秋篠宮さま

秋篠宮さま、陛下との「絶対的な差」に苦しんだ幼少期

皇室に特段興味の無い国民からすると、秋篠宮さまは「陛下の弟で少しイケメン風のおじさん」と言ったイメージを持っている人が多いのではないだろうか。私の身近にも全くもって皇室に興味のない人間がいるが、眞子さまの婚約騒動で初めて秋篠宮さまが陛下の弟だと知ったくらいだ。(さすがに失礼な気もするが。)

秋篠宮さまは「兄が80才の時、私は70代半ば。それからはできないです」などと言った即位拒否発言が記憶に新しい。自身が即位することに後ろ向きなある発言などから、皇室という制度にあまり興味を持たれていないようなイメージを持つ者もいるだろう。

しか、断じてそのようなことはない。本心では兄の徳仁さまを蹴落とし、自分が天皇陛下の座につくにはどうすればよいのか、母親である美智子さまに毎日のように相談されていた頃があったからだ。

埋められない兄との絶対的な差

しかし運が悪いと言うか何と言うか、ライバルが実の兄なのもそうだが、幼少時代から陛下と秋篠宮さまには明らかな差があった。これを言葉で上手く表現することはできないが、陛下のほうが勉強が出来るとか運動神経が良いなどと言った目に見えるのものではない、絶対的に埋められない陛下との差が存在した。

秋篠宮さまも幼いながらにその事実には気がついていたかもしれない。もしもっと早い段階で誰かが教えてあげていれば、長年に渡る兄弟の確執に悩むこともなかっただろう。しかしこれを阻止してしまったのが、奇しくも母親である美智子さまである。

美智子さまの秋篠宮さまへ注ぐ愛情は、誰がみてもわかるほど陛下とは大きな偏りがあった。朝のご挨拶の際にも、秋篠宮さまと目が合うことはあれど陛下と合うことは少なかった。また陛下が話しかけてきたタイミングでわざと秋篠宮さまに話しを振るなど、幼稚な部分が目立った。

とにかく美智子さまは長男よりも次男を可愛がり、次男に天皇を継がせたかったのだろう。まだ幼かった秋篠宮さまは母親に言われるがまま、自分が天皇になれると信じて疑わなかった。ある年齢でそれは叶わないと悟ったときの秋篠宮さまの心情を思うと、少し不憫にも思えてしまう。

グレた学生時代

あとはご存知の通りだ。皇族とは思えないような派手な学生時代を謳歌されていた。

「プリンス・ヒロ(皇太子さま)は少し内気だが、好感の持てる若者」「プリンス・アヤ(秋篠宮さま)は速い車とロックが好き」。

引用:朝日新聞

 

皇族が車好きであってはいけないわけでもなければ、ロック好きであってはいけないわけでもない。しかしこれは当時、イギリスのサッシャー首相に伝えれた二人の印象だ。日本の代表として出向いたプリンセスのイメージがこのように伝えれるのはいかがなものか。おそらく海外でもこのときから「秋篠宮さまは陛下のお荷物」としか見られていなかったのだろう。

やはり不憫でならない。