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【今年の『M-1グランプリ』は上沼恵美子が優勝】 #tokyopod2019.12.24 Tuesday
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TBSラジオ『東京ポッド許可局』に手塚とおるさんが来てくださったときに、けしかけられて見出した今年のM-1、
いろいろとメモったのだけれど吐き出し口がないやと思っていたら、そういえば半年以上放置しているブログがあった。
米粒写経の例大祭の御礼と、地方公演の告知もかねようと思って、久しぶりに更新しようとしたら、すっかりログインの暗証番号みたいなものまで忘れてしまっていた。更新したらしたで原稿を待たせてしまっている人たちにも怒られる。これが私がブログをずっと後進していなかった理由です。
◆『M-1グランプリ2019』のコンセプトは「自然な掛け合い(会話)」であった
第一期のM-1グランプリが2004年に大きく動いた(南海キャンディーズ、POISON GIRL BAND、千鳥、タカアンドトシ、トータルテンボス、東京ダイナマイト)のと同様に、
第二期のM-1は今年動いたのは、3回戦から準々決勝に残ったメンバー、そして準決勝のメンバーを見れば明らかだった。
今年の中盤に発売されたナイツ塙宜之さんの『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』では、第二期M-1が決勝15年以内の規定になった結果、ウマイ人大会になってしまったことに触れていたが(この本は朝日新聞の書評欄で紹介しました)、
そのことの影響も少しはあったのじゃないかと思えるほどに、決勝に残したメンバーはこれまでの保守本流路線とは別で、
「次の日にもどんなネタやったかだいたい覚えていられる」人たちだった。
個人的に注目していた後輩のキュウ(タイタン所属になりました)が満を持して挑んだにも関わらず、かなりウケて3回戦止まりだったこともあって、「今年は、掛け合い重視なんだな」と予感した。いかにも自然な会話ななかで笑いを取りに行く「活きた会話」。
方言だろうが、肯定したツッコミであろうが、ちゃんとキャラクターにウソがなく地に足のついた会話。コント的ではなく、その人たちが「台本を読んでいる」感じのない、普段からしゃべっていそうな会話。そんななかでも、ツッコミが「なんでだよ」系ではない、ひねりのあるもの。そういうコンビが結成10年以内にもゴロゴロいた。
なにより和牛を決勝に残さなかったのは、大会のそういうコンセプトを反映していたかもしれない。
ミルクボーイも、かまいたちも、気付いたら自然とネタに入っていた。じゃれ合いから生まれる笑いが、次第に「形」として反復され、計算された会話であることに気付いたときには次の展開に入っている。そういう漫才を良しとした。
「自然主義」的な漫才だ。
変なことを言うやつに「なんでだよ!」とか吠える様式を「ロマン主義」(お笑いご都合主義)とするなら、「自然主義」なんだよね。
GYAO!で見た決勝進出メンバーの3回戦のネタを見るにつけ、この課題がクリアできていて、きちんとインパクトも残せていたのは、ミルクボーイ、オズワルド、ぺこぱかなと思った。
からし蓮根は、ツッコミが活きているがボケの表現力がどうしても足りない。硬く見えてしまうが、そういった初々しさも悪くなかった。しかしかまいたちの自然さには勝てない。あとは敗者復活は実質人気投票なので、過去に決勝進出した人が露出が多いので有利に決まっている。ということは8割和牛といったところ。そうなるとあとはどの順番で和牛ないしそれに準じる人気者が出るかで展開が左右される。
実際に決勝のフタをあけてみれば、前半にかまいたちと和牛の直接対決が用意され、後半に注目のミルクボーイ、オズワルド、ぺこぱが固まった。
結果はご存じの通りであるが、オズワルドの点数が低かったのは解せない。彼らは決してシュールではなかったはずだ。だれもが理解できるスピードと展開で、単に「引き芸」だっただけだ。押しつけがましく笑いを取りにいくのではなく、ただ自然にゆったりと会話をする。苛立ちも隠さなかったし、声を張ったツッコミもした。予想の少し先を行く気の利いた言葉選びで、ツッコミでも笑わせてくれたし、声も良かった。どこがシュールなのだろう。
これは、「この人たちこれからなに言うんだろう」とお客さんを集中させる技術のひとつであり、前のめりなお客さんにはもっとも有効な芸風だ。しかし、大阪の審査員はともかく塙さんまでもが彼らに辛い点数をつけるのは、いくらなんでも大会に染まり過ぎだろう。あるいは、こういう「してやったり」的な芸風がそもそも好みではないのかもしれない。
しかし、M-1はトレンドを先取りする役目もある。多様性をいまから否定してしまうとこの先のお笑いの未来まで潰してしまいかねない。この手のスタイルの挑戦する人たちがいなくなる。コントや落語のほうがこういうネタをやりたい人たちがきちんと実現してしまっているのが悔しい!
私は決して好みで言っているのではない。すゑひろがりずを「古典の人たち」と一段上に置いて評価してみるのに、「引き芸」は下に見るというのは、固定観念で見過ぎではないだろうか。
私は今回、拍手が起こるほどの大きな笑い、会場がひとつになった笑いと、半分くらいの観客が笑った数を、計測した。
ミルクボーイが大16と中14で、特に序盤からピークがきてそのまま維持されたのは、まさに歴代最多得点も納得の出来だった。
しかしCMをはさんだ直後のオズワルドも、大11の中13と、少なくなかった(みなさんも、印象批評や好みで論じるのではなく、客観的な事象で論じてみてはいかがでしょうか)。むしろこの芸風での最終形態かもしれない。のきなみ90点台を出していたほかのコンビとおなじか、むしろ少し多いくらいである。
結成5年目というキャリアで評価するわけではないが、15年目と5年目を同列で扱ってこの仕打ちはどうだったんだろう。
そこまで尖っていない、だれでも楽しめる「引き芸」だったのだが、「引き芸」に対するアレルギーが国民的にすごいのだとしたら、「漫才とは普通こういうものだろう」という先入観でしか漫才を観ていないことになる。それはあまりにもったいない。
今年は「多様性」の年だった。
グルーヴを生み出し、バイブスは大事な要素だが、その発生のさせ方を狭めるのはもったいない。オズワルドはたしかに会話をしていた。掛け合っていた。「からし蓮根」よりキャリアが浅く、ミルクボーイの後に出てあれだけ堂々とやりきったのに、80点台をつけるのは少し厳しすぎではないだろうか。
そこが唯一の不満といえば不満。全体的には面白かったよね。ただ、長くておじさん疲れちゃった。
◆「審査員」に文句を言う人はM-1真面目に見過ぎ
この大会を真面目に観ている人のモノマネをプチ鹿島さんがしていて、これが面白くてしょうがないのだけれど、
今回それを思い知ったのが、審査員のコメントに「長い」とか「しつこい」とか「間延びする」とか言っている人たちが本当に多いということだ。
いや、松本さんが「ツッコミが笑うのはちょっと…」のあとの、「ツッコミが怖すぎた」は明らかなボケなのだが、それが伝わっていないってどういうことだろうか。
審査員たちも芸人さんなんだよね。しかもボケ側の人たちが多くて、ふられたら一言いいますよ。
でも観客もお茶の間もひいちゃったら、もうみんな真面目なコメントするしかなくなる。こういう観客はオンエアバトルでも見てればいいのでは。真面目に見ちゃうと、お笑いは萎縮するんだよ。大目に見ようよそこは。
でもそんな大会だれが見たいんだろう。NHKじゃあるまいし、そもそも点数化しているから公平っぽく見えているけど、公平ではないわけだし、お笑い番組なんだからおおらかに見てもいい。
ネタを見るのは集中力がいるぶん、疲れる。だから合間合間に息抜きの時間をとる。あとは尺調整もする。すべて司会の裁量で、ふられた審査員はマトモなことと、ボケ織り交ぜて、バラエティ番組であることをなんとか保とうとする。
でも、あそこでボケられる人は日本にはもうあまりいない。
松本さんや塙さんがボケても受身が取れないのでは、こわくてなにも言えないわけですよ。
そこに風穴を空けたのが、上沼恵美子さんです!!
からし蓮根を贔屓して、和牛をディスるって、これ生活笑百科とかでさんざん見た「若い男の子に甘い」上沼さんそのまんまなのに、なんかスベッたみたいになっている。司会もフォローしきれない。そうなると、上沼さんは寄り切るしかない。力技でねじ伏せてくれたわけである。会場は笑いに包まれた。こうしてM-1はなんとかバラエティ番組である体裁を守れたわけですけど、
あそこ上沼さん抜けたらどうするのだろう。
オール巨人師匠はもう来年出ないと宣言している。
冨澤さんはコメントも天才的な空気の読み具合で、パーフェクトな仕事ぶりだった。
上沼恵美子さんのコメントぶりは本当に見ごたえあった。だってガチなんだもん!生活笑百科みたいに台本めくったりしてなかったし!
あれこそ漫才師なんだよなあ。
各個人の点数にああだこうだ言うのはいいけど、仕事と役割を全うしているコメントに文句を言うのは筋違いだと思うわけです。
というわけで、ミルクボーイさんの、
「うちのおかんが好きなxがわからない」
→ヒント
→Aだろう
→おかんが言うにはZ
→ならAじゃないか Aはa1
→ヒント2
→Aだろう Aはa2みたいなところもある
→それがおかんが言うのはY
→ならAじゃないか Aはa3
というブロックの繰り返しが、雪だるま式にグルーヴを生み出したのは言うまでもない。
ちなみに、2本目の「モナカ」のネタは、
お菓子の家系図という概念も導入して、
配列に必然性を与えた(つまり縦の関係にも必然性を持たせた)ので、
2本目として最高の出来だったと思う。
それでも、毎年ちょっとずつ変えてきても完成度を保ったかまいたち、
あるいはもっとも自然な会話で笑いに繋げたかまいたちを評価したのが、松本さんだったのかもしれません。
ぺこぱも素晴らしかった。一番マネしやすくて流行るのは彼らかもしれない。
ツッコミをセンテンスで分解して、A(直感的なツッコミ)+B(思考したツッコミ)の形にした。
「さっきとおなじボケ」+「じゃない」がもっとも端的だった。
Bの部分には「という時代がすぐそこにきている」「のは俺かもしれない」「がいたっていい、だれも悪くない」みたいに変化させた。ちなみに、「言及の相手」で分類すると、Aは「相方」、Bは「観客」である。
彼らだけは「ロマン主義」でも「自然主義」でもない「新感覚派」だ。
いじられていたボケのキャラだけど、来年は毎月キャラを変えるとか、そういう遊びをしてもいい。
ネタ番組出るたびにキャラ変わってるとか。
それをしたらツッコミの汎用性がより証明される。
もし、松陰寺さんにツッコミをさせるならば、
「今年のM-1は審査員の上沼恵美子 が優勝でいい。そういう大会の形があっても僕はいいんだ。みんな、ありがとう」
というところだ。
手塚とおる局員、納得してくれたかなあ。
今日のNHKラジオ『すっぴん!』でも「漫才文体論」でミルクボーイをコピーしたネタをやりましたので、らじる★らじるで聴いてみてください。
そして今日24時からのTBSラジオ『東京ポッド許可局』で、みんなでワイワイモードです。
こういうことを書くと、「お前のネタはどうなんだ」と鬼の首とったようなこと言う人いるんですけど、そういう議論は10年くらい前に片付いているので、私のところにはコメントしないでください。
M-1メモ
・太鼓という小道具の使用はOKだったようだ。
・「腹違い」はOKだったのだろうか。
・最終決戦の笑い ぺこぱ 大9 中9、かまいたち 大10 中10、ミルクボーイ 大12 中17
※計測は手動なので、20人くらいでやって平均値をとるのが一番いい。