殿村誠士

「『スラムダンク』なら神宗一郎」――エンゼルス大谷翔平、「謙虚過ぎる」25歳

12/23(月) 8:05 配信

「人よりちょこっと野球がうまい、それだけの人間です」

投手と野手の両立という、現代野球の「常識」を凌駕する二刀流への挑戦――それを世界最高峰の舞台で実践する大谷翔平。彼の活躍がきっかけとなり、2020年シーズンからはメジャーリーグで新ルールが採用される。「投手」と「野手」に加え「Two-Way Player(二刀流選手)」での選手登録が可能となるのだ。100年を超すメジャーの「歴史を変えた」男は、どこまでも謙虚な「野球少年」だった。(インタビュー:岩本義弘/構成・文/Yahoo!ニュース 特集編集部/撮影:殿村誠士)

僕には才能はない

「自分自身に才能があるとは思っていません。あるとすれば、好きなことを頑張り切れる才能、でしょうか。野球より面白いことは見つからない。野球のことばかり考えています。逆に好きなこと以外は適当だったりします。整理整頓とかね」

今や人生そのもの、とも言える野球を始めたのは小学2年生の時。兄がやっていた流れで、自然と白球を追いかけるようになった。

「水泳やバドミントンなど、他のこともやりましたけど、そこまでのめり込めなかった。野球は始めたのが早い分、他の子より上手にできた。だからどんどん楽しくなっていったんでしょうね。気づいたら好きになっていた、そんな感じです」

父は社会人野球の元選手だったが、「野球をやれ」と大谷に言うことはなかったという。

「練習しろ、そんなふうに言われたこともないですね。『素振りは1日500回やれ』『これぐらいやらないとプロには行けない』とか、そんなことも言われませんでした。好きな時に好きなようにやってました。常に寝室にバットやボールが置いてあって、何かふと、こういうフォームがいいんじゃないかと思い立って鏡の前で試してみたりとか。今でもそうなんですよ」

そんな大谷が、周囲からの一方的な「アドバイス」にさらされたのは、北海道日本ハムファイターズへの入団が決まり、二刀流への挑戦を明言した時だ。「どっちつかずになる」「投手に専念したほうがいい」……ネガティブな反応も少なくなかった。

「野村(克也)さんや張本(勲)さんとか、僕からしたらおじいちゃんぐらいの年の方に厳しい言葉をもらうこと自体は嫌ではなかったですね。そういう人もいて当然だろうなと思っていたので。『できない、できない』と言われ続けるのは苦しいですが、逆に期待され続けるのもプレッシャーになる。どちらの立場にもそれなりの苦しさがある、そんな経験をできたのは僕にとってすごく良かったと思います」

二刀流をやれるとは思ってなかった

大谷は2013年の高卒1年目シーズンから、そうした周囲の雑音を吹き飛ばす活躍を見せる。2年目には、日本史上初の10勝・10本塁打を記録。3年目には投手として躍進し、最多勝・最高勝率・最優秀防御率の投手3冠に輝いた。4年目の2016年は、二刀流としてさらなる進化を見せ、10勝・100安打・20本塁打を達成する。

「僕自身、二刀流をやれるとは思ってなかったです。自分のスキルを伸ばしたい、現役中に1個でもやれることを増やしたいと思ってプレーしてきて、その延長線上にあったのが二刀流という結果かなと。その意味で、投手と野手の二つやる、っていうのは本当に願ってもないチャンスだったかな、とは思います」

(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

2018年シーズンからはメジャーに移籍。ロサンゼルス・エンゼルスで二刀流の快進撃は続き、この年のア・リーグ新人王を獲得した。ここでシーズンオフに右肘手術を断行。翌シーズンは二刀流を封印し、肘への負荷の少ない打者に専念。チームのプレーオフ進出の可能性が消えたシーズン終盤には、さらに左膝の手術に踏み切った。右肘のリハビリが完了する来季以降を見据え、より万全な状態で野球に向かうための決断だ。

「膝の状態はもうかなり100に近い。肘も順調にリハビリが進んでいます」

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