就職氷河期世代を苛む「雇用の調整弁」にされ続けた記憶と「自己責任」の呪い
(写真:Fujifotos/アフロ)
政府が2019年6月21日に閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針2019』に「所得向上策の推進」のひとつとして「就職氷河期世代支援プログラム」が盛り込まれ、3年間で計650億円超の予算を計上するという。『就職氷河期世代支援プログラム』によると「正規雇用を希望していながら不本意に非正規雇用で働く者」を少なくとも50万人と見込み、「就業を希望しながら様々な事情により求職活動をしていない長期無業者、社会とのつながりを作り、社会参加に向けてより丁寧な支援を必要とする者など」と合わせて100万人程度が支援の対象として見込まれている。3年間の取り組みで、この世代の正規雇用者を30万人増やすという目標数値も明文化された。
就職氷河期世代支援に関する行動計画2019について(厚生労働省)
就職氷河期世代支援プログラム(3年間の集中支援プログラム)の概要(PDF)
筆者自身1976年生まれで、新卒採用に失敗して転職を繰り返したロストジェネレーションど真ん中だという自負がある身からすると、今回の施策は遅きに失したものの閣議決定により明確な目標が立てられた意義は小さくないと感じる。だが、仮に支援対象者が100万人として(もっと多いはず)、30万人が正社員として雇われて「残りの70万人は?」という疑問を覚えざるを得ないし、これで我々の世代が安心できるかといえば程遠いというのが正直なところだ。また、中身を見ると「業界団体等による短期間での資格取得・正社員就職の支援」として挙げられている業種はIT、建設、運輸、農業としており、さらに「観光業、自動車整備業、建設業、造船・舶用工業、船員等への新規就業者の確保・育成」と、労働環境が厳しそうな職種が並んでいる。新卒や若い転職者の募集がないから氷河期世代を送りこもうとしていると思ってしまうのは穿ち過ぎだろうか。
実際、閣議決定を受けて内閣府と厚生労働省が中途採用の募集を年度内に開始することや、地方自治体での地方公務員枠で実施されている中途採用について、ネットでは「内定を取れる人は他の企業でも自力でやっていける人なのでは?」という疑問が多く寄せられている。国家公務員の中途採用枠で就職氷河期世代向けに統一試験をする方針についても、個人的には「大学で勉強して、就活と転職でエントリーシート書きまくってきたのに、また勉強しないといけないの?」と感じるし、支援が一番必要とされる無業者にはハードルが高すぎるだろう(とはいえ、繰り返しになるが、やることに意義があるとも思う)。
民間企業でも、パソナグループが『Middles Be Ambitious(MBA)制度』と第して2020年4月より就職氷河期世代を対象に300名の人材の募集を発表した。
就職氷河期世代 “Middles Be Ambitious(MBA)制度“ 2020年4月~「正社員300名」採用
しかしながら、この中身は「淡路島地方創生コース」(200名募集)と「UIJターン地方創生コース」(100名募集)で、地方創生事業と絡んだものとなっている。こちらも都市部で働けることは望むべくもなく、果たして「正社員になれる」という以外のメリットがあるのか首を傾げてしまうし、都合のよい人材確保の対象されているという印象が否めない(まぁ、繰り返しになるが、やることに意義があるとも思う)。
雇用の調整弁にされ続けた就職氷河期世代
政府が就職氷河期の中心世代と定義している現在35~44歳になっている人は、10代でソビエト連邦やベルリンの壁の崩壊をテレビで見て、バブルが弾けて不景気になっていくことを実感してきた。一方で、「偏差値の良い高校・大学に入れば、良い企業に就職できる」と無邪気に信じていた世代でもある。それが、いざ就職を視野にいれた頃には「フリーター」や「派遣社員」という選択肢が与えられ、大手の金融機関でも倒産し、リストラの嵐が吹き荒れるというニュースが毎日のように流され、実際に就職活動で苦戦を強いられた。個人的にも、飲食チェーンのアルバイトと通信インフラの派遣社員を経てから、2年後にようやく正社員の仕事にありつけたが、はっきり言って運がよかったのだと思う。
その後、2008年のリーマンショックで再び景気が悪化する。中小企業で雇用されていた人の中には倒産や業績悪化で職を失った同世代も多かった。筆者自身も2010年に会社都合での退職を余儀なくされ、その後の転職活動で150社以上に履歴書を出したが一社も内定を得られずに心身を病んだ。それでなしくずし的に副業だった売文業が本業になったわけだが、いま食べていけているということはやっぱり運がよかったのだろう。
振り返ってみると、就職氷河期世代は常に雇用の調整弁にされて翻弄されてきている。今回の支援も人手不足に悩む産業界に、氷河期世代を送り込んで戦力化を企図しているという面があるのは間違いないだろう。仮に、今後景気が下向きになり、企業の業績が悪化した際に、職歴が浅く高齢となった氷河期世代からリストラされていくのではないか、という懸念もある。多くの当事者が政府の支援策に冷ややかなのは、こういったことまですべて見透かしているからなのではないだろうか?
インターネットと「自己責任」
就職氷河期世代のもう一つの特徴として、10代~20代前半でインターネットに触れた世代だということだ(マイクロソフト『Windows 95』が発売された時、筆者は19歳だった)。ネット普及の初期にホームページを立ち上げたり、『2ちゃんねる』やいろいろな掲示板に書き込みを投稿したという経験は誰しもが持っているだろうし、中にはブログや『さるさる日記』を使っていたという人も多いはずだ。
この時期は、北朝鮮日本人拉致被害者の問題もあり、特にネットでは左派政党が欺瞞的に捉えられることが主流だったことは、小泉純一郎内閣が高い支持率を維持していたことからもその頃の空気が反映されていたといえるだろう。そんな中起きたのが、2004年のイラク日本人人質事件だ。犯行グループが要求した自衛隊の撤退は最終的には撤回されず、その過程で出たのが福田康夫官房長官(当時)が被害者がイラクを訪れたことを「自己責任」と発言し、それがネットでの被害者および家族へのバッシングのきっかけにもなった。当時の福田氏は『2ちゃんねる』などでも人気があり、若い層にも影響力の強い人物だったことも忘れてはならないだろう。その頃のネットでは、イラクまで行けるというだけで今の言葉でいうところの「上級国民」だろう、という意識だった。
この「自己責任」というのは、多くの就職氷河期世代にとっては「腑に落ちる」言葉だったように思える。例えば「あの時もっと勉強してよりいい大学に合格していれば就活に失敗していなかった」「あの時の内定を蹴っていなければフリーターにならずに済んだ」といった自身の選択が、現状に帰ってきていると内省的に捉えるのに便利な言葉でもある。故に、他者の置かれた状況にも「あなたが選択したのだから」と冷淡になりがちだ。イラクで武装グループに拉致されるという特殊な事件を指した言葉だったものが定着したのには、そのような背景を考える必要があるように思える。
2019年7月に刊行された日野百草氏の『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)は15人の団塊ジュニア・氷河期世代にインタビューをしているが、この「しくじった」という言葉も「自分が失敗した」=「自己責任」という意味を内包しているように感じてしまう(筆者自身も振り返って「しくじった」と思うことは多々ある)。とはいえ、前述したように日本社会の転換期と、人生で重要な就職・転職の時期が重なったことは個々人の努力でどうなるものではない。ないと分かっていても、他の選択があったと思ってしまうあたりが「闇」の深さを物語っているような気がしてならない。
今となっては、「自己責任」という言葉は就職氷河期世代を縛る「呪い」のようになってしまった。特にひきこもり・無業者の中では「なぜ自分は失敗したのか」という意識が強いだろう。これを解くのは容易ではないし、解けないまま正社員として働けたとしても、「政府の支援で仕事ができるようになった」という捉え方になって、自己の成功体験と見なされない懸念がある。仮に職場に馴染めずに退職してしまったならば本当に立ち直れなくなるかもしれない。果たしてここまで追い込まれるのは本当にその人の「責任」なのか、と問われると「否」だろうが、実際にそう考えて切羽詰まっている人は大勢いる。今回の氷河期世代対策が上辺だけのものに感じられるのだとすれば、そういった世代特有の意識について考慮が浅いためなのではないだろうか。