目を覚ませば見知らぬ天井があった。一生懸命に記憶を手繰ってみるが、なぜこんな状況になっているのか思い当たる節がない。諦めて現状確認から始めることにする。
どうやら自分はベッドで寝ているらしく、体の上に布団がかけられているのを感じる。意識は何だかぼんやりしていて、うまく体を動かせない。
身を起こそうと、手足に感覚を集中させる。力を込めた指先が微かに触覚を取り戻し、辺りをまさぐって自分の状況を徐々に知らせる。布団の重さ、背中の熱、顔にかかる前髪のうっとおしさ、順番に外の情報を獲得していく。そして意識はだんだん覚醒に近づいていき──
──全身に激痛が走った。
「いたたたたたたたた!」
「あっ、起きた。」
「何これ?何でこんな痛いの?いたたた!全身がこむら返りの5倍ぐらいの痛さ!」
目を覚ますなり大声で喚くリカオン。近くで看病していたクレマンティーヌは呆れたようにその様子を見る。リカオンはここに運ばれた時には簡単な止血を施されただけの瀕死の重傷だったのだが、どうやら元気そうだ。
リカオンはもんどりうってベッドの上を転げ回りシーツをぐちゃぐちゃにした。かと思うと枕を抱え込んでじっと動かなくなり、変な呼吸音を上げ出す。
「うぅぅ、ぶふぅー。ぐぅ、ふぅぅ。」
「おーい、大丈夫?」
「…まぢむり。」
かなりマジの悶絶を見せるリカオン。クレマンティーヌは少し哀れに思ったか、リカオンが蹲るベッドに近寄る。
「おーい?」
「…。」
返事がない。ただのしかばねのようだ。クレマンティーヌは日課のスティレット磨きを再開しようと椅子に戻ろうとする。
「…まぢむり。」
クレマンティーヌは溜息をついた。この感じはリカオンが構ってほしい時の奴だ。2回目はわざわざちょっと大きい声で言ってるし。めんどくさい。
「いま
「甘いものが食べたい。」
起きた途端それか。相変わらず食い意地張ってんな。らしいっちゃらしいけど。
「はいはい。大人しくしててね。」
クレマンティーヌが部屋を後にする。リカオンは何か考えていなければ激痛でどうにかなってしまいそうだったので、何とか痛みから気をそらすため、自分が何故このような状況になっているのかを思い出す。
確か、自分は巨大樹を討伐するためトブの大森林に向かっていた。雨の中くそ寒い思いをしながら3時間ぐらい歩いて、ようやく森の入り口にさしかかかった時、巨大樹がこっちに向かって動き出したのだ。
臨戦態勢に入って、それから…、うーん、判然としない。
巨大樹にやられてから蘇生された?違うな。それならばHPは全開してるはずだし、レベルダウンしてる感じはない。
頭をひねっていると、部屋のドアががちゃりと開いて3人の男女が入って来た。
「おー、ほんとに起きてる。3日振り。」
声を上げたのはティア。その後ろにはイビルアイとアインザックがいる。クレマンティーヌが呼んだのだろう。3人はベッドの上で唸り声を上げているリカオンと目が合う。
「意識が戻ったか。…大丈夫か?」
リカオンの様子を見てイビルアイが心配そうに尋ねる。リカオンは蹲った姿勢から3人の方向に首だけ回している。それも歯茎を見せるほどとびきりの苦悶の表情で。なんだか猿が唇をめくり上げて威嚇をしているみたいだ。
「そっちも相当大変だったんだな。私もほら、この通りだ。」
イビルアイは右腕で左肩をさする。外套で隠していてよく見えないが、左腕が無いようだった。
「お互い
イビルアイは軽い口調で言った。腕の欠損はかなりの大怪我のはずだが、魔法ですぐ治るからなのか、それとも無くても支障が無いからか。単純に怪我に慣れているからかも知れなかった。
「辛そうだから、ティア。」
「ほいほーい。」
ティアがベッドに近寄る。続けてリカオンの背中を優しくさすって(どさくさに紛れて胸と腰の辺りも堪能して)ゆっくりとリカオンの体を転がし、仰向けにさせる。そして自分の腰元に手を回してウエストポーチから小瓶を取り出した。
「
ティアは小瓶のコルク栓を親指だけできゅぽんと器用に開けた。そしてずいと身を乗り出してベッドに乗り込む。
「口移しで飲ませてあげる。」
「結構です。ふりかけて下さい。」
ぴしゃりと拒否されたティアはちぇ、とわざとらしく口を尖らせると、小瓶の中の液体をリカオンにかけた。生活魔法である<
液体に込められた魔法が発動し、リカオンに効果を及ぼした。ダメージを受けている事による不快なだるさは残っているが、痛みは嘘のように引いていく。
「おおー。」
魔法とは便利なもので、リアルの全身麻酔などとは違って身体機能も十全に、痛みだけがすっかり取り除かれた。意識もしっかりしている。今まで痛みで気にならなかった切れた口内の血の味なども感じるようになった。
「ところで、なんでアインザックさんもいるの?」
「随分な言い草だな。ここが冒険者組合の救護室で、私がその責任者だからだ。
「ああ、そういうこと。」
アインザックは疲れた表情をしているが、出撃前にあった悲壮感は無くなっている。平野のモンスター掃討も含めて、作戦は成功したのだろう。そして組合長が怪我人の見舞いに来られる程度には状況も落ち着いたということか。
「巨大樹はどうなったの?」
「こっちが聞きたいぐらいだ。君が何かしたんじゃないのか?」
リカオンは腕を組み首をひねる。
「うーん、覚えてない。」
アインザックは力無くがくりと肩を落とした。これではわざわざ足を運んだ意味がない。
「では話を聞けるのはゴウン殿だけか。まったく、巨大樹が倒されたことや天気が一瞬で変わったこともにわかに信じられん。全て悪い夢であれば良いのだが。」
アインザックはここ3週間、事態の収拾に働きずくめであった。積もり積もった疲労のせいでその姿は幽鬼もかくやといったありさま、こういった愚痴も出ようというものだ。
「巨大樹倒したんだったら、ミッションクリアじゃん。やったね。」
うなだれるアインザックをよそに、能天気なリカオンが名案を思いついたとばかりにぽんと
「じゃあさ。みんなでお祝いしよ!クラルグラも石の松明も漆黒の剣も呼んで!」
リカオンの言葉を聞いて皆顔を伏せた。不自然な沈黙が流れ、リカオンは変な事を言ったかと周りをキョロキョロ見回した。
「どしたの?」
しきりに首をひねるリカオンに対し、イビルアイが重く口を開く。
「冒険者パーティー石の松明は壊滅した。4人が死亡し、1人は行方不明だ。」
巨大樹が倒された時とほぼ同時刻にガガーランと漆黒の剣による生存者の捜索が行われたが、イグヴァルジ達が襲われた辺りの開けた一角──おそらくモンガによって木々が薙ぎ払われた場所──で虐殺の跡が見つかったのだ。
「遺体の衣服や冒険者プレートで石の松明のメンバーだと確定している。遺体が確認出来なかったテトラントも生存は絶望的だ。」
テトラントが行方不明というのはかなりぼかした言い方だ。現場は凄惨を極めていて、
「蘇生は?」
イビルアイは首を左右に振る。死体は損傷が激しく、蘇生は不可能だったのだ。それに万が一可能であっても、彼らを蘇生をする費用など誰も用意できなかっただろうが。ラキュースが蘇生を行うにしても神殿勢力との兼ね合いでそれなりの費用を動かさなければならない。パーティ外の人間に魔法を無償で行使するのは御法度である。
医療行為の
「そうか、パーティー
ぽつりと呟くリカオン。
イビルアイはリカオンの口振りに違和感を感じた。その口振りは一見、他人に冷たいだとか他人に厳しい、などという印象を受けるかもしれない。自分もそういった面はあるし、ティアやティナはより顕著だ。このご時世、他人に入れ込みすぎるとロクなことがないのだ。
だが、リカオンの態度は根本から違うように思えた。まるで人を人だと思ってない様な…。
「おーい。食いもん持ってきてやったぞー、と。」
クレマンティーヌが盆を片手に部屋にやって来た。盆の上にはカットされたリンゴが並べられている。リカオンは待ってましたと言わんばかりに、ベッドから跳ね起きた。
「ねえ、クレア。あーんして。」
語尾にハートがついていそうな甘ったるい猫なで声でおねだりをする。
「はぁ?ったく、仕方ないなあ。」
ベッドに腰かけたクレマンティーヌは渋々要求に応える。8分の1にカットされたリンゴを更にフォークの横腹で割り、一口サイズにしてリカオンの口へ運ぶ。
「おいしー!」
リカオンは無邪気な笑顔でリンゴを頬張った。
「ぐぬぬ。何故クレアは良くて私はダメなのか。私も女子とスキンシップしたい。」
「胸に聞いてみろ。」
「どれどれ…。つるつるぺたぺたしている。」
ティアはほぼノータイムでイビルアイの胸をまさぐった。
「自分のだ。それ以上やると殴る。」
病室とは思えないほど賑やかな女性陣達。アインザックは目の前の無駄に姦しいやりとり──1人はおっさん臭かったが──にげっそりとした顔でため息を吐いた。
「うっ、いたたたた。」
リカオンが突然手で頰を抑える。どうやら麻酔が切れてきたようだ。頭が体の異常を知らせるため、痛みを取り戻そうとしていた。リンゴの果汁が口の傷口に染みる。
「あのー、早いとこ治癒魔法欲しいんですが…。」
「大隊の方も被害が出ていて、動ける回復要員は全て出払っている。君は命に別状が無さそうだから後回しだ。」
「そんなー。」
「しばらく安静にしておくことだな。」
アインザックはこの空間から逃げ出すべく、つかつかと早歩きで医務室を後にした。
ーーー
地下深くにあって、豊かな自然と満天の星空が堪能できる場所。黒くてしっとりとした肥沃な大地の上を植物系モンスターが闊歩し、枝葉を伸ばし、その生の結晶である果実を動物達に与えている。
ここはナザリック地下大墳墓の第六階層。双子のダークエルフが守護する要害堅固なナザリック防衛の要所である。このエリアはフィールドコンセプト上、
その中で階層守護者の片割れであるアウラが
そこに近づくボールガウン姿の少女。服と同色である紫紺の傘と盛り上がった胸部を揺らしながら歩いてくる。シャルティアだ。
「いきなり呼び出してどうしたでありんすか?こちとら休暇のマッサージを堪能していたところでありんしたのに。」
シャルティアがアウラの傍まで来て、顔を覗き込む。
「ねぇ、おちび?聞いてるでありんすか?」
アウラは蹲ったまま、まるで返事をしない。シャルティアの顔は視界に入っているはずだが、視線は斜め下の床をじっと見ている。
「お…、アウラ?どうしたの?」
覇気のないアウラを見て流石に心配になったシャルティアが手を伸ばすと、突然アウラが跳ね起きてシャルティアの胸に雪崩れ込んだ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ーー!!どうじようぅー!シャルティアぁーー!」
「ちょっ、ちょっと、いきなりなんなのよ!」
力の限りに抱きついてくるアウラを、前衛ガチビルドの腕力で引き剥がす。
「落ち着いて!」
「だって、だってぇ。」
アウラの顔は涙でぐしょぐしょになっていた。
「ほら、ハンカチ貸してあげるから、顔拭いて。鼻チーンてしなさい。チーンて。」
シャルティアは廓言葉モドキからすっかりオカン口調になってハンカチをアウラの顔に押し当てる。アウラは促されるまま、ずびびびぃー、と派手な音を立てて一息つくと、やっと落ち着いたのだった。
「それで、どうしたってのよ。」
アウラを宥めすかして劇場の観客席に座らせた後、シャルティアが改まって聞くとアウラは罪人が神の前で懺悔するかのように話し出した。
「作戦が計画通りいかなかった。アインズ様はきっと失望していらっしゃる。それに、これが原因でアインズ様が僕に愛想を尽かされたらみんなにも何てお詫びすればいいか。」
アウラの吐露を神妙な顔つきでうんうんと話を聞いていたシャルティアだが、徐に片眉を釣り上げた。
「ん?作戦は大成功だったって聞いたけど。」
「えっ。」
顔を見合わせる2人。
「アルベドも上機嫌だったでありんす。」
「でも、竜の乱入を許したし…、その時<
「聞き間違えじゃないの?アインズ様は竜が来る事も想定済みだったってデミウルゴスが言ってたでありんす。」
「そんな!アインズ様の御言葉を聞き間違えるなんて!」
「焦ってるときの記憶はあまり信用できるものじゃありんせん。悪い想像とごっちゃになってるのでありんしょう。」
「そうかな…。」
しばしの沈黙。アウラの表情は晴れておらず、納得しきれていないようだ。
「過去の心配するより、今後の事を考えるでありんす。」
シャルティアは話題を変えるためにおどけて明るい声を作った。
「作戦の折に特殊な死体を回収したらしいじゃない?」
「この世界にしかない技能を持った人間の事?」
アウラが食いついた事を確認してシャルティアは呵成に喋り出す。
「そうそう。それでね、たれんと?が不死者になっても継承されるかどうかの実験をするから、それについて死体の専門家として意見を聞きたいって言われてたんだけど。」
「へえ。」
「死体活用のアイデアをアウラが出したって事にするようアルベドにお願いしんしょう。次の集会の時に意欲をアピールするの。それにアインズ様に直接話せば誤解もきっと解けるでありんす。」
そこまで言われたアウラは怪訝な表情を向ける。
「何でそんな手柄を手放すようなマネを?」
シャルティアがポイント稼ぎの機会を黙って見過ごした挙句、さらには他人のために
シャルティアは懐疑の視線を躱すようにすくっと立ち上がって、
「まあ、今回一番頑張ったのはあんただし、それぐらいの報酬はあっても良いと思ってね。それに…。」
にやりと口元に笑みを浮かべた。
「他ならぬ妹分を助けるためでありんすからね。」
それを聞いたアウラはきょとんと鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてシャルティアを見上げる。その後、シャルティアと同じような笑みを浮かべて、
「はいはい。ありがと、おねーちゃん。」
「うぇ、今日は素直でありんすね。不気味。」
「何をぅー!せっかく人が感謝してるのに!」
立ち上がったアウラの拳が頭上に振り上げられシャルティアを狙う。しかしそれが落ちることはなく、シャルティアの手が優しく絡め取った。
「そんなに眉間に皺を寄せていたら肩が凝るでありんす。おんしもマッサージを受けなんし。さ、行くでありんす。」
シャルティアは繋いだ手をぐい、と引っ張る。
「ちょっと、そんなに強く引かないでよ。もう、ちゃんとついて行くからさぁ。」
「折角だから第九階層のスパの方に行くでありんす。」
「あ、じゃあさ。マーレのやつも連れて行ってやってもいい?あいつもヘコんで引きこもっちゃったのよね。」
「はいはい。妹も弟もまとめて面倒見てやるでありんすよ。」
すっかり機嫌の直ったアウラはとびきりの笑顔を見せた。
その後、寝ているところを急襲され、布団を剥ぎ取られたマーレの悲鳴が森の一角で聞かれたという。
魔法の言葉「デミウルゴスが言ってた」