鈴木園子(京園) ×探偵安室透 ×香水ネタ 〜降風とミステリーを添えて〜 いやまぁぶっちゃけミステリーは添えなくて良かったと思うんだよね。← ※(降風の小説で言うことじゃないんですが)京園がクソ大好きすぎて書きました。 ※紺青の拳のネタバレなどは一切入ってません。が、紺青の拳の京園を台無しにした感は否めないよね。 ※園子ちゃんは良い女だけど、また絶対京極さんシックには絶対なると思う。という気持ちを込めた。そんな所が可愛いんだよ! ※真さんマスコットを見て思いついて書きました。 ※あと超どうでもいいんだけどお嬢様と探偵って組み合わせ超好きなんやが!?でもそれって『謎解きはディナーの後げふんげふんげふんげふぅぅぅん!!!! ※あと前作でリンクしてるって言っちゃったんですけど良く考えたらかなり時間軸狂ってるので、前作と今作は何の繋がりもない事になりました。(ちゃんと時系列考えようぜ…!) やっぱりさあ、何をどう考えてもおんなじ香りっておかしいよ。ちょっと勘の働く女の子だったら、奴らちょっとおかしくね?って直ぐ思うし、そもそも香りならまだしもおんなじ石鹸の匂いってラ●ホ帰りかな?って私の場合は突っ込んでるところですねハイ本当にすみませんでしたぁ! ※レジオンドヌール賞は実在しますが勲章はバッジです ※以前仕事でフランス人調香師と一緒にお仕事したんですが、まー、ポエマーかよっていうぐらい言葉が溢れ出てくるよね。イトウビックリ ※経済云々の話はど素人なのでサラ〜〜〜〜〜って読み流してください…! いつも通り降→風ですがオッケーな方だけどうぞ…………!!!
「ええっ、安室さん好きな人居るの!?」
「(まさかまたこの国とか言うんじゃねーだろーな…)」
喫茶ポアロのカウンターで、日本を代表する鈴木財閥のご令嬢であるところの鈴木園子は驚愕にひとまわり大きな声を上げた。
ギターの一件で助けてもらってからというもの、園子の安室への好感度は鰻登りである。度々蘭とコナンと共に遊びに来ては、安室の淹れる香ばしくすっきりとした苦みと透き通ったキレのある味わいの珈琲を楽しみに来るのだった。
それは金の光が街角に溢れる、秋の頃である。残暑の名残がいまだ残るものの、風の匂いや湿り気の少なくなった空気に人々が顔を顰めることなく太陽と対面できる季節だった。夏は暑さに気を取られていた反面、秋は食欲や読書や運動に集中できるようになる、というのが通説だが、茶色い栗の中の鮮やかな黄色でも、かぼちゃの緑と黄色のほくほくした感じでも、面白いミステリーも楽しいスポーツも美味しい珈琲でさえも、紛らわせない感情がある。
寂しい、という心だ。
イケメンを見つけると見境ない(ように見える)鈴木園子の大本命である彼氏・京極真は18歳という身空で武者修行と称して海外のありとあらゆるところを放浪している。
東に強い檀山流柔術師範が居ると聞けば、行ってそれを倒し、西に強いパンクラチオンの選手が居ると聞けば、言ってそれを倒した。武闘派宮沢賢治かお前は。
園子も一度会えない寂しさに耐えかね「海外の真さんの試合が見たい!」と電話口でごねた事があったが、返ってきた言葉が『そうは言っても園子さん、次は来週にカンボジアでクバチ・クン・ダンボン・ベンの試合があって…』と言われた日には思わず押し黙った。何その舌噛みそうな格闘技。行くのは全然良いが試合を見たところでどう応援したらいいのか分からない。どうしたら勝敗が決するのかも謎な試合で、しかもインターネットにさえその格闘技の細かい試合内容が分からないので諦めた。
一時期は園子も真にとって自分は恋人という立ち位置なのではなく、偶の日本で寂しさを紛らわしてくれる存在に過ぎないんだ、といじけてみた事もあったが、様々なことがあって―――ロッジでのチョコ事件とか、イヴイヴ事件で連勝記録をストップさせてまで来てくれたこととかその他諸々のことがあって―――流石に今では、大事にされていると分かっている。
分かっているが、会いたい時に会えないのは結構辛いものだ。京極に限って浮気など無いと園子は断言できるが、自分が寂しい夜に京極がどこかの試合で女性ファンからキャーキャー言われているに違いないと思うと腹の奥がムカムカしたし、枕を涙で濡らしたりもした。
「会いたい」と一言いえば、京極は駆けつけてくれる。分かっている。でも、彼の好きなことを止めさせてまで我儘言う資格はない。今や彼は、『世界の京極真』なのだ。それに、「会いたい」と言っても中々会うことのできないらしい幼馴染同士の事を見ていると、京極と会えないと嘆くのはなんだか気が引けて、結局園子はいつも「真さんが居なくてもキッド様が居るし!イケメンも居るし!大丈夫!!」と空元気ではしゃぐのだった。
ということで、やはり案の定園子の身に訪れた定期的な寂しさを紛らわす為選ばれたのが、今回の喫茶ポアロの看板イケメン、安室透だったのだが。
安室が目敏く園子のキーホルダーを見つけて言ったのだ。「可愛いマスコットですね。人の形をしていますが…もしかして彼氏さんですか?」
その言葉に、園子の笑顔が一瞬、固まった。考えないようしていただけに、安室の言葉にどう反応したら良いのか分からなくなってしまったのだ。だが園子はいつも通りの笑顔を作ると、努めて明るい声を出した。
「そーお。彼氏なんて言ってもいいのか分からないくらい、全然会えてないけど…。会えないからってこんなの作っちゃうなんて、やっぱ重い?アハハハハハ…」
だが自嘲するような園子の言葉に「(またンな事言って、あの人飛んでくるぞ…)」とコナンは『最強の霊長類』とまで評される男の姿を思い浮かべながら、子供らしからぬ顔で頬杖をついた。園子がどこまで自覚しているかは分からないが、京極はかなり嫉妬深い。園子は豪快な性格故に男を遠ざけるだけであって、見た目は美しい部類に入るのだ。そんな園子が「寂しいから誰かと遊んじゃおう(変な意味ではない)」などと言おうものなら、地の果てからでも飛んでくるに違いなかった。
曰く、「園子さんの周りには危険な連中が多いんですよ!自覚して頂きたい!」である。
コナンはついぞ言ったことなどないが、
ご自分の顔鏡で見たことあります?
とは何時でも言ってしまいたかった。
園子に害が無いだけで、危険度レベルで言ったら飛び抜けてやばいのは間違いなく京極だ。
まあ園子の場合、「私を含め男は危険なんですよ!園子さん!」などと真が言っても、「うん。うんうん。うん。危険な真さん見たい…」などとうっとり頬を赤らめて言うだろう事など周知の事実である。
閑話休題。
安室は園子の言葉に少し目を瞠ると、そうなんですか、と呟き、続いてそのマスコットが『誰』を象っているのか察して納得したようだった。
そしてそれに続いたのが、ポアロという場所においてはある意味で爆弾発言だったのだ。
「僕も片思い中の相手が居るんですけど、会えないと寂しくなりますよね。分かります」
園子はその言葉に驚き口に手をあてた。
心なしかポアロの他の客もざわつく。
「ええっ、安室さん好きな人居るの!?」
そこで、上記の言葉に戻るわけだった。
コナンが安室に彼女の有無を問うたのはまだ記憶に新しい。散々コナンを愛の力だなんだと揶揄ってきたので、勿論素直に答えてくれる訳ないだろうと思いつつも尋ねてみたのだ。
案の定、「僕の恋人はこの国さ」などと、素直に答えてはくれなかったけれども。
だから今回の『好きな人』というのも、コナンにとっては眉唾の話だった。ただ単に園子の話に合わせただけかも知れないし、コナンのいる手前、『この国』の事を好きな人などと形容しているのかもしれない。
そうだとしたら実体の無いモノに対して、「会えない」という表現はしっくりくる。
どこまで本気で言っているんだか、と半目かつ横目でチラリと安室を睨んだが、そんなコナンの視線に気付くと安室はパチリと片目をつぶり、その気障な顔を崩すことがなかった。
「そうなんだ…。その人のマスコット、作ってあげようか?」
園子の申し出に、コナンは内心吹き出す。
安室は苦笑して言った。
「ハハ、こんな成人男性がマスコットなんて待ってたら笑われますよ」
「(まあそりゃあ、国旗ぶら下げて走ってたら怪しいよな)」
安室の苦笑いが映ったように内心でコナンも苦笑して、子供らしくジュースを啜る。
気持ちとは裏腹な甘味が喉に貼り付いた。何故子供用甘味料はこうも甘いのだろう?
だが次に園子が答えた返事に、コナンは思わずその飲みかけたジュースを吹き出しそうになり噎せるのだった。
「ん〜〜〜そっか〜〜〜…。あ、じゃあマスコットがダメならその人の香水を作っちゃうってのはどう?」
どんなマリーアントワネットなんだそれは。
一緒に来ていた毛利蘭も「何言ってんのよ園子!」と驚いている。
だが園子が意に介した様子はない。
安室の驚いた反応も、蘭やコナン程ではなかった。
「香水?」
「そう!私も真さんイメージのもの作ってもらっちゃったんです〜…。自分には勿体ない、って、つけてもらえてないけど…」
そこが真さんらしくて良い!好き!と頬に手をあててはしゃぐ園子に、コナンは内心で「(ってゆーかソレ、絶対自分だけのオリジナル香水だって知らねーだろ)」と突っ込んだ。この猪突猛進な令嬢はとんでもないことを平気でやらかす。
だからこそ真も側に居る時は目が離せないのだろうと分かっているけれども。
「でも、香水なんてどうやって作れば…」
園子の提案に対して何やら思案顔の安室に、コナンはまたも内心で菊と桜の花でも飾っとけ、という暴言を吐いたが、何ということか鈴木園子令嬢は声高らかに更にそれ以上の暴言を吐いた。
「簡単よぉ!香料の原料となる土地を買ってフランスの『nez(ネ)』と呼ばれてる調香師雇ってイタリアでデザイン賞総なめしてるデザイナーにパッケージデザイン頼めばいいんだから!」
「(全然簡単じゃねえ!!!!)」コナンは今度こそ、口からジュースを吹き出した。
「成程!ミントと鈴蘭と、あとジャスミンの香りって入れられます?」
「(頼むのかよ!?!?)」
―――マズイ、誰かツッコミが来い。
コナンは自分の背をさすってくれながら、盛り上がる二人を見てオロオロする蘭を見て、この場に居たら「ごっつうヤバイでこの姉ちゃん!一人石油王や!財界の世紀末覇王や〜!!」「あんたソレ彦●呂のパクリやん!」と確実に突っ込んでくれたであろう騒がしい二人を今こそ切望した。
+ + +
ムッシュー・ピエール・ラブレーは困惑していた。
世界でも屈指の財閥、鈴木財閥の御令嬢ソノコ・スズキから至急の調香依頼をメールで貰ったのが四日前の事だ。若干17歳のまだ何の権力も持たない子供とは言え、彼女の怒りを買いでもして鈴木財閥という太いパイプを断ち切るわけには行かない。
そう思い急遽予定を調整してソノコの用意してくれた軍用機で極東の地へと降り立ったのだが、およそ富豪の通うような所ではない少し寂れた喫茶店で、肝心のソノコから紹介されたのはティーンかと見まごうような若い青年だった。
園子の話を聞く限りでは彼ーーートオル・アムロは彼女の恩人であり、今回の調香依頼はソノコからトオルへの恩返しであると言われた。その際にソノコが言った「調香に関してはフランス一、いえ世界一の比類なき腕を持つピエールさんに頼むのが良いと思って!」という褒め言葉は純粋に嬉しいものだった。恩人に精一杯のお返しをしたいという彼女らしい一生懸命さと直向きさはいつでも周りのものを優しくさせる。ピエールは、損得勘定抜きでという意味ならばソノコ・スズキは一番懇意にしたい顧客と言っても良かった。
しかしビジネスはそうは行かない。
ピエール・ラブレー氏は、その本人の名前でブランドが作れるほど有名で、貴賎、老若問わず世界中にファンの居るカリスマなのだ。彼の作品を待つ上顧客は沢山居て、オーダーした香りが届くのを今か今かと一日千秋の思いで待っている。
つまり、ソノコ・スズキの為ならピエールは幾らでも融通をきかせられるが、どこの馬の骨とも知らない一人の東洋人の為などには、急ぎの注文など受けるわけにはいかないのだった。
別にこれは彼が業突く張りだとか、[[rb:自国至上主義 > エスノセントリズム]]だとか言うわけではない。寧ろソノコの為の配慮とでも言うべきだった。
ピエールはソノコの為に、数多くの上流階級の注文を止めて足を運んできたのだ。それを、『ソノコ・スズキ』という人物がオーダーをいれるならまだしも、一介のコモンズのオーダーを優先させたとあっては職人の沽券に関わる。事情を知らない人間が聞いたらソノコがピエールを金満成金よろしく拉致して横紙破りに自分の注文を押し通したと勘繰られかねない。
かといって、ピエールがこのティーン(どうやら本当の年齢はもう30近いらしいのだが)の為に骨を折るような特殊な事情を持ち合わせているはずもない。
さてどのようにして断ろうかと考えていると、トオルと紹介された男がピエールに手を差し出した。
「Bonjour, Monsieur Rabelais, Je suis enchanté de faire votre connaissance.(こんにちは、ラブレーさん。お会いできて光栄です)」
突然の流暢なフランス語にラブレーも少し驚いたが、それ以上に園子と蘭が驚愕していた。
「すっごーーい!安室さん!フランス語喋れるんだ!!」
「簡単な挨拶だけですよ…前に必要に迫られてフランス語を勉強したぐらいで…」
「全然十分ですよ!うちのお父さんにも見習ってほしいくらい」蘭がそう言うと、園子が続けた。
「いやいっそ小五郎のおじさまの事務所、もう安室さんがもらっちゃえばいいのに…。イケメン名探偵安室透がすべての謎を解き明かす!とか、ね、安室さんどうどう?」
――――タンテイ…[[rb:探偵 > ディティクティーヴ]]。
ピエールもそれほどではないが日本顧客とやり取りすることが多々あるため一応ある程度の日本語は分かる。
ヒアリングに間違いがなければ、トオル・アムロは探偵を生業にしているらしい。
ピエールの脳裏に、ある名案が浮かんだ。
「ハジメマシテ、ワタシハ、ピエールデス。ヨロシク、オネガイシマス」
トオルの作法に倣って、ピエールも日本語で挨拶を返す。握った手の逞しさだけは、確かに彼がティーンではないことを伝えていた。
「―――早速なんですが、アムロさん。」ピエールはそこからは英語で話し始めた。大体ワールドワイドな接客をするときは、勿論本当はフランス語が通じることが好ましいが、基本ピエールは英語で話すようにしている。
幸いにもトオルは英語は流暢だった。
「トオルでいいですよ、ムッシュー。遠い極東の地までようこそ」
案の定園子と蘭は目を点にして二人の話を聞いていたが、此方の二人に対しては安室は傍にいるコナンに解説を一任することにした。何故彼が英語を訳せるのかと二人から問い詰められるだろうが、彼ならうまくごまかすだろうと安室は分かっている。
「お気遣いどうも…さて、本題なんですが、あなたが私の今回の依頼者ということでお間違いないですか?」
「ええ。ラブレー氏のお名前はこの日本でもよく知られています。僕が最も最善のものを造りたいと言ったら、園子さんが貴方を紹介してくれました。ただ、世界でも人気の貴方をこんなに早くお招きするとは思いもよりませんでしたけどね」
苦笑するトオルにピエールは内心で唸った。よもや日本人にここまでの紳士が居ようとは。
挨拶のマナーも完璧で、見ると私服のシャツの袖のプリーツはかなりきちんとしている。見たところ新品ではないだろうから自分でアイロンをあてたのだろうが、だとすればこの袖口は彼の誠実な人柄をしっかりと表しているといってもよかった。
日本人はとかくあまり服装に頓着しないが、欧州人は長い歴史において隣国との腹の探り合いを服装で行ってきたこともあり、装いにはとりわけ敏感だ。服装や身のこなし、礼儀作法に隙がない以上は、ピエールはトオルを紳士と認めざるを得なかったし、探偵などと言う自由業の人間ながらに話の分かる人間だと感嘆せざるを得なかった。
「ええ。トオルさん、実は私は今回の依頼は園子嬢のものだと思って、ありとあらゆる依頼を蹴って日本にやってきました。」ピエールはあえて厳しい目線で安室を睨むように見る。「その蹴ってきた依頼の中には名前を言うこともできないようなやんごとないご身分の方もいらっしゃる。単刀直入に言いましょう。その全ての依頼をはねのけて貴方の依頼を受けることはできません。」
トオルの顔が固まる。だがある程度は予想していたようで、微苦笑を滲ませた。
「成程、お断りの文句ですか。いえ確かにご無理を言いました。申し訳ありません」
だがピエールはすかさずそれを否定した。
「いえ、単なる断り文句ではないのです」
「…もしかして、苦情でしょうか?」トオルは片眉をあげて返す。
「いえ、いえ、そういう意味ではありません。ここで貴方の依頼を断るのは簡単です。でもソノコ嬢が黙っていないでしょう。私も上顧客を怒らせたくはない。」ピエールはチラリとソノコを見た。早すぎる英語にソノコはついていけていないが、自分の名前が言われているのは分かるようで、自分の事を人差指で指して首をかしげている。ピエールはソノコに笑いかけると続けた。
「―――あなたは探偵なんですね?」
「…ええ、まあ…見習いではありますが」トオルは歯切れ悪く答えた。
「貴方に一つ謎を解いていただきたい。その謎を解いてくださったら、私は私の恩人に香水を作ることができる。」
ピエールと安室の間に漂う不穏な空気を察したのか、園子と蘭はコナンに詰め寄った。
「ちょっとちょっと、ピエールさん何て言ってるのよガキンチョ!」
事前に「昔おとーさんとおかーさんと少し海外に居たからちょっとなら英語分かるよ」と言っていたコナンだが、それを素直に信じた園子たち二人に大丈夫かコイツラ…と内心で突っ込んだのは余談である。
コナンはえーと、と前置きしてから言った。
「ピエールさんは、他にいっぱいお金持ちの人の注文を受けてるから、安室さんの注文を先にする訳にいかないって」
「そっかあ…人気なんだね、ピエールさんって」コナンの言葉に素直に頷く蘭とは別に、
「ええええ!?何で!?私の紹介でもダメだって!?」と騒ぐ園子。
いやだから、『安室さん』という人の注文を受けるのが問題あるって言ってんだろ……とコナンはジト目で園子を見たが、続けた。
「だけど、何か困ってる事があるみたい。その謎を解いてくれたら、恩人として注文を受けれるんだって」
―――謎、と聞いたら放っておけないのが探偵の性分だ。
だから、コナンは貴族さえ頭を下げて調香を依頼する名調香師の、その仕事の報酬に叶うほどの『謎』がどんなものか当然気になった。
たが、安室透という男は本来は探偵ではない。『警察』なのだ。謎に食いつく理由は彼には無い。まして、この本気かどうかも分からない調香依頼に対して、どれだけ安室が真剣なのかもコナンには推測できなかった。
しかし逆にもしこの話を引き受けるとすれば、安室は本気で香水の調香を要求している事になる。もしそうだとすればその理由や背景なども、コナンの挑みたい『謎』であることに間違いはなかった。
安室は、逡巡するように一度目を伏せたが、好戦的な眼差しでピエールを見据えた。
「ピエールさん。正直なところ、僕も香水後進国の一般日本人らしく香水に関して充分な知識があるわけではありません。数千種類の香りを嗅ぎ分ける調香師の中でも特に優れた才能を持つ[[rb:鼻 > ル・ネ]]【Le nez】という称号をお持ちの貴方の事も、調べてやっと分かった程です。だから、多くの調香師の中で貴方に調香して貰わなければならないという特別贅沢な注文がある訳ではない。…そういうのは、貴方にとっては無礼にあたるのでしょう」
その安室の言葉に何か言いたげなピエールを掌で遮って、でも、と続けた。
「僕は、最上で最善のものを作るためには手段は選びません。―――その謎、是非お伺いできますか?」
シュバリエ・オーギュスト・デュパンのように行くかどうかは、分かりませんけどね。
安室は世界史上尤も最古のフランス名探偵を引き合いに出すと、是見よがしに芝居染みた不敵な笑みを浮かべた。
+ + +
さて、ラブレー氏の話は以下の通りだった。
「今から大体二週間前の事だ。自分の立ち上げたブランドが創立40年になるので、パーティーを行う事になり、その一切は私の友人でもありブランドのマーケティング担当でもあるジャン・ニシャニアンが指揮してくれていた。
「パーティーといってもこじんまりしたもので…というのも、敏感過ぎる鼻を持つが故の苦労というか…私の鼻はワイングラスの中に常人には分からないほどの僅かな洗剤の香りがするのにも耐えられない程繊細なのだよ。然るが故に、大きくてボーイも沢山居てそれが故に食器洗いの統率も取れぬような所をパーティー会場には選べないのだ。何十人と呼べるほど豪奢な家宅ではないが、妻とジャンと老いた母と、数人の事情の分かるボーイとでホームパーティーにしては大きい規模のパーティーを切り盛りすることになった。
「パーティー自体はこれといった事もなくすんなり進んだ。妻は私の鼻の事を熟知しているし、パーティーに参加する面々も料理の匂いを遮るほど強い香りを付けてくるような[[rb:骨骨 > こちごち]]しい無作法者も居ない。細やかだが親しい間柄だけで集まって、パーティーは賑やかなままお開きとなった。
「―――だが、パーティーを閉会する少し前、私とジャン、そして弟子のティエリーの間で少し―――いや本当に些細な事なんだがーーー諍いがあったんだ。要は会社の今後の方向性、という話さ。丁度良いタイミングで同業仲間のエドモンド―――エドモンド・ヴァッサーが来ていた事もあって、四人で揉めた。口喧嘩に発展しそうな程にな。つまり、ジャンもティエリーも、そろそろ引退を目処に後継者の事を考えろと言うんだ。純粋に体調を心配してくれているのだと分かっては居るが、会社のマーケティング担当と愛弟子に言われると―――その―――」
「早く引退を急かされているように感じる?」安室が代弁した。
ラブレー氏は安室の言葉に反射的に「いや、」と返したが、その後短い溜息をつくと、小さく頷いた。
「……まあ、そうだな。器が小さいと、笑ってくれても良いがね。」
安室はラブレー氏の前に淹れた珈琲を差し出すと、「そんな風には誰も思わないでしょう」と笑顔で返した。
話を聞くために安室はカウンターに全員座らせ、自身はいつものようにカウンターの中からサーブする方へ回っている。そうする方が話に集中できるのだとは安室の言である。
園子も蘭も、置かれた珈琲の芳しい香りに思わず嘆称の声をあげる。
「凄く良い香り!何時もの安室さんの珈琲も良い香りだし美味しいけど、なんか…」
「うん、分かる分かる!ちょっと雰囲気違う感じがする……もしかして、何時もとはちょっと豆が違うんですか?」
蘭の問いに安室が答えるよりも先に、ラブレー氏が口を開いた。
「青リンゴのようなアンズ系の甘さ…加えてこのカラメルのような甘苦さを含む香りは…ケニア産の珈琲豆だろう」
安室は驚きに眼を瞠る。
「その通りです。流石ですね、香りを嗅いだだけで産地まで分かってしまうとは」
だがラブレー氏の顔は安室の言葉に苦しい微笑みを象っていた。
「昔はもっと、香りから色んな事が分かっていたんだ。今は香りを嗅いでも老眼鏡なしで新聞を読むようで…。余程意識しないと昔程の仕事は出来なくなってしまった。」
ラブレー氏は安室の淹れた珈琲を飲むと、「美味いよ」と言ったが、その顔には不安と悲しみと幾ばくかの恐れのようなものが綯い交ぜになって現れていた。
「―――思えばこういう私自身の焦燥もあって、喧嘩腰になってしまったのだろうな。パーティーが終わってから、私とその三人と、そして私の妻と母親の六人で打ち上げを行う予定だったんだ。会社の方針の話がどんどん激化し、後継者を作る作らない、会社を続ける続けないなどという諍いが続いた。ジャンとティエリーの二人は専ら、後継者を作るべきだという意見だった。エドモンドはまた別で、会社は早々に畳み、残りの余生をゆっくり過ごせというものだった。私は私で、現役をまだ貫くつもりだし、後継者云々などと言えるほど後進を育てられている気がしない。だから、まだまだ暫くは現場から離れんぞと三者三様の意見だったんだ。
「会議というべきか諍いと言うべきか分からんが、その話し合いは平行線をたどった。会議は踊るされど進まず、だ。しかもどんどん全員語調が荒くなってきたから、空気が不穏になっていることに妻は怯えた顔で私達を見て、『そろそろガレット・デ・ロワでも焼きましょうか』と無理に明るい口調で切り出したんだ」
「――――ガレット・デ・ロワ?」安室は聞き返す。
「あれは1月のお菓子では?」
「何ですか、ガレット・デ・ロワって?」
蘭が安室の言葉に反応して尋ねる。安室はラブレー氏に代わり日本語で説明した。
「ガレット・デ・ロワとは、日本語にすると『王様のお菓子』という意味です。フランスでは一月六日の公現祭の時に食べるお菓子なんですが、日にちにあまり関係なく一月の間はどこでも結構振舞われますね。アーモンドクリームを流し込んで焼く単純なパイなんですが、この中には必ずフェーブという陶器の人形が入ってまして、切り分けてそのフェーブがお菓子の中に入っていた人はその日一日王様として自分の好きな相手を王妃様に選べるんですよ。」
ちなみに公現祭とは、キリスト教のお祭りで、東方の三博士が星に導かれてベツレヘムに生まれたばかりのキリストを訪ねた日を祝うものである。
「ですからこのパイには、必ず紙で出来た王冠がついているんですよ。そしてフェーブが当たった人はその日一日好きな人と親交を深められるので、恋を深める良い口実としてこのパイを食べる会など作られたりするんですよ」
安室がそう言って微笑むと、蘭と園子はキャアとはしゃいだ。ロマンスは女子達の永遠の活力源である。
ラブレー氏は安室の話が終わったとみるや、続きを話し始めた。
「女子達がはしゃいでいるという事は、ガレット・デ・ロワが[[rb:愛 > アムール]]のお菓子であると伝わっているようだな。私が妻に告白する時も、フェーブが当たったら告白しようとしたりして………だが今回のガレット・デ・ロワはそんなロマンチックな物には使われなかった。
「丁度焼く前でフェーブもまだ入れていないと妻が言うので、私は良い事を思い付いたと思って…『丁度王様の菓子がある。此処に私の大事な物を入れよう。そしてその指輪を引き当てた人間こそが会社のこれからを決めるのこととしよう』と言ってしまったんだ。こういう運試しを信じる男でね、私は」
「何を入れたんですか?」安室は簡単な茶請けを差し出しながら問いかけた。
「―――レジオンドヌール勲章コマンドゥール授与の時に頂いた指輪だ。そしてその指輪が、跡形もなく消え去ってしまったのだ。」
安室とコナンは絶句した。
レジオンドヌール勲章は現在フランスの最高勲章である。また、コマンドゥールの称号は勲章を授与される者の中でも一握りにしか与えられない。
その指輪と言えば彼の職人としての名誉がその全てに詰まっていると言っても良かったし、またその指輪そのものがかなり貴重な物であることに間違いは無かった。
安室とコナンの二人とも『先ず身につけてるような物を食べ物に入れるなよ』と衛生面の心配と、『ってか何やってんだこのオッサン』と二重の意味で顔を顰めざるを得なかった。
「公正を期す為に全員の目の前で指輪を入れ、オーブンも全員が見届ける中入れられた。その後は敢えて会社の話題に触れず、最近身の周りで起こった出来事などを話しながら妻のお手製のニョッキを食べていたんだ。その間、誰もキッチンには入っていない。
「タイマーが焼き上がりを告げ、いよいよ運命の時が訪れた。全員が神妙な面持ちでフォークを手に取り、慎重にパイに歯を立てた。―――だが、次第におかしいと誰もが気付き始めた。誰もフェーブを手にしたと名乗りを上げないのだ。エドモンドが『緊張して誰か飲み込んでしまったんじゃないか』と冗談も言ったが、皆黙り込んでしまった。指輪は飲み込めるようなサイズではないし、噛んでいれば直ぐに分かる硬度だ。すっかり皆が食べ終わってしまうと、妻のヴェロニクが『身体検査をしましょう』と真剣な顔で持ちかけた。妻にとっては私の、というだけではなく家にとっての秘宝が無くなってしまったので、余程慌てた様子だった。
「そして、誰の懐からも、フェーブは出てこなかった」
「……ううん」
安室が唸ったので、ラブレー氏は嗤った。
「いや、そうだな、うん。二週間かけて見つからないものが、急に出てくる訳がない。だが私達は虱潰しに色んなところを探し回った。オーブンの中、テーブルの下、家中ありとあらゆる所をだ。だが出てこなかった。本当に飲み込んでしまったんじゃないかと皆で胃をさすったよ!」
ラブレー氏は笑ったが、直ぐに、真顔になった。
「だが一週間前、事態は良くない方向になった。レジオンドヌールの指輪を無くしたことなど勿論他言できないが、指輪そのものに権力という力がある事は勿論、『指輪』そのものが非常に高価である事が判明したのだ。指輪には徽章として中央にケレースが彫られているのだが、その冠として両脇には緑色の琺瑯が施され、右は栢、左は月桂樹の葉からなっていて、両足の部分は交錯して結び目で縛られている。この結び目の部分に埋められているのが、特殊なダイヤという事だった。」
急にここにきて、ダイヤとは。戦雲垂れ込める気配がして、安室もコナンも自然と真剣な面持ちになる。
「私は最初、ジャンとティエリーが結託して、後継者を作らせる為に隠してしまったのかと思ったが、よく考えれば彼らがもし指輪を手にしたのなら、その場で言うはずだ。何も隠さずとも、指輪を手に入れた時点で彼らに会社の方針は譲ったも同然になるからだ。だとすると、今度はエドモンドが怪しくなってきた。人伝てに聞いた話だが、エドモンドは自分の事業が上手くいってないらしく、借金を抱えているらしい。ダイヤはその借金を帳消しにする程の価値はないが、無いよりは勿論マシだろう。ガレット・デ・ロワに指輪が埋められた時にダイヤの輝きに気付いていたとしたら、もしくは、指輪に当たったものの黙っていたかもしれない。そしてほとぼりが冷めた頃に、売ろうとしているのではないだろうか?」
安室は口を挟んだ。
「ですが、身体検査はしたんですよね?」
ラブレー氏はその言葉に肩を竦めた。
「ああ。その時は確かに誰の服からも何も出てこなかった。だがその時は気も動転していたし、私達も何も素っ裸にさせた訳ではないから、本気で隠そうと思えば或いは隠せる場所はあったのかも知れない。洋服の中で隠せそうな所は探したけれどもね」
「身体検査を嫌がる人は居なかったの?」コナンが少年らしい純真さで問う。ラブレー氏は戸惑ったようにコナンを見たが、答えた。
「そりゃ誰も良い気分じゃなかったかもしれないが、一番私の母が『人を疑うなんてみっともない』と嫌がっていたな。まあでも、母の着ていたのはポケットのないワンピースとストール、あとは杖だけだったから隠し場所など無かったんだが…」
「ストールの裏側だったら隠せるのでは?」
安室が尋ねた。
「いや、ストールは一応見たよ。だが勿論無かった。それに、母親が取る動機は無いだろう。家の宝とも言えるべきものだし、こう言ってはなんだが、特殊だろうとなんだろうとダイヤは他にも買ってあげられる程稼いでるつもりだしな」
安室はそれには答えず、顎に手をあてて少し考える素振りをすると、「二、三お聞きしたい事があるのですが、」と口を開いた。
「焼いている間オーブンには誰も近付いて居ないとのお話でしたが、それは貴方方だけの話ですか?例えば、ボーイとかは居たのでは?」
「いや、身内だけの打ち上げだったから、ボーイは返したよ。あの時家に居たのは誓って私達だけだった。」
「ガレット・デ・ロワを作ったのとオーブンに入れたのと、皆様に切り分けたのは誰ですか?」
「作るのも入れたのも妻だが、変な動作があれば皆気付くさ。切り分けたのは母だったな。焼き上がりが少し不恰好になってしまったので、ぶちぶち文句を言いながら焦げた所を自分の所によそっていた」
「成程、では最後に。エドモンドさんの借金の話を聞いてから、エドモンドさんとお話しはされましたか?彼に一応事実確認をしたのでしょうか」
ラブレー氏は緩く首を振って否定した。
「いや、あくまで推測の域を出ないので、今確かな伝手に確認を取っている所だ。確認が取れ次第話に行こうとは思うが―――やはり、エドモンドが犯人だと思うかね?」
「そうですね………」
安室は少し上を見上げた後、爽やかな笑顔でラブレー氏に言い切った。
「全然違うと思います」
これにはラブレー氏も、言葉が分からないながらに雰囲気で察した蘭と園子も驚いて鯉のように口を開けたまま固まった。
「[[rb:驚いた > オウ・ラ・バッシュ]]…」
安室はラブレー氏の言葉に、旧知の知り合いのように親しげな笑みを浮かべた。
「ただ、この話に結論を出す前に」
そして、一人傍観を決め込んでいたコナンの肩を抱いて、
「[[rb:ハーフタイム > ミタン]]をお願いしても良いでしょうか」
と爽やかに告げたのだった。
「どうしたの、安室さん?」
コナンは抱きかかえられながら[[rb:態 > わざ]]とらしい程外見年齢相応の童心そのものの声で問う。
だが安室はそんなコナンの事は等閑視して、真摯な声で言葉を漏らした。
「どうしよう、コナン君」
言葉の割には困った風では無いが、顔つきが真剣そのものなのでコナンは問い返した。
「何が?」
「実行犯もトリックも分かってるけど、動機がちょっと分からないな」
安室の言葉にコナンはその大きな目をパチクリと瞬かせたが、なあんだ、と笑った。
「凄いね安室さん。僕は犯人と何となく動機は分かったけど、トリックはちょっと自信が無いな」
「心無い賛辞をどうもありがとうコナン君。職業柄トリックは直ぐ分かったんだけどね」
「やだなぁ本心だよ。え〜安室さんの職業って、お料理する事じゃないよね〜〜?」
「コ・ナ・ン・君?」
非難を含んだ語気で言われて、コナンはちぇ、と内心舌打ちをした。安室は笑みを崩して居ないがその代わりに降りかかる圧迫感が秒ごとにその重力を増してくる。変な腹の探り合いなどしてる場合では無さそうだ。
「…本人を見た事が無いから何にも言えないけど」前置きして、コナンは続けた。「動機は園子姉ちゃんだよ」
「―――園子さん?」
コナンの口から出てきた言葉に安室はきょとんと鳩のような顔つきをした。突然出てきた名前に心から驚いている様子だ。
だがコナンの意図する所を察したのか、横目で園子の方を見遣って、やがて得心したとばかりに微笑んだ。
「………成程ね………」
そしてコナンの方に向き直ると、今度はいたずらっ子のような目つきで笑った。
「―――なら、推理クイーンのお出ましかな?」
「お待たせしました、ピエールさん」
安室は戻ると、再びカウンターの内側に戻った。
「話は済んだかね?」
「はい。でもその前に一つ、確認させて下さい」
そう言うと安室は笑ったままラブレー氏を見据えた。
「―――貴方は犯人を知って居ますね?」
ラブレー氏の顔に、見るからに困惑の色が広がった。
「…な、ぜ…それを…」
「貴方がエドモンドさんをあたかも犯人であるかのように言ったのは、探偵役へのミスリード…といった所でしょう。或いは、貴方の願望であったかもしれない。ジャンさんもティエリさんも、そしてエドモンドさんも貴方から指輪を奪う動機がある。けれども、その人だけは動機が分からなかった―――だから貴方は、『自分の推理を否定してくれる』誰かを探したんです。本当はその人が犯人であって欲しくなかったから…そう」
「犯人は貴方の奥様―――ヴェロニクさんだったんです」
安室がヴェロニク、という名前を出すと、蘭と園子は驚愕したようだった。ラブレー氏は打ちひしがれている様子に見えるが、それは蘭や園子の驚愕とは違い、悲壮感が漂っている。
「……何故、私が犯人を知っていると?」
ラブレー氏は肺腑の底から捻り出すように声を漏らした。安室は真顔で答える。
「エドモンド氏が有力候補だと貴方が思い込みたかったのは分かって居ますが、もし彼が指輪に付いてるダイヤ目当てにまんまと盗み出したのだと仮定したら、貴方がそのまま彼を放置しておく筈がないからです。牽制でもなんでも先ず貴方は彼に疑いがあると言うべきところを、悠長にも周りを確認してからなどと仰るので、もしくは既に真犯人をご存知なのだろうと思いました。」安室は続ける。「何故奥様が犯人だとお気づきになったのですか?」
ラブレー氏は深い溜息を吐いた。
「身体検査をしよう、と妻が私の袖口を掴みながら言った時に、その指先から焼きたてのパイの匂いがしたんだ。ガレット・デ・ロワを手づかみで食べることは珍しくないが、その時妻はナイフとフォークを使っていた。指先にこびりつく程匂いが付いているのは、フェーブからパイ生地を取り払ったからなのではないかと思ったんだ。」
「指先の匂いで―――ですか。成程、論理立てて推理をした訳ではない事と、証拠がないので貴方は奥様が犯人だと確信が持てなかったのですね」
安室は納得したように頷いたが、ラブレー氏は苦笑する。
「或いは君の言う通り、確信を持ちたくなかったんだ。まさか妻がしたなどと認めたくなかった。彼女まで私のこれまでを否定するなんて……」
続けて、今度はラブレー氏が安室に尋ねた。
「何故、私の話を聞いただけで君はヴェロニクが犯人だと分かったんだ?」
「正確に言うと、奥様と、貴方のお母様です。今回の事はお母様の助けなしには成立しません。」
「何だって?」流石にこの言葉にはラブレー氏も驚いたようだった。
「お母様の言葉でピンと来ました―――ガレット・デ・ロワは非常にシンプルな作りのお菓子です。型にフィユタージュ・ラピッドを敷いて、アーモンドクリームを流し込むだけ。よっぽど不器用な人が作らない限り、不恰好にはなりようが無いんです。聞けば打ち上げのパーティーのお料理は奥様が全部作られている。それ程の腕前の方が、ただ焼くだけのパイを失敗するとは思えません。
「つまり、奥様は指輪を手に入れるため、細工をしたんです。といっても、オーブンの天板を少し斜めにするだけですけどね。オーブンを入れるまで皆が注目していたというから、もしかしたら既に天板は斜めになっていたのかもしれませんが」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」ラブレー氏は安室の言葉に横槍を入れる。「指輪を放り込んだのは当日だ。初めから決まっていたならともかく、何故そうと知る前から天板を斜めにする必要がある?」
安室は笑みを浮かべて言った。「或いは奥様は既にジョンさんやティエリさんに会社のこれからについて相談されていたのかも知れませんね。二人には貴方と話し合うように促して、パーティーの日を待った。当然話し合いは平行線を辿る。そうなったら、貴方がガレット・デ・ロワで決めようと言い出すことを奥様は分かっていた筈です。貴方が、『大事な事は全部運試しで決めてきた』と仰るぐらいなのですから。人生の大事な時をいつも一緒に歩まれてきた奥様だからこそ推測できたのでしょう。」
ラブレー氏の驚きは雷に打たれたが如くだった。安室は続ける。
「オーブンの天板を斜めにすると、硬いフィユタージュ・ラピッドは動きませんが、柔らかいアーモンドクリームの中に入っている指輪は重力に従って動きます。どこに動いたのかは、上から見ると分かるでしょう。アーモンドクリームが偏って、そちらだけが軽く膨らんだようになっている筈ですから。
「だから、お母様が共犯でなければならないのです。パイを切り分けたお母様は、膨らんでいる片側を、恐らくご自分と奥様とで分けられました。最も指輪の入ってる可能性が高い場所だとしても、一人分では外れる事もあります。果たして、指輪は奥様の所にありました。皆が集中して食べている間に、奥様はこっそり指輪を口から出して、隠してから、身体検査の話を持ちかけたんです。」
「しかし―――」ラブレー氏は険しい目で反論した。「勿論ヴェロニクも、身体検査はしたぞ」
「それもまた、お母様の出番でしょう。お母様はワンピースとストールと、杖しかお持ちではなかった。だから皆様あまり気にされなかったかも知れませんが、実は杖は元々権威の象徴で、ご存知かも知れませんがヨーロッパの昔ながらの杖はお酒や嗅ぎタバコなどが入るよう作られている物もあります。恐らく奥様は取り出した指輪を皆様の見ていない内に机の下でお母様に手渡し、身体検査をしようとわざと騒いで皆様の目をお母様から背けるようにしかけた。お母様はその間に指輪を杖の中に入れ、わざと非協力的な態度で奥様の協力者ではない体を装っていたのです。」
「なら何故、彼女はそんな事をしたんだ?」
ラブレー氏は慎重に、安室に聞いた。その顔は、固唾を飲んでいるような真剣な色が現れていた。
「恐らく貴方にはそれが、何よりも知りたいミステリーだったのでしょうね。そしてそれを解き明かしてくれる者を探していた……ですが」
安室は勿体ぶった仕草でラブレー氏を焦らしたが、その一身に集めている視線を逸らすように、ポン、と彼女の肩に手を置いた。
「――――その推理は、我らが推理クイーンにお願いすることにしましょうか」
彼女――――鈴木園子は、コナンの翻訳を夢中に聞いていただけに、ラブレー氏の視線が向けられているのに気付いて、飛び跳ねんばかりに驚いた。
「………え?あ、あああああああたしぃ!?!?」
「ご謙遜を。度々難事件を解決されたと、小耳に挟みましたよ」
「あ、あらそーぉ?そうなの私やればできる女………なんだけど多分今は無理な気がする!安室さん!!」
「いやぁ、大丈夫ですよ僕も見習いなりに頑張ってるんですから」
涙目で安室に嘆願する園子を慰めているようで、笑顔で谷底に突き落としている安室であった。またそれが、全くの善意からではない事をコナンは知っているので、安室の行動は鬼の所業にしか見えない。
(ホント容赦ねーなこの人……)
だがそんなコナンの心中を知ってか知らずか、安室は園子の後ろから、優しい声色で耳打ちする。
「園子さん。これは貴女にしか解けない謎なんですよ。いいですか?ピエールさんは、世界中の富裕層から常にひっきりなしで注文が来るほどの有名人で、恐らく大した休みを取れた事など無いのでしょう」
「う、うん?」
『貴女にしか解けない』と言われ、園子は混乱する頭のまま頷く。いつもなら「はい、安室さん」とハートマーク付きで言いそうな所をタメ口になっている事など気付いてもいない様子だった。
「奥様はいつも忙しい旦那様を側で見守って支えていました。勲章を取るほどです…きっと並々ならぬ努力があったのでしょう。そんな中での今回の騒動です。旦那様が勝てば、今まで以上に仕事に奮起してしまう所でしょう。しかし、逆に他の人が勝てば、彼の仕事は誰かに奪われてしまう。ーーーさて。
「『貴女』は何故、指輪を隠してしまったのだと思いますか?」
その安室の囁きに、園子は自身ですら驚く程すんなり、言葉を出した。
「――――そっか」
「信じてるんだ、ピエールさんの事」
「信じている…?」
ピエールは園子の言葉に、訝しげな声を出した。
「そう。もしかしたら最初は、ちょっと困ってしまえって気持ちが、あったのかもしれない。仕事ばっかりで、『こっち』を見てくれないピエールさんをちょっと困らせてやりたいって気持ち。でも、それと同じくらい、仕事をしている姿が好きだから。他の誰にもピエールさんの努力の証を取られたくなかった。仕事に取られてしまうのも嫌だけど、仕事をしている姿も好きだから……」
「でも、それなら何故指輪を隠したままで…」
「それは…多分、信じてるから。ピエールさんの事。」
「その信じてるって、一体何をだ!」
苛立ち混じりのラブレー氏の恫喝を受けても、園子は眉ひとつ動かさなかった。
「[[rb:勲章 > そんなもの]]が無くても、『貴方』は最高の仕事が出来るってこと。」
「私…私、真さんがどうしてあんなに一生懸命なのか、分かってる。勿論真さんが強さを求めてるから…っていうのもあるけど、私の為でもあるってこと。色んなトラブルに巻き込まれる私を、必死で守ろうとしてくれてるって事。でも、そんな先の話なんて良いから、世界一強く無くてもいいから、今側に居てくれたらいいのに……なーんて、良い女ぶってるくせにそんな我儘言っちゃったりとかもして」
「…すみません。園子さん」
「いーのいーの!私はそれでも、この世界のどこかで闘ってる真さんが好き………………
………真さん!?!?!?!?」
「は、はい」
突然後ろから聞こえてきた声に、園子は比喩で無く飛び跳ねて驚いた。
その園子の様子に驚くラブレー氏とは対照的に、安室と蘭は猫が美味しい物を食べて満足しているような微笑みを口角に漂わせていた。
「な…何でここに!?カンボジアは!?!?」
「し、試合は昨日終わりました。ここへは蘭さんに呼ばれて…」
「蘭!?」真っ赤な顔で園子が蘭の方を向くと、「私は安室さんに頼まれただけ〜」と飄々と返して、「いつもの仕返し!良かったわね、ダーリンが来てくれて。」と片目をつむって笑った。
はくはく、と魚のように口を開閉して赤い顔のまま園子が今度は安室の方を見ると、
「ラブレー氏を呼んでくださったお礼に、何か差し上げようと思ったんですが…これが一番お礼になるかと思いまして」とこれまた涼しげな顔で返された。
「…園子さん」
「え、えーっと、ち、違うのさっきのはそのあの」
「試合、勝ちました」
「…あ、えっと…おめでとう、真さん。メバチ・クン・ダンベル・ビョーンみたいなやつ、勝ったんだ……」
「クバチ・クン・ダンボン・ベンです。いやそれより……園子さん!!」
「は、はい!!!」
がしりと強い力で両肩を掴まれ、園子は思わず敬語で真と正面から向き合う。
「自分は今まで、強さを求めて生きてきました。でも貴女に会って、強さを求める事に新しい『理由』が出来ました。」
「…」
「自分勝手だとは百も承知しています…でも、園子さんに嫌われる位なら、自分はーー」
「ストップ!」
人差し指を突き立てて、園子は真の言葉を遮る。たじろぐ真に対して少し怒ったような顔で、園子は口を開いた。
「真さん。私、真さんが試合に出てるところ、好きだから。私の為に、真さんが自分の好きな事を諦めたら、自分で自分が許せなくなっちゃう」
「園子さん…ですが、」
「いーの!」
一転して、園子は笑った。真冬に健気に咲くスノードロップを思わせる、優しく慈愛に満ちたその笑みに、真は見惚れて言葉を失う。
「…いいの。私の事を、忘れちゃうんじゃなければ。何時も気に留めてくれるなら、何処に行ったって、何をしてたって、私は良いの。」
そして、一拍置いて、
「―――大好きよ!真さん!!」
と抱きついた。
『―――他の誰の為にも、作ったことのない君だけの香りだ』
何時からだったのだろう。ただ純粋に使ってくれる人の事を想って香りを作らなくなったのは。
『受け取って、欲しい』
勲章で得た称号や、周りからの評価に雁字搦めになり、人気の出る香りや人の顔色ばかりを伺って、調香していた。
『…………つつしんで。』
ましてや。
『つつしんで……………お受けします』
地位も名誉も金もなく、プロポーズのリングの代わりに作った香水を満面の笑みで受け取ってくれたあの時の彼女の笑顔を忘れてしまうなんて。
未だ「好き!好き好き真さん!」「こ、こ、こんな所で…破廉恥です園子さん!!」と赤面でごちゃごちゃ言い合ってる二人を背景に、ラブレー氏は立ち上がった。
「トオルさん、ありがとうございます。貴方のおかげで、私は大切な物を見失わずにすみそうだ。」
「いえ…そのお礼は私ではなく、どうぞ奥様へ」
安室のその言葉にラブレー氏ははにかむように笑うと、冗談混じりに言った。
「ですがしかし、妻が私の事を実は相当嫌っていて、今回の事をしでかしたのだとしたらどうします?実は知らないうちに指輪はもう質流れにあっていて、帰ったら妻は家出しているとか」
自虐というには過ぎたブラックジョークだったが、安室はその言葉に唇の端を歪めて返した。
「さあ、そうだったら僕の推理力が未熟だったと言わざるを得ませんが………。貴方に告白をさせた時と同じ手段を使った奥様から、貴方への愛情が無くなったとはとても思えなかったので」
「告白?……ああ、あの昔のガレット・デ・ロワの……………」
そこまで言って、ラブレー氏は驚きに言葉を失った。
まさか。
代わりに、安室が言葉を繋ぐ。
「貴方に当たりを引かせて、早く告白するよう仕向けたんでしょう。いやぁ、素晴らしい奥様ですね」
晴天の青空を思わせるほど爽やかな笑みを浮かべる安室を見て、ラブレー氏は双眸を手で覆った。
完敗だ。
けれども憑き物が落ちたようにさっぱりとした顔で、悔しさなどは滲ませず、ラブレー氏は晴れ晴れした顔で安室に右手を差し出した。
「約束です。最高の一品を、貴方に届けると誓いましょう。出来上がりを期待していてください」
安室もまた、その手を確りと握りしめた。
「ありがとうございます。完成を急かしてまた奥様に怒られてはいけませんので、気長にお待ちしております」
―――こうして安室は、見事ラブレー氏に注文を受け付けてもらえたのだった。
「と、ところで園子さん…先程あの人から耳打ちをされていたように見えたのですが!」
「えっ、も、もしかして安室さんに嫉妬…?や、やだ真さんったら、安室さんはそんなんじゃ、」
「あの身のこなし、只者ではない予感がします…お手合わせ願えそうでしょうか?」
「って、そ、そっち…!?もーっ!!真さんの、バカーーーーーッ!!!!」
「えっ、えええっ、そ、園子さん…………!?」
(勝手にやってろバーロー…)
一進一退の京極と園子を見て、コナンは口角を引攣らせるのだった。
+ + +
「安室さん」
人の居なくなったポアロで、片付けをする安室の背中にコナンは声をかける。
「ん?どうしたんだいコナンくん」
安室は洗ったばかりのコーヒーカップを布巾で拭きながら、時折蛍光灯の下に翳して汚れが残っていないか確認していた。
「ピエールさんに注文してた香り、梓さんにあげるの?」
「ええ?違うよ」
「じゃあ、別の人?―――『彼女』にあげるにしては、ちょっと香りが爽やか過ぎない?」
彼女、と言う声が少し低くなったのを聞いて、安室は手を止めてコナンを見遣った。
「―――もしかしてコナン君、僕が『彼女』に香水をあげると思ってるのかな?」
「違うの?」
試すようなコナンの目線を笑って一蹴すると、安室は再びカップを拭き始めた。
「『彼女』になんて贈らないよ。センスが無いのを笑われるだけさ」
「じゃあ、何でわざわざ香水なんて作ってもらったの?」
コナンの質問に、安室はぴたりと手を止める。安室のする事には何でもかんでも裏があると思っている。その警戒心こそが、彼が名探偵である所以なのかもしれなかった。
カチャ、とカップを食器棚に置いて、安室は口を開く。
「―――香水砂漠と言われるぐらい香水文化が定着していない日本において、ラブレー氏の香水の売り上げがどれぐらいを占めるか、コナン君知ってるかい」
「……え。し、知らない…」
「ラブレー氏が自分で立ち上げたブランド以外にも、有名なブランドと契約して作っている香水なんかもある。日本国内だと、ラブレー氏の香りだけで全体の1割はあるという。」
その数字が多いのか少ないのかあまりしっくり来なかったが、安室がこう言うからには多分多い方なのだろうなと判断し、コナンはへえと相槌を打った。
安室は続ける。
「だがもっと面白いのは、その売り上げのうち半分は日本ローカルの顧客では無く、[[rb:海外客 > インバウンド]]による売り上げだと言う事だ。ラブレー氏はこのアジア圏だと、日本と他二つの国でしかマーケットを開いていない。そして興味深いのは、その二つの国ですら自国ではなく日本で買おうとしてると言う事だ」
「日本の方が為替が安いってこと?」
コナンの言葉に安室は首を振った。「いや、金額は免税の事を考えてもそう変わらない。」
「じゃあ何で?」
「―――代購ビジネスと言ってね。日本人の倫理観や誠実さを『買って』、アジアの一部の国では自国にもあるものをわざわざ日本で買って自分達の国で売りさばくんだ。それに、そういう国においては輸入時の検査が厳しくて、新作の商品が遅い時には一年近く遅れる事があるから、日本でいち早く新作を手に入れて買おうとするんだよ。」
「ふぅん…それとピエールさんの話と、どう関係してくるの?」
安室は使っていた全ての食器をしまうと、食器棚の扉を閉めた。
「二週間前、ある情報が入った。ラブレー氏がもしかしたら引退するかもしれないという話だ。そして、もしかしたら彼の弟子が彼の事業を継ぐことになるかもしれないという話だった。」
「…?それで?」
「その時の候補に上がっていたお弟子さんというのが、あんまりアジア圏自体を好きじゃないという人でね……最悪の場合は、ラブレー氏の会社自体がアジア圏での営業を辞めて、店舗を撤退させるかもしれないという話まで出たんだ」
次は使ったシンクを掃除しながら、安室は続けた。
「―――正直な話をすると、僕は別にラブレー氏のファンと言う訳じゃあないんだ。勿論、彼の作った香りは素晴らしいものがあると思うよ。多くいる調香師の中で、抜きん出て素晴らしいと思う才能を、こんな素人でも確かに感じられる程だ。ただ個人的に、ラブレー氏の引退が惜しいかと言うとそういう訳じゃない。ただ、今この現時点で日本国内からラブレー氏の香りが無くなってしまうのは、全体から見れば微々たる数字とはいえ日本経済に打撃が来る。それだけは避けなければ行けないと思った。せめて次に人気の調香師が日本国内で根付くまで―――まだラブレー氏に引退して貰うわけにはいかなかったんだよ」
コナンは撞木で胸を突かれたように驚きの色を示した。
「じゃ、じゃあ、ピエールさんに引退を思い留まって貰うためだけに―――園子姉ちゃんの伝手を頼って香水の依頼をかけたって事…?」
「まあ、そうなるかな。注文を受けてもらえるかどうかは正直どっちでも良かったのさ。何が原因でラブレー氏が弟子にその地位を譲りそうになったのか、それが知りたかっただけだからね」
まあごくごく単純なミステリーで助かったよ、と涼しい顔で言う安室を、異星人を見つめるような目でコナンは見ていた。
「………安室さんって、世界経済の事考えながら警察してるの…………?」
化け物かよ。コナンは声にならない悪態を吐く。
だがコナンの言葉に安室は照れたように笑って言った。
「やだなあコナンくん。僕が考えてるのは日本の事だけだよ」
どっちにしろ化け物だろ!!
コナンは心の中で叫んだが、結局言葉にはできず、「へえ…そうなんだ…」とだけ小さく呟いた。
本当にコエーな。この人。
コナンはいつかの時に話した安室の部下である長身を思い浮かべて、その心労を察して心の中で合掌するのだった。
+ + +
『トオルへ
先日はどうもありがとう。
君と可愛い探偵のおかげで、妻との蟠りが解けたよ。本当に、感謝ししている。
君達の言っていた通り、やはり妻は私とゆったりした時間が取れなかった事に苛立ちを感じていたらしい。その妻の苛立ちを察した母親が協力して、少し困らせてやろうと先日の件を企てたはいいものの、予想以上に話が大きくなってしまって話を切り出せなくなってしまったのだそうだ。
彼女に聞いたら、告白の時の事も正直に打ち明けてくれた。やはり君の思っていた通りだったよ。寧ろ彼女はその事はもう私が知っているものと思っていたらしい。だから今回の件も、当時の事を思い出してくれれば、自然に彼女が犯人だと分かり、そしたら私が彼女を構うようになるはずだと思っていたのだそうだ。我が妻ながら、悪戯好きと言えば良いのか、幼過ぎると言えば良いのか分からないが………何はともあれ、世話になった。香水と一緒に送ったクッキーは、妻からのお詫びのしるしだそうなので、受け取ってほしい。
彼女のクッキーはフランス一といっても過言ではない。勿論、普段は私のものなので他のどのフランス人にも譲る気は無いがね。
さて、本題だが、君から注文を受けた香水だ。
君の依頼通り、ミントと鈴蘭、ジャスミンの香りが入っている。
だが香りを撒布してみると、その香りの中にまた違う香りがあるのが分かる筈だ。
その香りが何の香りか、分かったかな?
…………そう、トオル、君の香りだ。
フランスのある農村では、『運命の恋人達は同じ香りを纏って生まれてくる』という言い伝えがある。その言葉の由来を辿るとどうやら陸地続きにやってくる他国の商売人を相手に香水(古い作りのもので当時はまだユイール・アンティークという名前だったのだが)を売るために作られた文句なのだそうだが、君に香りの注文を受けた時に、ビビっ!と思い出したんだ。
恋人達はいつどんな時代でも、離れていてもお互いがお互いのものだと分かるように同じ香りを身纏うものだ。
だが私が君に送ったこの香水は違う。
君と同じ香りをさせながら、それでもこの香りは一人でも生きていける。
だが、そこに君の香りが加わった時、二つの香りは大きな物語を紡ぎだす。それはまるでニコラ・フラメルが彼の妻の前で水銀の中に大量の賢者の石を投げ込み黄金を作り上げたが如くの奇跡とも言えよう。
――――私とヴェロニクは、フランスの地で君がその奇跡を連れてきてくれるのを待っている。
[[rb:愛を込めて > ミル・タンドレス]]
ピエール・J・ラブレー』
園子経由で安室宛に届いた小包みの中に、注文した香水と共に入っていた手紙を読み終えて、降谷はそっと息を吐いた。
もう一度読んでから、懐に手を入れ、スマートフォンを取り出す。
いつも3コールだ。
降谷は、この番号に電話をかけてそれ以上待たされた事はない。深夜でも、明け方でも、地球の反対側でも。
「――――風見か。お前の香水作ったからすぐ来い」
「意味が分かりません!!!!!!!」
果たして風見裕也は飛んで来た。
碌な説明もしてもらえぬまま降谷に一方的に電話を切られたのだが、どんな内容の電話だろうと風見が降谷の命に背いた事は一度としてないのだった。
「いや、前に言っただろ。あの…ラブレー氏の」
「あ、ああ…仮で香水を注文するとか何とかと仰っていたあれですか…。自分の様な無骨者に下さるより、榎本さんに差し上げられては?」
降谷の苦労の一欠片も知らぬ風見は、平気で非情な事を口にするが、降谷は噯にも顔に出さなかった。
「梓さんは前に僕のせいでネット炎上したって気にしてたんだぞ。そんな彼女に思わせぶりな物送って責任とれなかったら、僕はただのスケコマシじゃないか」
「スケコマ……」
風見は上司の古い物言いに閉口した。見た目が好青年であるだけに、偶に聞く黴の生えた言い回しと懐古嗜好にどうも違和感を覚えてしまう。
それはさておいて、降谷は送られてきた香水を風見の前に突き出した。
「それに、渡す事になるんだったら君が良いだろうと思って、イメージして作ってもらったんだ。世界でも指折りの名調香師に香りを作ってもらえる機会なんてそうそうないぞ。」
降谷はあえて香りについてしか言及しないが、ボトルのデザインも園子に紹介してもらった一流デザイナーに頼み込んで、風見のイメージを事細かに伝えて出来上がった一品だった。
清潔感と清涼感のあるグリーンのボトルは、風見のお気に入りのスーツの色を良く再現している。だが、風見がその事に気付く様子は無かった。
「ええ…そうなんですか…ありがとうございます」
驚きつつも嬉しさが顔に滲み出ているので、横目で確認して降谷は内心で拳を握った。
取り敢えずは、喜んでもらえている様で何よりだ。
「ふってみてもいいですか?」と風見が尋ねるのを二つ返事で了承すると、恐る恐ると言った様子で風見がスプレーを押す。
ぷしゅ、という音の後にふわりと香りが広かった。
スッキリとしたミントの香りと、爽やかな鈴蘭とジャスミン。降谷が『安室』としてラブレー氏に伝えたイメージが、忠実に再現されていた。
そして、残り香は。
「あれ?この香り…」
ドキリと降谷の心臓が跳ねる。だが何食わぬ顔で降谷は問うた。
「どうした?」
「いや、なんだかこの香り、何処かで嗅いだ様な……?」
そして風見はふと考え込んで、
「あ、もしかして」と徐に降谷に近づいたかと思うと、「やっぱり…降谷さんの香りに似てませんか?」すんすんと首元の匂いを嗅ぎながら降谷に問い返して来たのだった。
(お前 本当 そういうところがな!!)
降谷は脳内で風見に出足払いをかけて押し倒し、『こういう事されても文句言えないぞ!!』と説教したが、現実としては固まった顔のまま「………ああ」と返すのみだった。
恐るべき演技力である。突然のことで脳が処理しきれずキャパシティーオーバーになってしまったとも言うが。
「僕に近しい人間に贈ると言ったらオーダーしてもいないのに入れて来たんだ。どうやらそういう趣向らしいぞ。しかしル・ネとは一度嗅いだだけの香りをこれだけ細かく再現できるんだから凄いよな。」
降谷は自然に話を逸らそうとしたが、風見は「趣向?」と思案する様に首を傾げて、やがて合点がいったとばかりに手を叩いた。
「成程!いつ如何なる時でも降谷さんからの[[rb:指令 > ミッション]]を忘れるなという事ですね!肝に銘じます」
「…ん、あ、ああ………」
何だろう、当たらずと言えども遠からじというか。降谷はラブレー氏の手紙の内容を思い出す。
そう、恋人同士が同じ香りを贈り合うのは、例え側にいなくても自分の事を思い出して欲しいからでもある。
実際、五感の中で「嗅覚」だけは情動に直接伝わる感覚だ。古来、人間の祖先は香りを頼りに何が危険で何が安全かを選り分けていたからこそ、その名残で今現在人間は当時危険だった物の香りを「嫌い」、安全な場所に生えていた植物の香りを「好き」と分類するようになったのだろうというのが一般的な説である。
つまり「その人」と「その人が纏う香り」のイメージというのは、細胞レベルで他人に焼きつくのだ。だからこそ、第三者にとっては同じ香りを別の人物同士が纏い合っている事自体が充分なメッセージになるのだが。
『…いいの。真さんが私の事を、忘れちゃうんじゃなければ。何時も気に留めてくれるなら、何処に行ったって、何をしてたって、私は良いの。』
(……おんなじ気持ちでも、僕の場合はそんなに可愛いもんじゃないんだよなぁ…………)
降谷の場合、例え風見が降谷の知らぬ場所で降谷と同じ香りを纏っていたとしても。
やはりだから満足できる、とはどうしても言い切れなかった。
「………やっぱりその解釈、ちょっと保留で…」
「保留?」
香りだけでなく、その全てを自分のものにしたいと。
そう言える時になったら、ちゃんと言うから。
暫くは、何も知らずに付けていてくれ。
人前で堂々といちゃついていた京極と園子の二人を脳裏に浮かべて羨ましがりながら、降谷は深く溜息をつくのだった。
|お嬢様と探偵|
「ところで降谷さん、ガレット・デ・ロワって美味しいんですか?」
「ん?うーんそうだな…まあ年が明けたら焼いてきてあげるよ」
「あっ、も、もし自分の方にフェーブが入ってても、ちゃんと降谷さんを王様にします!!!」
「…(公安の皆で食べなよっていう意味で言ったんだが)君って結構、僕と二人でやるって事が前提になってること多いよな」
まあ、それがちょっと嬉しいんだけどさ。
「ええっ、安室さん好きな人居るの!?」 「(まさかまたこの国とか言うんじゃねーだろーな…)」 喫茶ポアロのカウンターで、日本を代表する鈴木財閥のご令嬢であるところの鈴木園子は驚愕にひとまわり大きな声を上げた。 ギターの一件で助けてもらってからというもの、園子の安室への好感度は鰻登りである。度々蘭とコナンと共に遊びに来ては、安室の淹れる香ばしくすっきりとした苦みと透き通ったキレのある味わいの珈琲を楽しみに来るのだった。 それは金の光が街角に溢れる、秋の頃である。残暑の名残がいまだ残るものの、風の匂いや湿り気の少なくなった空気に人々が顔を顰めることなく太陽と対面できる季節だった。夏は暑さに気を取られていた反面、秋は食欲や読書や運動に集中できるようになる、というのが通説だが、茶色い栗の中の鮮やかな黄色でも、かぼちゃの緑と黄色のほくほくした感じでも、面白いミステリーも楽しいスポーツも美味しい珈琲でさえも、紛らわせない感情がある。 寂しい、という心だ。 イケメンを見つけると見境ない(ように見える)鈴木園子の大本命である彼氏・京極真は18歳という身空で武者修行と称して海外のありとあらゆるところを放浪している。 東に強い檀山流柔術師範が居ると聞けば、行ってそれを倒し、西に強いパンクラチオンの選手が居ると聞けば、言ってそれを倒した。武闘派宮沢賢治かお前は。 園子も一度会えない寂しさに耐えかね「海外の真さんの試合が見たい!」と電話口でごねた事があったが、返ってきた言葉が『そうは言っても園子さん、次は来週にカンボジアでクバチ・クン・ダンボン・ベンの試合があって…』と言われた日には思わず押し黙った。何その舌噛みそうな格闘技。行くのは全然良いが試合を見たところでどう応援したらいいのか分からない。どうしたら勝敗が決するのかも謎な試合で、しかもインターネットにさえその格闘技の細かい試合内容が分からないので諦めた。 一時期は園子も真にとって自分は恋人という立ち位置なのではなく、偶の日本で寂しさを紛らわしてくれる存在に過ぎないんだ、といじけてみた事もあったが、様々なことがあって―――ロッジでのチョコ事件とか、イヴイヴ事件で連勝記録をストップさせてまで来てくれたこととかその他諸々のことがあって―――流石に今では、大事にされていると分かっている。 分かっているが、会いたい時に会えないのは結構辛いものだ。京極に限って浮気など無いと園子は断言できるが、自分が寂しい夜に京極がどこかの試合で女性ファンからキャーキャー言われているに違いないと思うと腹の奥がムカムカしたし、枕を涙で濡らしたりもした。 「会いたい」と一言いえば、京極は駆けつけてくれる。分かっている。でも、彼の好きなことを止めさせてまで我儘言う資格はない。今や彼は、『世界の京極真』なのだ。それに、「会いたい」と言っても中々会うことのできないらしい幼馴染同士の事を見ていると、京極と会えないと嘆くのはなんだか気が引けて、結局園子はいつも「真さんが居なくてもキッド様が居るし!イケメンも居るし!大丈夫!!」と空元気ではしゃぐのだった。 ということで、やはり案の定園子の身に訪れた定期的な寂しさを紛らわす為選ばれたのが、今回の喫茶ポアロの看板イケメン、安室透だったのだが。 安室が目敏く園子のキーホルダーを見つけて言ったのだ。「可愛いマスコットですね。人の形をしていますが…もしかして彼氏さんですか?」 その言葉に、園子の笑顔が一瞬、固まった。考えないようしていただけに、安室の言葉にどう反応したら良いのか分からなくなってしまったのだ。だが園子はいつも通りの笑顔を作ると、努めて明るい声を出した。 「そーお。彼氏なんて言ってもいいのか分からないくらい、全然会えてないけど…。会えないからってこんなの作っちゃうなんて、やっぱ重い?アハハハハハ…」 だが自嘲するような園子の言葉に「(またンな事言って、あの人飛んでくるぞ…)」とコナンは『最強の霊長類』とまで評される男の姿を思い浮かべながら、子供らしからぬ顔で頬杖をついた。園子がどこまで自覚しているかは分からないが、京極はかなり嫉妬深い。園子は豪快な性格故に男を遠ざけるだけであって、見た目は美しい部類に入るのだ。そんな園子が「寂しいから誰かと遊んじゃおう(変な意味ではない)」などと言おうものなら、地の果てからでも飛んでくるに違いなかった。 曰く、「園子さんの周りには危険な連中が多いんですよ!自覚して頂きたい!」である。 コナンはついぞ言ったことなどないが、 ご自分の顔鏡で見たことあります? とは何時でも言ってしまいたかった。 園子に害が無いだけで、危険度レベルで言ったら飛び抜けてやばいのは間違いなく京極だ。 まあ園子の場合、「私を含め男は危険なんですよ!園子さん!」などと真が言っても、「うん。うんうん。うん。危険な真さん見たい…」などとうっとり頬を赤らめて言うだろう事など周知の事実である。 閑話休題。 安室は園子の言葉に少し目を瞠ると、そうなんですか、と呟き、続いてそのマスコットが『誰』を象っているのか察して納得したようだった。 そしてそれに続いたのが、ポアロという場所においてはある意味で爆弾発言だったのだ。 「僕も片思い中の相手が居るんですけど、会えないと寂しくなりますよね。分かります」 園子はその言葉に驚き口に手をあてた。 心なしかポアロの他の客もざわつく。 「ええっ、安室さん好きな人居るの!?」 そこで、上記の言葉に戻るわけだった。 コナンが安室に彼女の有無を問うたのはまだ記憶に新しい。散々コナンを愛の力だなんだと揶揄ってきたので、勿論素直に答えてくれる訳ないだろうと思いつつも尋ねてみたのだ。 案の定、「僕の恋人はこの国さ」などと、素直に答えてはくれなかったけれども。 だから今回の『好きな人』というのも、コナンにとっては眉唾の話だった。ただ単に園子の話に合わせただけかも知れないし、コナンのいる手前、『この国』の事を好きな人などと形容しているのかもしれない。 そうだとしたら実体の無いモノに対して、「会えない」という表現はしっくりくる。 どこまで本気で言っているんだか、と半目かつ横目でチラリと安室を睨んだが、そんなコナンの視線に気付くと安室はパチリと片目をつぶり、その気障な顔を崩すことがなかった。 「そうなんだ…。その人のマスコット、作ってあげようか?」 園子の申し出に、コナンは内心吹き出す。 安室は苦笑して言った。 「ハハ、こんな成人男性がマスコットなんて待ってたら笑われますよ」 「(まあそりゃあ、国旗ぶら下げて走ってたら怪しいよな)」 安室の苦笑いが映ったように内心でコナンも苦笑して、子供らしくジュースを啜る。 気持ちとは裏腹な甘味が喉に貼り付いた。何故子供用甘味料はこうも甘いのだろう? だが次に園子が答えた返事に、コナンは思わずその飲みかけたジュースを吹き出しそうになり噎せるのだった。 「ん〜〜〜そっか〜〜〜…。あ、じゃあマスコットがダメならその人の香水を作っちゃうってのはどう?」 どんなマリーアントワネットなんだそれは。 一緒に来ていた毛利蘭も「何言ってんのよ園子!」と驚いている。 だが園子が意に介した様子はない。 安室の驚いた反応も、蘭やコナン程ではなかった。 「香水?」 「そう!私も真さんイメージのもの作ってもらっちゃったんです〜…。自分には勿体ない、って、つけてもらえてないけど…」 そこが真さんらしくて良い!好き!と頬に手をあててはしゃぐ園子に、コナンは内心で「(ってゆーかソレ、絶対自分だけのオリジナル香水だって知らねーだろ)」と突っ込んだ。この猪突猛進な令嬢はとんでもないことを平気でやらかす。 だからこそ真も側に居る時は目が離せないのだろうと分かっているけれども。 「でも、香水なんてどうやって作れば…」 園子の提案に対して何やら思案顔の安室に、コナンはまたも内心で菊と桜の花でも飾っとけ、という暴言を吐いたが、何ということか鈴木園子令嬢は声高らかに更にそれ以上の暴言を吐いた。 「簡単よぉ!香料の原料となる土地を買ってフランスの『nez(ネ)』と呼ばれてる調香師雇ってイタリアでデザイン賞総なめしてるデザイナーにパッケージデザイン頼めばいいんだから!」 「(全然簡単じゃねえ!!!!)」コナンは今度こそ、口からジュースを吹き出した。 「成程!ミントと鈴蘭と、あとジャスミンの香りって入れられます?」 「(頼むのかよ!?!?)」 ―――マズイ、誰かツッコミが来い。 コナンは自分の背をさすってくれながら、盛り上がる二人を見てオロオロする蘭を見て、この場に居たら「ごっつうヤバイでこの姉ちゃん!一人石油王や!財界の世紀末覇王や〜!!」「あんたソレ彦●呂のパクリやん!」と確実に突っ込んでくれたであろう騒がしい二人を今こそ切望した。 + + + ムッシュー・ピエール・ラブレーは困惑していた。 世界でも屈指の財閥、鈴木財閥の御令嬢ソノコ・スズキから至急の調香依頼をメールで貰ったのが四日前の事だ。若干17歳のまだ何の権力も持たない子供とは言え、彼女の怒りを買いでもして鈴木財閥という太いパイプを断ち切るわけには行かない。 そう思い急遽予定を調整してソノコの用意してくれた軍用機で極東の地へと降り立ったのだが、およそ富豪の通うような所ではない少し寂れた喫茶店で、肝心のソノコから紹介されたのはティーンかと見まごうような若い青年だった。 園子の話を聞く限りでは彼ーーートオル・アムロは彼女の恩人であり、今回の調香依頼はソノコからトオルへの恩返しであると言われた。その際にソノコが言った「調香に関してはフランス一、いえ世界一の比類なき腕を持つピエールさんに頼むのが良いと思って!」という褒め言葉は純粋に嬉しいものだった。恩人に精一杯のお返しをしたいという彼女らしい一生懸命さと直向きさはいつでも周りのものを優しくさせる。ピエールは、損得勘定抜きでという意味ならばソノコ・スズキは一番懇意にしたい顧客と言っても良かった。 しかしビジネスはそうは行かない。 ピエール・ラブレー氏は、その本人の名前でブランドが作れるほど有名で、貴賎、老若問わず世界中にファンの居るカリスマなのだ。彼の作品を待つ上顧客は沢山居て、オーダーした香りが届くのを今か今かと一日千秋の思いで待っている。 つまり、ソノコ・スズキの為ならピエールは幾らでも融通をきかせられるが、どこの馬の骨とも知らない一人の東洋人の為などには、急ぎの注文など受けるわけにはいかないのだった。 別にこれは彼が業突く張りだとか、自国至上主義 (エスノセントリズム) だとか言うわけではない。寧ろソノコの為の配慮とでも言うべきだった。 ピエールはソノコの為に、数多くの上流階級の注文を止めて足を運んできたのだ。それを、『ソノコ・スズキ』という人物がオーダーをいれるならまだしも、一介のコモンズのオーダーを優先させたとあっては職人の沽券に関わる。事情を知らない人間が聞いたらソノコがピエールを金満成金よろしく拉致して横紙破りに自分の注文を押し通したと勘繰られかねない。 かといって、ピエールがこのティーン(どうやら本当の年齢はもう30近いらしいのだが)の為に骨を折るような特殊な事情を持ち合わせているはずもない。 さてどのようにして断ろうかと考えていると、トオルと紹介された男がピエールに手を差し出した。 「Bonjour, Monsieur Rabelais, Je suis enchanté de faire votre connaissance.(こんにちは、ラブレーさん。お会いできて光栄です)」 突然の流暢なフランス語にラブレーも少し驚いたが、それ以上に園子と蘭が驚愕していた。 「すっごーーい!安室さん!フランス語喋れるんだ!!」 「簡単な挨拶だけですよ…前に必要に迫られてフランス語を勉強したぐらいで…」 「全然十分ですよ!うちのお父さんにも見習ってほしいくらい」蘭がそう言うと、園子が続けた。 「いやいっそ小五郎のおじさまの事務所、もう安室さんがもらっちゃえばいいのに…。イケメン名探偵安室透がすべての謎を解き明かす!とか、ね、安室さんどうどう?」 ――――タンテイ…探偵 (ディティクティーヴ) 。 ピエールもそれほどではないが日本顧客とやり取りすることが多々あるため一応ある程度の日本語は分かる。 ヒアリングに間違いがなければ、トオル・アムロは探偵を生業にしているらしい。 ピエールの脳裏に、ある名案が浮かんだ。 「ハジメマシテ、ワタシハ、ピエールデス。ヨロシク、オネガイシマス」 トオルの作法に倣って、ピエールも日本語で挨拶を返す。握った手の逞しさだけは、確かに彼がティーンではないことを伝えていた。 「―――早速なんですが、アムロさん。」ピエールはそこからは英語で話し始めた。大体ワールドワイドな接客をするときは、勿論本当はフランス語が通じることが好ましいが、基本ピエールは英語で話すようにしている。 幸いにもトオルは英語は流暢だった。 「トオルでいいですよ、ムッシュー。遠い極東の地までようこそ」 案の定園子と蘭は目を点にして二人の話を聞いていたが、此方の二人に対しては安室は傍にいるコナンに解説を一任することにした。何故彼が英語を訳せるのかと二人から問い詰められるだろうが、彼ならうまくごまかすだろうと安室は分かっている。 「お気遣いどうも…さて、本題なんですが、あなたが私の今回の依頼者ということでお間違いないですか?」 「ええ。ラブレー氏のお名前はこの日本でもよく知られています。僕が最も最善のものを造りたいと言ったら、園子さんが貴方を紹介してくれました。ただ、世界でも人気の貴方をこんなに早くお招きするとは思いもよりませんでしたけどね」 苦笑するトオルにピエールは内心で唸った。よもや日本人にここまでの紳士が居ようとは。 挨拶のマナーも完璧で、見ると私服のシャツの袖のプリーツはかなりきちんとしている。見たところ新品ではないだろうから自分でアイロンをあてたのだろうが、だとすればこの袖口は彼の誠実な人柄をしっかりと表しているといってもよかった。 日本人はとかくあまり服装に頓着しないが、欧州人は長い歴史において隣国との腹の探り合いを服装で行ってきたこともあり、装いにはとりわけ敏感だ。服装や身のこなし、礼儀作法に隙がない以上は、ピエールはトオルを紳士と認めざるを得なかったし、探偵などと言う自由業の人間ながらに話の分かる人間だと感嘆せざるを得なかった。 「ええ。トオルさん、実は私は今回の依頼は園子嬢のものだと思って、ありとあらゆる依頼を蹴って日本にやってきました。」ピエールはあえて厳しい目線で安室を睨むように見る。「その蹴ってきた依頼の中には名前を言うこともできないようなやんごとないご身分の方もいらっしゃる。単刀直入に言いましょう。その全ての依頼をはねのけて貴方の依頼を受けることはできません。」 トオルの顔が固まる。だがある程度は予想していたようで、微苦笑を滲ませた。 「成程、お断りの文句ですか。いえ確かにご無理を言いました。申し訳ありません」 だがピエールはすかさずそれを否定した。 「いえ、単なる断り文句ではないのです」 「…もしかして、苦情でしょうか?」トオルは片眉をあげて返す。 「いえ、いえ、そういう意味ではありません。ここで貴方の依頼を断るのは簡単です。でもソノコ嬢が黙っていないでしょう。私も上顧客を怒らせたくはない。」ピエールはチラリとソノコを見た。早すぎる英語にソノコはついていけていないが、自分の名前が言われているのは分かるようで、自分の事を人差指で指して首をかしげている。ピエールはソノコに笑いかけると続けた。 「―――あなたは探偵なんですね?」 「…ええ、まあ…見習いではありますが」トオルは歯切れ悪く答えた。 「貴方に一つ謎を解いていただきたい。その謎を解いてくださったら、私は私の恩人に香水を作ることができる。」 ピエールと安室の間に漂う不穏な空気を察したのか、園子と蘭はコナンに詰め寄った。 「ちょっとちょっと、ピエールさん何て言ってるのよガキンチョ!」 事前に「昔おとーさんとおかーさんと少し海外に居たからちょっとなら英語分かるよ」と言っていたコナンだが、それを素直に信じた園子たち二人に大丈夫かコイツラ…と内心で突っ込んだのは余談である。 コナンはえーと、と前置きしてから言った。 「ピエールさんは、他にいっぱいお金持ちの人の注文を受けてるから、安室さんの注文を先にする訳にいかないって」 「そっかあ…人気なんだね、ピエールさんって」コナンの言葉に素直に頷く蘭とは別に、 「ええええ!?何で!?私の紹介でもダメだって!?」と騒ぐ園子。 いやだから、『安室さん』という人の注文を受けるのが問題あるって言ってんだろ……とコナンはジト目で園子を見たが、続けた。 「だけど、何か困ってる事があるみたい。その謎を解いてくれたら、恩人として注文を受けれるんだって」 ―――謎、と聞いたら放っておけないのが探偵の性分だ。 だから、コナンは貴族さえ頭を下げて調香を依頼する名調香師の、その仕事の報酬に叶うほどの『謎』がどんなものか当然気になった。 たが、安室透という男は本来は探偵ではない。『警察』なのだ。謎に食いつく理由は彼には無い。まして、この本気かどうかも分からない調香依頼に対して、どれだけ安室が真剣なのかもコナンには推測できなかった。 しかし逆にもしこの話を引き受けるとすれば、安室は本気で香水の調香を要求している事になる。もしそうだとすればその理由や背景なども、コナンの挑みたい『謎』であることに間違いはなかった。 安室は、逡巡するように一度目を伏せたが、好戦的な眼差しでピエールを見据えた。 「ピエールさん。正直なところ、僕も香水後進国の一般日本人らしく香水に関して充分な知識があるわけではありません。数千種類の香りを嗅ぎ分ける調香師の中でも特に優れた才能を持つ鼻 (ル・ネ) 【Le nez】という称号をお持ちの貴方の事も、調べてやっと分かった程です。だから、多くの調香師の中で貴方に調香して貰わなければならないという特別贅沢な注文がある訳ではない。…そういうのは、貴方にとっては無礼にあたるのでしょう」 その安室の言葉に何か言いたげなピエールを掌で遮って、でも、と続けた。 「僕は、最上で最善のものを作るためには手段は選びません。―――その謎、是非お伺いできますか?」 シュバリエ・オーギュスト・デュパンのように行くかどうかは、分かりませんけどね。 安室は世界史上尤も最古のフランス名探偵を引き合いに出すと、是見よがしに芝居染みた不敵な笑みを浮かべた。 + + + さて、ラブレー氏の話は以下の通りだった。 「今から大体二週間前の事だ。自分の立ち上げたブランドが創立40年になるので、パーティーを行う事になり、その一切は私の友人でもありブランドのマーケティング担当でもあるジャン・ニシャニアンが指揮してくれていた。 「パーティーといってもこじんまりしたもので…というのも、敏感過ぎる鼻を持つが故の苦労というか…私の鼻はワイングラスの中に常人には分からないほどの僅かな洗剤の香りがするのにも耐えられない程繊細なのだよ。然るが故に、大きくてボーイも沢山居てそれが故に食器洗いの統率も取れぬような所をパーティー会場には選べないのだ。何十人と呼べるほど豪奢な家宅ではないが、妻とジャンと老いた母と、数人の事情の分かるボーイとでホームパーティーにしては大きい規模のパーティーを切り盛りすることになった。 「パーティー自体はこれといった事もなくすんなり進んだ。妻は私の鼻の事を熟知しているし、パーティーに参加する面々も料理の匂いを遮るほど強い香りを付けてくるような骨骨 (こちごち) しい無作法者も居ない。細やかだが親しい間柄だけで集まって、パーティーは賑やかなままお開きとなった。 「―――だが、パーティーを閉会する少し前、私とジャン、そして弟子のティエリーの間で少し―――いや本当に些細な事なんだがーーー諍いがあったんだ。要は会社の今後の方向性、という話さ。丁度良いタイミングで同業仲間のエドモンド―――エドモンド・ヴァッサーが来ていた事もあって、四人で揉めた。口喧嘩に発展しそうな程にな。つまり、ジャンもティエリーも、そろそろ引退を目処に後継者の事を考えろと言うんだ。純粋に体調を心配してくれているのだと分かっては居るが、会社のマーケティング担当と愛弟子に言われると―――その―――」 「早く引退を急かされているように感じる?」安室が代弁した。 ラブレー氏は安室の言葉に反射的に「いや、」と返したが、その後短い溜息をつくと、小さく頷いた。 「……まあ、そうだな。器が小さいと、笑ってくれても良いがね。」 安室はラブレー氏の前に淹れた珈琲を差し出すと、「そんな風には誰も思わないでしょう」と笑顔で返した。 話を聞くために安室はカウンターに全員座らせ、自身はいつものようにカウンターの中からサーブする方へ回っている。そうする方が話に集中できるのだとは安室の言である。 園子も蘭も、置かれた珈琲の芳しい香りに思わず嘆称の声をあげる。 「凄く良い香り!何時もの安室さんの珈琲も良い香りだし美味しいけど、なんか…」 「うん、分かる分かる!ちょっと雰囲気違う感じがする……もしかして、何時もとはちょっと豆が違うんですか?」 蘭の問いに安室が答えるよりも先に、ラブレー氏が口を開いた。 「青リンゴのようなアンズ系の甘さ…加えてこのカラメルのような甘苦さを含む香りは…ケニア産の珈琲豆だろう」 安室は驚きに眼を瞠る。 「その通りです。流石ですね、香りを嗅いだだけで産地まで分かってしまうとは」 だがラブレー氏の顔は安室の言葉に苦しい微笑みを象っていた。 「昔はもっと、香りから色んな事が分かっていたんだ。今は香りを嗅いでも老眼鏡なしで新聞を読むようで…。余程意識しないと昔程の仕事は出来なくなってしまった。」 ラブレー氏は安室の淹れた珈琲を飲むと、「美味いよ」と言ったが、その顔には不安と悲しみと幾ばくかの恐れのようなものが綯い交ぜになって現れていた。 「―――思えばこういう私自身の焦燥もあって、喧嘩腰になってしまったのだろうな。パーティーが終わってから、私とその三人と、そして私の妻と母親の六人で打ち上げを行う予定だったんだ。会社の方針の話がどんどん激化し、後継者を作る作らない、会社を続ける続けないなどという諍いが続いた。ジャンとティエリーの二人は専ら、後継者を作るべきだという意見だった。エドモンドはまた別で、会社は早々に畳み、残りの余生をゆっくり過ごせというものだった。私は私で、現役をまだ貫くつもりだし、後継者云々などと言えるほど後進を育てられている気がしない。だから、まだまだ暫くは現場から離れんぞと三者三様の意見だったんだ。 「会議というべきか諍いと言うべきか分からんが、その話し合いは平行線をたどった。会議は踊るされど進まず、だ。しかもどんどん全員語調が荒くなってきたから、空気が不穏になっていることに妻は怯えた顔で私達を見て、『そろそろガレット・デ・ロワでも焼きましょうか』と無理に明るい口調で切り出したんだ」 「――――ガレット・デ・ロワ?」安室は聞き返す。 「あれは1月のお菓子では?」 「何ですか、ガレット・デ・ロワって?」 蘭が安室の言葉に反応して尋ねる。安室はラブレー氏に代わり日本語で説明した。 「ガレット・デ・ロワとは、日本語にすると『王様のお菓子』という意味です。フランスでは一月六日の公現祭の時に食べるお菓子なんですが、日にちにあまり関係なく一月の間はどこでも結構振舞われますね。アーモンドクリームを流し込んで焼く単純なパイなんですが、この中には必ずフェーブという陶器の人形が入ってまして、切り分けてそのフェーブがお菓子の中に入っていた人はその日一日王様として自分の好きな相手を王妃様に選べるんですよ。」 ちなみに公現祭とは、キリスト教のお祭りで、東方の三博士が星に導かれてベツレヘムに生まれたばかりのキリストを訪ねた日を祝うものである。 「ですからこのパイには、必ず紙で出来た王冠がついているんですよ。そしてフェーブが当たった人はその日一日好きな人と親交を深められるので、恋を深める良い口実としてこのパイを食べる会など作られたりするんですよ」 安室がそう言って微笑むと、蘭と園子はキャアとはしゃいだ。ロマンスは女子達の永遠の活力源である。 ラブレー氏は安室の話が終わったとみるや、続きを話し始めた。 「女子達がはしゃいでいるという事は、ガレット・デ・ロワが愛 (アムール) のお菓子であると伝わっているようだな。私が妻に告白する時も、フェーブが当たったら告白しようとしたりして………だが今回のガレット・デ・ロワはそんなロマンチックな物には使われなかった。 「丁度焼く前でフェーブもまだ入れていないと妻が言うので、私は良い事を思い付いたと思って…『丁度王様の菓子がある。此処に私の大事な物を入れよう。そしてその指輪を引き当てた人間こそが会社のこれからを決めるのこととしよう』と言ってしまったんだ。こういう運試しを信じる男でね、私は」 「何を入れたんですか?」安室は簡単な茶請けを差し出しながら問いかけた。 「―――レジオンドヌール勲章コマンドゥール授与の時に頂いた指輪だ。そしてその指輪が、跡形もなく消え去ってしまったのだ。」 安室とコナンは絶句した。 レジオンドヌール勲章は現在フランスの最高勲章である。また、コマンドゥールの称号は勲章を授与される者の中でも一握りにしか与えられない。 その指輪と言えば彼の職人としての名誉がその全てに詰まっていると言っても良かったし、またその指輪そのものがかなり貴重な物であることに間違いは無かった。 安室とコナンの二人とも『先ず身につけてるような物を食べ物に入れるなよ』と衛生面の心配と、『ってか何やってんだこのオッサン』と二重の意味で顔を顰めざるを得なかった。 「公正を期す為に全員の目の前で指輪を入れ、オーブンも全員が見届ける中入れられた。その後は敢えて会社の話題に触れず、最近身の周りで起こった出来事などを話しながら妻のお手製のニョッキを食べていたんだ。その間、誰もキッチンには入っていない。 「タイマーが焼き上がりを告げ、いよいよ運命の時が訪れた。全員が神妙な面持ちでフォークを手に取り、慎重にパイに歯を立てた。―――だが、次第におかしいと誰もが気付き始めた。誰もフェーブを手にしたと名乗りを上げないのだ。エドモンドが『緊張して誰か飲み込んでしまったんじゃないか』と冗談も言ったが、皆黙り込んでしまった。指輪は飲み込めるようなサイズではないし、噛んでいれば直ぐに分かる硬度だ。すっかり皆が食べ終わってしまうと、妻のヴェロニクが『身体検査をしましょう』と真剣な顔で持ちかけた。妻にとっては私の、というだけではなく家にとっての秘宝が無くなってしまったので、余程慌てた様子だった。 「そして、誰の懐からも、フェーブは出てこなかった」 「……ううん」 安室が唸ったので、ラブレー氏は嗤った。 「いや、そうだな、うん。二週間かけて見つからないものが、急に出てくる訳がない。だが私達は虱潰しに色んなところを探し回った。オーブンの中、テーブルの下、家中ありとあらゆる所をだ。だが出てこなかった。本当に飲み込んでしまったんじゃないかと皆で胃をさすったよ!」 ラブレー氏は笑ったが、直ぐに、真顔になった。 「だが一週間前、事態は良くない方向になった。レジオンドヌールの指輪を無くしたことなど勿論他言できないが、指輪そのものに権力という力がある事は勿論、『指輪』そのものが非常に高価である事が判明したのだ。指輪には徽章として中央にケレースが彫られているのだが、その冠として両脇には緑色の琺瑯が施され、右は栢、左は月桂樹の葉からなっていて、両足の部分は交錯して結び目で縛られている。この結び目の部分に埋められているのが、特殊なダイヤという事だった。」 急にここにきて、ダイヤとは。戦雲垂れ込める気配がして、安室もコナンも自然と真剣な面持ちになる。 「私は最初、ジャンとティエリーが結託して、後継者を作らせる為に隠してしまったのかと思ったが、よく考えれば彼らがもし指輪を手にしたのなら、その場で言うはずだ。何も隠さずとも、指輪を手に入れた時点で彼らに会社の方針は譲ったも同然になるからだ。だとすると、今度はエドモンドが怪しくなってきた。人伝てに聞いた話だが、エドモンドは自分の事業が上手くいってないらしく、借金を抱えているらしい。ダイヤはその借金を帳消しにする程の価値はないが、無いよりは勿論マシだろう。ガレット・デ・ロワに指輪が埋められた時にダイヤの輝きに気付いていたとしたら、もしくは、指輪に当たったものの黙っていたかもしれない。そしてほとぼりが冷めた頃に、売ろうとしているのではないだろうか?」 安室は口を挟んだ。 「ですが、身体検査はしたんですよね?」 ラブレー氏はその言葉に肩を竦めた。 「ああ。その時は確かに誰の服からも何も出てこなかった。だがその時は気も動転していたし、私達も何も素っ裸にさせた訳ではないから、本気で隠そうと思えば或いは隠せる場所はあったのかも知れない。洋服の中で隠せそうな所は探したけれどもね」 「身体検査を嫌がる人は居なかったの?」コナンが少年らしい純真さで問う。ラブレー氏は戸惑ったようにコナンを見たが、答えた。 「そりゃ誰も良い気分じゃなかったかもしれないが、一番私の母が『人を疑うなんてみっともない』と嫌がっていたな。まあでも、母の着ていたのはポケットのないワンピースとストール、あとは杖だけだったから隠し場所など無かったんだが…」 「ストールの裏側だったら隠せるのでは?」 安室が尋ねた。 「いや、ストールは一応見たよ。だが勿論無かった。それに、母親が取る動機は無いだろう。家の宝とも言えるべきものだし、こう言ってはなんだが、特殊だろうとなんだろうとダイヤは他にも買ってあげられる程稼いでるつもりだしな」 安室はそれには答えず、顎に手をあてて少し考える素振りをすると、「二、三お聞きしたい事があるのですが、」と口を開いた。 「焼いている間オーブンには誰も近付いて居ないとのお話でしたが、それは貴方方だけの話ですか?例えば、ボーイとかは居たのでは?」 「いや、身内だけの打ち上げだったから、ボーイは返したよ。あの時家に居たのは誓って私達だけだった。」 「ガレット・デ・ロワを作ったのとオーブンに入れたのと、皆様に切り分けたのは誰ですか?」 「作るのも入れたのも妻だが、変な動作があれば皆気付くさ。切り分けたのは母だったな。焼き上がりが少し不恰好になってしまったので、ぶちぶち文句を言いながら焦げた所を自分の所によそっていた」 「成程、では最後に。エドモンドさんの借金の話を聞いてから、エドモンドさんとお話しはされましたか?彼に一応事実確認をしたのでしょうか」 ラブレー氏は緩く首を振って否定した。 「いや、あくまで推測の域を出ないので、今確かな伝手に確認を取っている所だ。確認が取れ次第話に行こうとは思うが―――やはり、エドモンドが犯人だと思うかね?」 「そうですね………」 安室は少し上を見上げた後、爽やかな笑顔でラブレー氏に言い切った。 「全然違うと思います」 これにはラブレー氏も、言葉が分からないながらに雰囲気で察した蘭と園子も驚いて鯉のように口を開けたまま固まった。 「驚いた (オウ・ラ・バッシュ) …」 安室はラブレー氏の言葉に、旧知の知り合いのように親しげな笑みを浮かべた。 「ただ、この話に結論を出す前に」 そして、一人傍観を決め込んでいたコナンの肩を抱いて、 「ハーフタイム (ミタン) をお願いしても良いでしょうか」 と爽やかに告げたのだった。 「どうしたの、安室さん?」 コナンは抱きかかえられながら態 (わざ) とらしい程外見年齢相応の童心そのものの声で問う。 だが安室はそんなコナンの事は等閑視して、真摯な声で言葉を漏らした。 「どうしよう、コナン君」 言葉の割には困った風では無いが、顔つきが真剣そのものなのでコナンは問い返した。 「何が?」 「実行犯もトリックも分かってるけど、動機がちょっと分からないな」 安室の言葉にコナンはその大きな目をパチクリと瞬かせたが、なあんだ、と笑った。 「凄いね安室さん。僕は犯人と何となく動機は分かったけど、トリックはちょっと自信が無いな」 「心無い賛辞をどうもありがとうコナン君。職業柄トリックは直ぐ分かったんだけどね」 「やだなぁ本心だよ。え〜安室さんの職業って、お料理する事じゃないよね〜〜?」 「コ・ナ・ン・君?」 非難を含んだ語気で言われて、コナンはちぇ、と内心舌打ちをした。安室は笑みを崩して居ないがその代わりに降りかかる圧迫感が秒ごとにその重力を増してくる。変な腹の探り合いなどしてる場合では無さそうだ。 「…本人を見た事が無いから何にも言えないけど」前置きして、コナンは続けた。「動機は園子姉ちゃんだよ」 「―――園子さん?」 コナンの口から出てきた言葉に安室はきょとんと鳩のような顔つきをした。突然出てきた名前に心から驚いている様子だ。 だがコナンの意図する所を察したのか、横目で園子の方を見遣って、やがて得心したとばかりに微笑んだ。 「………成程ね………」 そしてコナンの方に向き直ると、今度はいたずらっ子のような目つきで笑った。 「―――なら、推理クイーンのお出ましかな?」 「お待たせしました、ピエールさん」 安室は戻ると、再びカウンターの内側に戻った。 「話は済んだかね?」 「はい。でもその前に一つ、確認させて下さい」 そう言うと安室は笑ったままラブレー氏を見据えた。 「―――貴方は犯人を知って居ますね?」 ラブレー氏の顔に、見るからに困惑の色が広がった。 「…な、ぜ…それを…」 「貴方がエドモンドさんをあたかも犯人であるかのように言ったのは、探偵役へのミスリード…といった所でしょう。或いは、貴方の願望であったかもしれない。ジャンさんもティエリさんも、そしてエドモンドさんも貴方から指輪を奪う動機がある。けれども、その人だけは動機が分からなかった―――だから貴方は、『自分の推理を否定してくれる』誰かを探したんです。本当はその人が犯人であって欲しくなかったから…そう」 「犯人は貴方の奥様―――ヴェロニクさんだったんです」 安室がヴェロニク、という名前を出すと、蘭と園子は驚愕したようだった。ラブレー氏は打ちひしがれている様子に見えるが、それは蘭や園子の驚愕とは違い、悲壮感が漂っている。 「……何故、私が犯人を知っていると?」 ラブレー氏は肺腑の底から捻り出すように声を漏らした。安室は真顔で答える。 「エドモンド氏が有力候補だと貴方が思い込みたかったのは分かって居ますが、もし彼が指輪に付いてるダイヤ目当てにまんまと盗み出したのだと仮定したら、貴方がそのまま彼を放置しておく筈がないからです。牽制でもなんでも先ず貴方は彼に疑いがあると言うべきところを、悠長にも周りを確認してからなどと仰るので、もしくは既に真犯人をご存知なのだろうと思いました。」安室は続ける。「何故奥様が犯人だとお気づきになったのですか?」 ラブレー氏は深い溜息を吐いた。 「身体検査をしよう、と妻が私の袖口を掴みながら言った時に、その指先から焼きたてのパイの匂いがしたんだ。ガレット・デ・ロワを手づかみで食べることは珍しくないが、その時妻はナイフとフォークを使っていた。指先にこびりつく程匂いが付いているのは、フェーブからパイ生地を取り払ったからなのではないかと思ったんだ。」 「指先の匂いで―――ですか。成程、論理立てて推理をした訳ではない事と、証拠がないので貴方は奥様が犯人だと確信が持てなかったのですね」 安室は納得したように頷いたが、ラブレー氏は苦笑する。 「或いは君の言う通り、確信を持ちたくなかったんだ。まさか妻がしたなどと認めたくなかった。彼女まで私のこれまでを否定するなんて……」 続けて、今度はラブレー氏が安室に尋ねた。 「何故、私の話を聞いただけで君はヴェロニクが犯人だと分かったんだ?」 「正確に言うと、奥様と、貴方のお母様です。今回の事はお母様の助けなしには成立しません。」 「何だって?」流石にこの言葉にはラブレー氏も驚いたようだった。 「お母様の言葉でピンと来ました―――ガレット・デ・ロワは非常にシンプルな作りのお菓子です。型にフィユタージュ・ラピッドを敷いて、アーモンドクリームを流し込むだけ。よっぽど不器用な人が作らない限り、不恰好にはなりようが無いんです。聞けば打ち上げのパーティーのお料理は奥様が全部作られている。それ程の腕前の方が、ただ焼くだけのパイを失敗するとは思えません。 「つまり、奥様は指輪を手に入れるため、細工をしたんです。といっても、オーブンの天板を少し斜めにするだけですけどね。オーブンを入れるまで皆が注目していたというから、もしかしたら既に天板は斜めになっていたのかもしれませんが」 「ちょ、ちょっと待ってくれ」ラブレー氏は安室の言葉に横槍を入れる。「指輪を放り込んだのは当日だ。初めから決まっていたならともかく、何故そうと知る前から天板を斜めにする必要がある?」 安室は笑みを浮かべて言った。「或いは奥様は既にジョンさんやティエリさんに会社のこれからについて相談されていたのかも知れませんね。二人には貴方と話し合うように促して、パーティーの日を待った。当然話し合いは平行線を辿る。そうなったら、貴方がガレット・デ・ロワで決めようと言い出すことを奥様は分かっていた筈です。貴方が、『大事な事は全部運試しで決めてきた』と仰るぐらいなのですから。人生の大事な時をいつも一緒に歩まれてきた奥様だからこそ推測できたのでしょう。」 ラブレー氏の驚きは雷に打たれたが如くだった。安室は続ける。 「オーブンの天板を斜めにすると、硬いフィユタージュ・ラピッドは動きませんが、柔らかいアーモンドクリームの中に入っている指輪は重力に従って動きます。どこに動いたのかは、上から見ると分かるでしょう。アーモンドクリームが偏って、そちらだけが軽く膨らんだようになっている筈ですから。 「だから、お母様が共犯でなければならないのです。パイを切り分けたお母様は、膨らんでいる片側を、恐らくご自分と奥様とで分けられました。最も指輪の入ってる可能性が高い場所だとしても、一人分では外れる事もあります。果たして、指輪は奥様の所にありました。皆が集中して食べている間に、奥様はこっそり指輪を口から出して、隠してから、身体検査の話を持ちかけたんです。」 「しかし―――」ラブレー氏は険しい目で反論した。「勿論ヴェロニクも、身体検査はしたぞ」 「それもまた、お母様の出番でしょう。お母様はワンピースとストールと、杖しかお持ちではなかった。だから皆様あまり気にされなかったかも知れませんが、実は杖は元々権威の象徴で、ご存知かも知れませんがヨーロッパの昔ながらの杖はお酒や嗅ぎタバコなどが入るよう作られている物もあります。恐らく奥様は取り出した指輪を皆様の見ていない内に机の下でお母様に手渡し、身体検査をしようとわざと騒いで皆様の目をお母様から背けるようにしかけた。お母様はその間に指輪を杖の中に入れ、わざと非協力的な態度で奥様の協力者ではない体を装っていたのです。」 「なら何故、彼女はそんな事をしたんだ?」 ラブレー氏は慎重に、安室に聞いた。その顔は、固唾を飲んでいるような真剣な色が現れていた。 「恐らく貴方にはそれが、何よりも知りたいミステリーだったのでしょうね。そしてそれを解き明かしてくれる者を探していた……ですが」 安室は勿体ぶった仕草でラブレー氏を焦らしたが、その一身に集めている視線を逸らすように、ポン、と彼女の肩に手を置いた。 「――――その推理は、我らが推理クイーンにお願いすることにしましょうか」 彼女――――鈴木園子は、コナンの翻訳を夢中に聞いていただけに、ラブレー氏の視線が向けられているのに気付いて、飛び跳ねんばかりに驚いた。 「………え?あ、あああああああたしぃ!?!?」 「ご謙遜を。度々難事件を解決されたと、小耳に挟みましたよ」 「あ、あらそーぉ?そうなの私やればできる女………なんだけど多分今は無理な気がする!安室さん!!」 「いやぁ、大丈夫ですよ僕も見習いなりに頑張ってるんですから」 涙目で安室に嘆願する園子を慰めているようで、笑顔で谷底に突き落としている安室であった。またそれが、全くの善意からではない事をコナンは知っているので、安室の行動は鬼の所業にしか見えない。 (ホント容赦ねーなこの人……) だがそんなコナンの心中を知ってか知らずか、安室は園子の後ろから、優しい声色で耳打ちする。 「園子さん。これは貴女にしか解けない謎なんですよ。いいですか?ピエールさんは、世界中の富裕層から常にひっきりなしで注文が来るほどの有名人で、恐らく大した休みを取れた事など無いのでしょう」 「う、うん?」 『貴女にしか解けない』と言われ、園子は混乱する頭のまま頷く。いつもなら「はい、安室さん」とハートマーク付きで言いそうな所をタメ口になっている事など気付いてもいない様子だった。 「奥様はいつも忙しい旦那様を側で見守って支えていました。勲章を取るほどです…きっと並々ならぬ努力があったのでしょう。そんな中での今回の騒動です。旦那様が勝てば、今まで以上に仕事に奮起してしまう所でしょう。しかし、逆に他の人が勝てば、彼の仕事は誰かに奪われてしまう。ーーーさて。 「『貴女』は何故、指輪を隠してしまったのだと思いますか?」 その安室の囁きに、園子は自身ですら驚く程すんなり、言葉を出した。 「――――そっか」 「信じてるんだ、ピエールさんの事」 「信じている…?」 ピエールは園子の言葉に、訝しげな声を出した。 「そう。もしかしたら最初は、ちょっと困ってしまえって気持ちが、あったのかもしれない。仕事ばっかりで、『こっち』を見てくれないピエールさんをちょっと困らせてやりたいって気持ち。でも、それと同じくらい、仕事をしている姿が好きだから。他の誰にもピエールさんの努力の証を取られたくなかった。仕事に取られてしまうのも嫌だけど、仕事をしている姿も好きだから……」 「でも、それなら何故指輪を隠したままで…」 「それは…多分、信じてるから。ピエールさんの事。」 「その信じてるって、一体何をだ!」 苛立ち混じりのラブレー氏の恫喝を受けても、園子は眉ひとつ動かさなかった。 「勲章 (そんなもの) が無くても、『貴方』は最高の仕事が出来るってこと。」 「私…私、真さんがどうしてあんなに一生懸命なのか、分かってる。勿論真さんが強さを求めてるから…っていうのもあるけど、私の為でもあるってこと。色んなトラブルに巻き込まれる私を、必死で守ろうとしてくれてるって事。でも、そんな先の話なんて良いから、世界一強く無くてもいいから、今側に居てくれたらいいのに……なーんて、良い女ぶってるくせにそんな我儘言っちゃったりとかもして」 「…すみません。園子さん」 「いーのいーの!私はそれでも、この世界のどこかで闘ってる真さんが好き……………… ………真さん!?!?!?!?」 「は、はい」 突然後ろから聞こえてきた声に、園子は比喩で無く飛び跳ねて驚いた。 その園子の様子に驚くラブレー氏とは対照的に、安室と蘭は猫が美味しい物を食べて満足しているような微笑みを口角に漂わせていた。 「な…何でここに!?カンボジアは!?!?」 「し、試合は昨日終わりました。ここへは蘭さんに呼ばれて…」 「蘭!?」真っ赤な顔で園子が蘭の方を向くと、「私は安室さんに頼まれただけ〜」と飄々と返して、「いつもの仕返し!良かったわね、ダーリンが来てくれて。」と片目をつむって笑った。 はくはく、と魚のように口を開閉して赤い顔のまま園子が今度は安室の方を見ると、 「ラブレー氏を呼んでくださったお礼に、何か差し上げようと思ったんですが…これが一番お礼になるかと思いまして」とこれまた涼しげな顔で返された。 「…園子さん」 「え、えーっと、ち、違うのさっきのはそのあの」 「試合、勝ちました」 「…あ、えっと…おめでとう、真さん。メバチ・クン・ダンベル・ビョーンみたいなやつ、勝ったんだ……」 「クバチ・クン・ダンボン・ベンです。いやそれより……園子さん!!」 「は、はい!!!」 がしりと強い力で両肩を掴まれ、園子は思わず敬語で真と正面から向き合う。 「自分は今まで、強さを求めて生きてきました。でも貴女に会って、強さを求める事に新しい『理由』が出来ました。」 「…」 「自分勝手だとは百も承知しています…でも、園子さんに嫌われる位なら、自分はーー」 「ストップ!」 人差し指を突き立てて、園子は真の言葉を遮る。たじろぐ真に対して少し怒ったような顔で、園子は口を開いた。 「真さん。私、真さんが試合に出てるところ、好きだから。私の為に、真さんが自分の好きな事を諦めたら、自分で自分が許せなくなっちゃう」 「園子さん…ですが、」 「いーの!」 一転して、園子は笑った。真冬に健気に咲くスノードロップを思わせる、優しく慈愛に満ちたその笑みに、真は見惚れて言葉を失う。 「…いいの。私の事を、忘れちゃうんじゃなければ。何時も気に留めてくれるなら、何処に行ったって、何をしてたって、私は良いの。」 そして、一拍置いて、 「―――大好きよ!真さん!!」 と抱きついた。 『―――他の誰の為にも、作ったことのない君だけの香りだ』 何時からだったのだろう。ただ純粋に使ってくれる人の事を想って香りを作らなくなったのは。 『受け取って、欲しい』 勲章で得た称号や、周りからの評価に雁字搦めになり、人気の出る香りや人の顔色ばかりを伺って、調香していた。 『…………つつしんで。』 ましてや。 『つつしんで……………お受けします』 地位も名誉も金もなく、プロポーズのリングの代わりに作った香水を満面の笑みで受け取ってくれたあの時の彼女の笑顔を忘れてしまうなんて。 未だ「好き!好き好き真さん!」「こ、こ、こんな所で…破廉恥です園子さん!!」と赤面でごちゃごちゃ言い合ってる二人を背景に、ラブレー氏は立ち上がった。 「トオルさん、ありがとうございます。貴方のおかげで、私は大切な物を見失わずにすみそうだ。」 「いえ…そのお礼は私ではなく、どうぞ奥様へ」 安室のその言葉にラブレー氏ははにかむように笑うと、冗談混じりに言った。 「ですがしかし、妻が私の事を実は相当嫌っていて、今回の事をしでかしたのだとしたらどうします?実は知らないうちに指輪はもう質流れにあっていて、帰ったら妻は家出しているとか」 自虐というには過ぎたブラックジョークだったが、安室はその言葉に唇の端を歪めて返した。 「さあ、そうだったら僕の推理力が未熟だったと言わざるを得ませんが………。貴方に告白をさせた時と同じ手段を使った奥様から、貴方への愛情が無くなったとはとても思えなかったので」 「告白?……ああ、あの昔のガレット・デ・ロワの……………」 そこまで言って、ラブレー氏は驚きに言葉を失った。 まさか。 代わりに、安室が言葉を繋ぐ。 「貴方に当たりを引かせて、早く告白するよう仕向けたんでしょう。いやぁ、素晴らしい奥様ですね」 晴天の青空を思わせるほど爽やかな笑みを浮かべる安室を見て、ラブレー氏は双眸を手で覆った。 完敗だ。 けれども憑き物が落ちたようにさっぱりとした顔で、悔しさなどは滲ませず、ラブレー氏は晴れ晴れした顔で安室に右手を差し出した。 「約束です。最高の一品を、貴方に届けると誓いましょう。出来上がりを期待していてください」 安室もまた、その手を確りと握りしめた。 「ありがとうございます。完成を急かしてまた奥様に怒られてはいけませんので、気長にお待ちしております」 ―――こうして安室は、見事ラブレー氏に注文を受け付けてもらえたのだった。 「と、ところで園子さん…先程あの人から耳打ちをされていたように見えたのですが!」 「えっ、も、もしかして安室さんに嫉妬…?や、やだ真さんったら、安室さんはそんなんじゃ、」 「あの身のこなし、只者ではない予感がします…お手合わせ願えそうでしょうか?」 「って、そ、そっち…!?もーっ!!真さんの、バカーーーーーッ!!!!」 「えっ、えええっ、そ、園子さん…………!?」 (勝手にやってろバーロー…) 一進一退の京極と園子を見て、コナンは口角を引攣らせるのだった。 + + + 「安室さん」 人の居なくなったポアロで、片付けをする安室の背中にコナンは声をかける。 「ん?どうしたんだいコナンくん」 安室は洗ったばかりのコーヒーカップを布巾で拭きながら、時折蛍光灯の下に翳して汚れが残っていないか確認していた。 「ピエールさんに注文してた香り、梓さんにあげるの?」 「ええ?違うよ」 「じゃあ、別の人?―――『彼女』にあげるにしては、ちょっと香りが爽やか過ぎない?」 彼女、と言う声が少し低くなったのを聞いて、安室は手を止めてコナンを見遣った。 「―――もしかしてコナン君、僕が『彼女』に香水をあげると思ってるのかな?」 「違うの?」 試すようなコナンの目線を笑って一蹴すると、安室は再びカップを拭き始めた。 「『彼女』になんて贈らないよ。センスが無いのを笑われるだけさ」 「じゃあ、何でわざわざ香水なんて作ってもらったの?」 コナンの質問に、安室はぴたりと手を止める。安室のする事には何でもかんでも裏があると思っている。その警戒心こそが、彼が名探偵である所以なのかもしれなかった。 カチャ、とカップを食器棚に置いて、安室は口を開く。 「―――香水砂漠と言われるぐらい香水文化が定着していない日本において、ラブレー氏の香水の売り上げがどれぐらいを占めるか、コナン君知ってるかい」 「……え。し、知らない…」 「ラブレー氏が自分で立ち上げたブランド以外にも、有名なブランドと契約して作っている香水なんかもある。日本国内だと、ラブレー氏の香りだけで全体の1割はあるという。」 その数字が多いのか少ないのかあまりしっくり来なかったが、安室がこう言うからには多分多い方なのだろうなと判断し、コナンはへえと相槌を打った。 安室は続ける。 「だがもっと面白いのは、その売り上げのうち半分は日本ローカルの顧客では無く、海外客 (インバウンド) による売り上げだと言う事だ。ラブレー氏はこのアジア圏だと、日本と他二つの国でしかマーケットを開いていない。そして興味深いのは、その二つの国ですら自国ではなく日本で買おうとしてると言う事だ」 「日本の方が為替が安いってこと?」 コナンの言葉に安室は首を振った。「いや、金額は免税の事を考えてもそう変わらない。」 「じゃあ何で?」 「―――代購ビジネスと言ってね。日本人の倫理観や誠実さを『買って』、アジアの一部の国では自国にもあるものをわざわざ日本で買って自分達の国で売りさばくんだ。それに、そういう国においては輸入時の検査が厳しくて、新作の商品が遅い時には一年近く遅れる事があるから、日本でいち早く新作を手に入れて買おうとするんだよ。」 「ふぅん…それとピエールさんの話と、どう関係してくるの?」 安室は使っていた全ての食器をしまうと、食器棚の扉を閉めた。 「二週間前、ある情報が入った。ラブレー氏がもしかしたら引退するかもしれないという話だ。そして、もしかしたら彼の弟子が彼の事業を継ぐことになるかもしれないという話だった。」 「…?それで?」 「その時の候補に上がっていたお弟子さんというのが、あんまりアジア圏自体を好きじゃないという人でね……最悪の場合は、ラブレー氏の会社自体がアジア圏での営業を辞めて、店舗を撤退させるかもしれないという話まで出たんだ」 次は使ったシンクを掃除しながら、安室は続けた。 「―――正直な話をすると、僕は別にラブレー氏のファンと言う訳じゃあないんだ。勿論、彼の作った香りは素晴らしいものがあると思うよ。多くいる調香師の中で、抜きん出て素晴らしいと思う才能を、こんな素人でも確かに感じられる程だ。ただ個人的に、ラブレー氏の引退が惜しいかと言うとそういう訳じゃない。ただ、今この現時点で日本国内からラブレー氏の香りが無くなってしまうのは、全体から見れば微々たる数字とはいえ日本経済に打撃が来る。それだけは避けなければ行けないと思った。せめて次に人気の調香師が日本国内で根付くまで―――まだラブレー氏に引退して貰うわけにはいかなかったんだよ」 コナンは撞木で胸を突かれたように驚きの色を示した。 「じゃ、じゃあ、ピエールさんに引退を思い留まって貰うためだけに―――園子姉ちゃんの伝手を頼って香水の依頼をかけたって事…?」 「まあ、そうなるかな。注文を受けてもらえるかどうかは正直どっちでも良かったのさ。何が原因でラブレー氏が弟子にその地位を譲りそうになったのか、それが知りたかっただけだからね」 まあごくごく単純なミステリーで助かったよ、と涼しい顔で言う安室を、異星人を見つめるような目でコナンは見ていた。 「………安室さんって、世界経済の事考えながら警察してるの…………?」 化け物かよ。コナンは声にならない悪態を吐く。 だがコナンの言葉に安室は照れたように笑って言った。 「やだなあコナンくん。僕が考えてるのは日本の事だけだよ」 どっちにしろ化け物だろ!! コナンは心の中で叫んだが、結局言葉にはできず、「へえ…そうなんだ…」とだけ小さく呟いた。 本当にコエーな。この人。 コナンはいつかの時に話した安室の部下である長身を思い浮かべて、その心労を察して心の中で合掌するのだった。 + + + 『トオルへ 先日はどうもありがとう。 君と可愛い探偵のおかげで、妻との蟠りが解けたよ。本当に、感謝ししている。 君達の言っていた通り、やはり妻は私とゆったりした時間が取れなかった事に苛立ちを感じていたらしい。その妻の苛立ちを察した母親が協力して、少し困らせてやろうと先日の件を企てたはいいものの、予想以上に話が大きくなってしまって話を切り出せなくなってしまったのだそうだ。 彼女に聞いたら、告白の時の事も正直に打ち明けてくれた。やはり君の思っていた通りだったよ。寧ろ彼女はその事はもう私が知っているものと思っていたらしい。だから今回の件も、当時の事を思い出してくれれば、自然に彼女が犯人だと分かり、そしたら私が彼女を構うようになるはずだと思っていたのだそうだ。我が妻ながら、悪戯好きと言えば良いのか、幼過ぎると言えば良いのか分からないが………何はともあれ、世話になった。香水と一緒に送ったクッキーは、妻からのお詫びのしるしだそうなので、受け取ってほしい。 彼女のクッキーはフランス一といっても過言ではない。勿論、普段は私のものなので他のどのフランス人にも譲る気は無いがね。 さて、本題だが、君から注文を受けた香水だ。 君の依頼通り、ミントと鈴蘭、ジャスミンの香りが入っている。 だが香りを撒布してみると、その香りの中にまた違う香りがあるのが分かる筈だ。 その香りが何の香りか、分かったかな? …………そう、トオル、君の香りだ。 フランスのある農村では、『運命の恋人達は同じ香りを纏って生まれてくる』という言い伝えがある。その言葉の由来を辿るとどうやら陸地続きにやってくる他国の商売人を相手に香水(古い作りのもので当時はまだユイール・アンティークという名前だったのだが)を売るために作られた文句なのだそうだが、君に香りの注文を受けた時に、ビビっ!と思い出したんだ。 恋人達はいつどんな時代でも、離れていてもお互いがお互いのものだと分かるように同じ香りを身纏うものだ。 だが私が君に送ったこの香水は違う。 君と同じ香りをさせながら、それでもこの香りは一人でも生きていける。 だが、そこに君の香りが加わった時、二つの香りは大きな物語を紡ぎだす。それはまるでニコラ・フラメルが彼の妻の前で水銀の中に大量の賢者の石を投げ込み黄金を作り上げたが如くの奇跡とも言えよう。 ――――私とヴェロニクは、フランスの地で君がその奇跡を連れてきてくれるのを待っている。 愛を込めて (ミル・タンドレス) ピエール・J・ラブレー』 園子経由で安室宛に届いた小包みの中に、注文した香水と共に入っていた手紙を読み終えて、降谷はそっと息を吐いた。 もう一度読んでから、懐に手を入れ、スマートフォンを取り出す。 いつも3コールだ。 降谷は、この番号に電話をかけてそれ以上待たされた事はない。深夜でも、明け方でも、地球の反対側でも。 「――――風見か。お前の香水作ったからすぐ来い」 「意味が分かりません!!!!!!!」 果たして風見裕也は飛んで来た。 碌な説明もしてもらえぬまま降谷に一方的に電話を切られたのだが、どんな内容の電話だろうと風見が降谷の命に背いた事は一度としてないのだった。 「いや、前に言っただろ。あの…ラブレー氏の」 「あ、ああ…仮で香水を注文するとか何とかと仰っていたあれですか…。自分の様な無骨者に下さるより、榎本さんに差し上げられては?」 降谷の苦労の一欠片も知らぬ風見は、平気で非情な事を口にするが、降谷は噯にも顔に出さなかった。 「梓さんは前に僕のせいでネット炎上したって気にしてたんだぞ。そんな彼女に思わせぶりな物送って責任とれなかったら、僕はただのスケコマシじゃないか」 「スケコマ……」 風見は上司の古い物言いに閉口した。見た目が好青年であるだけに、偶に聞く黴の生えた言い回しと懐古嗜好にどうも違和感を覚えてしまう。 それはさておいて、降谷は送られてきた香水を風見の前に突き出した。 「それに、渡す事になるんだったら君が良いだろうと思って、イメージして作ってもらったんだ。世界でも指折りの名調香師に香りを作ってもらえる機会なんてそうそうないぞ。」 降谷はあえて香りについてしか言及しないが、ボトルのデザインも園子に紹介してもらった一流デザイナーに頼み込んで、風見のイメージを事細かに伝えて出来上がった一品だった。 清潔感と清涼感のあるグリーンのボトルは、風見のお気に入りのスーツの色を良く再現している。だが、風見がその事に気付く様子は無かった。 「ええ…そうなんですか…ありがとうございます」 驚きつつも嬉しさが顔に滲み出ているので、横目で確認して降谷は内心で拳を握った。 取り敢えずは、喜んでもらえている様で何よりだ。 「ふってみてもいいですか?」と風見が尋ねるのを二つ返事で了承すると、恐る恐ると言った様子で風見がスプレーを押す。 ぷしゅ、という音の後にふわりと香りが広かった。 スッキリとしたミントの香りと、爽やかな鈴蘭とジャスミン。降谷が『安室』としてラブレー氏に伝えたイメージが、忠実に再現されていた。 そして、残り香は。 「あれ?この香り…」 ドキリと降谷の心臓が跳ねる。だが何食わぬ顔で降谷は問うた。 「どうした?」 「いや、なんだかこの香り、何処かで嗅いだ様な……?」 そして風見はふと考え込んで、 「あ、もしかして」と徐に降谷に近づいたかと思うと、「やっぱり…降谷さんの香りに似てませんか?」すんすんと首元の匂いを嗅ぎながら降谷に問い返して来たのだった。 (お前 本当 そういうところがな!!) 降谷は脳内で風見に出足払いをかけて押し倒し、『こういう事されても文句言えないぞ!!』と説教したが、現実としては固まった顔のまま「………ああ」と返すのみだった。 恐るべき演技力である。突然のことで脳が処理しきれずキャパシティーオーバーになってしまったとも言うが。 「僕に近しい人間に贈ると言ったらオーダーしてもいないのに入れて来たんだ。どうやらそういう趣向らしいぞ。しかしル・ネとは一度嗅いだだけの香りをこれだけ細かく再現できるんだから凄いよな。」 降谷は自然に話を逸らそうとしたが、風見は「趣向?」と思案する様に首を傾げて、やがて合点がいったとばかりに手を叩いた。 「成程!いつ如何なる時でも降谷さんからの指令 (ミッション) を忘れるなという事ですね!肝に銘じます」 「…ん、あ、ああ………」 何だろう、当たらずと言えども遠からじというか。降谷はラブレー氏の手紙の内容を思い出す。 そう、恋人同士が同じ香りを贈り合うのは、例え側にいなくても自分の事を思い出して欲しいからでもある。 実際、五感の中で「嗅覚」だけは情動に直接伝わる感覚だ。古来、人間の祖先は香りを頼りに何が危険で何が安全かを選り分けていたからこそ、その名残で今現在人間は当時危険だった物の香りを「嫌い」、安全な場所に生えていた植物の香りを「好き」と分類するようになったのだろうというのが一般的な説である。 つまり「その人」と「その人が纏う香り」のイメージというのは、細胞レベルで他人に焼きつくのだ。だからこそ、第三者にとっては同じ香りを別の人物同士が纏い合っている事自体が充分なメッセージになるのだが。 『…いいの。真さんが私の事を、忘れちゃうんじゃなければ。何時も気に留めてくれるなら、何処に行ったって、何をしてたって、私は良いの。』 (……おんなじ気持ちでも、僕の場合はそんなに可愛いもんじゃないんだよなぁ…………) 降谷の場合、例え風見が降谷の知らぬ場所で降谷と同じ香りを纏っていたとしても。 やはりだから満足できる、とはどうしても言い切れなかった。 「………やっぱりその解釈、ちょっと保留で…」 「保留?」 香りだけでなく、その全てを自分のものにしたいと。 そう言える時になったら、ちゃんと言うから。 暫くは、何も知らずに付けていてくれ。 人前で堂々といちゃついていた京極と園子の二人を脳裏に浮かべて羨ましがりながら、降谷は深く溜息をつくのだった。 |お嬢様と探偵| 「ところで降谷さん、ガレット・デ・ロワって美味しいんですか?」 「ん?うーんそうだな…まあ年が明けたら焼いてきてあげるよ」 「あっ、も、もし自分の方にフェーブが入ってても、ちゃんと降谷さんを王様にします!!!」 「…(公安の皆で食べなよっていう意味で言ったんだが)君って結構、僕と二人でやるって事が前提になってること多いよな」 まあ、それがちょっと嬉しいんだけどさ。