最初の政治的な行動は、小学生のときだった。
90年代後半に、学校のすぐ横にある森が伐採されることになった。森は子ども達の遊び場で、住民にも親しまれていた。マリンは、友達2人と一緒に学校から森へつながる道を何度も往復、行進した。フィンランドの国歌、「私達の国」を歌いながら。それが、マリンの最初のデモであり、社会に影響を与えるための行動だった。
学校も、伐採をやめるよう行政に働きかけたが、森は伐採されてしまった。でも、気を落とさず、 友達と一緒にそこに何本か苗木を植えた。そのとき、学んだのは、自分たちが負けて森が失われたのではない、ということ。その後、何をしていくのかについて、自分は影響を与えられるということだった。
だが、 政治の世界に進むとは思っていなかった。政治に目覚めたのは、20代になってから。マリンの主なキャリアは、およそ次の通りである。
めきめき頭角を現して、駆け上がって行った。
フィンランドの各政党には青少年組織があり、15歳から30歳までの人が加入できる。早い時期から政治に関心を持ち、政治に参加していく仕組みが用意されている。マリンも、そのキャリアを社会民主党の青少年組織から始めている。市議会議長や国会議員に選ばれたときは、まだ大学在学中だった。
フィンランドの政治と社会のシステムがあって、可能だったキャリアと言えるだろう。現在のマリンは、社会福祉や才能、努力、野心、運などの集積の上にあると言える。
マリンの主な関心事は、社会的格差をなくすこと、平等、教育、ウェルビーイング、環境、気候変動などの問題である。子どもたちが、生まれ育った境遇に関わりなく、何かを達成する希望を持てる社会、また尊厳を持って生き、老いていける社会を作っていきたいと語っている。
フィンランドは、90年代に教育改革を進めた。マリンは、新しい教育を受けて育った世代である。教育の無償、機会均等、平等、子どもの権利、ウェルビーイング、参加すること、影響を与えることを重視するフィンランドの教育が産みだした、若手政治家と見ることもできるだろう。