個人情報の取り扱いについて
当社のウェブサイトはお客さまにより良いサービスを提供するため、クッキーを使用しています。このウェブサイトをご利用になる場合、クッキーの使用に同意をいただいたものとみなされます。クッキーに関する情報や設定については、当社のプライバシーポリシーをご覧ください。
当社のウェブサイトはお客さまにより良いサービスを提供するため、クッキーを使用しています。このウェブサイトをご利用になる場合、クッキーの使用に同意をいただいたものとみなされます。クッキーに関する情報や設定については、当社のプライバシーポリシーをご覧ください。
東日本大震災をきっかけに、東京から大槌町に引っ越して復興支援活動をしながら、生産者と消費者、地方と都会、日本と海外までをもつなごうとしている吉野和也さんにお話を伺いました。
NPO法人を経営していて、その中で3つの活動をしています。1つ目は食のつくり手を特集した情報誌と、彼らが収穫した食べものがセットで定期的に届く”食べ物付き情報誌”の編集長をしています。3ヶ月に1回更新しています。三陸で一生懸命に生きる人々の情報と、そこで採れるおいしい食べ物を多くの人に届けています。情報誌自体は全国38カ所で発行されていて、三陸もその中の1つです。
2つ目は海に潜って環境保全活動をしています。具体的には漁師の手伝いで、がれきの撤去を行ったり、磯焼け対策を行ったりしています。磯焼けによって、岩手の海の海藻がウニによって食べ尽くされてしまうことが懸念されているので、海藻が生まれ育つような環境を作り、漁師たちが収入を得続けられる状況を作ることで持続可能な地域作りを目指しています。
3つ目は、講演活動です。震災のことや、これまで行ってきたことを講演しています。たまに企業研修の受け入れなども行っています。
東日本大震災が起きた時はまだ東京で仕事をしていました。最初は震災に興味がなかったのですが、ネット上のあるブログに書かれていた震災に関する1つのエピソードを見て、実際に被災地に行ってみようと決意しました。そこに書かれていたのは、ある避難所の話でした。避難所に避難していたニット帽を被ったおばあちゃんが、避難中に汚れた自分のニット帽と支援物資として届いていたニット帽を交換してもらおうとしました。ところが、「人数分ないと不公平だから」という理由で断られ、泣いていたそうです。私はその時のおばあちゃんの気持ちを考えたら、いてもたってもいられず、2011年4月9日から自分の車に避難物資を積んで陸前高田市に向かいました。そこでいろいろな話を聞き、私がしたいことは「被災した人たちのそばにいることだ」と思い、4月末で仕事を辞め、被災地に引っ越してきました。
理由は2つあります。1つ目は、陸前高田市で見た被災者の気持ちは震災を経験していない自分には分からないけれど、そばにいることで「何かできることがあるのではないか」という気持ちが日に日に増していったからです。2つ目は、陸前高田市に行ったときに、まだやれることがたくさんあるなと思ったからです。具体的にはインターネットで情報発信することによって色々な人から支援を受けることができるとか、もっと出来ることがあると思いました。被災者は自分のことで精一杯だと思ったので、最初は外と内をつなげようと思っていました。
釜石や大槌町陸前高田で8年間生活し思ったことがあります。それは、本当の出身地ではなくても、その土地で生活し、地元の人々と交流することで、その土地をふるさとのように思える人が出てくることです。そういうつながりが多く生まれることで地域をより良くしていくんじゃないかと思っています。私はそういったつながりを生みだし、もっと強くしていくことを目指してます。最終的には、三陸に住んでいる人が、外からきた人たちと触れ合うことで自分たちの地域に自信を持って、街づくりを主体的に進めてくれたら嬉しいなと思っています。
私の活動の中の大目標は「世界平和を達成すること」です。なぜなら、今の若者は「夢や希望を持っていない」と言われるのをよく聞きます。でも、それは周りの大人が夢や希望を持った姿を見せないからだと思っています。
以前、私の活動を道徳の教材にしてもらったことがあり、その授業を受けていた子どもたちが目を輝かせながら「吉野さんのように人の役に立つ仕事がしたい」と話しかけてくれたことがありました。世界で有名な人ではなく、私のような者であっても子どもたちが夢や希望を感じてくれることに気づきました。難しいとか不可能だと思うようなことでも、実現していくのを見せ、伝えていくことが大切だと思っています。
今の私が、次の世代に残すべきものは”意志”だと思っています。上の世代から引き継いだ社会や環境は変えづらいものが多いように感じます。しかし、それを変えていくのは、その時代に生きる人々の意志です。できることはいくらでもあると思うので、私はできることからやっていくのが次の世代へのギフトだと感じています。
もう1つ。今の社会の人々は、自己肯定感が低い方が多いように思います。僕は中卒で、25歳までフリーターでしたが、周りに恵まれて仕事ができています。だからこそもっと多くの人に自信を持って欲しいなと思っていますし、それを私なら広めやすいのかなと思っています。
生産者と消費者。地方と都会。日本と海外。人と人。つなぐっていうと僕が能動的に何かをすることですが、これは恩返しだと思っています。私が色々なご縁によって助けてもらえたので、それを私のできる範囲で次の世代の人たちにつないでいくのが使命だと思っています。
僕にとっての”つなぐ”は”伝えること”だと思っています。「問題」はみんなが認識することによって初めて問題だと取り上げられます。そのため、一部の人だけが問題だと思っていることを情報発信して多くの人を巻き込んでいく必要があります。つなぐことによって社会は変わると思っています。
やりたいことは、生きざまを見せていくことです。地域に良い効果を出していく取り組みをしていき、日本だけではなく、海外での活動も活発化させていきたいです。その中で他人のために活動をするのではなく、自分のやりたいことで人のためになりたいと思っています。
吉野 和也(39)
NPO法人アラマキ所属 三陸食べる通信編集長
東京から岩手に移り住み、三陸の魅力を活動を通して様々な人に届け、三陸と人を繋げている。
私は「誰かのために何かをしたい」という気持ちでさまざまな活動に取り組んでいます。吉野さんへの取材を通して感じたことは、そこに自分の”やりたい”があるかどうかが大切だということです。「誰かのために」だけではなく、「自分のやりたいことで誰かのために」という考え方を持って今後生活していこうと思います。
私は岩手県出身ということもあって、地方と都市の教育の機会が不平等であることや、地方でのキャリア教育に問題意識を持っているのですが、そのようなお話を吉野さんとできて非常に貴重な時間になりました。
慶應義塾大学2年 三浦 奬悟