道端に1人女が座り込んでいる。
「はぁ〜、どうしてこうなっちゃったんだろう。」
見渡す限りの草原。なだらかな丘陵地帯に彼女はいる。そこで彼女は迷子になってしまったのだ。
視界は良好、遮るものは何も無い、来た方向も分かる。迷子になる要素はカケラも無いが本当に迷子になったのだ。
「はぁ、お腹すいた。」
グルルと怪獣の様な腹の音が鳴る。かれこれ1時間はここに座っていた。何故こんな事態になっているのか、事の顛末はこうだ。
ーーー
「わー!ここに来るの凄く久し振りだ。全く変わってない!」
ここはDMMO-RPGユグドラシルの中。有り体に言えば、ゲーム用のヴァーチャル空間だ。DMMO-RPGとは電脳空間に実際にダイブして楽しむ類のゲームで、体感型のゲームの最先端である。今、彼女の目の前に広がるのは電飾に飾られた街。紙吹雪が舞い、人々の往来も激しい。何かのお祭りの様だ。
彼女の名前はリカオン。当然本名ではなくゲーム上のネームだ。彼女は一時期このユグドラシルにめっぽうハマり四六時中遊んでいた。就職を機に少し離れていたが、久し振りにログインしたのだ。
彼女が戻って来たきっかけは、実はこのユグドラシル、今日でサービス終了となってしまうためである。その噂を聞きつけた彼女は居ても立ってもいられず慌ててログインしたというわけだ。
「自分のアバターも久し振りに見るなぁ。そういえばこんな姿だった。」
このゲームの特徴は何と言ってもキャラクター作成の自由度である。凝り性な人ならキャラメイクで1日消費してしまう程キャラのパーツが豊富にある。そして種族・職業の種類は数千に登り、その上装備品の見た目・性能も自分好みに改変できるため、もはや無限の自由度と言えた。
リカオンは前衛物理アタッカーだった。見た目もそれに準拠している。兜はヤカンをひっくり返して目の部分をくり抜き、頭に赤いトサカの様な飾りをつけた様なもの。鎧は動きやすさを重視して、鉄の胸当てにベルトを肩がけに2つクロスさせたものに革の腰当て。後は簡素な脚甲とブーツだ。
武器は3種類。腰に下げた突剣と三日月刀、そして拳にはめる格闘武器だ。リカオンは取得職業を物理攻撃に傾倒させているので斬・突・打全てトップクラスの攻撃力を誇る。代償に魔法はからきし、防御も気休め程度だ。
顔は自分の願望を込めた美形。髪は黒のボブカット。体型は筋肉質だが、スラリと伸びた長身で暑苦しさを感じないナイスバディである。
「でも、本当にユグドラシル終わっちゃうのか。残念だけど仕方ないかな。」
どれだけ人気のゲームも時の流れには逆らえない。見やると街の垂れ幕に今までありがとうの文字。運営が用意したのだろう。それを見た途端、寂しさが一気に膨れ上がった。せめて今日は最後の最後までいよう。
彼女はずっとソロで活動して来た。主な活動は傭兵業だ。いろんなグループを渡り歩き、モンスター討伐やギルド抗争などに参加した。彼女は割と腕の立つプレイヤーで顔が売れており、フレンドも多かった。
「今日はみんな来てるかな。」
皆に挨拶して回りたい気もしたが、少し1人でワールドを見て回る事にした。運営の用意した最後のイベントを楽しもう。
ーーー
「凄いな運営。この為だけに新しいテクスチャ作ったろ。本当よくわからないところでこだわるね。」
祭りの屋台で出されている料理の多さに半ば呆れながら、街を練り歩く。サービス最終日ということで彼女みたいに戻ってくる人間が多いのか、街はかなり活気付いていた。
いろんな催し物がある。今までイベントで使われたミニゲームが全て揃っていたり、設定資料の公開なんかもしてあったりした。そんな中彼女はある看板が気になった。
「なになに?ユグドラシルなんでもランキング?」
どうやら運営が独自にカウントしていたデータをランキング形式で表示しているらしい。
「モンスター討伐数ランキング、希少アイテム発見ランキング…へぇー」
ランキング上位には有名プレイヤーの名前がズラリと並んでいる。自分の名前がないかと探して見たが残念ながらどこにもなかった。
「結構やりこんだつもりだったんだけどなー。やっぱり上には上がいるという事か。…ん?これは?」
1つ気になるランキングを発見した。
「PK数ランキング?一位は…あーあいつか。」
そこにあったのはモモンガという名前。アインズ・ウール・ゴウンという異形種ギルドに属するオーバーロードだ。
「多分あれのせいだ。」
アインズ・ウール・ゴウンはユグドラシルプレイヤーなら一度は聞いたことのあるギルドで、PKKを大々的に行なっていた恐ろしい集団である。そのメンバー41人はどいつもこいつも癖のある奴らで邪智暴虐の限りを尽くしていた。
ある時、ギルドに恨みがある人間が打倒アインズ・ウール・ゴウンを掲げその拠点に攻め入ったことがある。その数何と1500。その中に傭兵として雇われたリカオンもいた。
結果は1500対41にも関わらず、侵攻側の全滅。伝説の一戦となった。その時殆どのプレイヤーを葬ったのがモモンガだった。
「あの戦いは楽しかったなー。そうだ!ちょっと覗きに行こう!」
彼女はお化け屋敷に入る子供のようにはしゃぎながらアインズ・ウール・ゴウンの拠点、ナザリック地下大墳墓に向かった。
ーーー
「えーと。こっちだったっけ?」
ナザリック地下大墳墓は入り組んだ沼地の奥にある。なんとか記憶を辿りながら目的地を目指す。時刻は午後11時半を回っている。少し急がねばゲームの終了をつまらない場所で迎えてしまう。
鬱陶しい雑魚敵を倒しながら足早に歩を進める。
「はやくはやく。あー!あった!」
そこには昔見た姿と変わらず立派な造りの墳墓が建っていた。
「懐かしー!確か8階層ぐらいまで進んだんだっけ?」
思い出が蘇る。強大な敵とスリリングな罠。ユグドラシル中どこを見渡してもここまで計算されたダンジョンは他に無かった。まさにラストダンジョンと呼ぶにふさわしい代物であった。それが1プレイヤーギルドの拠点なのだ。運営はもう少しダンジョン設計を頑張った方がいい。
1人でぐるぐると周りを見学しながら、彼女はある衝動に駆られる。
「入ってもいいかな?」
当然1人では返り討ちにあうのは決まり切ったことである。ただ腕試しにどこまでいけるか試して見たくなった。そうと決まれば善は急げ、入り口に勢いよくダイブする。
「たのもー!」
この時彼女は気がついていなかったのだが、ナザリック地表部を探索している間にその見事な造りに目と時間を奪われて既に時間は刻限を指していた。
奇しくも彼女が入り口を潜ろうとした瞬間、丁度24時になってしまっていたのだ。
ーーー
「たのもー! あれ?」
彼女は意気揚々と悪魔の寝床の門を潜った。しかしその先に広がっていたのは見渡す限りの草原。
「す、す…。」
「すげー!ダンジョン作り変えたんだ!」
彼女が前ナザリックに侵入した時、1階層はアンデットが渦巻く石造りの迷路だった。それが今ではどうだ。視界の開けた全く別の空間。流石大物ギルドはやることが違うぜ。
そんな訳ないのである。
興奮冷めやらぬまま彼女は進む。取り敢えず道を発見したので道なりに下階層に降りる階段を探すことにした。入り口がどこにも無いことには敢えて触れなかった。
草原は彼女の知らないことばかりだった。まず空気が美味しい。今までこんなことはなかった。料理等は食べることができたが、匂いも感じることはできなかったし、味も同様であくまで気分を味わうためだけのものに過ぎなかったのだ。
「私がいない間にパッチでも当たったのかな?それともMODを入れているのかな?」
彼女は少しアホだった。どれくらいアホかというと、利用規約を碌に読まずに"同意する"のチェックボックスにレを記入するぐらいのアホだ。
例えば、今まさに感動のあまり時間のことをすっかり忘れている。
彼女はすっかり上機嫌で小躍りでもしそうなほど舞い上がっている。しかしそんなお祭り人間に忍び寄る影が複数。ただ彼女も100レベルプレイヤーの端くれ、殺気にすぐさま反応する。
ガサガサと草叢を掻き分けて出てきたのは、なんてことも無い最弱モンスターのゴブリン達である。数にして6。彼らは獲物が1人だと思って油断したのだろう、近付いてくる歩調に慎重さの欠片もない。
「うわ、ゴブリンとか久しぶりに見た。出現するエリアに長らく行ってないからなぁ。」
彼女は闖入者を歯牙にも掛けず、無視して先を急ごうとする。しかし、いつもなら敵モンスターの警戒エリア外に出ると戦闘状態が解除されるのだが、中々しつこく追い縋って来る。
「メンドくさいな、もう!」
彼女はスキルを使ってゴブリンを一掃しようとするが、そこで異変に気がつく。
「あれ!?スキルコマンド出ないんですけど!」
しばらく離れていたとはいえ、何百、何千と振るっていたスキルの出し方を忘れるわけがない。
「というかステータスボードも出ない!」
迫り来るゴブリン達。こうなったら仕方がない。適当にやってやれ。
「ええい!」
彼女は三日月刀を抜き放ち、横薙ぎに振るう。
『スキル:円明』
彼女がぐるりと一周し刀の鋒が円を描いたと思うと、次の瞬間全てのゴブリンの上半身が吹き飛び、下半身は噴水のように赤い液体を吐き出しながら力無く倒れて行った。
「出た…。」
何となくいつもの感じでやったらスキルが発動した。彼女は何もコマンドを入れておらず、ただ頭の中でやろうと思っただけである。
「え、別ゲームになってんじゃん。」
ーーー
「うわー、どうしよう。」
ここまで来たらいくら鈍感でも気がつく。何かがおかしい。多分此処はナザリックでは無いだろう。全く知らない所にあてもなく放り出されたのだ。
「コンソールが出ないからログアウトも出来ない。」
腹の虫がなる。ゲームをやってて空腹を感じたことは一度もなかった。疲労もある。今まではステータス異常としてただの数字の管理だった部分が全て自分のことのように感じる。
まるでゲームが現実になったかのように。
「これからどうしよう。」
さっきまでの気楽さは影を潜め、絶望混じりの声が出る。わからないことが多すぎる。帰りたくても帰れない。すべきことがわからない。怖い。
「うぐぅ。うえぇ。」
嗚咽混じりの泣き声が漏れる。縮こまり、膝を抱えおいおいと泣く。もうだめだ。私はここで餓死するんだ。
「あの、大丈夫?」
上から声がする。驚いて顔を上げると、ローブを被った軽戦士の格好をした女性がこちらを伺っている。
「あ…あ…うわーん!」
「ちょっとどうしたの!?落ち着いて!」
宥めるのに10分かかった。
ーーー
「迷子ぉ?」
「はい…。」
道端に奇怪なヤカン頭が蹲って呻いていると思って、声をかけてみたのだが、事情を聞けばとんだ拾い物だ。
「この道は街と街を繋ぐだけで分かれ道もないし、どちらかに行けば街に着くけど…。」
「そうなんですか?」
こいつマジか。とんだ痴呆に捕まってしまったな。さっきゴブリンの惨殺死体を見つけてまさかこいつかと思ったが、どうみてもそうは思えない。武器は立派なものだが本人は凄みを感じないし、さっさと行ってしまおう。
「じゃあ私は行くから。気をつけてね。」
スッと立ち上がると踵を返す。
「あの…ついて行ってもいいですか?」
うげぇと顔を顰める。もちろん相手に見えないように。
「ゴメンね、先を急ぐから。」
ぎこちなく笑顔を作り、キッパリと拒絶する。
「後ろをついて行くだけでも!」
期待に満ちた声。
「…いいよ。」
メンドくさいし適当に走って振り切ってやろう。いざとなれば…。
「ありがとうございます!私リカオンといいます。貴女は?」
「…クレマンティーヌ。」
こうして奇妙な2人旅が始まった。
見切り発車で始まりました。次いつ書くか分かりません。