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 性的暴行を受けたとして、ジャーナリストの伊藤詩織さんが元TBSワシントン支局長の山口敬之氏に1100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は18日、山口氏に慰謝料など330万円の支払いを命じた。

 記事を読む限り、裁判所は伊藤さんの側の主張をほぼ全面的に認めている。

 一方、山口氏は「伊藤さんに名誉を棄損され、社会的信頼を失った」などとして1億3000万円の損害賠償や謝罪広告を求めて反訴していたが、棄却された。判決では「(伊藤さんが)自らの体験を明らかにし、広く社会で議論をすることが性犯罪の被害者をとりまく法的、社会状況の改善につながるとして公益目的で公表したことが認められる。公表した内容も真実である」としている。

 判決のこの部分には、万感がこもっている。

 いや、裁判官が判決文の中のカギカッコで囲われた部分を書くに当たって、万感をこめていたのかどうかは、正直なところ、わからない。

 ただ、この部分の文言を読んで、万感胸に迫る思いを抱くに至った人々は少なくないはずだ。私もその一人だ。というのも、この一文は、個々の単語の意味を超える歴史的な意味を持っているからだ。いずれにせよ、この一文は、性被害に苦しむ女性のみならず、様々な困難に直面している様々な立場の人々に勇気を与える得難いセンテンスだと思う。東京地裁の英断と勇気に感謝したい。

 勝訴という結果もさることながら、この数年間、伊藤さんが、自身の被害を明らかにしつつ、書籍を出版し、メディアの取材に答え、訴訟を起こすことで性犯罪者を告発してきた活動を、裁判所が「公益目的」と定義し、さらに、その彼女の自身の身を晒した命がけの主張を「真実」として認定したことの意義も、声を大にして評価しなければならない。

 地裁の判決は、最終的な結果ではないし、争いはこれからも続くわけなのだが、とにかく、長い道のりの中の最初の難局面を、祝福の声を浴びながら越えることができたことの意味は小さくない。

 判決を受けて、山口氏は、公開で会見を開いている。

 というよりも、山口氏と彼を支援する人々は、判決を待ち構えて、ライブ配信の体制を整えていたわけだ。

 その動画は、現在でも録画放送のYouTube動画としてインターネット上で視聴することができる。

 私は、会見の当日、外出していたため、ライブ配信の会見動画は見ていないのだが、そのハイライト部分は、テレビのニュース番組でも紹介されている。

 18日の夜、私は、テレビニュースの画面をキャプチャーした@kishaburaku氏のツイートに、以下のようなコメントを付加したリツイート(RT)を投稿した。

 《えーと、これはつまり、「本当に性被害に遭った女性は、笑顔や表情の豊かさを失っていて、人前にも出られないはずだ。してみると、事件後、テレビに出る勇気を示し、時には笑顔を見せることさえある詩織さんは、性被害に遭った女性とはいえない」という理屈なのか? 加害者がこれを言うのか?》

 しばらくして、自分のRTへのリプライとして、以下のツイートを発信した。

 《「水に沈めて浮いてきたら魔女確定。無実なのは沈んだまま浮いてこなかった女だけ」みたいな話だぞこれ。》

 おどろくべきことに、私の最初のRTは、現時点ですでに2.7万回以上RTされ、4.7万件以上の「いいね」を集めている。

 RTに付加したリプライのツイートも、6800回のRTと1.4万件の「いいね」を稼ぎ出している。

 RTや「いいね」をクリックしてくれた人々のすべてが、賛同の気持ちでマウスのボタンを押したのではないにせよ、山口氏の言葉としてテレビ画面のテロップに引用された文言が、ツイッター世界を漂っている人々の間に、強烈な反応を呼び起こしたことは間違いない。

 そこで今回は、性犯罪を見つめるわれら日本人の視線の変化について考えてみるつもりでいる。

 個人的には、今回の一連のなりゆきは、令和の日本人が、性被害や「合意のない性行為」一般について、どんな感慨を抱いているのかを観察するうえで、好適な材料を提供してくれていると思っている。