こんにちは、さくさくです。
一陽来復御守(いちようらいふくおまもり)をご存知ですか?
東京都新宿区、地下鉄東西線早稲田駅すぐ近くにある穴八幡宮では、毎年冬至から節分の間だけ金銀融通のご利益がある一陽来復御守りをいただくことができます。
私は昨年初めて、冬至の朝にこの御守りをいただきました。
お陰で、素晴らしい一年を過ごさせていただいて、御守のご利益を実感しました。
いい一年を過ごさせていただいたお礼と新しい一陽来復御守をいただくために、今年も冬至の朝に参拝します。
穴八幡宮の御守りのいただき方、家にお祀りする方法、去年の冬至の混雑具材などをご紹介します。
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穴八幡宮とは
穴八幡宮は、東京都新宿区西早稲田にある神社です。
地下鉄東西線の早稲田駅から徒歩3分、山手線高田馬場駅からでも徒歩15分ほどのアクセスです。
穴八幡宮御祭神
穴八幡宮の御祭神は
- 應神天皇(おうじんてんのう)
- 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
- 神功皇后(じんぐうこうごう)
の三柱です。
穴八幡宮の御由緒
赤い鳥居をくぐった表参道にある御由緒。参道の樹木の影で見にくくてスミマセン。寛永時代の穴八幡宮の図も見ることができます。
北参道入口にある御由緒。大きなパネルで早稲田通り沿いに掲示されています。
穴八幡宮の御由緒は、源義家に遡ります。
康平5年(1062)奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)が凱旋の折り、日本武尊命の先蹤(せんしょう)にならってこの地に兜と太刀を納めて氏神八幡宮を勧請(かんじょう)し、永く東北鎮護の社として祀られました。
寛永18年(1641)宮守の庵を造るために南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、この時期から穴八幡宮と唱えられるようになりました。同年この地に居住していた幕府の祐筆大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営しました。この頃神木の松から瑞光を放ち、色々奇瑞のあったことが、三代家光将軍の上聞に達し、穴八幡宮を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられました。
慶安元年(1648)社殿再興の折りに幕府から氏子として牛込郷三十六ヶ町が定められ、翌年の慶安2年(1649)社殿を始め数々の殿舎が竣工し、八千八百余坪の境内地に壮麗な建物が櫛比(しっぴ)して将軍家祈願所としての規模も整い、以後江戸屈指の大社として重んぜられました。その後も幕府により数次にわたって造営・営繕が行われましたが、特に元禄16年(1703)の造営は、江戸権現造り社殿として壮麗を極めました。
安政元年(1854)青山火事のため類焼し、幕府より造営料などが奉納されましたが、幕末の多事と物価高騰のため仮社殿のまま明治維新を迎えました。その後、昭和初年に旧時の盛観に復しましたが、第二次大戦により社殿はことごとく罹災しました。しかし戦後はいち早く仮社殿により再興し、その後崇敬者の御芳志等により平成元年から慶安・元禄の江戸権現造りの設計絵図を基に御本殿御社殿の造営をはじめ、平成10年の随神門竣工をもちまして往時を偲ぶ姿に復し、引き続きその他の再建、また境内地の整備に着手し今日に至っています。
(表参道・北参道に掲示されている穴八幡宮御由緒を一部加筆修正)
蟲封(むしふうじ)諸祈祷
穴八幡宮は蟲封じでも知られています。
小児の夜泣きが激しかったり、寝付きの悪い状態は、古来より蟲がおこる・疳の虫によるものと考えられてきました。
子供に虫気が起こらないよう、神仏に祈願したり祈祷を受けることを蟲封じといいます。
江戸時代、穴八幡宮は将軍家の信仰厚く、将軍の参拝も数十回に及びました。
特に小児の蟲封祈祷は江戸市民の間にも信者が多く有名でした。
維新後は大正天皇ご誕生の折から上皇陛下、今上陛下をはじめ、現在も皇族方の御祈祷も奉修しているそうです。
また、一般の御祈願も数を増して、今日では二代、三代に渡って祈祷される方も多いとのことです。
高田馬場の流鏑馬(やぶさめ)
穴八幡宮表参道鳥居下の流鏑馬射手像
新宿区の無形民俗文化財に指定されています。
享保13年(1728)徳川八代将軍吉宗が世嗣の疱瘡平癒祈願のため、穴八幡宮へ奉納した流鏑馬を起源とし、以降将軍家の厄除けや若君誕生の祝いに高田馬場(現在の西早稲田3丁目付近)で流鏑馬が奉納された。
明治維新以後断絶し、高田馬場も廃されたが、昭和9年に皇太子殿下御誕生奉祝のため、穴八幡宮境内にて再興された。戦前、数回行われたが、戦争のため中断された。
昭和39年、古式流鏑馬を保存するため、現在地に移転した水稲荷神社境内にて復活。昭和54年からは都立戸山公園内に会場を移し、毎年体育の日に行われている。
古式豊かで勇壮な高田馬場の流鏑馬は穴八幡宮の神事として現代に伝えられる貴重な伝統行事である。
早稲田通り沿いの北参道入口には、穴八幡宮所蔵の流鏑馬絵巻を拡大したパネルが掲示されています。
穴八幡宮の加富良矢守は、上記の昭和9年に開催された流鏑馬に際し、鏑矢を宮中に奉献したことに因み、同年より社頭で頒布されるようになったものだそうです。
一陽来復御守とは
一陽来復御守とは、穴八幡宮に伝えられる福神(打出小槌)に起因するもので、金銀融通の御守とも言われます。
江戸時代元禄年間から続く、長い伝統のある特別の御守です。
古来の吉例により、冬至から節分までの毎日、穴八幡宮社殿で頒布されています。
一陽来復御守のいただき方
一陽来復御守は金銀融通の御守、つまり金運アップのご利益をいただけるということで、穴八幡宮には多くの人が訪れます。
時期によって一陽来復御守をいただける時間も変わりますし、冬至には特に多くの人で大変な混雑となります。
一陽来復御守をいただくための日時や場所をまとめました。
一陽来復御守をいただける日時
一陽来復御守が頒布されるのは、冬至から節分までの限られた期間です。
2019年冬は、冬至12月22日〜来年節分2月3日までになります。
また、冬至と年内、年明けで一陽来復御守の頒布時間が変わります。
ご注意ください。
- 冬至(12月22日)5:00~21:00
- 冬至の翌日から年内(12月23日~12月31日)8:00~19:00
- 年明けから節分(1月1日~2月3日)9:00~17:00
一陽来復御守をいただくのに並ぶ場所
冬至の穴八幡宮は、一陽来復御守を求める人でかなり混雑します。
午後になると多少人出は落ち着くようですが、午前中は穴八幡宮の鳥居から諏訪通り沿いに長い列が続きます(緑の線)。
昨年、私が朝7時頃到着した時には上図の最後尾のあたりから鳥居まで、450mほどの列ができていました。
列に並んでいると、途中にセブンイレブンがあるのでコーヒーや軽食など購入することができてありがたかったです。
列が進んで鳥居まで来ると、
- 表参道
- 北参道
の二手に分かれます。
上の順路図では、表参道の方が近くていいように感じますが、境内で更に並ぶので実質的な待ち時間はどちらも同程度だと思います。
穴八幡宮の境内
穴八幡宮の境内はこのようになっています。
それぞれ写真でご紹介します。
①穴八幡宮正面の赤い鳥居
表参道への入口です。
②表参道
鳥居をくぐって石段を上った先では、露天が準備中でした(12月20日撮影)。
冬至直前だというのに、まだ紅葉が残っていました。
赤い灯籠との対比が見事です。
③光寮門
表参道石段を上りきると光寮門があります。
④布袋尊像と手水舎
光寮門を入ると立ち並ぶ露天の隙間から、布袋尊像と手水舎へ行くことができます。
写真は手水舎です。
布袋尊像は写真を撮り忘れてしまいました。
⑤鼓楼
穴八幡宮境内で目を引く立派な建物です。
⑥表参道側の並ぶところ
光寮門向かって左側が、一陽来復御守をいただくのに並ぶスペースです。
ロープで区切られたこのスペースが冬至には大勢の人で埋まります。
⑦札所
この札所の中で、一陽来復御守をいただくことができます。
⑧穴八幡宮本殿
穴八幡宮の御本殿です。
本来は、参拝してから一陽来復御守をいただくのが正式です。
しかし大勢の人で混雑していては難しいので、御守をいただいてから参拝する人が多いです。
⑨北参道入口
鳥居から早稲田通りを進んだ先に、北参道入口があります。
⑩北参道側の光松閣札所と並ぶところ(建物内)
光松閣札所に入って「やっと一陽来復御守をいただける」と思ったら、札所の中でもぎっしりと並ぶスペースがあります。
一陽来復御守の種類
穴八幡宮でいただくことのできる一陽来復御守には3種類あります。
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一陽来復御守
冬至に穴八幡宮に来る人は皆これが目当てです。
その年の恵方の壁にお祭りして金銀融通に凄いパワーを発揮してくれる御守、800円。
一陽来復懐中御守
財布などに入れて、常に持ち歩くための小さい御守、300円。
一陽来復財布
一陽来復の文字が入った黄色い袋です。
通帳や宝くじを入れておくとよいそう、800円。
一陽来復御守の祭り方(貼り方)
一陽来復御守は、いただくだけでは効力を発揮してくれません。
御守のご利益を受けるために、御祭りの方法(貼り方)が定められています。
御守と一緒にいただく紙に、詳しく説明されています。
せっかく並んで授かった、大切な御守です。
間違いのないよう、よく読んでください。
ここでは、絶対に外せないポイントをご説明します。
一陽来復御守を祭る日時
一陽来復御守を御祭りする日時は、厳格に決まっています。
- 冬至
- 大晦日
- 節分
いずれかの日の、夜中の12時(午前0時)です。
一陽来復御守を祭る場所
一陽来復御守は、御守を貼る部屋の中心から方角を決めます。
御守と一緒にいただく紙に、来年の恵方が示されています。
その恵方の方向に向けて、部屋の中心から反対側の壁に御祭りします。
↑これは昨年、2018年冬至の一陽来復御守を御祭りする説明書きです。
このように来年の恵方や、御守を貼る側の壁の向き等が図示されています。
一陽来復御守の貼り直しはなし
一旦御祭りした一陽来復御守は、一年間動かすことができません。
御祭りする方向を間違えた場合も貼り直すことはできませんので、時間に余裕を持って、貼る前にスマホのコンパス等でしっかり確認してください。
また、御祭りした一陽来復御守が壁から落ちてしまった場合も、もう一度御祭りすることはできません。
万が一にも壁から落ちることのないよう、のり・両面テープ等の粘着力はしっかりしたものを選んだ方がよさそうです。
もしも壁から落ちてしまった一陽来復御守は、神棚に納めるか、神社にお返ししてください。
一陽来復御守を祭るのに台紙を使う?使わない?
ネットを見ると
- 一陽来復御守を台紙に貼ってから12時ジャストに壁にお祭りするのがいい。
- 一陽来復御守は壁に直接貼るべきもの。台紙を使ってしまった場合は壁から取り外して穴八幡宮にお返しする。
と諸説あります。
本当のところはどうなのか、穴八幡宮に電話をかけて確認しました。
穴八幡宮の方が最初におっしゃったのは「インターネットの情報は、神社の公式ホームページではないので信用しない」ということでした。
言われてみれば当然ですが、ハッとさせられました。
このブログも、その点では「神社のHPではない信用できない」部類ですが、2019年12月上旬に私が直接穴八幡宮からお聞きした時点では
- 壁に直接貼る。
これが一番望ましいとのことでした。 - やむを得ない場合は、台紙を使って壁に貼ってもよいそうです。
賃貸住宅など、壁を傷めては困る場合もありますね。
ただ、台紙を使ってお祭りするのは「神様を御祭りするより壁が汚れない方が大切ということですね」とも神社の方はおっしゃいました。
なるほど、そう考えれば、壁に直接御祭りするのが一番いいと思えます。 - やむを得ず台紙を使って御祭りする場合は、自分で用意した白い紙でいいそうです。
穴八幡宮の露天ではキラキラした一陽来復御守用の台紙を売っています。
そういう露天で買ったものではなく、台紙を使うなら自分で用意した紙が望ましいとのことでした。
引越ししたら一陽来復御守は?
前述のように、一旦御祭りした一陽来復御守は一年間動かすことができません。
引越し等やむを得ない場合は、一陽来復御守を取り外して神棚に納めるか、神社にお返すするのがいいそうです。
2018年冬至の穴八幡宮混雑度
穴八幡宮の一陽来復御守は、かなり前から知っていたのですが、期間が限られているのでいただく機会がありませんでした。
昨年(2018年)初めて一陽来復御守をいただきに、冬至の朝に穴八幡宮へ行きました。
ネットの情報では「徹夜組もいる」とのことで、かなり混雑することが予想できました。
「朝5時から一陽来復御守をいただくことができて、7時頃には一段落する」と書いているブログがあったので、それを信じて7時目指して行きました。
しかし、さすが冬至。
想像を超える、もの凄い人でした。
最後尾に並んでグーグルマップで確認すると、鳥居まで450mほどありました。
並んでいると、列の前後いろんなところで
「どこから来たの?」
「何回目?」
と様々な会話が交わされています。
私の後ろに並んでいたご年配の女性お二人は「30年くらい毎年来ている」と言ってました。
前に並んでいたご夫婦も歴30年と言ってました。
歴戦の強者が多そうです。
驚いたのは、5人ほど前に並んでいた男性が「神戸から来た」と言っていたことです。
「数年前にお客さんから一陽来復御守をもらった」
「お祭りしたら、その年が割とよかった」
「以来、毎年一陽来復御守をいただきに来ている」
という会話が聞こえました。
この日も前日新幹線で来て、新宿のホテルに泊まって朝一番で来たそうです。
私たちは7時過ぎに並んで1時間半ほどで一陽来復御守をいただくことができました。
参拝して鳥居の前に出てきたら、並び始めからちょうど2時間ほどでした。
まとめ
穴八幡宮で頒布されている一陽来復御守について、いただき方・御祭りの仕方等を一通りご紹介しました。
御守というのは、本来は、自分で寺社に出かけて授かるものだと思います。
しかし冬至から節分の限られた期間に、一陽来復御守を自分で授かるのは難しいこともあるかもしれません。
並んでいる間、先に御守を受けている人を見ると、何個も授かっている人が多かったです。
私も、実家の家族の分や、親しい友人の分を一緒に授かって、郵送で渡しました。
後日「一陽来復御守のお陰で、いい事があった。ありがとう。」と喜んでもらえたので、家族や友人の分まで授かってもご利益があるように思います。
また、毎年冬至の朝に来ている人のリピーター率にも驚きました。
「どこから来たの?」
「何回目?」
と会話を交わしている様子は、行列して、御守を求める他の方々との交流自体も毎年の楽しみのように思えました。
江戸時代元禄の頃から、人々にとって冬至に穴八幡宮に参拝すること自体が大きなイベントであり楽しみだったように思えます。
私も、乳がんという病気はしたものの、それを些細なことだと思えるくらいよい一年でした。
一陽来復御守のご利益に感謝しています。
なお一陽来復御守の頒布期間中(冬至~翌年節分)は、穴八幡宮の一陽来復御朱印はお休みです。
御朱印をいただきたい方は、節分の翌日(2月3日)以降になりますので、ご注意ください。
以上、本日は
一陽来復御守まとめ~いただける日時は?祭り方は?穴八幡宮で冬至から節分の間だけ頒布されて金銀融通ご利益が凄い
という話題でした。
お読みいただき、ありがとうございます。
いっぱい儲かったの?
まあね