前回のお話
都市と大衆とメディアと集合表象 〜大衆社会の問題の前置き - 日々是〆〆吟味
メディアの発展と集合表象の変化
都市的大衆のアノミー化
都市の大衆がなぜアノミー化するのか、ちょっと不思議です。昔なら共同体から離れず生きていた人たちが、近代に入って急に都市へと移動させられたから、もとの価値観から引き剥がされてアノミーとなる、それはいえそうです。しかしもう大半の人は都市で生まれて都市で死ぬまで過ごします。昔の村=共同体で暮らしているのとそんなに違いがなさそうです。アノミーが集合表象との不一致によって起こるのだとすれば、都市でしか暮らしていなければ起こらない気もしてきますね。
交通と通信の、テクノロジーの発展
さて、その上で共同体(村や田舎)と都市の集合表象の違いを考えてみましょう。共同体中心で生きていた時代は近代以前です。ですからテクノロジーの進歩は大したことありませんね。特にメディアの問題とすれば交通と通信が大切です。伝わってくる情報は移動できる範囲に限られますし、そこから伝えられる情報も通信技術に依存しますから、これらが発展しなければ足で移動できるような具体的な範囲のことしか伝わってきません。つまり共同体時代のメディアは基本的に人(もしくは話)になるわけですね。
一方都市が当たり前の世界というのは近代に入ってからです。どこで読んだか忘れましたが、昔々江戸が大都市だった頃、10万都市は江戸とコンスタンチノープルしかなかった、なんて書いてあった気がします。これは前近代であれば特例中の特例として大都市が存在していたことを指すと思えます。しかし今であれば先進国の主要地域はみな都市です。かつては歴史的にみても世界的にみても珍しかったものが、現代では当たり前のものになっています。そうした都市が容易になったくらいに文明は発展したのですね。
必要なものと化す、遠い地の情報
そして文明が発展しましたので、かつての共同体時代であれば制限されていた交通と通信も発展しました。それも爆発的に拡大したといっていいでしょう。ジュール・ヴェルヌに『八十日間世界一周』なんて名作もありましたが、近代初期であれば小説のテーマとなるほどに魅力的だった世界一周も、今なら豪華クルーズで100万円ほど払えば誰でも行けます。高いことは高いですが、生涯を賭けるような旅ではなくなってしまいました。これは交通可能な範囲も移動手段も圧倒的に進歩したからですね。そして簡単に行けるようになるにつれて、遠い場所は当たり前のものになっていきますし、そこで起こることも社会的な現象として切り離すわけにもいかなくなってきました。コーヒー豆の産地の気候が缶コーヒーの値段と関係してくるかもしれませんからね。それがいくら地球の裏だからといって無関係なものにならなくなってきます。
となると同時にそうした遠い地の情報もいち早く得なくてはいけなくなりました。特に経済活動においては非常に重要ですものね。株なんて情報がすべてかもしれません(よく知らないけど)。そんなわけで遠い地の情報を得るために通信の進歩も最大限使われることになります。必要な人にとっては死活問題ですからね。
圧倒的な情報量と間断なき変化
そんなわけで近代という時代はテクノロジーの発展によって交通も通信も爆発的な広がりを持ち地球規模になりました。こう考えますと今いうグローバリズムなんて近代の帰結なのかもしれませんね。最初からそうなるように向けられた時代設定だからそうなるのは当たり前なのかもしれません。それはともかくこうして交通と通信が拡大することによって私たちの周りに存在する情報も圧倒的に増えました。
それをメディアが伝え続けるのですから、メディアの情報は変幻自在のくるくる大回転です。去年のことなど誰も覚えていません。10年前ともなれば最早過去を通り越して忘却の彼方、下手をすれば存在していたのかもわからないくらいかもしれません。さらにメディアの種類までもが増えていきます。もし人類のメディアが人づての話(うわさとか)が最初だったとしても、そこから出版になり、新聞があり、ラジオになり、TVになって、ネットと今来ています。しかしその働きは基本的に同じとも考えることが出来ます。誰かが誰かに情報を伝えることです(このうち発信者がネットでは大きく変わったわけですね)。
メディアによる集合表象の安定と変動 〜共同体と都市の集合表象の在り方
これが共同体時代であれば与えられる情報の変化も少なかったはずです。そしてそうしたメディアから生まれる集合表象も神話のように固定化し安定していたと考えてみることも出来ます。しかし近代化した都市であれば、こうしたメディアの情報は常に変わります。むしろ固定化していることすら異常といっていいかもしれません。となると都市における集合表象がメディアによって形成されていると考えてみるならば、ころころころころ集合表象は変わっていることになります。
だとすれば都市におけるアノミーの理由は簡単です。安定した集合表象など存在しない(もしくは形成できない)から、常にその内部にいる人間は集合表象との不一致にさらされなければならないからです。
あってるかわかりませんが、とりあえずこれを私なりの考えとしておくことにしましょうね。
気になったら読んで欲しい本
デュルケーム『宗教生活の原初形態』
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デュルケーム『自殺論』
デュルケームの集合表象とアノミーについてはこれらの本を読んでみてくださいね。しょっちゅう載せてますから今回は説明を省いてしまいます。
ヴェルヌ『八十日間世界一周』
ヴェルヌの小説。とっても面白い。初期のSFは近代社会の発展を反映した面もあるのかもしれませんね。そう思って読むとまた違う側面が見えてくるのかもしれませんが、私は単に面白く読むだけでした。
なんでも光文社古典新訳でも出てるみたいですが、創元社文庫に未練があるのでこちらを載せておきます。
カプフェレ『うわさ』
最初のメディアが人づてのうわさだろう、と書いてあると思うのですが、残念ながら私は読んでいません。
キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』
で、これも読んでないのですがメディアの変遷について書いてあるらしい名著とどこかで目にした覚えがあるので載せてみました。なんかえらい高騰していて私には手が出せません。うむむ…
マクルーハン『グーテンベルクの銀河系』
マクルーハン『メディア論』
で、メディア論の古典で出発点といえるマクルーハン先生の本。でも忘れちゃった。