それだけがこの世の中を熱くする!
先日久しぶりに音楽好きの友人と会って食事をして近況を報告しあった。
アンダーザシルバーレイクが面白かったこと、黒澤清『ニンゲン合格』について、今年の新譜、James Blakeの新曲の素晴らしさ。彼と話しているとその見識の深さにいつも感心させられ、ぼくはいつも同い年でこれほど広く芸術について知識を修めていることに驚かされる。話題は尽きることなく、食事を終えたあともふたりで神保町をうろつき、閉店セール中のJanisでCDを物色しながら音楽の話を続けた。
閉店することが決まって以来音楽好きの間で随分話題になったJanisだが、在庫処分がはじまってからもう何日か過ぎていたため、店内は既に落ち着いた雰囲気になっていたように思う。めぼしい希少なCDは既に粗方浚われ、ぼくたちは逆に棚にないものを確認して楽しんでいた。
ふたりとも在庫処分が始まる前に駆け込んでめぼしいものは一通りレンタルした後だったので、レア盤がなくなっていてもそこまで悔しい気持ちにはならない。
そんな風にがっつく気持ちもなくのんびりと楽しんでいると、話題は自然と彼が進めている2000年代邦楽ベストアルバムの企画に移っていった。
彼は随分前からこの企画を進めており、仲の良いメンバーで彼に協力して音源を貸し借りして協力したりすることもある。ぼくもこの話題について最初に話を聞いたときには随分と期待し、彼がどんなリストを作るのか非常に楽しみになった。彼と会った時にはいつもこの話題に触れ、進捗を伺ってはいつか完成したリストに触れるのを心待ちにしている。
この日もいつも通り彼のベストの進捗について話を聞いていたが、ふと気にかかることがあった。どうもリストのトップに挙げている音楽が、彼にしてみると大人しいような、悪く言えばよくあるベスト的な内容に感じられたのである。
「良いリストだけど、もっと攻めていくこともできたんじゃないですか」
と悪気なく尋ねたぼくをみて、彼が少し困ったように笑った。
「いま誰もディスクガイドを作らないじゃないですか。だから俺が作るしかないなって」
その彼の言葉を聞いて、ぼくは自分の発言を強く恥じた。
これまでぼくと彼は短くない時間やりとりを続け、対話を続けてきたように思う。お互いの音楽の趣味もなんとなしに把握し相手の事をわかったような気になっていたが、その実彼が繰り返し語り続けていた音楽を取り巻く現状とリスナーの関係についての問題意識、それと彼の取り組んでいるベスト企画の関係を全く汲み取ることができていなかったことをここにきてはっきりと認識した。
例えば、いま若い人たちがどのようにして音楽に出会い、それを趣味として深く掘り下げていくのか。それについて彼が考える問題点にぼくも大きく賛同していた。
彼は何人かのミュージシャンが音楽体験の源流として語る親族からの影響や、ラジオから流れてきた音楽に興味を持つような、予期せぬ形での音楽との出会いを重要なものだと考えている。だが、現在そういった出会いがどんどん少なくなっているのではないかと彼は言う。ぼくもまたそのようにして音楽と出合い、やがて音楽情報誌などのメディアを通じて音楽への興味を深めていったのでその懸念についてはよくわかる。
だからこそ、これから音楽を知りやがてそれを趣味にして深くのめりこんでいく人たちが、どういう道を辿るのかぼくには想像もつかない。
もしかすると今でも上に挙げたような形で出会いがあるかもしれないし、YouTubeやSpotifyのプレイリストかもしれない。少なくとも音楽に出会い、それを素晴らしいものだと感じて突き詰めていく人間が絶滅してしまうとは思わないが、そこに至るまでの道が狭く見つけにくいものになっていくことは間違いないと感じる。少なくともiTunesに端を発し、全米で猛威を振るったSpotifyが打ち出したプレイリストの概念により、半世紀以上続いたアルバムという作品形態が廃れつつあることは多くの音楽ファンが認識しつつあるだろう。
それでも彼は誰もディスクガイドを作らないのならば自分が作ると言い切った。
それはぼくからしてみるととても勇気のいることで、そして非常に素晴らしい試みだ。
ぼくは彼ほどの情熱をもって音楽を広げていくことを大切に思ったことはあるだろうか。いまぼくは心のどこかで他人に対して良い音楽を伝えて共有していくことを虚しいことだと考えてしまう。
田中宗一郎ですらそうだったように、音楽ファンは現在それぞれにサブスクリプションサービスのおすすめを受け入れ、極めて狭い範囲で自分の好きな音を掘り下げていくことが主流となっているように思う。それが悪いことだとは思わないし、ぼく自身アルバムという作品の形態をありがたがることや体系的に音楽を聴いていくことが、どこか教養主義的で鼻持ちならないもののように感じることがある。
近頃では"良いものはただ良い"という考え方が強くなっているし、ポップミュージックの歴史の中でそれがどのようにして生まれたかを意識することはあっても、外部に向けて発信していく気持ちは薄れていた。
ぼくはまだ若く、音楽についての見識が深いなどとは口が裂けても言えない。それでも、そういった発信が年下の音楽ファンにとってしゃらくさいという気持ちを抱かせるのではないかという怯えがある。かつて自分が愛した音楽を語ったとき、その源流を遡りエピゴーネンであることを自覚するように訓諭されたことを非常に疎ましく思った経験があるからだ。今では素晴らしく感じられるビートルズやヴェルヴェッツに関しても、かつては年寄りの懐古趣味だと断じた。そのように自分が触れた最新の音楽こそが最も優れたものだと思えることはその時代を生きる人間の特権だろう。そういう真っ直ぐな気持ちが失われ、次第に過去の作品を聴き感動するようになったことは、いわゆる「丸くなった」というやつなのだろうか。そして、一度そう考えた瞬間にもはや自分よりも若いひとたちに向けて音楽を勧めることが難しくなった。ぼくもまた歳を重ね、いま音楽を聴きはじめて夢中になっている人間の気持ちは一切わからない。
そんな自分が彼らに向けて何らかの言葉を発信することは不誠実なことではないか不安になる。
だがそれでも、文化を継承していくためには対象を編纂し、ひとつの目録として残していくことが必要不可欠だ。
かつては多くのメディアがディスクガイドを作成し、多くの名盤がリスト化された。そしてそれを参考にして古今の名盤に触れたひともあると思う。ぼくの書棚にも少ないながら何冊かのディスクガイドが並んでいる。
『クロスビート・ディスクガイド 2010』
『JAZZ 100の扉』
『アヴァン・ミュージック・ガイド』
『ジャパニーズ・オルタナティブ・ロック特選ガイド』
『rockin'on 2010年3月号(2000年代ベストアルバム特集号)』
なかでも最後に挙げた「rockin'on 2010年3月号」はぼくの音楽人生において大きな意味をもった。ぼくはこの雑誌でThe Strokesに出会い、自分の音楽に対する趣味嗜好をはっきりと定めた。彼らのデビュー作である「Is This IT?」はロックンロール以外の多くのジャンルを聴くようになったいまでも、偉大なる金字塔として自分の中に燦然とそびえたっている。もしThe Strokesとの出会いがなければ自分の音楽の趣味は大きく変わっていただろうし、もしかすると大して音楽に対してのめりこんでいくこともなかったかもしれない。
ぼくはこのアルバムとの出会いを経て同誌に特集されたアルバムを全て聞き、そしてインディ/オルタナティブロックに大きく傾倒していく。一枚一枚特集されているアルバムを手に入れるごと、そのページにチェックマークをいれたことをよく覚えている。ぼくは音楽に夢中になった。
このようなことは完全にぼく個人の経験でしかない。それでもひとつのディスクガイドから大きく世界が広がっていくようなことはあるだろう。ぼくはあのときちょうど日本の音楽に飽きてきていて、もしかしたら洋楽を聴けばぼくが夢中になれる何かがあるかもしれないと思い、そして上述したように一冊の本に出会った。
だが、いまでは高校生や大学生の頃のように音楽雑誌を読むこともない。ぼくが読み始めた頃には既にそうだったように思うが、雑誌は既に新しい音楽との出会いの場ではなくなっていた。
そういう思いを互いに抱いているからだろうか。
彼と音楽について話すとき、もうひとつ「信用できるメディアの不在」についてもよく話し合う。
かつては大量に存在した音楽番組は消え去り、雑誌の勢いは衰えて音楽誌は新しい音楽を大々的に取り上げることが難しくなった。いまでもそうかはわからないが、一時最も売れていた音楽雑誌は「BURRN!」になり、やがてrockin'onの表紙は代り映えのないバンドばかりが並ぶ。最早ブームを作り出せるメディアは存在せず、ぼくの情報収集の場はSNSが主になった。
ぼくはいま、その年の包括した情報を知りたいときにはTwitterから音楽を知ることが殆どになった。海外メディアの年間ベスト企画にも目を通すが、多くの編集者によって選出されたリストにはどこか「どれを見ても大した違いはない」と感じさせられることが多い。ぼくは上半期、下半期ごとにベストアルバムのタグを眺め、その中から興味のあるアルバムをピックアップして、時には自分でもベストをリスト化する。そこにはたしかに選者がひとつひとつのアルバムを聴き、思いを込めて選出した息遣いのようなものが宿る。そういったリストにはそのひとの個性が宿り、時に思いもよらない出会いをもたらしてくれる。
そんなときにはいつも個人がそれぞれに情報を発信し、シーンを盛り上げていくことがこれからのスタンダードになるのではないかと希望を抱く。
そして彼は「誰もやらないなら自分がやる」とはっきり口に出してくれた。
ぼくはそう言い切った彼を尊敬する。彼は長い時間をかけて膨大なリストを作成し、ひとつひとつそれを消化してたったひとりで2000年代邦楽ベストという大仕事に取り組んでいる。
現段階での彼のリストを少しだけ見せてもらったが、彼の言葉を踏まえたうえで考えるならばそれは極めて誠実で衒いがなく、だれもが2000年からの10年間には素晴らしい音楽があったと再認識できるものになっている。
そして彼は新しく素晴らしいアルバムに出会うたび「すごい名盤だ!」と喜び、いつも楽しみながらリストに加えていく。
いつか彼がリストを完成させるとき、ぼくもまたそれを誇りに思うだろう。
いまから完成の時を待ち遠しく思う。