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駅前の路上でオリジナルソングがなってる少年は、自分の耳で感じ考え、歌いながらおかしなところは直し、大体はパタンの中でやってるけれど、それなりに心を尽くしている。芸名飛鳥涼の彼はそれを非常に大胆なジャンプも含めてやっていたと思います。惜しかった。剣士からやり直してほしいと思います
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僕は沢田研二という人は才能があるソングライターだと思います 渚のラブレター という楽曲があり、非常に面白い展開がありますが それを知ったかぶりした3流ポップス売音業が「はっきりいっていまいち」とかくさし、そりゃあんたの耳とおつむだろ、と高校生のころ思ったのを思い出しました
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俳句でも同じだそうで いろいろ季語を入れてこねくって有職故実で人をけむに巻きながら同人会費をせしめる宗匠がおおいそうですよ金子兜太さんにいわせると。「そんなものは、無ですな、無。存在しないのと同じだ」と斬って捨てられていました敢て名前などはここに書きませんがそれなりに知られた俳人
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三木稔さんなんて、楽曲だけ知っていた時には 弾かされたりもしたけど アレルギー的にダメだったことが多かった。ところがご本人とお話し、あんなにさわやかで知的な人がああいうコダーイみたいな事をするのに、なるほどと得心がゆきました。彼は彼の道、立派な人生と思います
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中途半端なありものの模倣のくせして「優等生」ぶるのはみっともなく、また世界でも全く通用しないこと なにもないところから 粗削りでも 自分自身で作ること と 教わるわけ。そこから矢代さんと三木稔の正反対が出るわけだけど、いずれも話せば全く通じる、ある本質があるわけですね。
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パージの余波でやってきた30過ぎの伊福部昭はティーンの黛矢代など東京音楽学校の生徒共に「創作とは村はずれのお地蔵さんのアタマにカラスが糞を落とした、その形と色に美を見出すような人間がすることだ!」などと檄を飛ばし、今生き残ってるのは例外を除くと本当に僕とかの世代かもしれないけれど
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僕が松村に就いて、一番大きかったのはここだと思いますね。いま子供たちが小さく優等生にまとまろうとしているのを見るとき、昔言われたのと同じ事をいってやるわけ。ただ同じ表現だと通じないけれどもね
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詩ですよ詩、どうしようもない散文的な日常を 一瞬にして別のものに変質させてしまうような 瞬間の驚きとその固定、あるいは消散。そのようにして唾棄すべき日常を転倒してゆく、おわりのない戦略を走り続けることでしかないのだから 音楽を本質的に新たに作るなどということは。
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ショスタコーヴィチのシンフォニーとか、調性の音楽ですがいたるところ「禁則」だけで出来てるような動機で展開してゆくでしょ? なにやってもいいの。日本の入試だけおかしな芸事で音楽史と別のことになっている。かつ音楽で食うならポップスのほうがお金が入る。矛盾を矛盾が支えている。
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私は芭蕉の国、兜太の国の音楽家であって、別段欧州に媚を売る必要などないので そのようにさせて頂く ただそれだけのこと^^ 自由と自律、そして透徹
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だから連続五度でも併達五度でも、何でもやってみたらいいわけで、うまくできたらよかったね音程声楽で外れたらあら残念てなもの以上の意味はない。エクリチュールが自律化してゆくのは、その先のもっと高度な部分であって、それは個人の書法を磨き感性するしかない Laïcité soi-meme これがフランス
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中学2年生は「はい芸高受けます理論、ならこの本」って「原理」とかいろいろヘンにまとめた赤黄青とか習ったわけですが、その理由が分からず、名取になるべくおっしょさんのやる通り真似する芸事が固定化したのが、日本の高度な音楽教育の一つの不幸で池内門下はハッキリそれを免れた筈だったのですが
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例えば8度並行の連続はダメと教えますが通奏低音はずっとオクターブですよね。まともに子供にこれ質問されたとき教えられますか?私は大人になって自分で知りました。声楽で 歌うと8度の連続は音程がずれやすく見っともないから避けよという先人の知恵で器楽と別の経験知。若い先生達解ってるかな?
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つまるところ大義名分と思うんですね日本人かどうかなんて。ウチは古い家で僕は嫡男ではあるけれど、曾祖母は芸者できれいな人で(もっと似たらよかったのに)どういうルーツか全く知らない。小雪さんという名前だけ。上の世代に様々なアジアやコーカサスがあるのかもしれない。女帝問題同様くだらない
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こういう生命の「計算」が知性も心も、意識も衝動も、それらのアソシエーションも作り出しているわけで https://www.youtube.com/watch?v=7Hk9jct2ozY … 現在の機械的なシステムに可能なことは もっとモジュール限局的に考えるほうが 結果的に生まれるものは多いでしょう
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それは、例えば武満さんとかタケミツトーンなどと呼ばれるようなワンパタンの自己憐憫に堕ちてだんだん仕事出来なくなってゆく過程をすぐ横でみていて、こりゃだめだなとおもったわけ。バルトークとかそういうことはない。方法で自分を作ってゆくから結果的に自家中毒などには絶対陥らない これが正解
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例えば弦楽器のハーモニックポイントを押さえたり押さえなかったり、その間を勝手に行き来したりする書法を 僕は勝手に作って常用しているわけですが、別に個性的とかそういうことではなくそういう響きが面白くて好きだからやってるだけ。何か自家中毒で「個性的なスタイル」なんてことは一切考えない
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心の現象も間違いなく演算過程と思いますがそこでのアルゴリズムは極めて動的かつ並列的でhttps://www.youtube.com/watch?v=7Hk9jct2ozY … いま考えられているようなスタティックな構造とかけ離れたホメオスタシスの本質に立脚するものでしょう。これはシュレーディンガーやデルブリュックが考えた原点そのものでもあります
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詩情 というものと 縁の薄い時間を長く過ごしてしまった。これは反省で、図式的な思考を去り、もっとポエティックに残りの時間は使うことにしたいと思う。体系だってギチギチにロジックを詰める仕事ばかりしてきたのを反省している。
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この辺がどうも 僕が日本の大学で意思疎通しにくかったところで、私は1980年代時点で一個の芸術音楽家であって、誰にもおもねらないし、誰とでもご一緒して建設的に物事を考えるし、自分は生涯一音楽人として 音楽を作り演奏するだけの人間ですから
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W.パウリが言ってますよね、専門家になっちゃだめだと、物理学者であるべきだと。つまり「実験屋」として「理論屋」と対抗したりしたら、それはすでに自然哲学ではないのだと。M.ボルンの影響も大きいと思います。立場ありきのポジショントークではなく、自然そのものと対話する。
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例えば細胞内の「線路」を一歩一歩「二足歩行」して歩く分子。奴の行動は明らかに「意図」をもっているように私たちはみるわけだけれど、彼はそのようにプログラムされているからそうやって動いているだけ。でもそのどこかに意思や心につながる端緒がある。ホメオスタシス https://www.youtube.com/watch?v=wJyUtbn0O5Y…
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さっきのハーヴァードの動画、まあ演出もありますが、面白いと思うのはやはり、DNAのテープを読みだしてゆくあたりで、嫌でもチューリングマシンを想起しますよね^^ AIが意識や心を持つ、というようなとき、無駄に固定階層を増やしても本質に近づかないのは知る人には常識と思います
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あくまでCDですが バラバラの分子が構造を作って情報を伝え、また分解され、再構造化し・・・といった風景 こんな風に描かれています https://www.youtube.com/watch?v=wJyUtbn0O5Y …https://twitter.com/tamuuuuuu/status/1207986111441588226…
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教養って 何かしかつめらしいことを言う人もあるけれど 僕が例えば「山本研スポンガー」環境などで知った楽しみは、この種の、言ってみれば少しSFがかった おもしろ真面目の思索とディスカッションの楽しみですよね。まじめに考えるのが 楽しみ方のコツ^^
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人はしばしば、自分の心身その他に矛盾を抱えますよね?例えば思春期の初恋などというものは、身体接触どころか言葉に出すことも出来ずに終わるのが普通ですよね人間の場合。では黒ツグミではどうか? タコの初恋は? ネコの恋はにゃーにゃーうるさいですが^^
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生は常に死によって裏打ちされているのが特徴でしょう。つまり常に壊され続けているから 元のままの形を伴っているように見える出来事なわけです意識にしても心にしても。同じ人が眠っていたり脳梗塞になったり死んだりしたら 心の現象は同じ身体で創発しなくなるでしょう?親の介護と死で学びました
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あと言っちゃうと、ドーキンスではないですが、生命って利己的ですよね。また人間性は利他的であったりもする。そういうシステムの演算原理なんて およそ私たちはまだ知らない。機械学習はゲジゲジの節足にまだ追いつきませんが、それと別のレベルの原理が間違いなく複数
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別の見方。僕らの体内ではマクロファージ、白血球の類が異分子の混入に対して連携して「行動」ホメオスタシスを維持しますが、彼らの「意識」はどう制御されている? 意識あるわけです。明確に行動しているから。でもニューラルなシステムは完全に欠いている。興味尽きない対象です
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で SF古典的にいつも議論になるのが「植物には意識があるか?」という話で、短期的にみるとおよそそう見えないのに 驚愕するしかない生存戦略を 植物たちは取りますよね? 手塚治虫が火の鳥で考えた問題の一つも ここにありました 植物意識あったらそうとう頑固そうです 石の上に300年byコケ
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人間はしなくてもよいことになぜか駆り立てられます。初鹿代議士は脱がなくてもよいズボンをやめとけばよいときに脱いだり着たりして会派を辞したりしてもいる。生命はしばしば愚かです。私たちは機械をそのようには設計しません。必然的に別ものになります
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例えばカマキリには意識と知性と感情が充分観察されるわけですよね。複眼で世界を認識し、そっと獲物に近づいて一挙に狩る。怒って威嚇したりもする。まさに意識と知性そのものですが、ニューラルな構造は脊椎動物と相当ことなっている 心の座はどこにあるか?
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先に結論を書いてしまうなら、単細胞プランクトンにすら「意識」「心」に類したものは観察されるわけで、細胞レベルの動的なインスタビリティによって意識現象という出来事が時々刻々更新されている可能性が高く、まずはその分子生物学的解明が先になるでしょう。ブレナー流ではそうなります
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動物は心を持つか?・・・持たないというひともいますが・・・当然ながら多くの動物は情動emotionを持ちます。意識と情動を進化樹的にどこまで遡行出来るか検討すればザリガニもカマキリも怒るわけで、深層学習などとはかなり無縁な未知のモジュールが本質的と知れることになる。
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2004年時点で「今進んでる人工知能研究の99.9%は屑籠行き」と教えてくれたのは シドニー・ブレナーでした。彼が50年以上前 C-エレガンスのゲノム確定に着手した動機は脳の分子生物学解明が目的で、皮質レベルのニューロプロセスに心や意識創発の原点はあきらかにないわけです
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だから「AIに心を持たせる」みたいな pseudo science は過不足なくいって ill-posed problem 解答することが原理的に困難な「設定不良問題」と 合理的に判断されることになります。単純なのに極めて解くのが難しい難問
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たとえば「ほや」には意識があるのでしょうか? シジミやハマグリ、アサリは? 答えはYesで、あきらかに生存のためさまざまな行動をとっているので実は自明。ニューロンは関係してこないんですね 意識現象の原点においては。別のメカニズムで出来ている
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ここ10年隆盛している機械学習は基本的にヒトの高度な認知演算の一部だけを取り出して模倣するもので 基本的な生命体としての積み上げと無縁であるのに加え 倫理の場となるモジュールを基本的に欠く。その明確な認識共有が重要:ミュンヘンでの議論から
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例えば昆虫の脳は脊椎動物のそれと大きくことなる。もちろん彼らも意識をもつ。交尾などもする。いかなる演算原理で彼らが意識、自己意識などを持つのか、いまだ殆ど解明されていない。ただ昆虫の自己意識が私たちのそれとはかなり異なるのは間違いないだろう 軍隊蟻、ミツバチ等考えてもちょっと怖い
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AIの議論で生物の意識を再現できないのは、高度に進化した脊椎動物の多層ニューロン前提で、分子進化初期の意識の創発と無関係な所を掘っているので、設定不良的であることは知る人はみな知っている。にわか作りでAI参入などすると こういうことが判らないことになったりする。