星明かりの夜の街道を縦に並んで歩く影が2つ分。いや、歩くというのは少し語弊がある。確かに見た目は歩いているように見える。ただそのスピードは大人の男が全力で走っても追いつけない速さ、馬車などと同じような速さが出ている。
クレマンティーヌは内心苛ついていた。まだ本気を出していないとはいえ、並の人間が自分の移動スピードについて来られるはずがない。しかも相手はさっきまで空腹で蹲っていたアホだというのに、人外級の自分の速さで振り切れないというのが殊更腹が立った。
「ねぇ、クレアー。折角だから話しでもしながら行こうよー。」
その上これである。10分前まで敬語だったくせに、いつの間にかタメ口をきいているのだ。
「ねぇねぇねぇー。」
本当に鬱陶しい。こんな奴に話しかけなければ良かった。いつもなら素通りするのに何で気まぐれなんか起こしたんだろう。
「あのさ…。さっきから気になってるんだけど、クレアって何?」
「あー!やっと話してくれた!クレマンティーヌじゃ長いでしょ?だから渾名考えたの。私のこともリカって呼んでいいのよ?」
「じゃあリックで。」
「えー、可愛くない。」
細やかな抵抗である。こいつとは仲良くする気は無いのだ。街に着くまでの辛抱だと自分に言い聞かせる。殺しても良いのだが何故か躊躇われた。自分の戦士としてのプライドがこんな奴相手にするなと言っているのか、はたまたそれとも…。
「何処に向かってるの?」
クレマンティーヌが心の内で何を思っているかはつゆ知らず、相手は気安く話しかけてくる。気に入らないが仕方なく答えてやる。
「エ・ランテル。」
「どんな所?」
「城塞都市、戦争の戦略拠点。」
出来るだけ簡素な答えを選んでいく。無視すれば凄く五月蝿く、会話を続けようとすると止まらないからだ。クレマンティーヌはこの短時間でそれを学んだ。
「へぇ、戦争してるんだ。何処と何処が?」
おや?とクレマンティーヌは思った。後ろからする気配が少し変わったからだ。獲物を品定めする獣のような、自分に近い雰囲気を感じ取った。
「王国と帝国ね。年に1回、秋にやってる。」
「どっちが強いの?」
「帝国ね。王国が勝ってるのは数ぐらい。」
「ふーん。戦って見たいな。」
クレマンティーヌはどっちと?と聞きそうになったが、分かりきったことなので止めた。後ろにいる奴も何のことはない。自分と同じ、己の力を振るう事に生きがいを感じるような戦士なのだ。今振り返ったら恐らく、凶暴な貌をした獣と目が合うだろう。
ニヤリと口元が緩む。久し振りにいいサンドバッグが見つかったかも知れない。自然に手がスティレットの位置を確認する。もうすぐ使う機会が訪れるかも知れないと。
クレマンティーヌが1人緊張を高めていると、
ぐぎゅるるる…。
すごい音がなった。
「ねぇクレアー。まだつかないの?お腹すいたー!」
クレマンティーヌはさっきの考えを改める。こんな奴が自分と同じ戦士な訳ない。
ーーー
何時間歩いただろうか。夜も更け、草木も眠る時間帯となり、聴こえるのは虫達の喧噪ばかりとなった。クレマンティーヌはピタリと歩を止める。
「どうしたの?」
「今日はここで休む。」
「野宿だね!」
クレマンティーヌは内心歯噛みする。今日はついぞこいつを引き離せなかった。体力は並の戦士ではないと認めざるを得ないだろう。移動している時から分かっていたが、こうして実際についてきている事を見ると渋々実感する。
クレマンティーヌがどさりと石に腰掛けると、リカオンはその隣にいそいそとやって来る。随分と懐かれたらしい。犬かこいつは。
無視して懐から干し肉を取り出し、少しずつ千切って口に含む。何か物凄い視線を感じるが、絶対にやらん。
「じゅるる…。あのー。」
「何?」
用件は聞くまでもないだろうが、素知らぬ振りをする。
「ちょっと分けて。」
そら来た。
「いやー、生憎一人旅だったもんで私の分しかないなぁ〜。どうしてもっていうなら交換だね。例えばその突剣とか。」
優位な立場に立ったのが原因かクレマンティーヌは生来のSっ気を全開にさせる。リカオンはぐぬぬと呻いた後、肉と剣を交互に見る。
「ダメ!やっぱりポチは手放せない!」
(ふふん、勝った。ん?ちょっと待って。)
「ポチ?」
「剣の名前。こっちはタマちゃん。」
リカオンは突剣と三日月刀を手に取ってご満悦の様子。クレマンティーヌはどっと疲れた顔をする。剣の名前にそれはねーよ。おかしな奴だと思っていたが、もはや理解不能の域だ。
「じゃあそっちの格闘武器は?コロ助とか?」
クレマンティーヌはリカオンの持つ、ガントレットとナックルダスターが合体した様な武器を指さし、もう好きにしてくれと半ば諦め気味の質問を飛ばす。
「これ?これはね。シャーデンフロイデ。」
「何でだよ!!」
ほんと疲れる。
ーーー
肉を貰えないと悟ったリカオンは早々に寝てしまった。クレマンティーヌも今日は思わぬ拾い物をして、疲れたので眠ろうと考えていた。この辺りのモンスターが襲って来ても近づく前に気が付いて返り討ちにできる。さっさと寝てしまおう。
寝てしまおうと思っていたのだが。
「ぐごごー。」
(五月蝿い…。)
今まで聴いた中で一番大きないびきだ。起きていても寝ていても五月蝿いなど、もうどうしたらいいのだ。というかフルフェイスの兜を着けたままでこの音だ。外したらどうなるのか。
「というか、寝るときぐらい外さないの?」
「ぐごごー。ごごっ。」
「…。」
兜の下はどうなっているのだろう。クレマンティーヌは興味を持った。訳あって隠しているのか、顔がバレると何かまずいことがあるのか、もしかするととんでもない醜女なのかもしれない。
クレマンティーヌは兜に手を伸ばす。そっと首元に手を掛ける。そして一気に上に引き上げる。
「…え、取れない。」
固まった様に腕が上がらない。見るとリカオンに手首を掴まれている。
「なっ!」
手を振り解き、すぐさま後ろに跳んだ。一番驚いたのは掴まれるまでリカオンが動いたのを認識することができなかった事だ。
「駄目だよー。」
「起きてたの?」
クレマンティーヌは咄嗟に、バツが悪そうに口を結んで、上目遣いで相手を見る。しかしリカオンはこちらを見ようともせずその場で呻くばかりだ。
「んー、これ以上は、これ以上はー。」
「…?」
何か要領を得ない。
「何でこんなもやしばっかり…。もやし…。うう、これ以上はー。」
リカオンは芝居掛かった、ある意味綺麗な寝相でのたうち回っている。
「え?」
「もやし…。うっ。」
そしてガクリと力無く項垂れて、再びいびきをかき始める。
「…偶然掴まれたって事?」
無意識のうちの行動だったので、気配を感じられず掴まれたのを認識できなかったのか。それを答えるものはいない。
「あり得るの?そんな事。」
今ここに寝ている奴はとんでもない化け物なんじゃないのか。突然この得体の知れない阿呆が恐ろしく思えて来た。
「いや、無いよね。」
人は未知に対して過大な恐怖を覚えるものだ。奇怪な格好と言動に少し惑わされただけだ。兜の謎はまたの機会にして今日は寝よう。
クレマンティーヌはリカオンから20メートル離れた。そうしなければ五月蝿くて眠れそうにない。
ーーー
「おはよー!クレアってば、ねぼすけさんだね。寝相も悪いし。元いた場所からこんなに転がっちゃって。」
今までこれ程までムカついた目覚ましは生まれて初めてだ。クレマンティーヌは強く歯軋りしながら無理やり笑顔を作る。もう反論はしない。クレマンティーヌは学習したのだ。適当に流して、黙々と移動する準備をする。
「ん。」
やたら視界に入ろうとするリカオンから無理やり目を逸らしていると、草叢の陰で蠢くものに気が付いた。距離は300m程、ゴブリンのようだ。そしてその後ろには棍棒を手に持った巨体、オーガがいるのが見える。クレマンティーヌからすればなんの面白味もない雑魚だが、数が多い。
ゴブリン12匹にオーガが3匹。この草原で遭遇するにしては異常な数だ。リカオンも気が付いているようで、どうする?と聞いてきた。
「私は別にどっちでもいいけど。あいつら大所帯だし食料の1つや2つ持ってるんじゃない?」
そう言うと、リカオンの目が爛々と輝き出した。どうやらやる気になったようだ。クレマンティーヌとしてもリカオンの実力をはっきりさせたかったし、上手くいけばオーガが五月蝿い蝿を始末してくれるかも知れなかった。淡い期待を抱いて集団に目を戻す。
敵の進行方向からすると、こちらに気が付くのは時間の問題だ。リカオンは軽く準備運動をしている。腕を十字に組み筋肉をほぐした後、屈伸を2度、最後に宙返りをしてみせた。
「良し。」
身体の調子を確認し終えたリカオンは突剣を左手に持ち、右手に格闘武器をはめた。すぅ、と息を大きく吸い込み、後ろに仰け反る姿勢になったと思うと、犬歯を剥き出しにした獰猛な笑みを見せる。そして大声で大気を震わせた。
「
音の波で周りの草が薙ぎ倒される。人間程度なら近くに居ただけで破裂しそうだ。危機を察知したクレマンティーヌはいち早く耳を塞いで難を逃れた。リカオンは既に敵に向かって走り出している。かなりのスピードだ。
亜人の集団はやにわ驚き、ゴブリンなどは慌てふためいて逃げ出そうとするが、オーガが一声掛けると我を思い出し戦列に戻る。リーダー格と思わしきオーガは音の発生源を睨め付けると、いつの間にか近くにいる人間が1人。
眉間にしわを寄せ訝しむが、その人間の腰に下げた得物を見て鼻を鳴らす。
「オマエ、オデノこブンヲコロシたヤつカ。」
どうやら昨日の6匹のゴブリンのことを言っているらしい。相手は自分たちの仲間を死に至らしめた犯人を探して居たようだ。
「へぇ、だったらどうするの?」
リカオンの挑発にリーダー格のオーガの顔が斑らに変わり、怒りの咆哮を上げる。
「コロス!コろシテクウ!」
そう発言すると、周りのオーガやゴブリン達も同調し、一斉に騒ぎ出す。
「コロス!」「ころス!」「クウ!」「クウ!」「コロす!」「コロシテくう!」「ウおォォ!!」
恐ろしい亜人の合唱が辺りに響き渡る。並の人間なら恐怖のあまり腰を抜かして意識を手放してしまうかも知れない。ただ、ここには並の人間は居ない。
「あは!」
リカオンは短く笑うと、低くジャンプした。手前にいたゴブリンを足蹴にすると、リーダー格のオーガ目掛けて一直線に飛び込む。オーガは棍棒を抱えて防御姿勢を取ろうとするが、弾丸のような速度で飛んでくる突剣を防ぐこと能わず。
剣の軌跡はザクリ、と首を串刺しにする。リカオンの体当たりにオーガの身体はバランスを保つことができず、そのまま後ろに倒れこんだ。オーガは呻き声を上げる事すら出来ず、ただ口から血とゴポゴポと詰まりかけの排水口のような音を立てるのみだ。
リカオンが剣をずるりと引き抜くと数秒痙攣した後、動かなくなった。自分たちのリーダーがやられたのを目の当たりにしてゴブリン達は動くことができない。先に
しかし、スピードがまるで違う。リカオンは棍棒を潜り抜け、オーガの1匹の懐に潜り込むと、身体を開き右腕を大きく振りかぶって思いきり殴りつける。
「どっせーい!」
『スキル:金剛頂』
リカオンの拳がオーガの腹に突き刺さったと思うと、オーガの硬い皮膚がまるで水面に石を投げ込んだ時のように波打った。次の瞬間、全身から血を吹き出して崩れるように前屈みに倒れ込んだ。リカオンの突きの速度が衝撃の伝う速度を凌駕した為である。
立て続けにオーガが殺されたのを見て漸くゴブリン達が動き出す。まさか闘おうという意思を持つものはおらず、遮二無二逃げ出そうと敵に背を向けて走り出した。それを逃すリカオンでは無い。
「えいや!」
自分から一番遠いゴブリンに突剣を投げつける。突剣は容易くゴブリンの頭を貫き、仕留めた。
「ア、ガ…。」
血を撒き散らしながらゴブリンが果てる。生き残ったゴブリン達はまたもや足を止めなければならなかった。敵から一番遠い仲間がやられたのだ。次に逃げ出そうとしたやつから順に殺されるかも知れない。
ゴブリン達は注意深く敵を見る。不気味な薄ら笑いを浮かべた口元は死神の鎌を思わせるほど鋭く尖っている。ゴブリン達は出来るだけ敵から目を逸らさないように、そして目を合わせないようにしながら身の振り方を考える。目を合わせたらそれだけで殺されそうな気がした。
いっそチャンスを待って全員で襲いかかった方が良いのではないか、そんな気分さえしてくる。重要なのは誰が口火を切るかだ。
チャンスは思ったよりすぐに訪れた。敵が剣を手放したのを見て、生き残りのオーガが攻撃を仕掛けたのである。愚鈍な馬鹿でもこういう時は役に立つ。これを逃すまいとゴブリン達も合わせて一斉に飛びかかった。
「ゴォォアァ!」
オーガは仲間を殺された怒りを載せて棍棒を振るう。彼の生きてきた中で最高の一撃であった。当たれば敵の頭なんてぐちゃぐちゃになる。そう思いを込めながら持てる全ての力で殴り付ける。
しかし残酷なことにその一撃は空を切る。リカオンが右手で棍棒を払い除けたのだ。そして武器を投げて手空きになった左手で手刀をつくり、あろうことか
「ギィヤァアアァ!!」
その悲鳴と悲惨な光景は残されたもの達の心をへし折るのに十分だった。それこそゴブリン達のなけなしの闘気の炎も消えて無くなってしまう程度には。
後にあったのはただの殺戮。
ーーー
クレマンティーヌは感心していた。リカオンは強さもそうであるが、何よりも多対一の戦闘に慣れているのだ。敵がどんなに弱くても、どうしても数の有利は発生してくる。常に相手の機先を制し、自分のペースに持ち込む術を身につけていると思った。リカオンは戦闘の中で恐怖という感情までも操って戦っていた。
一番初めにリーダーを殺したのも、一番遠いゴブリンから殺したのも、出来るだけ残虐に殺したのも全て計算づくだろう。
(まあ、私の方が早くできたけど。)
「らっきー!食料みっけ!」
リカオンはゴブリンが背負っていたサックから干し肉を見つけて大喜びだ。そのまま兜を脱いでかぶり付く。
そう兜を脱いで。
クレマンティーヌは目を丸くした。
「えっ…。」
「?どうしたの?あっ、お肉欲しいんでしょ。でもこれ1一人分だからぁ、あげなーい!どうしてもっていうならぁ…。」
リカオンは見当違いなことを言っている。
「兜、なんで外したの…?」
「え?外さないと食べられないじゃん。」
当たり前のことを言うリカオン。それはそうなのだが、いまいち納得できないクレマンティーヌは食い下がる。
「でも昨日寝る時付けたままだったじゃん。何か理由があるのかと…。」
リカオンは少し考えてから。
「そういえば取るの忘れてた。」
ぺろっ、と舌を出すリカオン。その言葉に嘘はなさそうだ。ということはクレマンティーヌは夜、何でもないのにリカオンの兜について無駄に深読みをしていたわけだ。そしてその後の恥ずかしい一人芝居も。
「あっ!」
夜といえば、こいつの眠りがあんなに深いなら、ほっぽり出して1人で先に行けばよかったのだ。
「はあぁー。」
深い溜息をつく。朝からものすごい疲れた。
ーーー
朝陽が差す街道を漫ろ行く影が2つ分。心なしか前の影は元気がないように見えた。