独占告白 実弟が明かす梅宮辰夫の豪快伝説と晩年の姿

梅宮辰夫さんの実弟の捷雄氏、梅宮さんの豪快伝説と晩年の姿を週刊文春に独占告白

記事まとめ

  • 梅宮辰夫(享年81)さんが、12月12日に慢性腎不全のため亡くなった
  • 亡くなる2カ月ぐらい前、緊急の電話が入り駆けつけたという実弟の捷雄(はやお)氏
  • その時は結局、持ち直し、3日後には紀ノ国屋に買い物に行けるぐらい回復したという

独占告白 実弟が明かす梅宮辰夫の豪快伝説と晩年の姿

独占告白 実弟が明かす梅宮辰夫の豪快伝説と晩年の姿

梅宮辰夫さん ©文藝春秋

 12月12日に慢性腎不全のため死去した俳優の梅宮辰夫(享年81)。彼と亡くなる直前に会っていた実弟の捷雄(はやお)氏が、兄・梅宮辰夫の思い出を「週刊文春」に独占告白した。

 若い頃の梅宮は、とにかく車好きだったという。

「僕が高校生や大学生の頃は、当時、誰も乗っていないような外国のスポーツカーを数カ月おきに買い換えていました。マスタング、コルベット、リンカーン、サンビーム……『これどうだ』、『今度はこれだ』と言って見せてくれてね。僕なんか学生で無収入だったので、映画俳優ってのはすごいな、と思いました。たまに『お前、この車をあそこに持って行っておいてくれ』とお願いされることがあり、そのときに合鍵を作って、兄がロケなどで地方に行っているときに、こっそり乗り回していましたね(笑)」

 また、女性にもモテモテだったという。

「結婚する前にはいろんな彼女がいて、その家に転がり込むような生活でした。それで、たまにケンカして追い出されると、一時しのぎで実家に帰ってくるような感じで。また新しい彼女ができると、実家を出て行く。親は『どうしようもないな』と怒っていましたね(笑)」

 亡くなる2カ月ぐらい前、姉から緊急の電話が入り、梅宮のもとに駆けつけた。

「姉に『兄がもう危ない。大変なのよ』と言われたので、急いで病院(新宿・国立国際医療研究センター病院)に行きました。到着したとき、兄は強い薬を打っていたせいか、意識が朦朧としていて、悶えているような状態だった。仰向けに寝て苦しそうな様子を見て、本当に死んじゃうのかな、この2、3日の間に危ないかもしれない、と感じてしまうほど、とても驚きました。ただ結局、命に別状があるという状態ではなく、薬のせいで意識がはっきりしていなかったようで、1時間ほどで帰宅したのです」

■「買い物に行くから、紀ノ国屋に来いよ」

 その3日後、捷雄氏の娘でタレントの梅宮万紗子(42)も、梅宮の親戚にあたる俳優・高橋克典(55)と一緒に梅宮に会っていた。

「万紗子が『パパね、今日、辰夫おじちゃんに会ったよ』というので、『どこで?』と聞くと、青山の(高級スーパーの)紀ノ国屋だと。万紗子が『お見舞いに行く』と連絡したら、『買い物に行くから、紀ノ国屋に来いよ』と返事があり、そこに高橋克典も合流して一緒に買い物をしたようです。それで、『もう買い物に行けるぐらい回復したのか』と安心していました」

 梅宮は去年、渋谷区松濤の自宅を売却し、亡くなるまでは神奈川県真鶴町の元別荘で暮らしていた。最近は3日から1週間くらいの入退院を繰り返していたという。

「自分が電話しても、兄は『大丈夫、大丈夫。お付きの誰々がいるから』という感じで、じゃあ大丈夫なんだろうと思っていた。『こっちはリタイアしているんだから、なんでも言ってもらっていいんだよ』とも伝えていたが、『わかった、わかった』という調子で。ただ、最近は人工透析もしていて、真鶴から病院まで通うのは大変だから、東京に戻るという話もありました」

 葬儀の際に対面した梅宮は「だいぶ細くなっていた」という。

「元気な頃と比べ、顔は3分の2くらいにほっそりとしていた。安らかな顔はしていましたが、こんな小さくなっちゃったんだと感じながら、いろいろな思いもこみ上げてきました。最後に病気になるのは仕方ない。兄は十分に人生を堪能したのではないかと思います」

 12月19日発売の「週刊文春」では、若い時代の豪遊ぶりや、梅宮が最後まで心配していたアンナの男性遍歴や浪費癖、終の棲み家にするつもりだった松濤の家を売却せざるをえなかった事情などについて詳報する。

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2019年12月26日号)

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