だいたい「自己実現としての職業」って命題の邪悪さ・それによる洗脳こそが、日本で労組が機能不全でストライキとかも出来ない理由だとも思いますし。 (資本側の邪悪さは東西でそこまで変わらんとして)キリスト教文化圏の失楽園以前は労働なかったと言う基調低音・・以下テンプレなので省略w
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そうそう、ブラック花盛りのなかで、性風俗だけを「ドブに捨てる」体のハードワークと言えるのか、という。でもなかなか自己実現としての仕事という「呪縛」からは抜け出せないんですよね。それに、抜け出せって言い出すと女性の場合、子どもでも産んで適当に仕事すればいいんだよ、ってなっちゃうし。
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おっしゃる通りで、まさにウェーバーのいう「天職」の話なんですよね。資本主義のなかの生活って、どうしても仕事の枠組みから逃れられないですから。
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ブラック労働の中で性風俗だけを別次元扱いするのは、油断するとすぐ循環論法になりそな予感(セックスはひとの尊厳の根本である→ → → なぜならば神聖不可侵だからである、みたいな) 天下り式の「神の秘蹟(or 呪い)」無しで論理的整合性保って主張するのは難しく無いですか?
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まあ他方で、徹底した無神論・唯物主義でスジを通すひとも勿論そんなには居ないわけですけどもw ところで上野先生的には性愛のスジを通してポリアモリー/乱婚になるべきでしょうけど架空の原始共産制では可能としても、たぶん貨幣経済とは相容れないんで無いでしょうか?
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上野先生は身体をことさら聖性視してるわけではなく、資本主義や家父長制からの奪還を目指すという方向性です。聖性を見出そうとして失敗したフェミニストが、わたしがこだわっている青木やよひですね。ポリアノミーに関しては、嫉妬という問題がついてまわるので難しいと書いてた記憶があります。
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貨幣経済というか資本主義と軋む部分はあるかと。マルフェミの影響もばっちり受けてますから。その辺りの疑問でおすすめなのが:「彼女たち」の連合赤軍 サブカルチャーと戦後民主主義 (角川文庫) https://www.amazon.co.jp/dp/4044191093/ref=cm_sw_r_cp_api_i_u02-DbGZPWVPH …です。
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ことさら批判的でもなく、ただ距離を置いて上野先生のフェミニズムを批評してもいます。内容的にもセンセ、たぶん好きですよ。
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Kindleになってたら今ポチしたのにと出先中。「マルフェミ」というのね無茶そういうイメージ。「聖性」を求めるってイメージは流石にないですよね。 まあマルクスとか無神論者でも心の中にロマン主義の残滓ちっとくらいあって且つそれが少し位漏れても別にいいやんと無責任な私は思うドブ発言也。
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あー、たぶんその辺りはやっぱりロマンがあって、漏れちゃうんだろうなと思うんですよ。ただスピ系資料読んでると身体へのロマンになんか「スン…」と冷めるんですよね。それが、わたしのフェミニズムへの立ち位置でもありますが。
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「身体へのロマン」はよくわからんですが。 因習的な家同士の結合として親が結婚を決めるのに対して、性愛のいかなる組み合わせにおいても当事者同士に完全に自己決定権があったとして、その結合の推進力は結局「ロマン(ロマンティックラブ)」の類いでは?