前回のエントリーでは、
黄金時代や演劇的ソングライティングという言葉を盛んに使いましたが、
今回はそれを受け継いだ世代についてです。
ここでは彼らを、伝統継承派という名前で呼んでいます。
順番としては、
黄金時代の裏で起きていた流れについての話を先にしたかったのですが、
前回にせっかくいろんなキーワードが出てきたので、
同じ流れの中で掘り下げていった方が分かりやすいように思いました。
演劇的ソングライティングの中身についても、
作家の言葉をいくつか紹介してみたいと思います。
なるべく簡単なことだけにしようと心がけてはいますが、
技術的な内容なのでどうしても専門的になってしまいます。
もしまだ本格的に創作活動に関わってない人で、
具体的に何について語っているのか一瞬でピンと来た人は、
素養に自信を持って良いような内容です。
個人的には、
作家が具体的に何をしているのかが分かってきた頃から、
ようやくミュージカルの構造や力学が見えるようになってきて、
創作という作業の面白みと大変さが理解できるようになりました。
ここで紹介できるのはごくごくわずかですが、
日本語でのオリジナル創作に応用してもらいたいし、
もし留学したらぜひとも吸収するべき部分だと思います。
「伝統継承派の誕生」
黄金時代に起こったことを簡単に要約するなら、
「歌とダンスが中心でお話はおまけ」でもなく、
「お芝居の中で歌とダンスが二次的に使われてる」のでもなく、
「ストーリーを語る手段としての歌」という手法を洗練させることで、
ミュージカルという形式のみで可能な舞台表現の可能性を広げた、
ということになるでしょうか。
前回にも少し触れたとおり、
1970年代に入ると、
黄金時代とともに育った世代によって、
B'wayコミュニティの内部から、
演劇的ソングライティングの手法を受け継ぎ、
ミュージカルの可能性をさらに拡大しようという試みが始まります。
作家からは、
Stephen Sondheim、John Kander & Fred Ebb、Marvin Hamlisch、
Edward Kleban、Hugh Wheeler、George Furthなどが意欲作を発表し、
演出や振付けからもコンセプト面で大きな影響力を持った3人、
Harold Prince、Michael Bennett、Bob Fosseが活躍しました。
BennettとFosseは残念ながらもう亡くなってしまいましたが、
Princeは20世紀後半のミュージカル史の大部分に関わる存在になりました。
早熟の彼は、大学を卒業してNYに出てきたときはまだ10代でした。
もともとは戯曲家になりたかったそうで、
出版されてライセンス市場に出ている作品もあります。
父のコネで、
演出家・プロデューサーのGeorge Abbottの事務所に弟子入りして、
舞台監督の仕事からスタートして、
すぐにRobert Griffinと共にプロデュース業を担当するようになりました。
1950年代のヒット作の影にはPrinceありで、
Call Me Madam(1950)、Wonderful Town(1953)では舞台(助)監督を、
The Pajama Game(1954)、Damn Yankees(1955)、West Side Story(1957)、
Fiorello!(1959)ではプロデューサーを努めています。
A Family Affair(1962)でほろ苦い演出家デビューを飾るまで、
Abbottの手がける作品を通じてプロデュースや演出を学び、
同時に人脈も増えていったわけですね。
Prince自身が、だんだん演出がしたくなったから、
プロデューサーとしてお金を集めて自分を演出家として雇った、
という言い方もしています。
ちなみに、
Stephen Sondheimと初めて出会ったのは事務所に入って間もない頃、
South Pacific(1949)の初日の会場だったそうです。
終演後サンドイッチを食べながら将来を熱く語ったとか。
West Side Storyの最初のプロデューサーが降りたとき、
曲を弾き語って聴かせていたPrinceに引き受けてくれないか、
こっそり頼みにいったのは他ならぬSondheimだったそうです。
PrinceがAbbottの元で英才教育を受けて育った若き才能だとすれば、
Sondheimは10代からHammersteinに師事していたので、
他の作家や演出家、振付家についても事情は似たり寄ったりですが、
この二人がB'wayコミュニティの直系として、
黄金時代の遺産を受け継いで発展させていったのは自然な流れでしょう。
ちなみに、
HammersteinとSondheimの師弟関係の詳細については、
『はじめの一歩は4ステップ』というエントリーを参照してください。
Company(1970)はそういう時代の幕開けを告げるにふさわしく、
演出Harold Prince、脚本George Furth、作詞作曲Stephen Sondheimという、
まさに第三世代の3人が中心となって、当時のNYを舞台に、
(当時の)現代的な音楽性と演劇性をミックスした革新的なスコアを誇り、
元々は一人芝居だったという脚本から、
レヴューと脚本型ミュージカルの中間的な作品になっています。
脚本型ミュージカルの中にレビューを有機的に取り込むというのは、
当時のPrinceにとっての大きなテーマだったようで、
Cabaret(1966)、Follies(1971)、Pacific Overtures(1976)など、
いろんなミックスのさせ方で何度も試みられています。
黄金時代の手法が、
「ミュージカルの演劇化」を目指すような部分があったとしたら、
その技法を理解した上での崩し方を模索していたわけです。
さてここで、
演劇的なソングライティングを支える技術として、
日本であまり取り上げられる機会の無いと思われる作詞術について、
少しだけ掘り下げておきたいと思います。
ミュージカルの歌詞とポップスの歌詞の違いは、
大きく分けると2点に集約されます。
パーフェクトライムのみでミスアクセントが無いことと、
歌う前と歌った後ではキャラクターの心理に変化があること、です。
後者はとくに、ミュージカルは歌でストーリーが進むと言われている理由です。
ポップスではライムは何となく音が近い気がすればOKでミスアクセントもOK、
ひとつの感情をクローズアップして歌うのが特徴なので、
歌う前も歌った後も感情そのものに変化が無いのが普通です。
ロックやポップス系のミュージカルでは、
ここをどう乗り切って話を進めるかという手法を、
歌詞以外のものに求める場合があって、
それが伝統継承派との一番大きな差を生んでいる部分です。
逆に、ロックやポップスしか聞いてない人たちからすると、
歌詞がそんなに意味を持ってないから聞きとばすことに慣れているので、
ミュージカルのかっちりしてドラマ的な歌詞が奇妙に感じるそうです。
この辺りは、
詳しいことを簡単に説明する方法がまだよく分からないので、
いつかまたじっくりまとめてみたいと思っています。
その代わりに、
大御所の言葉から歌詞についていくつか紹介しておきます。
Sondheimは人並みはずれて意図的な作家で、
自分がどういう理由で何をやったのか明快に語れる人で、
現在でも伝統継承派には基本とされている内容が多いので、
作詞家が何を考えて歌詞を書いているのか、
ちらっとのぞいてみるのにはちょうど良いと思います。
Hammersteinの歌詞は、
たとえばCole Porterに比べて素朴すぎるという批判があることに対して、
紙の上で読んで楽しめても歌に乗るとそうでもない言葉と、
紙の上で読むとつまらなくても歌ったときに炸裂する言葉があって、
音楽の情感の豊かさを活かすために歌詞はシンプルな方が良い、
という原則を知り尽くしていた、と解説しています。
だから言葉に凝る詩人はこの原則になかなか気付かないので、
作詞家としてはたいてい成功しない、と言い、
作詞は工芸(craft)であって芸術(art)ではない、と付け加えています。
また、
ミュージカルの歌詞は劇中で一度しか聞くチャンスが無いために、
観客が理解できるような意味のまとまりと速度で伝えられる必要がある、
そして、自分の速度で文章を読むのと違って、
観客は受け身で聞いているということを考慮に入れて、
本質的にはシンプルな内容でなければいけない、とも言います。
そして、
シンプルで簡潔さを求めるからこそ、
単語ひとつだに無駄にできず、わずかな違いが大きな差を持つ、と言います。
たとえば、
スタンダードにもなっているPorgy and BessからのSummertimeという歌で、
“summertime and the livin' is easy”という出だしの“and”が、
文法的にはもっと自然な“when”だったらすべてが台無しになる、と、
andやbutひとつの違いで歌詞のニュアンスが変わる例として挙げています。
また、
母音と子音の組合わせ、その音を作るときの口の動き、などを考えるのは、
歌詞の言いやすさ、聞こえやすさを達成するために大切だと言っています。
West Side StoryのAmericaという曲で大失敗をして手痛く学んだ、とも。
早口言葉で有名なCompanyのGetting Married Todayという歌では、
最初は“Wait a sec, is everybody...”という出だしだったのを、
どうしても舌がうまく回らないのはなぜか考え抜いて、
アゴを使って音を作らないといけない単語が問題だと気が付いて、
口を開けるだけで発音できる“Pardon me, is everybody...”に換えて、
ようやくうまくいくようになったといいます。
他にも、彼はあちこちのインタヴューで、
West Side Storyの歌詞は若気の至りだった、と繰り返しており、
自分が学んだことや犯した失敗を包み隠さずに話しています。
たとえば、I Feel Prettyという曲では、
フレーズの終わりで韻を踏むだけではなく、
インナーライムを駆使して小粋で洒落た歌詞を書いて、
評判も良くて得意になっていたそうなのですが、
同年代の友人作詞家、Sheldon Harnickが通し稽古を見にきて、
内心「褒めろ褒めろ」と思って「どう?」って聞いたところ、
「あのMariaの曲がちょっと」と答えたそうです。
その意味するところを悟ったSondheimは、
一気に青ざめることになりました。
ライムには、
重要な言葉を強調したり、
文の意味をまとめたり、
リズムを整えたりする他にも、
韻を踏む言葉の難易度や回数によって、
教養のレベルであったり、
感情や理性の状態を示したりする働きがあります。
だから、
教育も受けていなければ英語もロクに喋れない、
プエルトリカンの若い娘であるMariaの使う言葉としては、
まったく不適切だった、と。
キャラクター無視の歌詞を書いた自分を恥じて、
すぐに歌詞を書き直して入れ替えようとしたそうですが、
もう遅い!と最終的に受け入れてもらえずに、
今でもこの曲が聞こえるたびにきまり悪い思いをするそうです。
と、いうことで、
ごくごく断片的なことだけしか紹介できませんでしたが、
いかがでしょうか?
今回も話が錯綜してしまった感がありますが、
たとえばBMIワークショップのような場所では、
お互いの曲を批評しあったり、
講師からの講評を聞いたりする端々で、
こういった話を山ほど聞いていきます。
これが唯一の正しい作詞術だと言いたいわけではありませんが、
演劇的ソングライティングの技法の一端をのぞいて、
いろいろ考えてるんだな~、と思って、
ミュージカルの見方に新しい視点を加えてもらえれば良いかと思います。
もちろん、
音楽や脚本についても同様にいろいろと存在しますが、
ミュージカルの歴史同様、分厚い研究書が書けるような内容なので、
このブログではいずれ簡単にまとめるかもしれない、とだけ。
伝統継承派とは、
B'wayコミュニティの内部から、
今までの技法を受け継ぎつつも、
ミュージカルの新しい形を模索する集団だった、ということでした。
次回からはまた歴史に戻って、
黄金時代の裏で起こっていたB'wayコミュニティ外の動きについて、です。
(つづく)