女剣闘士見参!   作:dokkakuhei

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第4話 神の血は獣の肉になる

 街道の決闘から丸一日経ち、その演者の片方であるリカオンは今、兵士詰所の取調室にいた。この兵士詰所の場所は都市の中心に近く、都市の中で2番目に大きい通りに面している。この位置取りは内憂外患に即座に対応出来るように設計されたものだ。

 

「だーかーらー。私はあいつらの仲間じゃないって言ってるでしょ!」

 

 リカオンは先日、街を襲ったアンデッドと親しく話していた上に、住所不定無職、身分を証明するものもなければどこから来たかも分からないという、怪しさ数え役満により長期間の拘束を受けていた。さっきから尋問官が入れ替わり立ち替わり、同じ質問を何度も受けている。まるで被疑者の精神を摩耗させることが目的であるかのような対応にリカオンはウンザリしていた。

 

「なんで私がこんな目に…。」

 

 昔の刑事ドラマで見たことある風景だが、まさか自分が当事者になるとは。カツ丼の1つでも出てくれば気分も上がるというものなのだが、出てくるのはパン半斤だけ。辛い。

 

「おい、聞いてるのか!」

 

 今日2人目の尋問官が耳元で怒鳴ってくる。中肉中背の40代半ばの男性、面長の顔に対応する如く切れ長の目と、それに不釣り合いな厚めの唇。イケメンじゃないのでどうでもいいリカオンは不貞腐れながら窓の外を眺めている。宿屋、薬屋と目を滑らせていくと、通りを歩く集団の中に唯一知っている人間、クレマンティーヌが見えた。彼女は薬屋の前で中を覗いている。お腹でも下したのだろうか。

 

「あー!!」

 

「どうした?」

 

「あの人!知り合いです!」

 

 リカオンはオーバーリアクションで椅子を転がしながら立ち上がり、目当ての人物を指で指し示した。道行く人々はバカでかい声が兵士詰所のから聞こえるので何事かと思い足を止める。クレマンティーヌも顔をこちらに向ける。そして確実に目があった。

 

 クレマンティーヌは、バッタの交尾ぐらいしょーもないものを見たというまるで興味ない顔をした。

 

「クレアー!身元保証人になってよ!」

 

 リカオンは姿を確認するなり無茶苦茶なことを言っている。尋問官は面倒臭そうに仕方なく通りまで出て行き、クレマンティーヌに確認する。

 

「すみません、あの方と知り合いですか?」

 

「…んー。いんや、顔も見たことない。」

 

「嘘だ!」

 

 リカオンは喚きながら格子窓を持ってガタガタしている。

 

「じゃあ、私はこれで。」

 

 スッと踵を返すクレマンティーヌ。その姿は微塵の迷いもない。この通りは2度と歩かないという決心が背中から感じられた。

 

「薄情者ー!はぐじょゔも"の"ー!!」

 

 取調室から獣の慟哭が聴こえる。まるで猛獣が入れられた檻だ。この日も軟禁は解かれそうにない。

 

 

 ーーー

 

 

「ねえガガーラン、エ・ランテルの話聞いた?」

 

 王国首都リ・エステリーゼのとある高級宿の一室。椅子に腰掛けた、うら若きという形容詞が頗る似合いそうな女性が、床で腕立て伏せをしている筋骨隆々の女性に話しかける。この2人は王国の誇る最上級冒険者チーム蒼の薔薇のラキュースとガガーランである。

 

「門外のアンデッド騒ぎの事か?なんでも強大な骸骨騎士(スケルトンナイト)が出たっていう。それじゃなかったら知らねえ。」

 

「正しくそれの話よ。さっき組合長から詳しい話が来たんだけど、もしかしたらうちにお鉢が回ってくるかもしれないから貴女にも話しておくわ。」

 

「ああ?わざわざ1匹2匹のモンスターの為にアダマンタイト級が出る程の事なのかい。それもエ・ランテルくんだりまで出向いて。」

 

 ガガーランが訝しむ。自分が聞いた話だとそのアンデッドはエ・ランテルの兵士が追い払った筈だ。王国兵の練度はお世辞にも高いとは言えず、兵士で追い払える程度のモンスターなら気に止める必要もないと思ったからだ。

 

「実はよくよく話を聞いてみるとやばい奴らしいのよ。資料を見た方が速いわ。これを。」

 

 そう言ってラキュースは懐から一枚の羊皮紙を取り出す。ガガーランが筋トレを中断して中を改めると、そのアンデッドが出した被害状況を図解付きで取りまとめたものだった。ガガーランは素早く紙に目を通すと眉間にしわを寄せる。

 

「なんじゃこりゃ。眉唾じゃないのか?剣を振り下ろした箇所に20mの亀裂とか。」

 

 どう考えても一体のスケルトンが暴れた戦闘跡とは思えない。ドラゴンか何かだと言われた方がまだしっくりくるというものだ。

 

「現場を臨検したのはエ・ランテルの冒険者組合長よ。情報は誇張じゃないと思うわ。」

 

 ガガーランはその言葉にむんずと口をへの字に曲げて眉根を下げる。まだ納得していないようだ。

 

「エ・ランテルの兵士はこんなのとやりあったのか?とてもじゃないが地面をこんなにしちまう奴を追い返したっていうのは信じ難いな。」

 

 ガガーランの尤もな質問にラキュースは少し困った顔をする。

 

「そこなのよねぇ。噂によると兵士が来る前に件のモンスターと1人でやりあっている戦士を見たっていう話もあるみたい。その最中に正体が露見したスケルトンが撤退したらしいわ。エ・ランテル行政は自分の手柄にしたいから、さも現場は自分達が治めたという風に吹聴してるみたいだけどね。」

 

「オイオイ、誰だよそいつは。こんなバケモンと単騎でやりあえるとはこの辺じゃ名の知れた奴じゃあないのか?」

 

 戦士という言葉にガガーランが食いつく。どうも戦士という人種は強いヤツに興味をそそられる病気を等しく患っているらしい。ラキュースは、はぁ、と溜息を吐く。

 

「それが全く情報無し。本当にどこの誰かもわからないって…。」

 

 ラキュースが喋りながらチラリと相手を伺うと、其処には戦場で見る蒼の薔薇1番の戦士の顔が有った。ラキュースは再度溜息を吐く。

 

「なあ、ラキュース。」

 

「分かってるわよ。エ・ランテルに行きたいって言うんでしょ?今受けてる仕事は4人でやっとくから。」

 

「すまねえ、恩に着る。」

 

「ちゃんと情報収集するのよ?貴女はいつもはしっかりしてるけど偶に変なところで見境無くなるから。」

 

「ああ、分かってるよ。一体何処のどいつなのか、流派とかもちゃんと聞いて来る。」

 

「そっちじゃないわ。アンデッドの方よ。」

 

 ラキュースは嬉しそうに支度するガガーランを少し心配そうに見守った。

 

 

 ーーー

 

 

「久し振りに外に出られた…。こんなにお日様が恋しくなるとはね。」

 

 何を質問しても有用な答えが返ってこないリカオンに業を煮やした兵士詰所は一時釈放という手段でこの獣を厄介払いした。入念に検査を受けたので更に丸一日経った後の話である。検査中マジックアイテムを検分した魔術師が発狂して泡を吹いて倒れるという珍事が起きた以外は特段気に止めるようなこともなかった。兎に角、人間である事は証明され一安心といった所だ。

 

「お腹空いたな…。でもお金持ってないし…。」

 

 リカオンは自分のポケット中を弄る。すると懐の中にポーション瓶が入っているのを見つけた。といっても冒険の序盤に使う初心者のお供みたいなもので、リカオンクラスになるともはや使い物にならないガラクタだ。リカオンは鞄の底から10円玉を発見した時のような気分を覚えた。

 

「これしかないのー?」

 

 ガクリと肩を落とす。まあいいや、今日のところはこれをお金に変えてご飯を食べよう。リカオンは早速兵士詰所の中から見えた薬屋に入る。店内を見渡すとずらりと液体の入った瓶が並んでいた。ポーションのようだが色は見たことのない青色のものが殆どだ。リカオンは物珍しく商品を眺めた後、辺りを確認する。この店、店員がいないのだ。

 

「すみませーん。ここって買取もやってますか?」

 

 ……。

 

「すみませーん!」

 

 人の気配はするのだが返事が全くない。店内は草を潰した匂いが充満していて、声を出すために口を開くと胸いっぱいに苦い空気が広がる。

 

「うげぇ。」

 

 生理現象で唾液が込み上げてくる。リカオンは思いっきりベロを出した。

 

「何をしておるのかね。」

 

 いつの間にか小柄な初老の女性がリカオンのそばに立っていた。店の中で変な行動をしている奇妙な女に眉根を寄せて怪訝な顔でこちらを見上げている。

 

「あー、あはは。」

 

 リカオンはなんとか笑って場を誤魔化す。すると女性は益々怪訝な顔をした。

 

「客かと思って出てきたが冷やかしかい。忙しいのに迷惑なもんだよ。」

 

 女性は店の奥に入ろうとする。どうやらここの店員らしい。

 

「ちょっとまって!ここって買取もやってますか?」

 

「あー?やっとるにはやっとるが、つまらんもんはつまらん値段しか付かん…。」

 

 店員は興味がないかのようにこちらに少しだけ視線を向けた。どうせこんな変な客はガラクタしか持ち込まない。そんな感情を多分に含んだ視線だ。しかし、リカオンが手にしているものを見せるとこの世のものではないものを見たように目を丸くして全く動かなくなってしまった。

 

「あのー。」

 

「…んじゃ。」

 

「はい?」

 

「お主の持っているものはなんじゃ…?」

 

 店員はワナワナと震える手でポーション瓶を指差して、喉から絞り出すように声を発した。リカオンは意味がわからない。

 

「え、これ?普通のポーションだけど…?」

 

「見せとくれ!!」

 

 店員は見た目の年齢からは想像もできない速度で弾かれたように動き出し、リカオンの手首をがしりと掴む。目は血走っていてまともな状態ではない。

 

「ちょっと、ちょっと!」

 

 リカオンは驚いてポーション瓶を持つ手を上に挙げるが、女性は手を離さず宙吊りの状態になる。何処にこんな力があるのかと驚く程の握力だ。もう2度と手首から取れない気がした。

 

「まず落ち着いて!」

 

 女性は聞く耳を持たない。顔を見ると目の焦点が合っていない。なにやら赤、赤、と呟いている。いよいよ危ない状態だ。無理やり引き剥がすのは簡単だが怪我をさせてしまうかもしれない。リカオンはどうすることもできなくなってしまった。

 

 …。

 

 五分ぐらい経っただろうか、状況は一向に変化しない。もういっそ振りほどいてしまおうかとリカオンは決心を固めかけた。

 

「おばあちゃん。どうしたの?」

 

 店の入り口から若い男の声がした。どうやら店員の親族らしい。助かった、この状態をなんとかしてくれそうだ。

 

「すいません助けてください。いきなり手を掴まれて、…ってあれ?」

 

 よく見ると新しく入って来た少年の方も何か様子がおかしい。リカオンの握ったポーション瓶を凝視して口を開けたり閉めたりしている。

 

「ちょっと?」

 

「…ですか。」

 

「え?」

 

「それ、何ですか…?」

 

 さっきも同じ質問をされたリカオンは嫌な予感がするが、正直に答える。

 

「普通のポーションだけど…?」

 

「うわぁぁ!見せてください!」

 

 少年は弾かれたように走り出し、リカオンの持つポーションを捥ぎ取らんと手首に齧り付く。本当に何なんだこの店。

 

「助けて〜!」

 

 リカオンの悲痛な声が店内に響いた。

 

 

 ーーー

 

 

「ハムッ ハフハフ、ハフッ!!」

 

 リカオンは熱々のシチューを貪り食う。具材の旨味がしっかり溶け込んだ白いソースの中で大きめに切られたジャガイモやニンジンが良いアクセントとなり味も見た目も非常に良い。リカオンは骨付きばら肉(スペアリブ)を口一杯に頬張りすっかりご満悦だ。

 

「おかわり有りますよ。」

 

「ンフィー!ありがと!」

 

 ンフィーと呼ばれた少年、名前はンフィーレア・バレアレという。リカオンと薬屋店内で揉み合いになった者の一人だ。薬屋を営む祖母リィジー・バレアレを手伝い、自らも腕の立つ薬師として日夜ポーションの研究を行っている。

 

 リカオンが持ち込んだポーションはこちらの世界において所謂ポーションの完成系とも言えるものらしく、先の豹変は自分の研究の到達点がいきなり目の前に現れたことが原因だったらしい。

 

「そんなに凄いものなの?」

 

 リカオンがンフィーレアに尋ねる。少年はそうですね、と呟くと、赤いポーションが如何に優れているかを語り出した。

 

「ポーションは本来、製造過程で全て青色になります。これはポーション中に含まれる成分が調合や蒸留という工程を行なっている間に……ポーションの効果を高めるためには不純物を取り除いた上で様々な成分をバランス良く配合する必要があります。そして多様な局面での使用に耐えうる製品が、……止血、消毒、治癒、代謝向上、意識清浄といった効果を複合させ且つ副作用を抑えること、経口摂取、表面塗布など使用形態に左右されない機能を確保すること……成分同士の干渉で本来期待される効果が見込めない場合もあります。また、服用者の体質で意図せぬ作用が起きたり、経年や保管方法で劣化したり……赤いポーションはそういった問題を全て解決し、普遍的な効果と高い安定性を確立したまさにポーションの最高到達点とも言うべき……これは余談なんですが製造途中で熱処理をする時どうしても成分同士が結合してしまって別の物質に……を入れることによって一度分離させてから、再度……反応速度を上げることでクリアできると思うんです。その方法が……。」

 

「うん…。」

 

 リカオンはキラキラと目を輝かせながら喋る少年を暖かく見守ることしかできなかった。

 

 

 ところで、なぜこのような状況になっているのかと言うと、店内で一悶着あった後、少しで良いからポーションを分けてくれというリィジーにリカオンが宿と飯の面倒を見てくれればと交換条件を提示したのだ。断る理由がないリィジーは狂喜乱舞して、研究をするためにすぐさま店を閉めて器具の準備にかかった。今まさに数滴を成分分析にかけているところだ。

 

「あー、僕も研究したいなー。」

 

 少年はさっきからずっとそわそわしている。宛ら親が自分への誕生日プレゼントを買っているところを目撃してしまった子供のようだ。赤いポーションを扱っている精密作業をするための暗室が人一人入る程度のスペースしかないので仕方なく祖母に任せているのだ。

 

(かわいい…。)

 

 一方でその姿を見ているリカオンはンフィーレアのことを自分の好みでは無いが、女子に密かに人気が出るタイプだ。などと邪なことを考えていた。経済力もあるし料理もできる。物凄い優良物件なのでは。

 

 

(ん。)

 

 そんな事を思いながらしばらくぼーっとしていたリカオンはある事に気が付く。

 

「あのさ、この家ってンフィーとおばあちゃん以外に誰かいる?」

 

「? いえ、もうずっと僕達だけです。」

 

「へー。」

 

 そう言うとリカオンは音もなく立ち上がり、勝手口の方に歩き出す。その流れるような体捌きは見事なもので、近くで見ていたンフィーレアですら扉に手をかけるまでリカオンが移動していた事に気が付かなかった程だ。

 

 ガチャリと扉を開けるリカオン。

 

「ねぇ、クレア。何でここにいるの?」

 

「え"っ。」

 

 クレマンティーヌはいきなり声をかけられて思わず素っ頓狂な声を出してしまった。何故ターゲットの家にこいつがいるんだ。

 

「わざわざ人通りの少ない裏口に…。あっ、もしかしてクレアってンフィーのこと…。」

 

(計画がバレている?)

 

 クレマンティーヌはローブの中の武器に手を差し伸べる。相手が妙な動きをしたら<魅了(チャーム)>が付与されたスティレットで刺し、操る。その後ターゲットを速やかに拉致する。辺りは夜の帳が降り始め既に薄暗くなっており、誰かに気付かれる可能性は低い。1分と掛からずに遂行できるだろう。クレマンティーヌは右足を踏み出し、重心を前に傾けた。

 

「もしかしてンフィーのこと…。」

 

(そうだよ、攫いに来たんだよ。そしてその前にお前を殺る。)

 

 クレマンティーヌは懐のスティレットを握る。この距離であれば0.1秒も掛からず目の前の敵を刺す事が出来る。

 

 

 

「好きなの?」

 

 

 

「は?」

 

 意識外の言葉にクレマンティーヌはスティレットを取り落としそうになるが、慌てて仕舞い笑顔を取り繕う。

 

「へぇー、クレアって年下が好みなんだね。分かるよ、ンフィーは将来大化けすると思うし、今でも片鱗あるしね。でも人通りの少ない時間に家まで押し掛けるとかストーカーっぽいよ?」

 

 こいつやっぱり刺してやろうか。笑顔が引き攣る。

 

「いや、私は通りかかっただけだよ?」

 

「ふーん?」

 

 リカオンはニヤケ面をこちらに向けてくる。マジでメンドくせえよこいつ。クレマンティーヌは踵を返して立ち去ろうとする。しかしそれはリカオンに肩を組まれることで妨害された。

 

「そんなことよりさあー。昨日私と目があったのに無視したよね?」

 

 覚えていたか。クレマンティーヌは顔を顰める。三歩歩けば忘れる類の奴かと思っていたが、まともな記憶力は持ち合わせているらしい。

 

「あの後大変だったんだからね。分かる?」

 

「あ、はい。」

 

 クレマンティーヌはヤンキーに絡まれる女子大生のように目を逸らした。

 

「リカオンさん、どうかしたんですか?」

 

 ンフィーレアが扉からひょっこり顔を出す。

 

「いや、友達がね。あはは。」

 

 ンフィーレアはリカオンの隣にいる女性を見る。かなり密着して肩を組んでいるところを見ると本当に仲がいいんだろうなと思った。笑い声が乾いているのは気のせいだろう。

 

 

 ーーー

 

 

「どうしてこうなった。」

 

 クレマンティーヌは拉致する予定のターゲットとテーブルを囲んで夕食を食べている。リカオンの友人だと知ったンフィーレアがついでに寄って行って下さいと家に迎え入れたのだ。リカオンがさっきからニヤニヤしていて目障りだ。

 

「お茶淹れてきますね。」

 

 ンフィーレアが台所に立つと、リカオンは陰でクレマンティーヌに合図を送る。

 

「ねぇ、いつ告白するの?」

 

「だから違うって。」

 

「じゃあなんであんな所にいたの?」

 

「うっ、それは…。」

 

 まさか正直に攫いに来たとは言えず、言葉に詰まるクレマンティーヌ。その様子を見て益々リカオンは勘違いを深めていく。というかここで攫いに来たと言ったら略奪愛的な意味で捉えられて更に勘違いされそうだ。

 

「仕方ないなー、クレアちゃんは。どれ、私が一肌脱いでやりますか。」

 

 リカオンが不吉な事を言っている。何をしでかすつもりなのか、聞くのも恐ろしい。

 

「お待たせしました。熱いので気を付けて下さい。」

 

 台所から戻ったンフィーレアが急須を使い整った作法でお茶を注ぐ。薬屋らしく薬草を使ったハーブティーらしく、良い香りが辺りに立罩めた。その匂いに緊張気味だった空気も和らぎ、クレマンティーヌも少しばかり苛立ちから解放されて安らかな気分になった。一口含むと香りが一気に広がって身体中が心地良く弛緩していくのを感じる。

 

 その油断が命取りだった。

 

「あ、手が滑った。」

 

 突然リカオンは急須の取っ手をむんずと掴み、素早く蓋を開けるとクレマンティーヌに向けて中身をぶち撒けた。机、椅子、床は一切汚さず、正確にクレマンティーヌだけを狙った見事な手際だ。

 

「熱ぁあつぁあ!?何してんだテメ…ムグ!…グ!。」

 

「大変!服を脱いでシャワーを浴びないと!そうだ、服を洗濯しなきゃだから今日はクレアも泊まっていきなよ!」

 

 リカオンはクレマンティーヌの口を後ろ手に塞ぎながら、そのまま担いで嵐のように風呂場に逃げて行く。取り残されたンフィーレアはポカンと口を開けて見ていることしかできなかった。

 

 

 ーーー

 

 

 なんやかんやあって結局クレマンティーヌはバレアレ家に泊まることになった。客室が一間しかないため、友人ということもあってリカオンとクレマンティーヌは同室を充てがわれた。

 

「ねえクレア、ンフィーに夜這いとかしないの?」

 

「…。」

 

「怒ってる?」

 

「…。」

 

「わ、私だって昨日凄く怒ったんだよ?これでおあいこじゃない?」

 

「…。」

 

「ごめんよー。謝るから、このとーり。」

 

「…。」

 

 先の一件からクレマンティーヌは一切口を開いていない。今もベットの上で布に包まり、リカオンに背を向けて横たわっている。

 

(さっさと用事を済ませてここから出よう。)

 

 そう決心した。

 

 

 

 全てが寝静まった頃クレマンティーヌはむくりと身体を起こす。音を立てないように床に足を下ろすと抜き足差し足で扉まで移動する。ノブに手を伸ばし、一度顔を扉に近づけて耳を欹てみた。動く気配は何1つない。それを確認するとノブを回し、扉を押し開く。

 

 しかしクレマンティーヌの予想に反して扉はその動きを何かに阻まれた。

 

 ゴン! 「あ痛っ!」

 

 扉に額をぶつけたリカオンが大袈裟に顔を覗ける。しかしもっと驚いたのはクレマンティーヌの方だ。さっき調べた時、確かに誰もいなかったはずだ。それ以前にリカオンが部屋の外に出たことさえ気が付いていなかった。いくら背を向けていたとはいえ動く気配を悟られぬ程平和ボケはしていない。

 

「どうしてそこにいるの?」

 

 クレマンティーヌは恐る恐る聞いてみた。

 

「ちょっとお花摘みに…。」

 

 そういう事を聞きたいのではない。聞きたいのはどうやってそこにいるかだ。

 

「クレア寝てたから起こさないようにゆっくり出て行ったんだけど、起こしちゃった?ゴメンゴメン。」

 

 クレマンティーヌは瞠目する。リカオンは今、普通に扉から出て行ったと言った。つまり隠密したリカオンがクレマンティーヌの感知をすり抜けたという事だ。

 

「あんた…。」

 

「クレアこそこんな時間にどうしたの?ンフィーの部屋にでも行くの?」

 

 リカオンが半笑いになりながら人を馬鹿にした目でこちらを見てくる。

 

「違う!」

 

 合ってるけど違うのだ。クレマンティーヌは扉をバタンと閉め、内側から鍵をかけた。そして不貞腐れたように布に包まって眠りについた。

 

 

「クレアー。開けてよー。」

 

 リカオンの哀れな声が夜に木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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