はじめに
この記事は、退職者アドベントカレンダー 24日目の記事です。
私の都合ですっかり失念しており、すでに年納め、かなり遅れてしまったことお詫び申し上げます。
さて、退職エントリということで、昨年の11/30に退職しまして、12/1の誕生日に無職を自分へプレゼントするというルートをたどり、ニート期間を1ヶ月はさみました。その後、2019年1月に今の会社に迎えていただき、ちょうど今年の12月で1年となります。
辞める前、なぜ転職に至ったのか、そしてどのような経路で今の会社と出会ったのか、そして今の会社に入ってみた当初と、入ってその後感じていることについてちょっとお付き合いください。
かんたんな経歴
前職、メーカーと呼ばれるタイプの製造業です。主にBtoBのためあまり名前は聞かないですが、インフラ関係(物理、サーバーなどではない)を担当しており、製造業と言われる通り「自社製品」に力を入れている会社です。 業界内では給料は決して高くはないもの、残業代は全部出るし、部署によって仕事の密度はあれど、定時では帰りやすい雰囲気もある、本当にホワイト企業との名が似合う会社です。
2年ほど主力製品の組み込みソフトウェアを担当しており、その後異動でシステム開発関係の部署になりました。
こちらは組み込みソフトウェアと大きく異なります。主にMySQL,C++,VB等を触りますが、開発においては広く浅い知識が求められました。
主にシステム仕様の設計、納入前のサーバー立ち上げ、ネットワーク設備の設定、機器設置の立ち上げなど、広く多岐にわたります。
当初はソフトウェアはアウトソーシングしており、主に納入検査がメインとなっておりましたが、後に自社開発することとなります。
自社開発時に私が担当していた期間は2年〜3年程度でその後退職という流れになりましたが、とても貴重な経験をさせていただきました。
前職でお世話になった方々とも関係は良好で、実家の方に帰ったときは一緒に飲みに行くなど、また都内の同期とも一緒に飲むなど、まだいいお付き合いはあります。
現在は都内IT企業にて今までと違うスピード感でMySQL、Oracle、C#、Python、PHP(Laravel, Wordpress)など実務では割とどこでも駆り出されている感はありますが、とても仕事への満足感は感じており、楽しく生活させていただいております。
なぜ転職したのか
さて、なぜ転職したのかです。これは一般的に言われてることも同じで、割と転職エントリを書かれている方も「思うところがあって」と書きます。
特にあるのですが、会社がとにかく「昭和」な文化でした。最初は当たり前だと思ってたのですが、どうやら違ったらしい。
自分の技術がどこまで外で通用するのかもわからず、その会社でも大事な存在になることを目指していました。
先も書きましたが、システム案件のアウトソーシングが終わり社内で解決することに鳴りました。その少し前から私は「コードを書きたい」と常々言っておりましたが、なかなかその夢は叶わず。
そう、私は「設計をしたかった」のです。それも、自分が作りたいようにシステムを組んでみたかった。10年経った設計のシステムはDBが冗長化し、増改築の末にメインシステムは絡み合う複雑な仕様、整備されていないドキュメント、担当者が転々としたことにより、不明確な動作、動かないコード・・・とすぐにでも破綻しそうなものとなっておりました。
これは別に転職の理由ではないです。正直、全部作り直してやろうと思ったぐらいでした。自分で作るようになると、わかるのです。現場納品後、お客様から声が聞こえるのです。要望が上がってくるのです。
「あー、これすぐ治せるなぁ。」とか「これならxxすれば2日ぐらいで終わるなぁ」と普通に感じるのです。しかし、私がいた会社は重かった・・・
誰も責任を取りたくない文化が蔓延している会社、「よし、やっちまえ」の一言が誰の口からも出ないのです。やれば終わるのに・・・
上がった要望は、いちばん重要な「製品の価値」に結びつきます。機能性ではないです。どんなに機能が多くても、シンプルな機能が優れている製品が勝ちます。
そんな中、全体的な品質の底上げはできません。そんな時間も工数も会社には残されていませんでした。
それに違和感を感じた私は、やめる1年前に堂々と宣言します。
「来年なにも変わる兆しがなかったら、この会社を去ります。」
転職のきっかけ
ちょうどその頃、Mastodonが公開され、そこでエンジニアの高校生と触れ合い、知り合いが増えました。
中のいい学生諸君、エンジニアの知り合いが増えていくうちに「あー、俺こういう技術があることすら知らなかった」と広い海を見ました。
それから半年ぐらい、会社ではPythonでスクリプトを書き、PHPを触り、C#でツールを作り・・・と手をあちこちに広げ始めました。
社内でしたっていたWindowsのソフトウェアにめっちゃ詳しい先輩は、入って3年で会社を去りました。その人からC#で使えることや、WPF、今のオブジェクト指向の考え方などは学んだのですが、やはりその人がやめた理由も同じような理由でしょう。最後まで、聞くことはできなかったです。
手元にあったデバッグサーバーを部内サーバーとして立ち上げ、GitBucket、Mattermost、Wekanなど、開発用サービスを自力で立て、部内のみでそっと運用しておりました。
Visual Studioのソース管理ツールで管理されていない我々のシステムを勝手にそちらで運用しました。
ここでいろいろ自由にはやらせてもらったのですが、結局「いいものを作りたい」という私の、製品に対する思いは結果的に裏切られることとなります。
やはり体制は変わらず、大きく使いやすいUIを作るなどはありませんでした。
最後は花を持たせてもらえるかのごとく、とても大きな開発案件に携わらせていただいたことは感謝しかないです。あれは楽しかった。
Twitterでの知り合いの縁を頼りに
IT業界に飛び込もうとして転職活動をしていました。そのときに初めて、SESやフリーランスという働き方、あとは客先常駐などの働き方を知りましたが、この頃のワタシに業界の知識など全くありません。 みなし残業30時間は多いのか少ないのかすら判断できず。
とりあえず、そんな「わからない」を解決しようにも、市場はすでにSESで嫌な思いをした人のブログと、SESは儲かるからと人を増やしたい企業のブログが交錯し殺伐としておりました。
そんな折、以前からのTwitterの知り合い、その思いと転職するにあたって自分が考えていることを話したところ「ぜひウチの会社に来ないか」と親身になって手伝っていただきました。
そこの会社の営業さんは、業界のことやフリーランスのことなど、すごくレスポンスが早く、私のサポートをしていただいたこと、感謝しきれません。
(まだ何も、お返しできていない・・・いずれ飲みに行きましょう!!)
結局の所、私のチャレンジしていきたい姿勢、やりたいこと、業界での仕事の仕方などは一通りお伝えしました。実のところ、私自身業界においてはまだ経験が足らずじまいでした。後に社長からご紹介いただき、その会社ではなく、今の会社で働くこととなりました。
入る前
面接に行く前、私はその会社のことを調べました。ホームページが独創的で、とても面白い会社だなと思う反面、逆にどんな会社なのか不安90%といったところでした。
紹介していただいた会社なので、絶対にいいところだと自分に言い聞かせ、その会社へ伺うこととなりました。
(ちなみにこのとき、用意していなかった職務経歴書と履歴書、あとはポートフォリオサイトの整備を勧めた結果、見事に翌朝、寝不足によって車で事故を起こしてしまいました・・・
)
いざ面接のために伺い、電話を鳴らすと社内の人に案内していただきました。今ではもう普通に見慣れた人ですが、ヤンキー上がりみたいな人で、でもとても丁寧で元気がある人だったので記憶に真っ先に残りました。
面接では当然のことを聞かれ、当然のことを話すのはもちろんですが、仕事ではなくプライベートで色々勉強がてら組んでた小さいもの、それぞれ思ったとおりに動かないとか、サーバー側をどうすべきか等の世間話を話し込んでしまい、結局面接が2時間程度になったことは記憶しております。
社長の勢いが好きで、一瞬で自分の中でもそのときに決まりました。
あとは住まいの探し方とかもその場で相談したような・・・
そのときに記憶しているのは「私達はあなたを採用することは確定です。ただ、こちらが提示する金額はまだ決まっておりません」だったかなと。
そのときに「あ、俺、この会社の一員になれるんだ」と安心したのを覚えています。
入ってから
- 飲み物自由
- スープ自由
- お土産とかのお菓子コーナーは自由。
- 仕事中に手が空いてれば普通にケータイ使ってても自由
- フレックス
- 昼休みは適当に自由に取れる。(私は、社長とお世話になってるPMとランチです )
- 常駐なし
- リモート基本なし
- あと、副業可
- 仕事なければ自分で作りたいプログラム組むなり、勉強するなり可
こんな自由な環境で俺、仕事できるんだーって感じでした。
以前いた会社がガチガチだったのか、やはり自由すぎることに馴染めず。今でこそ、仕事中にはてブ全部みるとか平気でできますが。今考えれば、前いた会社がどんだけ息苦しかったのかと。
ちなみにこの記事を書いている本日、会社のフロアでは納会が行われ、終始笑い声が絶えないにぎやかな時間を経験させていただいております。
月イチでこういったイベントがあるのは魅力的です。
今になって
2ヶ月ぐらい、ほんとに自分に仕事がない期間があったため、Nuxtでサービス作ってたり、ニュースのクローラー書いてたり、結構好きなことやっていました。
とても「未経験からxヶ月でエンジニア転職」とか「ホワイト!!めっちゃ自由」とかそういうキラキラエンジニア記事ではないですが、何よりも「自由」なんですよね。
ココ最近は違和感も感じなくなりました。
やはり仕事もスピード感があって、わからないことは聞けばすぐ進むし、チャレンジ精神は基本的に評価される傾向にはあっていいのかなと。
怒鳴り合う風潮も、顔色伺う風潮もなく、風通しもいい。本当に今の会社に来てよかったと感じます。
冒頭にも書きましたが、とにかく触らせてもらえるようになりました。いろいろな言語、いろいろな案件に携わらせていただいていることは感謝です。
辞める前の、1年前の限られた知識とは大きく違い、広い海を見せてもらっています。
東京に来て
まず、エンジニアの知り合いが増えました。
そして案件がもらえました。
給料やばかったときに相談したら、内容は簡単ではありますが、仕事ももらえました。
別件では謝礼でMacBook Pro(2015)ももらえました。
場所を提供していただき、家と会社以外の、第三の場所が生まれました。
いままで触ってこなかったものに触るチャンスをいただけたので、それがストレートに私の引き出しになりました。
あとは、キーボード作って販売するようになりました。
日々寝不足は悪化していますが、楽しい毎日を遅らせていただいております。
以上、駆け足でしたが私のココ一年のまとめでした。