第八話:魔王様は勧誘する
獲物の奪い合いを避けるために一時間ほど歩くとさすがに人がまばらになってきた。
キーアがくんくんっと鼻をならし、表情を引き締める。
「匂いがします。獲物が近いですよ」
そして、彼女は魔力を高めて放出し始めた。
魔力の使いみちは主に二つ、魔術を使うか、魔力で体を包み身体能力を増すかだ。
キーアのそれは後者に見える。
「まだ、魔物もいないのに魔力を垂れ流すなんてもったいないんじゃないか?」
「魔物の匂いがちょっぴりしてるので、そう遠くない場所にいます。魔物は私たちの魔力を肉ごと食べるのが大好きなので、こうして魔力を流すと……」
その言葉が終わらないうちに轟音が響く。
背の高い草が揺れて、前方数メートルの位置に茶色と黒の毛皮が見えた。
大型のイノシシ、ただのイノシシと違うところは角が生えているうえに、魔力で身体能力を強化していること。
尋常じゃない速度で突っ込んできており、時速百キロを軽く超える。
あの速度と重力がある突撃で、角で突かれようものなら即死だろう。
端末が震える。
『ホーンボア:知能は低いが、その突進力は脅威。角は硬く、鉄すら貫く。肉はそれなりに美味しい。
必殺技:ホーンクラッシュ※角を活かした突進
ドロップ:猪肉(並)、白ツノ、獣の皮(並)』
魔物図鑑アプリが起動していた。
……ロロアフォンⅦ、機能を盛りすぎだろう。
しかし、そんな凶悪な魔物が相手でもキーアは慌てない、それどころかホーンボアに向かって走っていく。
ぶつかる直前に軽く跳んで空中で反転し、角をギュッと握る。そして角を起点にしてくるっと回って背中に乗ってしまった。
背中に乗ったキーアは鮮やかな手並みで、短刀を振るい頸動脈をかき切る。
噴水のように血が吹き出て、それでも数十秒ホーンボアは走り、力尽きて、その場に倒れ、キーアが飛び降りた。
一連の動作は戦いと言うには余りにも滑らかで美しく、息をすることも忘れてしまった。
「見事なものだ」
どんな生き物でも、首筋の血管は弱点だ。
危なげなく効率的に殺す。ベテランというのは伊達じゃない。
そして、魔力量、反射神経、魔力を使った身体能力強化技術、どれも素晴らしい。キーアはなかなかの傑物だ。
「こんな感じで狩りをしているんですよ! ブイッ!」
息を弾ませて、キーアがVサインをする。
それに拍手で応えた。
「これを今から解体するのか?」
「いえ、ダンジョンの魔物はそういう生き物じゃないです」
しばらく見ていると、なんと青い粒子になってホーン・ボアが消えていき、代わりの木の皮で包まれた肉が置かれていた。
キーアがそれを拾って戻ってくる。
「ふふふ、猪のお肉です。これ一包で三キロぐらいありますよ。しかも野生のイノシシとか、養殖の豚とかより美味しくて良い値がつくんですよね」
ほくほく顔でリュックに詰めた。
なるほど、魔物という試練に打ち勝った報酬というわけか。
「ほう、どれぐらいの値段がするんだ?」
「そうですね、お肉屋さんで買うなら三キロで一万五千バルぐらい。売るならその半分ってところです。でも私は売らずにお店で使っちゃうので、一万五千バルを丸儲けですよ! たった一時間ちょっとで、一万五千バル……ふっふっふっ、これだから狩りはやめられません」
そう言えば屋台の小さなパン一つ、百バルぐらいだったか。
それを軸にして考えると、店売りで百グラム、五百バルだからそれなりに高い肉と行った感じだ。
「本当に割に合うのかは疑問だ。一歩間違えたら即死だぞ」
鉄を貫く角を持ち、時速百キロを超える速度で突っ込んでくる大猪。
こんなものと戦うのは命がけだ。
これから、一日中狩りをすれば、あと三体ぐらいはいけるだろうが。それでも店で肉を売るなら、せいぜい二万ちょっとにしかならない。
命がけで日当が二万ちょっとにしかならないのに、よく冒険者はやっていけるものだ。
「十分ですよ。普通のお仕事だと日当が一万バルぐらいですから。それに、手に入るのはお肉だけじゃないですよ。ホーンボアは角とか皮を落とすことがあって、そっちのほうが高く売れるんです。だいたい、一日潜れば、四万程度にはなります。あと、ぶっちゃけ、うちの店の値段維持するには、店買いとか無理ですし。がんばらないと」
キーアが腕まくりをして、トラ柄の尻尾がピンっと伸びる。
「そういうものか」
「はいっ。……もっと深く潜れば、もっと強くて、その代わりすごいのを落とす魔物がいるんで何倍も稼げたりするんですけどね。だいたい冒険者は二極化してます。私みたいに浅いところで安全だけどあんまり儲からない狩りをする人と、どんどん潜って命がけで荒稼ぎする人」
俺から見たら、あの猪の時点で、まったく安全に見えないのだが……。たしかにキーアの動きに危なげは一切なかった。
「キーアなら深いところで荒稼ぎもできるんじゃないか」
「たぶん、できます。私、けっこう強いしベテランですからね。でも……」
そこでキーアが言いよどむ。
「でも、なんだ」
「ここから上は罠があったり、毒を持っている魔物が多くて、一人だと毒をもらった時点で終わりなんです。解毒薬を持ち込んでも、体が動かなくて飲めないかもしれません。死角が多くて、一人じゃ周囲を警戒しきれないですし、深く潜ると野営も必要になります。見張りの人がいないと眠れません。一人じゃ無理なんです」
たしかにそうだろうな。
キーアが口にしなかったこと以外にも一人だとどうしようもないことは数多くある。
「私は万が一にも死ねないんです。今、お店とお母さんを守れるのは私だけですから。……ただ、お母さんの病気治せるお薬を落とす魔物はもっと深いところにいて、いろいろと難しいんです」
その言葉の奥には、彼女のもどかしさが見え隠れしていた。
今の会話の中で気になることがある。
「ちょっと待ってくれ。その治せる薬を持っている魔物に目星は着いているのか」
「はい、ここより五つ上の階層にいる魔物が落とします。年に二、三回は薬が市場に出回ってますよ」
「出回っているなら、薬を買えばいいんじゃないか?」
「……絶対無理です。たいていの病気を直せちゃう薬なので、みんな欲しがります、お貴族様も、お金持ちも、なのに年に、二つ、三つしか出回らないんですよ。とてもじゃないけど買えません。だから、自分で手に入れるしかないんです」
言われてみればそのとおりだ。
そんな薬、誰もが欲しがるだろう。金での奪い合いになれば、ただの町娘のキーアに買えるはずもない。
……とはいえ、俺ならどうにでもできる。
俺の眷属に、キーアの母を治せるだけの力をもった奴がいる。
あるいは金だって、俺が望めば眷属たちが用意してくれるだろう。
ただ、それらは魔王の力だ。
俺は一般人として生きると決めた。彼らに頼るわけにはいかない。
だが、救える力があるにもかかわらず、助けない気持ち悪さも感じていた。
なら、やるべきことは一つしか無い。
今の俺の力で、キーアを助ける。
「キーア、一人だと危なすぎるから駄目だと言ったな」
「はい。一人で上の階層に行くのは自殺行為です」
「なら、俺と一緒ならどうだ? 二人で薬を手に入れよう。俺は冒険者とやらになってみたいと思った。面白そうじゃないか。己の力で獲物を狩り、食い扶持を稼ぐ。夢があるし、シンプルでいい」
もともとダンジョンで稼ぐことは考えていた。
そうした場合、俺もキーアと同じように一人では高い階層に潜れないという問題に直面するだろう。
仲間を探すにも誰でもいいというわけには行かない。その点、キーアは性格も能力も申し分ない。
ここで俺とキーアが組めばその問題も解決する。
さらに、キーアを助けることもできて万々歳だ。
「お気持ちはうれしいですが、その、ダンジョンはルシルさんが思っているより、ずっと危ないですよ」
「だろうな。だが、キーアが思っているより俺は強いかもしれない。……今日は一緒に狩りをしてくれ。そのなかで命を預けるに値する男かを判断してほしい。次の魔物は俺が倒してみせよう。だいたい要領はわかった」
なぜか、このダンジョンに来てから調子がいい。
体がここを知っている、どこか懐かしい感じがする。
それに、腰にぶら下げている剣が妙に馴染む。
剣などろくに振るったことがないのにもかかわらずだ。
この直感を信じて、剣を振ってみるとしよう。
そうすれば、俺に力があることをキーアも認めさせることができる。
そんな気がするのだ。