今の状況は5年前に種を撒いた結果、芽が出て実ったのが今の自身の姿です。
不幸になる種を撒けば不幸になる。
現在苦しんでいる人は5年前に何をしていたか、何を望んでいたかの答えなのです。
「運命」というと「運命の人」といわれるように、あらかじめ自分にやってくると決まっているでき事のように思います。でも、結論から言うと、「自分で種を撒いた結果」です。
我が身に起こることで偶然はありません。
マリフナで逮捕された人も運が悪いのではなく吸ったからで、災いの種を撒いています。
原因がないと言うのは、
その人に原因が見つからないというだけであって、原因が存在しないのではありません。
スピード違反で捕まる原因は、スピード違反をしたからです。
スピード違反をしなければ捕まりません。
人生には、色々な不幸や災難が起きます。
そんな色々なできごとが起きたとき、「これは運命なのだろうか」と思います。
また、不穏な兆しがあると、「これからどんな運命が待ち受けているのだろう?」と思います。
「運命」というと、自分の人生にやってくるできごとをいいます。
果たして、自分に起きる運命は、あらかじめ決まっているのでしょうか?
決まっていないとすれば、どうすれば運命を変えられるのでしょうか
1.偶然論
2.神の与えたもの
3.宿命論
の3つです。
最初の「偶然論」とは、運命には何の原因もないというものです。
何かのアクシデントが起きると、「運が悪かった」といいます。
自分が不幸に見舞われたのは偶然で原因はないと考えると、自分の運命を自分でコントロールできません。自分の人生はまったく予測できないランダムの産物になります。
人間の知恵には限界があり、科学や医学でわかるのは、今のところ単純なことだけですので、まだまだ人間にわからないことはたくさんあります。
原因はないのではなく、必ずあるのですが、わからないだけです。
原因があるのに分からないとなると、
人間は、「運命は神によって与えられたものだとか、自分たちを超える大いなる存在に決められたのだ」と考えたくなります。これが、運命論「神の与えたもの」という考え方です。
このように考えている人は、何か苦しいことがあると、神が与えた試練だ」と考えます。
全知全能の神が存在して、その神が、自分を向上させるために、試練を与えていると考えるのです。
このような神の存在なしで、運命はすでに決まっているという考え方を「宿命論」といいます。
寿命はおおよそ「宿命」で決められています。
宿命より短命としたら悪霊に憑依されたか、恨まれて生霊に攻撃されたかです。
寿命は変えることが出来ませんが、生き方を変えることで人生は変わります。
5月25日午後11時頃
名古屋市中区栄4丁目の女子大小路の路上で、山城清幸容疑者が40代くらいの男性を刃物で何度も刺す殺人事件が発生。
このトラブルが動画で撮影されTwitterで拡散されています…
これを一部始終撮った人は災いの前兆です。
目の前で現れることは前兆なのです。
これを、「引き付けの法則」 といいます。
引き寄せの法則とは、「自分の中にある何かが、それに近しい何かを引いて近寄らせる」という意味です。