・新自由主義の帰結は巨大私企業群による集産主義体制である
http://kokuhiken.exblog.jp/27768045/
昔の社会主義思想では巨大資本による寡占化が進んだ資本主義は社会主義の前段階と捉えられていた。つまり「生産力に見合った生産諸関係の再編=社会主義革命」直前の段階と見られていた訳である。無論その予想は外れたが、生産手段がごく少数の多国籍企業に寡占される状況は実は社会主義的だと言える。
巨大資本による寡占化を肯定する新自由主義は社会主義と対立するように見えて「生産手段の独占」を肯定する点で実は昔の社会主義に近い思想なのではないか。社会主義政府は本当は資本家の所有物だったので社会主義政府による生産手段の所有は資本家が所有するのも同然だった。ネオリベと同じ帰結だ。
ネオリベはネオリベ批判者を社会主義者扱いする事があるが、実は「少数者による寡頭独占」を肯定する点でネオリベこそ社会主義者に近いと言える。昔の社会主義者は資本の所有と経営が分離し寡占化が進んだ資本主義を社会主義に近い段階だと見ていた。その状況を肯定するのがネオリベ。同根だと思う。
唯物史観のおかしい所は歴史の動因とする「生産力」を実体的に捉えている所だろう。「生産力」は科学の発展による。科学の発展は人間の精神活動による。つまり生産力の発展は人間の精神活動に依存する。であるから「上部構造」が「下部構造」の核である生産力を規定する側面があるとも言える訳である。
唯物史観もプラトン以来の西洋哲学史の伝統を色濃く受け継いでいると言える。プラトンが「イデア」、ヘーゲルが「絶対精神」としたものを唯物史観では「生産力」とする訳である。「究極の実体」「究極の動員」みたいなものを想定する発想がプラトニズムの公式なのである。唯物史観も西洋の伝統に忠実。
森嶋通夫が言うように唯物史観は産業革命期の英国の状況を説明するのには適している面があった。しかし、「18世紀の英国」という時間的空間的限定を離れて世界の歴史全般に当てはめる事は無理である。前にも書いたが歴史(観)とは一つの解釈である。歴史観を絶対のドグマにする事は傲慢なのである。
唯物史観の公式を日本史に当てはめてあれこれ論争する「日本資本主義論争」というのがあった。共産党系の講座派と無産政党系の労農派の対立である。唯物史観の公式は産業革命期の英国の説明であり、それとは全く事情が異なる我が国の歴史に適用する事はできない。特定の歴史観をドグマ化するのは愚か。
皮肉にもロシア革命の史実が唯物史観の公式を否定。当時のロシアは資本主義は未発達だった。唯物史観では生産力の発達が生産諸関係と矛盾する事で革命に至るとするが、当時のロシアにはその条件が欠けていた。それでも「革命」は起った。人工芝革命は歴史の必然ではなく資本家が人為的に引き起こす。
過去の歴史は現代を考える鑑になる。TPPや日欧EPA、TiSA、水道民営化等の「グローバル化」やジョージ・ソロスらが世界中で引き起こしている人工芝革命つまりはNWO征略は「歴史の必然」ではなく特定の集団の意志と計画、組織的動員によって引き起こされている純然たる人為的な現象である。
旧ソ連のような社会主義国家では生産手段を「共有」ではなく政府を牛耳る集団(「共産貴族」等の特権階級のみならず背後の国際金融資本家を含む)が「独占」した。新自由主義では「多国籍企業群が(ISD条項等によって)政府を支配し生産手段を独占する事」を狙う。実質的には同じ事だと言ってよい。
簡単に言うと新自由主義もかつてのソ連型社会主義も「富と権力の寡頭独占支配」が現実の帰結である。ネオリベが論敵を「社会主義者」呼ばわりするのは、己自身が社会主義者と同じだからこそ誤魔化しているのであろう。裏権力の影響下にあるイデオロギーはどれも「富と権力の独占」という帰結になる。
社会主義者は現代のような寡占化が進んだ資本主義を「社会主義化の前段階」としてある意味肯定した。新自由主義者も同じくこのような資本主義を肯定する。寡頭独占資本家は実は「競争」が大嫌い。ロックフェラー1世は「競争は悪だ」と言った。競争に脅かされる事無く富を独占するのが彼らの「理想」。
競争を嫌う寡頭独占資本家が「自由競争」を強調するのは市場をこじ開けようとする時である。例えばEUは日欧EPAなどで我が国に対して「非関税障壁の撤廃」を要求している。法律を制定したり、独自の規制を行なったりする事は国家主権の一部である。これを撤廃する事は外国資本への屈服を意味する。
寡頭独占資本家が「自由競争」を主張するのは市場をこじ開けたり「競争」すれば(実は競争になってないが)必ず勝てる時だけである。かつての社会主義者は寡頭独占状態の資本主義を社会主義一歩手前としてある意味肯定した。寡頭独占を肯定する点でネオリベも同じである。経済思想における左右両建だ。
経済決定論に立つ主流の社会主義者はヒューマニスト=人道主義者ではない。彼らは人間の意志を超越した「歴史の法則」を想定するので寡占状態の資本主義がどんなに非人道的でも社会主義の前段階と考えある意味で「歓迎」する。同じく新自由主義者も「市場原理」という法則を信奉し寡頭独占を肯定する。
社会主義者と新自由主義者は実は似ている。個々の人間の意志を超越した社会的な意味での「法則」を信じ、社会的経済的な現象は「法則」が決定する必然だと考える。寡頭独占資本主義について社会主義者は「社会主義の前段階」として「歓迎」し、新自由主義者は「市場原理」の当然の帰結として肯定する。
巨大企業を批判すると「社会主義者」みたいなレッテル貼りをされる場合があるが、実は巨大企業による寡頭独占を肯定する方が社会主義者に近い。マックス・ウェーバーが言うように巨大化した近代の企業体は官僚制と同質である。生産手段を独占する巨大な私企業群を「政府」にすれば社会主義体制になる。
「生産手段を独占する巨大な私企業群を「政府」にすれば社会主義体制になる」と書いたが、昨今の「自由貿易協定」に盛り込まれているISD条項はこれを実質的に実現する為の毒素条項である。ISD条項によって巨大私企業が実質的に政府を支配下に置き、政策や立法を左右する事ができるからである。
「NWOは世界社会主義体制」と言われる事があるが、「生産手段を寡占ないし独占する巨大私企業群が全世界の政府を支配する」事は確かに実質的に社会主義体制と同じである。新自由主義・市場原理主義の行きつく所は実は社会主義体制だという逆説である。これも弁証法戦略から導き出される陰謀だろう。
新自由主義・市場原理主義の「役割」とは、巨大私企業の横暴を許し、寡占状態を増々進展させる為の「露払い」と考えると辻褄が合う。そして生産手段を含むあらゆる財を独占する巨大私企業群がISD条項などで政府を支配下におけば、それは実質的に社会主義体制である。社会主義実現の為の新自由主義。
社会主義を「集産主義=コレクティヴィズム(Collectivism)」とも呼ぶ。生産手段の集中化を唱える主義である。この定義からすると、国際金融資本家が支配する巨大私企業群があらゆる富を独占(集中化)し、なおかつISD条項で政府機関をも支配下に置くなら、それは実質的に集産主義体制の完成である。
市場原理主義の行きつく先。実は集産主義体制に向かっている。新自由主義・市場原理主義が導く所は一見それらの主義とは真逆に見える集産主義体制である。規制を撤廃していけば巨大企業の独り勝ちになり、生産手段をはじめとする財の集中化が進むのは必定である。ネオリベ政策→寡占化→集産主義体制。
ネオコンの正体はトロツキー主義者だが、ネオリベの正体は寡頭独占を肯定する集産主義者だと分析する。もう一度整理する。①ネオリベ政策で規制を撤廃する②巨大企業の独り勝ちが進む③巨大私企業群に富が集中する(集産化)④ISD条項などで政府を支配下に置く➄集産主義(社会主義)体制の完成。
ネオリベが論敵を「社会主義者」呼ばわりするのは、ネット右翼が論敵を「サヨク」呼ばわりするのと同じである。ネオリベが導く所は集産主義であり、ネット右翼が信奉する清和会一味はネオコン=偽装転向トロツキスト=サヨクである。つまり、他者に自己投影しているだけである。左右両建に過ぎない。
・宗教法人法の改正はカルト支配ひいてはカルトを走狗とする裏権力の対日支配の終焉をもたらす
http://kokuhiken.exblog.jp/27643555/
米国では宗教組織が政治活動に関与した場合、免税特権を剥奪できる仕組みらしい。米国は日本に様々な制度改変の要求をしてくるが、宗教法人法改正は要求してこない。カルトが対日間接支配の道具になっているからか。組織として政治活動をした宗教団体の非課税特権を剥奪できればカルト支配が終焉する。
米国は財閥が財団を組織し、財団を通じてシンクタンクを支援、シンクタンクから連邦政府にスタッフを送り込むという支配構造なので、宗教団体を介した間接支配という日本の支配システムと違い、より直接的である。従って政治活動に関与した宗教団体の免税特権剥奪の仕組みを許しているのだと推測する。
米国の支配構造は「財閥→財団→シンクタンク→連邦政府」。対日支配構造は「財閥→財団→シンクタンク→ジャパンハンドラーズ→カルト→傀儡政治屋」。米国の場合、宗教団体よりシンクタンクの方が権力を持っていると分析する。前者は思想工作や手足となる動員力担当という面では日米共同じだろう。
宗教活動をする団体という事で免税特権が与えられているなら、政治活動に関与したら免税特権を剥奪するという仕組みは合理的。カルトが対日間接支配の道具として機能しているが、カルトを宗教活動に封じ込めるだけでもこの構造をかなり崩せると思う。問題は法律を作る国会議員がカルトの手先である事。
・高度なテクノロジーを悪用したNWO工作に注意
http://kokuhiken.exblog.jp/27767630/
国際秘密力の本丸に近い「フェビアン主義」は漸進主義である。ソ連型共産主義と逆で徐々に段階的にNWO化を推進するやり方。フェビアン主義的な思考では「不具合」を偽装して異変を起こし庶民がどう反応するかを見極めながら真綿で首を絞めるかのように統制を強める戦略を取ると分析する。
一番警戒を要するのは急進主義的な「武力クーデター」的なNWO戦略より(こちらも警戒すべき事には変わりないが)、真綿で首を締めるように徐々に統制を強めていく「ゆでガエル方式」のNWO戦略である。「一つ受け入れたら次の統制策を打ち出し」を繰り返すフェビアン主義的な手法が最も厄介だ。
よって裏権力の打ち出す統制策に対しては全て「受け入れない」という意志を断固示し続けるべきだと考える。フェビアン主義の手口からすると一つの統制策を庶民が受け入れたと見るや、次の段階の策を繰り出してくると思われる。常温の段階から徐々に沸騰させ我々庶民を「ゆでガエル」にする魂胆だろう。
NWO征略は「分断支配」が基本である。庶民同士の横の繋がりを断ち切って分断し、個々人を「世界政府」が直接支配せんとする。これは個人個人が孤独に「神」に向き合うとするカルヴァン主義やメンバー同士の横の繋がりが無く上意下達の指揮系統で組織中枢に従属する秘密結社のシステムに似ている。
秘密結社のシステムでは末端構成員同士の繋がりが無く、ひたすら組織中枢の命令を実行するというもの。このシステムを表社会にも適用しようとするのがNWO征略と言えるだろう。
全国の自治体がインターネットを通じて川の水位の監視や水門の管理を行なうシステムに不備が発見されたと報じられていた。最近は IoTと言ってあらゆる社会的インフラや生活用具などモノ全般をネットで接続する動きがあるが、世の中を支配しようと企む者にとっても非常に都合がいいと言えるだろう。
IoTであらゆるリアルな「モノ」が接続された場合に似たような事が起きればさらに大きな混乱を招く事になるだろう。
ネット上では「不具合」と称せられる不可解な動きが多いが、IoTであらゆる現実世界のモノが接続された上で同じ事が起きれば「事故」等に見せかけた現実のテロも引き起こす事が可能なのではないか。IoTは裏権力の社会操作にお誂え向きのシステム。だからこそ普及させているのでは。警戒を要する。
生活道具もネットに繋げるのが普通になれば、裏権力工作員は標的の家や家電、自家用車などに「誤作動」を起こさせて攻撃する事もできる。現にウィキリークスが暴露した所によるとCIAは自動車をハッキングしてターゲットを暗殺する計画を立てていたようだ。IoTの普及は用心した方がいいと思う。
あらゆる物をインターネットで繋ぐIoTは裏権力が推進するワンワールド構想の中でも中核的計画ではないかと睨んでいる。人間の思想・世界観というソフト面のみならず、生活用具やインフラというハード面をも「一つ」に繋げ、文字通り「ワンワールド」にするという裏権力らしい陳腐な発想を感じる。
あらゆるモノを繋いだ上で人工知能に管理させる計画なのだろう。自然科学的な発想をそのまま社会現象に適用すると間違いが起きやすいというのが近現代史の教訓(ソ連等)だが、「世界は超エリートによって自然科学的正確さで支配できる」というのが「NWO」なる構想(妄想)の根底にある発想である。
自然科学的な発想をそのまま社会現象に適用すると間違いが起きやすいのは人間が意思を備えているからである。意思を持つ人間の行動の複雑な関係性で成り立つ社会現象を自然科学的に裁断し予測する事は困難である。観察者の「観察」という行為自体が社会現象に影響を与える可能性もあるので尚更である。
意思を持つ人間から成る社会現象に自然科学的発想をそのまま適用する事はできない。逆に言えば無理に社会を自然科学的発想で支配しようとすれば人間から意思を剥奪しロボット化する事になる。裏権力が洗脳やマイクロチップ埋め込みなどで人間を意思無き機械の如くにしようとする動機はまさにこれでは。
整理すると次のようになる。①社会現象は自然科学の対象である自然現象とは異なる。②社会現象を構成する人間は意思を備えているからだ。③よって社会現象は自然現象以上に不確実性が大きい。④だから裏権力は社会を自然科学的に支配・管理する為に人間を自然科学的対象と等しく=モノ化しようとする。
自然科学的正確さで世界を支配しようとすれば、社会現象ひいては社会現象を構成する人間を自然科学の対象と同質化つまり「モノ化」する他はない。これが裏権力が人間をモノ扱いしてロボット化しようとする根本的動機だと分析する。このようにNWO構想は人間を冒涜する企みである。破NWOあるのみ。
IoTという「モノのインターネット」が推進されているが、人間をも「モノ」と見なす裏権力は人間にマイクロチップを埋め込む事で人間も「モノ」と化し、その上であらゆる社会インフラや生活用具と同様に「人間」をもIoTに接続して「一つの世界=NWO」とする、などと狂った事を考えていそうだ。
人間を「モノ」と見なしてマイクロチップを埋め込む。これほど酷い「物象化的錯視」もあるまい。人間を何だと思っているのだろうか。自然に対しても単なる「モノ」と思っているから好き放題に手を入れて気象を操作しようなどという発想になるのだろう。これ程「支配」に執着するのはもはや病気である。
米国で社員にマイクロチップを埋め込む企業が登場。少しずつ慣れさせて徐々に異常だと思わなくさせようとするのが裏権力のフェビアン主義的な漸進主義の手口なので注意が必要である。
【米国企業で初、従業員の体内へのマイクロチップの埋め込みを実施】
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/08/post-8107.php
ついに社員にマイクロチップを埋め込む会社が出現した。マイクロチップには個人情報が書き込まれているそうだ。裏権力はIoTであらゆるモノだけでなくマイクロチップを埋め込んだ人間をも繋げようとする可能性がある。こんな事が普及すれば完全な監獄社会=テクネトロニックエイジになりかねない。
何でも「徐々に」というのがフェビアン主義的な漸進主義のやり方。裏権力は一般の良識に反するNWO的実験を急激に行うと大きな反発を招くので、人々の反応を見ながら徐々に慣れさせていくやり方を取っていると分析する。異常なものは異常である。決して慣れさせられないように気を付けるべきである。
モノのインターネット=IoTを普及させ、人間にマイクロチップを埋め込んだ上で人間をもIoTに接続し、全体を人工知能に管理させる、というのが裏権力が考えている「テクネトロニックエイジ(ブレジンスキーが命名)=完全管理統制社会=監獄社会=NWO」の正体だと分析する。
高度なテクノロジーを利用したNWO妄想は「設計主義的合理主義」の極致と言える。「来る所まで来た」観がある。しかし、頭の中にある設計図通りに社会の設計ができる訳ではない事は歴史が証明している。それでも敢えて推進しようというのは支配欲という「我欲」以外の何ものでもないと言えるだろう。
イーロン・マスクが脳とコンピュータを直結する事や脳にAIを埋め込む事を主張している。最終的に脳とコンピュータとAIを一体化しインターネットに接続し管理統制する事が裏権力の狙いだと見る。まさに狂気のテクネトロニックエージ妄想。技術は極めて高度だが発想は極めて陳腐そして極めて危険だ。
技術力は非常に高度だが、「テクネトロニックエージ」だの「NWO」だの「ワンワールド」だのといった発想は極めて陳腐である。太古の昔から支配欲の強い連中が妄想してきた事だろう。だが普通の人はそれを実行しようなどとは考えない。金と権力を持つ犯罪者だけが実行を考える。
イーロン・マスクがUAE主催の「World Government Summit」なる会議で脳とコンピュータの直結を主張。トランスヒューマニズム運動の一環だろう。裏権力が次に何を狙っているかが丸わかりである。主張自体も主張がなされた場もNWO妄想丸出し。
【イーロン・マスク、「脳とコンピューターの直結」を主張】
http://jp.techcrunch.com/2017/02/14/20170213elon-musk-reiterates-the-need-for-brain-computer-interfaces-in-the-age-of-ai/
技術のレベルと技術を使った社会構想に関する発想のレベルは別物である。高度な技術力を悪用したア〇すぎる「社会構想」もある。「テクネトロニックエイジ」などがまさにそれだろう。「凄い技術」に幻惑されて、それを使って裏権力の連中が企む「社会構想」まで「凄い」と思い込まされないように注意。
最近「AIに支配されない為には脳とAIを融合させるしかない」という主張が出てきている。「人工知能脅威論」が盛んに喧伝されてきたのはこれの布石だったのかもしれない。人口知能を発達させる→人口知能の脅威を煽る→脳と人工知能の融合を主張。モノの見事な正・反・合の弁証法的プロセスである。
http://kokuhiken.exblog.jp/27768045/
昔の社会主義思想では巨大資本による寡占化が進んだ資本主義は社会主義の前段階と捉えられていた。つまり「生産力に見合った生産諸関係の再編=社会主義革命」直前の段階と見られていた訳である。無論その予想は外れたが、生産手段がごく少数の多国籍企業に寡占される状況は実は社会主義的だと言える。
巨大資本による寡占化を肯定する新自由主義は社会主義と対立するように見えて「生産手段の独占」を肯定する点で実は昔の社会主義に近い思想なのではないか。社会主義政府は本当は資本家の所有物だったので社会主義政府による生産手段の所有は資本家が所有するのも同然だった。ネオリベと同じ帰結だ。
ネオリベはネオリベ批判者を社会主義者扱いする事があるが、実は「少数者による寡頭独占」を肯定する点でネオリベこそ社会主義者に近いと言える。昔の社会主義者は資本の所有と経営が分離し寡占化が進んだ資本主義を社会主義に近い段階だと見ていた。その状況を肯定するのがネオリベ。同根だと思う。
唯物史観のおかしい所は歴史の動因とする「生産力」を実体的に捉えている所だろう。「生産力」は科学の発展による。科学の発展は人間の精神活動による。つまり生産力の発展は人間の精神活動に依存する。であるから「上部構造」が「下部構造」の核である生産力を規定する側面があるとも言える訳である。
唯物史観もプラトン以来の西洋哲学史の伝統を色濃く受け継いでいると言える。プラトンが「イデア」、ヘーゲルが「絶対精神」としたものを唯物史観では「生産力」とする訳である。「究極の実体」「究極の動員」みたいなものを想定する発想がプラトニズムの公式なのである。唯物史観も西洋の伝統に忠実。
森嶋通夫が言うように唯物史観は産業革命期の英国の状況を説明するのには適している面があった。しかし、「18世紀の英国」という時間的空間的限定を離れて世界の歴史全般に当てはめる事は無理である。前にも書いたが歴史(観)とは一つの解釈である。歴史観を絶対のドグマにする事は傲慢なのである。
唯物史観の公式を日本史に当てはめてあれこれ論争する「日本資本主義論争」というのがあった。共産党系の講座派と無産政党系の労農派の対立である。唯物史観の公式は産業革命期の英国の説明であり、それとは全く事情が異なる我が国の歴史に適用する事はできない。特定の歴史観をドグマ化するのは愚か。
皮肉にもロシア革命の史実が唯物史観の公式を否定。当時のロシアは資本主義は未発達だった。唯物史観では生産力の発達が生産諸関係と矛盾する事で革命に至るとするが、当時のロシアにはその条件が欠けていた。それでも「革命」は起った。人工芝革命は歴史の必然ではなく資本家が人為的に引き起こす。
過去の歴史は現代を考える鑑になる。TPPや日欧EPA、TiSA、水道民営化等の「グローバル化」やジョージ・ソロスらが世界中で引き起こしている人工芝革命つまりはNWO征略は「歴史の必然」ではなく特定の集団の意志と計画、組織的動員によって引き起こされている純然たる人為的な現象である。
旧ソ連のような社会主義国家では生産手段を「共有」ではなく政府を牛耳る集団(「共産貴族」等の特権階級のみならず背後の国際金融資本家を含む)が「独占」した。新自由主義では「多国籍企業群が(ISD条項等によって)政府を支配し生産手段を独占する事」を狙う。実質的には同じ事だと言ってよい。
簡単に言うと新自由主義もかつてのソ連型社会主義も「富と権力の寡頭独占支配」が現実の帰結である。ネオリベが論敵を「社会主義者」呼ばわりするのは、己自身が社会主義者と同じだからこそ誤魔化しているのであろう。裏権力の影響下にあるイデオロギーはどれも「富と権力の独占」という帰結になる。
社会主義者は現代のような寡占化が進んだ資本主義を「社会主義化の前段階」としてある意味肯定した。新自由主義者も同じくこのような資本主義を肯定する。寡頭独占資本家は実は「競争」が大嫌い。ロックフェラー1世は「競争は悪だ」と言った。競争に脅かされる事無く富を独占するのが彼らの「理想」。
競争を嫌う寡頭独占資本家が「自由競争」を強調するのは市場をこじ開けようとする時である。例えばEUは日欧EPAなどで我が国に対して「非関税障壁の撤廃」を要求している。法律を制定したり、独自の規制を行なったりする事は国家主権の一部である。これを撤廃する事は外国資本への屈服を意味する。
寡頭独占資本家が「自由競争」を主張するのは市場をこじ開けたり「競争」すれば(実は競争になってないが)必ず勝てる時だけである。かつての社会主義者は寡頭独占状態の資本主義を社会主義一歩手前としてある意味肯定した。寡頭独占を肯定する点でネオリベも同じである。経済思想における左右両建だ。
経済決定論に立つ主流の社会主義者はヒューマニスト=人道主義者ではない。彼らは人間の意志を超越した「歴史の法則」を想定するので寡占状態の資本主義がどんなに非人道的でも社会主義の前段階と考えある意味で「歓迎」する。同じく新自由主義者も「市場原理」という法則を信奉し寡頭独占を肯定する。
社会主義者と新自由主義者は実は似ている。個々の人間の意志を超越した社会的な意味での「法則」を信じ、社会的経済的な現象は「法則」が決定する必然だと考える。寡頭独占資本主義について社会主義者は「社会主義の前段階」として「歓迎」し、新自由主義者は「市場原理」の当然の帰結として肯定する。
巨大企業を批判すると「社会主義者」みたいなレッテル貼りをされる場合があるが、実は巨大企業による寡頭独占を肯定する方が社会主義者に近い。マックス・ウェーバーが言うように巨大化した近代の企業体は官僚制と同質である。生産手段を独占する巨大な私企業群を「政府」にすれば社会主義体制になる。
「生産手段を独占する巨大な私企業群を「政府」にすれば社会主義体制になる」と書いたが、昨今の「自由貿易協定」に盛り込まれているISD条項はこれを実質的に実現する為の毒素条項である。ISD条項によって巨大私企業が実質的に政府を支配下に置き、政策や立法を左右する事ができるからである。
「NWOは世界社会主義体制」と言われる事があるが、「生産手段を寡占ないし独占する巨大私企業群が全世界の政府を支配する」事は確かに実質的に社会主義体制と同じである。新自由主義・市場原理主義の行きつく所は実は社会主義体制だという逆説である。これも弁証法戦略から導き出される陰謀だろう。
新自由主義・市場原理主義の「役割」とは、巨大私企業の横暴を許し、寡占状態を増々進展させる為の「露払い」と考えると辻褄が合う。そして生産手段を含むあらゆる財を独占する巨大私企業群がISD条項などで政府を支配下におけば、それは実質的に社会主義体制である。社会主義実現の為の新自由主義。
社会主義を「集産主義=コレクティヴィズム(Collectivism)」とも呼ぶ。生産手段の集中化を唱える主義である。この定義からすると、国際金融資本家が支配する巨大私企業群があらゆる富を独占(集中化)し、なおかつISD条項で政府機関をも支配下に置くなら、それは実質的に集産主義体制の完成である。
市場原理主義の行きつく先。実は集産主義体制に向かっている。新自由主義・市場原理主義が導く所は一見それらの主義とは真逆に見える集産主義体制である。規制を撤廃していけば巨大企業の独り勝ちになり、生産手段をはじめとする財の集中化が進むのは必定である。ネオリベ政策→寡占化→集産主義体制。
ネオコンの正体はトロツキー主義者だが、ネオリベの正体は寡頭独占を肯定する集産主義者だと分析する。もう一度整理する。①ネオリベ政策で規制を撤廃する②巨大企業の独り勝ちが進む③巨大私企業群に富が集中する(集産化)④ISD条項などで政府を支配下に置く➄集産主義(社会主義)体制の完成。
ネオリベが論敵を「社会主義者」呼ばわりするのは、ネット右翼が論敵を「サヨク」呼ばわりするのと同じである。ネオリベが導く所は集産主義であり、ネット右翼が信奉する清和会一味はネオコン=偽装転向トロツキスト=サヨクである。つまり、他者に自己投影しているだけである。左右両建に過ぎない。
・宗教法人法の改正はカルト支配ひいてはカルトを走狗とする裏権力の対日支配の終焉をもたらす
http://kokuhiken.exblog.jp/27643555/
米国では宗教組織が政治活動に関与した場合、免税特権を剥奪できる仕組みらしい。米国は日本に様々な制度改変の要求をしてくるが、宗教法人法改正は要求してこない。カルトが対日間接支配の道具になっているからか。組織として政治活動をした宗教団体の非課税特権を剥奪できればカルト支配が終焉する。
米国は財閥が財団を組織し、財団を通じてシンクタンクを支援、シンクタンクから連邦政府にスタッフを送り込むという支配構造なので、宗教団体を介した間接支配という日本の支配システムと違い、より直接的である。従って政治活動に関与した宗教団体の免税特権剥奪の仕組みを許しているのだと推測する。
米国の支配構造は「財閥→財団→シンクタンク→連邦政府」。対日支配構造は「財閥→財団→シンクタンク→ジャパンハンドラーズ→カルト→傀儡政治屋」。米国の場合、宗教団体よりシンクタンクの方が権力を持っていると分析する。前者は思想工作や手足となる動員力担当という面では日米共同じだろう。
宗教活動をする団体という事で免税特権が与えられているなら、政治活動に関与したら免税特権を剥奪するという仕組みは合理的。カルトが対日間接支配の道具として機能しているが、カルトを宗教活動に封じ込めるだけでもこの構造をかなり崩せると思う。問題は法律を作る国会議員がカルトの手先である事。
・高度なテクノロジーを悪用したNWO工作に注意
http://kokuhiken.exblog.jp/27767630/
国際秘密力の本丸に近い「フェビアン主義」は漸進主義である。ソ連型共産主義と逆で徐々に段階的にNWO化を推進するやり方。フェビアン主義的な思考では「不具合」を偽装して異変を起こし庶民がどう反応するかを見極めながら真綿で首を絞めるかのように統制を強める戦略を取ると分析する。
一番警戒を要するのは急進主義的な「武力クーデター」的なNWO戦略より(こちらも警戒すべき事には変わりないが)、真綿で首を締めるように徐々に統制を強めていく「ゆでガエル方式」のNWO戦略である。「一つ受け入れたら次の統制策を打ち出し」を繰り返すフェビアン主義的な手法が最も厄介だ。
よって裏権力の打ち出す統制策に対しては全て「受け入れない」という意志を断固示し続けるべきだと考える。フェビアン主義の手口からすると一つの統制策を庶民が受け入れたと見るや、次の段階の策を繰り出してくると思われる。常温の段階から徐々に沸騰させ我々庶民を「ゆでガエル」にする魂胆だろう。
NWO征略は「分断支配」が基本である。庶民同士の横の繋がりを断ち切って分断し、個々人を「世界政府」が直接支配せんとする。これは個人個人が孤独に「神」に向き合うとするカルヴァン主義やメンバー同士の横の繋がりが無く上意下達の指揮系統で組織中枢に従属する秘密結社のシステムに似ている。
秘密結社のシステムでは末端構成員同士の繋がりが無く、ひたすら組織中枢の命令を実行するというもの。このシステムを表社会にも適用しようとするのがNWO征略と言えるだろう。
全国の自治体がインターネットを通じて川の水位の監視や水門の管理を行なうシステムに不備が発見されたと報じられていた。最近は IoTと言ってあらゆる社会的インフラや生活用具などモノ全般をネットで接続する動きがあるが、世の中を支配しようと企む者にとっても非常に都合がいいと言えるだろう。
IoTであらゆるリアルな「モノ」が接続された場合に似たような事が起きればさらに大きな混乱を招く事になるだろう。
ネット上では「不具合」と称せられる不可解な動きが多いが、IoTであらゆる現実世界のモノが接続された上で同じ事が起きれば「事故」等に見せかけた現実のテロも引き起こす事が可能なのではないか。IoTは裏権力の社会操作にお誂え向きのシステム。だからこそ普及させているのでは。警戒を要する。
生活道具もネットに繋げるのが普通になれば、裏権力工作員は標的の家や家電、自家用車などに「誤作動」を起こさせて攻撃する事もできる。現にウィキリークスが暴露した所によるとCIAは自動車をハッキングしてターゲットを暗殺する計画を立てていたようだ。IoTの普及は用心した方がいいと思う。
あらゆる物をインターネットで繋ぐIoTは裏権力が推進するワンワールド構想の中でも中核的計画ではないかと睨んでいる。人間の思想・世界観というソフト面のみならず、生活用具やインフラというハード面をも「一つ」に繋げ、文字通り「ワンワールド」にするという裏権力らしい陳腐な発想を感じる。
あらゆるモノを繋いだ上で人工知能に管理させる計画なのだろう。自然科学的な発想をそのまま社会現象に適用すると間違いが起きやすいというのが近現代史の教訓(ソ連等)だが、「世界は超エリートによって自然科学的正確さで支配できる」というのが「NWO」なる構想(妄想)の根底にある発想である。
自然科学的な発想をそのまま社会現象に適用すると間違いが起きやすいのは人間が意思を備えているからである。意思を持つ人間の行動の複雑な関係性で成り立つ社会現象を自然科学的に裁断し予測する事は困難である。観察者の「観察」という行為自体が社会現象に影響を与える可能性もあるので尚更である。
意思を持つ人間から成る社会現象に自然科学的発想をそのまま適用する事はできない。逆に言えば無理に社会を自然科学的発想で支配しようとすれば人間から意思を剥奪しロボット化する事になる。裏権力が洗脳やマイクロチップ埋め込みなどで人間を意思無き機械の如くにしようとする動機はまさにこれでは。
整理すると次のようになる。①社会現象は自然科学の対象である自然現象とは異なる。②社会現象を構成する人間は意思を備えているからだ。③よって社会現象は自然現象以上に不確実性が大きい。④だから裏権力は社会を自然科学的に支配・管理する為に人間を自然科学的対象と等しく=モノ化しようとする。
自然科学的正確さで世界を支配しようとすれば、社会現象ひいては社会現象を構成する人間を自然科学の対象と同質化つまり「モノ化」する他はない。これが裏権力が人間をモノ扱いしてロボット化しようとする根本的動機だと分析する。このようにNWO構想は人間を冒涜する企みである。破NWOあるのみ。
IoTという「モノのインターネット」が推進されているが、人間をも「モノ」と見なす裏権力は人間にマイクロチップを埋め込む事で人間も「モノ」と化し、その上であらゆる社会インフラや生活用具と同様に「人間」をもIoTに接続して「一つの世界=NWO」とする、などと狂った事を考えていそうだ。
人間を「モノ」と見なしてマイクロチップを埋め込む。これほど酷い「物象化的錯視」もあるまい。人間を何だと思っているのだろうか。自然に対しても単なる「モノ」と思っているから好き放題に手を入れて気象を操作しようなどという発想になるのだろう。これ程「支配」に執着するのはもはや病気である。
米国で社員にマイクロチップを埋め込む企業が登場。少しずつ慣れさせて徐々に異常だと思わなくさせようとするのが裏権力のフェビアン主義的な漸進主義の手口なので注意が必要である。
【米国企業で初、従業員の体内へのマイクロチップの埋め込みを実施】
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/08/post-8107.php
ついに社員にマイクロチップを埋め込む会社が出現した。マイクロチップには個人情報が書き込まれているそうだ。裏権力はIoTであらゆるモノだけでなくマイクロチップを埋め込んだ人間をも繋げようとする可能性がある。こんな事が普及すれば完全な監獄社会=テクネトロニックエイジになりかねない。
何でも「徐々に」というのがフェビアン主義的な漸進主義のやり方。裏権力は一般の良識に反するNWO的実験を急激に行うと大きな反発を招くので、人々の反応を見ながら徐々に慣れさせていくやり方を取っていると分析する。異常なものは異常である。決して慣れさせられないように気を付けるべきである。
モノのインターネット=IoTを普及させ、人間にマイクロチップを埋め込んだ上で人間をもIoTに接続し、全体を人工知能に管理させる、というのが裏権力が考えている「テクネトロニックエイジ(ブレジンスキーが命名)=完全管理統制社会=監獄社会=NWO」の正体だと分析する。
高度なテクノロジーを利用したNWO妄想は「設計主義的合理主義」の極致と言える。「来る所まで来た」観がある。しかし、頭の中にある設計図通りに社会の設計ができる訳ではない事は歴史が証明している。それでも敢えて推進しようというのは支配欲という「我欲」以外の何ものでもないと言えるだろう。
イーロン・マスクが脳とコンピュータを直結する事や脳にAIを埋め込む事を主張している。最終的に脳とコンピュータとAIを一体化しインターネットに接続し管理統制する事が裏権力の狙いだと見る。まさに狂気のテクネトロニックエージ妄想。技術は極めて高度だが発想は極めて陳腐そして極めて危険だ。
技術力は非常に高度だが、「テクネトロニックエージ」だの「NWO」だの「ワンワールド」だのといった発想は極めて陳腐である。太古の昔から支配欲の強い連中が妄想してきた事だろう。だが普通の人はそれを実行しようなどとは考えない。金と権力を持つ犯罪者だけが実行を考える。
イーロン・マスクがUAE主催の「World Government Summit」なる会議で脳とコンピュータの直結を主張。トランスヒューマニズム運動の一環だろう。裏権力が次に何を狙っているかが丸わかりである。主張自体も主張がなされた場もNWO妄想丸出し。
【イーロン・マスク、「脳とコンピューターの直結」を主張】
http://jp.techcrunch.com/2017/02/14/20170213elon-musk-reiterates-the-need-for-brain-computer-interfaces-in-the-age-of-ai/
技術のレベルと技術を使った社会構想に関する発想のレベルは別物である。高度な技術力を悪用したア〇すぎる「社会構想」もある。「テクネトロニックエイジ」などがまさにそれだろう。「凄い技術」に幻惑されて、それを使って裏権力の連中が企む「社会構想」まで「凄い」と思い込まされないように注意。
最近「AIに支配されない為には脳とAIを融合させるしかない」という主張が出てきている。「人工知能脅威論」が盛んに喧伝されてきたのはこれの布石だったのかもしれない。人口知能を発達させる→人口知能の脅威を煽る→脳と人工知能の融合を主張。モノの見事な正・反・合の弁証法的プロセスである。