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迷走する「共通テスト」、記述式見送りだけでは解決しない「国語」問題

〈志〉の身ぶりとその内実

共通テスト「国語」の問題点

英語民間試験導入延期に続き、新しい共通テストについては、11月来、国語と数学の記述問題の制度設計の欠陥が注目を集めてきました。

そして、12月17日の文部科学大臣による記者会見で導入見送りが発表されましたが、その理由として挙げられた採点体制の不備・自己採点の困難・問題の質に関する課題といったことは、いずれもかなり以前から専門家によって指摘されてきたことばかりです。

タイムリミットぎりぎりまで見送りを引き延ばして受験生に不安を抱かせ、高校の教育現場を混乱させる必要は全くありませんでした。

制度策定から強行手前まで突き進んでしまった一連の責任の所在がうやむやなままでは、多少形を変えただけで復活してしまう怖れもありそうです。

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実際、国会やヒアリングの場では大学入試センターと受託業者の間で取り交わされた仕様書の内容を発端として、野党から質疑が次々出されましたが、文科省・センターからはまともな回答は返ってきませんでした。

これにより明らかになってきたのは、あまりにも杜撰な採点体制、試行テスト採点の現状、さらには業者の実態すら把握されていなかった、という非常に深刻な事態です。しかし、17日の記者会見で、こうした問題には一切言及されませんでした。

もちろん、このあたりに見え隠れする大きな利益相反とその隠蔽、公教育に民間業者が食い込む弊害の甚大さというものを、今回の事態を通して私達は共有する必要があります。

しかし、ここでは国語教育に関わる者の一視点から、記述問題導入の延期や中止だけでは解決しない、共通テスト「国語」問題全体の性格に焦点を当ててみようと思います。