1766年、結婚生活にうんざりしていたサザークの大工が、酒の席で独身の仕事仲間から英国の慣習法では妻を売ることは合法であると唆されて、その相手に妻を売ることにした。数日後、この取引を後悔した彼は売買契約を解消しようとしたが、元夫人からはそれを拒否され、彼は自殺した。
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次の事例は残念ながら最初のほど爽快なものではない。1767年、メリルボーンの煉瓦職人は5シリング3ペースとビール1ガロンで自分の妻を売った。その三週間後、購入者の男性は二百ポンドの遺産を彼女に残して亡くなった。最初の夫はこれを知るや否や、自分の過ちを認めて彼女と復縁した。
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1773年のベル・インには次の奇妙な取り引き記録が残っている。「本日、スタッフォード教区のサミュエル・ホワイトハウスは妻メアリーを公開市場でバーミンガムのトーマス・グリフィスに販売した。売り値は1シリング(私はこれを書きながら赤面する)! 取り引きの全責任は購入側が請け負う」
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1805年、タックスフォードの男が自分の妻の首にロープを巻いて市場に現れ、妻子をあわせて五シリングで売った。「遺憾なことに、その場の誰も女性の首からロープを外し、男の背中に打ち付ける勇気は持っていなかった」と、記録者は述べている。
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1807年、リントンのジョン・ラプトン氏はジョン・ワディラブ氏の妻を百ギニーで購入することを申し出て、手付金の1ギニーを支払った。翌日、残金を支払いに現れたラプトン氏を、ワディラブ夫人は罵倒と脅迫で追い返した。手付金はただ取りされた。
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ワディラブ夫人が売妻の最高値記録なら、次の1822年の事例は最安値記録である。カーリアンの不良少年トマス・ジョーンズは軽率な結婚をしたが、三週間で互いにその結婚を後悔した。そこで買い主が三週間以内に購入を取り消したい場合は半額で買い戻すという条件で、妻を三ペンスで売り出した。
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七番目はようやく司法が介入した最初の事例である。1822年12月、プリマスのブルックスという人物が自分の妻を競売に出すとの通知を出した。予告通りに競売が行われ、入札額が3ポンドに達した時に、二名の巡査が会場に現れて夫妻共に逮捕された。
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取り調べを受けたブルックス氏は、これは合法的な行為だと思っていたと釈明した。夫婦は長い間別居状態にあり、彼女のためなら20ポンドも惜しまぬという男性がおり、妻もこの男性との結婚を切望していた。この方法なら合法的に離婚できると教えられたため、妻も競売に同意したのだという。
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なお、夫人を20ポンドで購入するはずの男性は会場に顔を出さなかった。男性が約束を破ったことに、夫人はかんかんに腹を立てていた。
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以上の出典はチャンバーズ・ジャーナル誌1861年10月12日号の記事「妻の販売」より。https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=uc1.l0058474636&view=1up&seq=672…
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