ダチョウは頭を隠さない
失礼な話である(以下、本日の朝日新聞朝刊から)。
問:(集団的自衛権を使えるように憲法解釈を変えることを)本当に閣議決定で決めるのか。今国会中(に閣議決定)と言われている。むちゃくちゃな議論で、国民を危険な防衛体制に送り込んでいいのか
答:私たちの態度こそ、国民の命を守らなくてはいけないという責任ある姿勢だ。はなからそんなこと(有事)は起こらないというのは、いわば砂の中に頭を突っ込むダチョウと同じだ。見ないようにすれば、事態は起こらないと思ってしまう考え方だ。(後略)
昨日の参議院決算委員会での問答である。
何が失礼なのか?
まず、ダチョウに対して大変失礼である。
捕食者から逃れたいときに頭を砂に突っ込むのが本能だとしたら、ダチョウという種は生き残っていない。
ナショナルジオグラフィックのサイトには、次の記載がある。
通説と異なり、ダチョウが砂に頭を埋めることはない。おそらくこれは、昔ダチョウの防衛行動を見て考えられたものと思われる。ダチョウは、危険が迫ると身を伏せ、目立たないように長い首を地面に押し付ける。ダチョウの羽毛は遠くから見ると砂地とよく調和するので、砂に頭を埋めているように見えるのだ。
そして、ダチョウは臆病で愚かな鳥ではない。
ダチョウの力強く長い足は、一歩が3〜5メートルにもなり、恐るべき凶器としても機能する。ダチョウのキックは、人間やライオンのような捕食動物を殺すことができるのだ。2本指の足には長くて鋭いツメがある。
つまり、強力な自衛手段を持っているのである。
強力な自衛手段を持っていながら、危険を察知し、それを避けようとする。
生物学をよく知らない人、あるいは観察不足の人は、「弱肉強食」とか「適者生存」とか誤った概念を振り回しがちである(行き着く先が「民族浄化」だったりする)。
人類よりもはるかに以前から地球を闊歩してきた先輩の生物たちに失礼なので、妙な喩えは慎んだほうがよかろう。
そしてもう一つ、大変に失礼なのは不戦の誓いを立て、争いを避けようとする私たちを愚弄する態度だ。
「有事が起こらないだろう」などとは、誰も思っていない。
「有事が起こらないようにすべき」なのである。
もし、軍事的衝突――戦争――が起こってしまったとしたら、それは政府の外交が失敗したからであって、国家の舵取りを任せられた人たちが、その責任を果たせなかった、無能であったということである。
さて……五百年に一度の津波なんか起こらないだろうと、頭を書類の間に突っ込んで、危機がないふりをしたのは、どういう人たちだったかな?
またなんか、原子力発電所内の断層は活動しないだろうとか言ってるが、そういう人たちのアタマの働きは、ダチョウに劣るということになるわなぁ。
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