なんていう問題ではなかったです。やっぱり高校生が家で友達とやっているレベルとはぜんぜん違っていました。
そのお店の常連にボコボコにされたのですが、そこで萎えてやめてしまうか、悔しくて上手くなるかの選択肢があったと思うんです。僕が選んだのは後者で、その格ゲー好きの友達よりハマりました。以降、ひとりでゲーセンに行くようになりましたね。自分でプレイするだけではなくて、上手い人のプレイをガン見して、コンボやセットプレイを覚えたりして、いわゆる格ゲープレイヤーになっていきました。
――もういきなり常連になったような感じでしょうか。
かずのこ:そうですね。その頃住んでいた志木にあったキング(現在閉店)というゲーセンに通っていましたが、志木ガイルさんというメチャクチャ強い人がいたんです。
原点は常連の“解説おじさん”
――『ギルティギア』シリーズで格ゲーを始めてから、勝てるようになるまではけっこうかかりましたか?かずのこ:それが意外と早かったんです。ゲーセンの大会とかでもすぐ優勝できるようになりました。
――あの当時だと、まだそんなにたくさんネットで対戦動画なども出回ってなかったですよね?
かずのこ:同じゲーセンの常連さんにすごく知識があるおじさんがいて、その人に「君、才能あるからいろいろ教えてあげるよ」と言われまして(笑)、たくさんのことを教わりました。
――ああー! ゲーセンによくいましたよね、そういう人!
かずのこ:仕込み入力とか、画面を見てるだけじゃわからない技術とかは、その人から教わりました。その人からもらった知識もあってだいぶ勝てるようになりましたね。まあ、そのおじさんには知識ない時から勝てたんですけど(笑)。
――本人が強いわけじゃなかったりするのもあるあるですね(笑)。
かずのこ:ゲームの上手い子供というだけで、ゲーセン常連の大人たちにかわいがられることは多かったです。「あいつに勝てないんだけど、ちょっと倒してみてよ」って何プレイかおごってもらったり。
――地元ゲーセンでエースプレイヤーになると、ホームの用心棒みたいな感じになりますよね。
かずのこ:ですね。おじさんたちに「ちょっとこのゲームプレイしてみてよ」と、すごくいろんなゲームを触らせてもらったので、それが後々いい経験になった気がしています。どの格ゲーにも通じる対人戦の考え方であったり。
――ホームの試合だけでなく、他の店に行ったりもしていましたか?
かずのこ:ホームゲーセンではエース級でも、たまに遠征勢が来たりするとよく負けていました。やっぱり都心のゲーセンのほうがプレイヤーも多くて、新しい攻略が出回るのも早いので。そうして地元の常連がみんなやられてしまうと悔しいので、遠征組が使っていたキャラを研究して、その人たちのホームへ逆に挑戦しに行くようになりました。
――リベンジのために他の店に行っていたんですね。そういう時は、どこのエリアから遠征に来た人たちかわかるものですか?
かずのこ:件の攻略法おじさんの情報網がすごいので(笑)、わかるんですよ。
そんなふうに地元ゲーセンの常連さんと仲良く遊んでいるうちに、常連さんたちから格闘ゲーム大会「闘劇」(2003年から2012年まで開催されていたゲームセンター向け格闘ゲームの全国大会)の存在を聞かされました。
地元のエースからさらなる高みを目指して
――「闘劇」を知らなかったということは「アルカディア」(ゲームセンター専門雑誌。2015年休刊)は読んでいなかったんですね(※)。※「闘劇」は「アルカディア」が運営に関わっており、誌面で大会レポートを行ったり、大会DVDの販売なども行っていた。
かずのこ:そうですね。ゲームは楽しく対戦できていたらいいやという感じだったので読んだことはなかったです。「闘劇」も「アルカディア」も知ったのは大学生になってからですね。ゲームで全国大会があるということが驚きだったのはもちろんですが、全国大会に出てくる人たちはどのくらい強いんだろうということにものすごく興味が沸きました。
――そこから、『ギルティギアXX』で「闘劇」を目指し始めたのでしょうか?
かずのこ:そうです。でも「闘劇」は3on3の団体戦ですよね。強豪プレイヤーの知り合いがいなくて困りました……。練習で遠征に行ってもあまりしゃべらないですし、そもそもバイトもロクにしてなかったので遠征に行く経済的な余裕もなかったんです。都内では池袋GiGOでしか練習していませんでした。毎日のように通っていたら常連さんに「強いね!」と声をかけてもらい、やっと話せる人ができたという感じで(笑)。その人も「俺がおごるからゲームやれ」というタイプの方でした。
――ええ!? 強いプレイヤーの活躍を見たいから俺がお金を出す、みたいな? スポンサーが付くのは最近になって始まったことじゃないんですね!?(笑)
かずのこ:「闘劇」は全国のいろいろなゲーセンで予選大会があるので、あちこちに行って予選に参加するのが普通でしたが、それもその方が車を出してくれました。一緒にいろいろなゲーセンを巡りましたが、おかげでさらに上達することができました。
――チームメイトは見つかりましたか?
かずのこ:その人を含めて3人揃ったので、いくつか予選に参加しましたが……本戦の切符は獲得できませんでしたね。当日予選も決勝で負けてしまって。
でも、せっかく来たんだから本戦も見ようと現地で観戦して、そこでかなりモチベーションが上がりました。「こんな世界があったのか!」と。さらに言うと、当日予選で実力を示せたことで、本戦に出ているような有名プレイヤーにも認識してもらえるようになりました。
――「来年、組みませんか」という話をもらったり?
かずのこ:当日すぐというわけではありませんでしたが、その年の「闘劇」本戦常連のプレイヤーさんにも声をかけてもらえるようになりました。さすがに人の車で遠征に連れていってもらってばかりいるのに、試合では「別の人と組みます」だと筋が通らないと思いまして、バイトをがっつり入れるようにして独り立ちをしました。そこからですね、一気に行動範囲が広まったのは。
――自分で稼いだお金なら好きなところへ行けますからね。そこからは毎年のように「闘劇」の常連になるわけですね。
かずのこ:次の年には本戦の2回戦で負けましたが、その次の年は3回戦、さらにその次はベスト8と、どんどん成績も上がっていきました。ついに準優勝まで行って、いよいよ来年こそ優勝だ! と思っていたところ、次の年から「闘劇」の種目に『ギルティギア』が選ばれなくなってしまったんです! 当時は「闘劇で優勝する」ことが人生の目標だったので、ショックというか……なんかこう、高まってる自分の持って行きどころをどうしたものかなと……。
――それはしんどいですね……。
かずのこ:それで、その時の僕が出した答えは「別のゲームをやり込んででも『闘劇』に出て優勝したい」でした。『ギルティギア』が種目に無いなら『ストストリートファイターIV』(以下『ストIV』)で出るしかないなと……。
なんとしても「闘劇」に!『ストIV』デビュー
――それまで『ストIV』シリーズはやっていたんですか?かずのこ:いえ、全然。初代『ストIV』をサガットでちょっと遊んだくらいでした。ゲーム性も『ギルティギア』と全然違うので、サガットだからそこそこ勝っているだけで。
――初代のサガットは大暴れしていましたね。
かずのこ:「アルカディア」の誌面だったと思いますが、ウメハラさんが「ユンがめちゃくちゃ強い」と書いていたんです。何か飛んで降りていればいいらしい、地上戦しなくていいらしい、といった噂で。「このキャラなら今からでもいけるんじゃないか!?」ということでユンを使い始めました。
――後発だからこそ最短距離で勝ちに行かないと追いつけませんよね。
かずのこ:「闘劇」を目標に据えたので、そうなります。いちばん強い環境に身を置こうと思い、池袋の「ゲームサファリ」にめちゃくちゃ通いましたね。
――とは言え、『ギルティギア』シリーズとはまったく違うゲーム性ですよね。
かずのこ:いやあ、最初は本当に苦戦しました……。カプコン格ゲーに詳しい知り合いがいないので、「コレどうやってるんだろう?」と思っても聞く相手もいない。ひとりで調べて練習していました。負けては1000円札を両替して100円入れて……を繰り返しているだけの人でしたね。最強キャラを使っているのに勝率は50%もいっていませんでした。
――ぜんぜん違うゲーム性の中で、どうやって追いついたんですか?
かずのこ:うーん……、特別に何かしたわけではないですね。ただただ見て、研究して、やり続けた感じです。
――それがすごいですよね。普通はいくら練習したと言っても、すぐにはトップレベルには追いつかないですよ。何が違うんでしょうか?
かずのこ:子供の頃にゲーセンで常連おじさんから「あれやってよ。次はこれね」と言われて、いろいろなゲームに触れてきたことが利いてるんじゃないか、と割とマジで思っています。
――ああ、志木のゲーセンにいたというおじさん!
かずのこ:セットプレイやシステムなど、ひとつの格ゲーでしか使えない知識よりも、基礎力という部分でいろいろなゲームに対応できるようになったのは、自分の長所なのかもしれないと最近思っています。
――格闘ゲームの基礎力、ですか。
かずのこ:例えば、対人戦で発生する駆け引きや、相手の行動の読み取り方……などですね。こっちの動きに対して相手がどう対応するかを見て、その動きを誘い出す、というのはどの格闘ゲームにも共通しているので。そんな経験をいろいろなゲームで積んできたのかなと。
――それで念願がかなって「闘劇」で優勝するわけですが、そのときのチームメイトとはどこで?
かずのこ:おじさんボーイさんという、埼玉で一番強いヤンの人と組んだのですが、その人とはたまたま地元が一緒で。ゲームマグマックス川越(2019年4月に閉店)というゲーセンで、お互いに知らない人のまま、ひと言もしゃべらない状態で何十試合もガチ対戦を続けていたんです。そしたらおじさんボーイさんから「闘劇、一緒に組まない?」と話しかけてくれて。それが初めての会話でした。
――初めての会話が「闘劇、一緒に組まない?」とはすごいですね(笑)。
かずのこ:でもやる気は僕のほうがだんぜんすごくて、ひとりで池袋や新宿に行って対戦していました。おじさんボーイさんは面倒くさがって地元から出ない人でしたから。まあ、年齢も上だし、そのままで十分強いからいいか、と何も言いませんでしたが(笑)。
――そんな感じで、2011年の「闘劇」で優勝してしまうんですね。
かずのこ:ふたりともバランス良く活躍して。その当時は海外のプレイヤーの情報なども知らなかったので、Xiaohai選手のチームも知らずに倒していました。
――すごい(笑)。その時はまだ大学生ですか?
かずのこ:そうですね。でもその後、僕は大学を辞めてしまいました。
――やっぱり本当にやりたいことやろうという感じだったんですか?
かずのこ:「闘劇」で優勝したあたりから「GODSGARDEN(以下、GODS)」に誘われていて、その頃は今みたいにプロゲーマーやeスポーツといった文化は育っていなかったので、ここの決断はかなり悩みました。
でも、海外大会にも行かせてくれるというお話をもらって、もしかしたらすでに「プロゲーマー」という肩書きで頑張っているウメハラさん、ときどさん、マゴさんみたいになれる道もあるのかなと思い、飛び込んでみたんです。
GODSGARDENに加入し、晴れてプロゲーマーに
――その時の「GODS」はどういう団体だったんですか?かずのこ:今で言うゲーミングチームとも少し違うと思いますが、「今後配信は絶対武器になるから」と、定期的な配信に力を入れ始めたゲーマー配信団体でしたね。その頃は大会運営をしたり。最近のGODSとは体制も取り巻く環境も違いますが、先見性があったというか、道を示してくれた存在だったと思いますし、すごく感謝しています。
――海外大会に進出するようになったのは、GODS加入がきっかけなんですね。
かずのこ:そうですね。「闘劇」で優勝したという知名度もあり、海外大会から招待いただけるようになったので。
今でこそ日本でもeスポーツ文化がありますけど、当時は海外の大会で優勝したりすると、日本で優勝したときと本当に感覚が違いました。「サインしてくれ」「一緒に写真撮らせてくれ」と、ゲームをやっていてこんなに褒められることがあるんだ、と本当に驚きました。日本でも「闘劇」で勝ったりすると歓声も称賛ももらえますけど、それってあくまでも自分たちと同類の中での称賛なので。
会場から一歩外に出てしまうと、同年代の人はみんな就職活動などで忙しくしている。そんな中でゲームばかり上手くなっても……と。でも海外に出てみたら、認めてもらえた。卑屈になっていた意識を変えてくれたので、ゲームを頑張るときの気持ちが楽になりましたね。
――大学を辞めて配信や大会に専念するようになったわけですが、実際のところ生活できる状態だったのでしょうか?
かずのこ:最初の頃はバイトをしながらでしたが、GODSはニコニコ動画での有料チャンネル配信などにもいち早く取り組んでいたので、徐々に減らしていくことができました。「ゲーム配信で金を取るのかよ」という反発もけっこうありましたが、そこは当時の代表が「俺が言われておくからお前らは普通にしてていいよ」と言ってくれていました。
――その当時だと、企業のスポンサードを得ると言ってもそんなに多くはないでしょうしね。ゲームプレイを見せていくための活動資金をどうやって得るか、というのはeスポーツ前夜の大きなテーマだったと思います。
かずのこ:海外企業にスポンサードされて先にプロゲーマーになっていた人たちが、どのくらいの条件だったのかはわからないですが、自分はその当時はプロゲーマーだとは思っていなかったですね。
――プレイ動画を見せる人……今でいうストリーマーみたいな感覚ですか?
かずのこ:そうですね。大会に招待された時などは、先にプロゲーマーになった3人(ウメハラ、ときど、マゴ)とも一緒に行動することがちょくちょくありましたが、自分はプロゲーマーではないと認識していました。
――たしかにあの頃はプロゲーマーという肩書きは今より特別なものでしたよね。さらに言えば世間からの見え方は「それってちゃんとした仕事なの?」という部分も今以上に強かったと思います。
かずのこ:海外での熱狂を見て、それを信じて頑張りたい自分と、やはり就職しないといけないと思う自分がいて悩んでいました。海外遠征時はボンちゃんも一緒に行動することが多かったのですが、ボンちゃんとそういう不安の話になった時に「次に日本でプロゲーマーになるとしたら俺かお前だから、今はプロの誘いとか来なくて苦しいかもしれないけど、このゲームは真面目にやろうぜ」と真面目に言われまして。そのあたりから本気でプロを意識するようになりましたね。
――アツい話ですね。
かずのこ:そんなふうに頑張っていたら、『ウルトラストリートファイターIV』の「カプコンカップ2015」で優勝でき、GODSが本格的に企業さんからスポンサードしてもらえるようになりました。だから、所属は変わらないままユニフォームに企業のロゴが入り、プロゲーマーになったような……不思議な感覚でしたね。
* * * * * * * * * *

『ストリートファイター』の世界に活躍の場を広げたかずのこ選手がぶち当たった壁と、マルチゲーマーゆえのあまりにも意外な苦悩について語るインタビュー。後編は12月27日掲載予定となっているので、そちらも楽しみにしていてほしい。
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