千葉県いすみ市の住宅街を歩くとさっそく道路を横断するキョンに遭遇。オスには短い角と牙が生えている

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台風・大雨・停電に悩まされた県民に訪れる新たな問題。狩猟、試食、革工芸で有効活用も

千葉県いすみ市の住宅街を歩くとさっそく道路を横断するキョンに遭遇。オスには短い角と牙が生えている

「キョンは朝と夕方に山から下りてきて、稲、大豆、イチゴなどの農作物を食べてしまう。民家の庭にも出没し、植木の草花を食い散らかすので、住民は困っています。それだけじゃない。キョンはどこでもオシッコをするため、雨上がりの日には町中に牧場のようなムッとした臭いが充満する。夜になると首を絞められているかのような声で鳴き気持ち悪い。すばしっこく、罠(わな)を仕掛けてもなかなか捕まりません」(千葉県いすみ市の住民)

 11月下旬の日没間近、千葉県南東部に位置するいすみ市の住宅街に足を踏み入れると、体長1mほどの焦(こ)げ茶色をした動物がそこら中を徘徊していた。2本の角を生やし、車道や民家の庭先を我が物顔でうろつく姿は、まるで小鹿のようだ。人が近づこうとすると素早い動きで物陰に身を隠す。時折「ガー、ガー」と唸(うな)るような鳴き声で仲間に合図を送るこの動物は、シカ科の外来生物、キョンだ。

 実は、このキョンが今、千葉県民を深刻な悩みに陥れている。

 ’19年、千葉県民は数々の自然災害に悩まされた。9月の台風15号では、6万5000棟もの住宅で屋根が飛ぶなどの被害が発生し、約64万軒が停電。復旧が長引いたため数週間エアコンが使えず、熱中症による死者も出た。10月の記録的豪雨では、11人が亡くなり、2000棟以上の住宅で浸水などの被害があった。これらの風雨で県内の農林水産業が被(こうむ)った損害額は430億円に及ぶ。

 こうした災害で大きな痛手を受けた千葉県民だが、それに加えて現在はキョンが住民の生活に危害を及ぼしている。

都内にやってくる恐れも 

 キョンは中国や台湾を原産地とする小型の草食獣。八丈島で飼育されているキョンが有名だが、野生では千葉県と伊豆大島にしか生息しないという。キョン対策に携わっている元戦場ジャーナリスト・石川雄揮氏が語る。

「キョンは体高40~50㎝、体長70~100㎝の小型動物で、大きさはニホンジカの5分の1ほどしかありません。体重も軽く、10㎏程度。野生のキョンの生息地は国内では千葉県と伊豆大島のみです。メスは生後半年から妊娠可能であり、出産した翌日には再び妊娠できる。強力な繁殖力のせいであっという間に増殖してしまい、現在千葉県には約4万頭のキョンが生息すると推定されています」

 これは、伊豆大島での生息数である1万5000頭を大きく上回る数字だ。千葉県の調査によると、キョンは最近5年間(平成26年度から平成30年度)で実に1万頭以上増加しているという。

 これだけ多くのキョンが、なぜ今、千葉県に生息しているのか。

「きっかけは、’01年に閉園した千葉県勝浦市の動植物園『行川(なめがわ)アイランド』で飼育されていたキョンが脱走したことだと言われています。’80年代の話です。キョンは施設内で放し飼いにされていたので、脱走しやすかったのかもしれない。当初は勝浦市にしか生息していなかったものの、今は県内各地に生息域が広がっている。東京都に近い柏市での目撃情報もあります」(千葉県勝浦市の住民)

 繁殖を重ね、現在は原産地で見られない独自の性質も身に付けている。

「本来のキョンは草食性ですが、千葉県内では肉類を原材料としたドッグフードを食べている姿も多く目撃されています。原産地の台湾ではキョンが肉を食べることはありえません。イギリスではキョンが増えすぎて、蝶が卵を産みつけるための植物が食べ尽くされてしまったことが確認されている。日本でも生態系が変わる恐れがあります」(前出・石川氏)

 増えすぎたキョンは、住宅街に住み着き、人々の暮らしを脅かすようになっている。いすみ市の住民に声をかけると、困ったような表情をしてこう答えた。

「いすみ市は高齢化で空き家が増えている。手入れされていない庭や軒下などは、キョンにとって絶好の住み処なのでしょう。近所の空き家を住まいにしているキョンが、昼間から周辺でエサを探している姿をよく見かけます。おかげでこの辺りの花壇の草花は、すべて食べ尽くされてしまいました」

牛肉の赤身に近い味わい

 このままでは生態系が攪乱される恐れがあるとして、国は’05年、キョンを特定外来生物に指定した。千葉県はより早い’00年から駆除対策を進めている。

「千葉県は’13年からキョンの『防除実施計画』を実施中です。生息数の多い勝浦市、いすみ市、鴨川市など7市町を集中防除区域に定め、県や市町村単位で罠や猟銃を使った捕獲作戦を行っています。

 イノシシなどと同様、1頭捕獲してもらうごとに自治体は6000円前後の報奨金を出す。昨年度は捕獲と報奨金のためにおよそ4000万円の県予算を投じ、4111頭のキョンを捕獲しました。

 最終目標は県内から野生のキョンを完全排除することです。しかし、人手や予算の関係上、増加数に比べて捕獲が追い付いていないのが現状です」(千葉県環境生活部自然保護課の三井士郎副課長)

 増えすぎたキョンを〝有効活用〟する動きもある。前出の石川氏は、キョン肉の試食を含む狩猟体験を主催しているほか、キョンのなめし革を使った工芸品を作る『ハント・プラス』社を立ち上げた。

「高たんぱくで低脂質なキョン肉は、台湾や中国では高級食材。レストランで1頭食べると約6万円します。春が旬で、刺身で食べると美味しい。私が主催する狩猟体験では、キョン肉のローストを試食してもらっています。牛肉の赤身に近いあっさりとした味わいです」(石川氏)

 キョン革を使った小物も徐々に売り上げを伸ばしているという。

「キョン革は肌触りが非常に良く、台湾では生まれたての赤ちゃんを包むのに使われる。日本でも、伝統工芸品などの素材として従来キョン革を輸入してきた。私は、千葉県で捕獲したキョン革を使用してこうした工芸品を作る試みを始めています。具体的には、罠で捕獲したキョンの皮を革職人に送り、巾着袋やがま口にしてもらっています」(石川氏)

 生態系を変えてしまうキョンも恐ろしいが、その原因を作った人間こそ自然に対する最大の脅威なのかもしれない。

取材・文:桐島 瞬

キョンは警戒心が強く、人間が近づくと素早く逃げていく。草食性動物で、群れは形成せず単独で行動する

キョンの捕獲活動をしている石川氏。本誌の取材に「キョンの肉は刺身にすると美味しいです」と語った

千葉県勝浦市にある『行川アイランド』の跡地。ここで飼われていたキョンが脱走し、4万頭まで繁殖した

民家の裏庭でこちらを見つめるキョン。可愛らしい見た目とは裏腹に農地荒らしなどで住民の生活を脅かす

PHOTO:︎桐島 瞬