本書を書き終えた2018年の夏の終わりごろには米国が――そして私の生きてきた時代に米国が構築を支えた世界秩序が――根の深い政治的、経済的、そして文化的な問題に直面していることは明らかだった。
それでも私は母の言葉を引いて、少し安心しながら本文をしめくくった。米国は残酷な南北戦争も、二度の世界大戦も、そして大恐慌も耐え抜いた。そのうえで「自由世界」のリーダーとして、つまり民主主義や開かれた市場、自由貿易、経済成長のお手本、モデルとして浮上した。この事実は私にとって誇りと希望の源だった。
■母が大切にしていた他国に対するお手本でなくなる
今日、米国の面前にある脅威はより不気味なものになっている。我々がそれに立ち向かえるだけの能力を持ち合わせているのか、自信は揺らぐばかりだ。計画的なのかどうかはさておき、米国民が抱く政府とその政策や制度に対する信頼を傷つけようとする動きが一層目につくようになった。
我々は「政府こそが問題だ」というロナルド・レーガン元大統領の信念が問いかけていた地点よりもずっと先に来てしまった。当時の目標は何十年も続いていた連邦政府の役割拡大の流れを逆転させることだった。
今日、我々が見ているのは、これまでとはきわめて異なり、しかもはるかに邪悪な何かだ。ニヒリズムに染まった勢力は我々の大気、水質、そして気候を保全するための政策の解体を目指している。彼らは我々の民主主義の支柱である参政権と公正な選挙、法の支配、報道・出版の自由、権力の分立に対する信用を落とすことを狙っている。科学を信じる姿勢、そして真実という概念そのものも非難の的だ。
これらを失えば、米国は私の母があれほど大切にしていた他国に対するお手本ではなくなる。これまで絶滅に向かっているかに思われた一種の圧政への逆戻りである。残念なことに世界のより恵まれない地域では圧政が根を張ったままだ。
■「根気強く頑張り続けること」が不可欠
原著の中で私はドナルド・トランプ大統領を見ていて、米連邦準備理事会(FRB)の独立性を攻撃していないと考え、そのことに感謝していた。しかし、それはもはや真実ではないし、この表現では控えめすぎるだろう。
第2次世界大戦の直後以降でこれほどあからさまにFRBに対して政策をあれこれ指示する大統領を我々は見たことがない。中央銀行は我々の重要な政府機関の一つであり、党派性むき出しの攻撃を受けても守られるよう慎重に制度設計されていることを考えれば、これは大いに懸念される事態である。
私は当のFRBのメンバーたちやFRBに対する監督責任を負う議会の面々たちを信じているし、さらには一般の人たちもFRBの機能を維持してくれるだろうと信じている。党派的な政治目的に拘束されずに、この国の利益のために働くというFRBの機能である。
金融政策は重要だが、それだけではグローバルなリーダーシップを保てはしない。経済の成長と平和的な展望を支えるためには、開かれた市場や強力な同盟国も我々には必要だ。これらの建設的な米国の政策に携わることが私の人生の大部分を占めてきた。ところが、米国において信頼されてきたものが逆に標的になっている。
75年前、米国民は海外における圧政を打破するという挑戦に立ち上がった。我々は苦労して勝ち取った民主主義的な自由を守り、そして維持していくことの必要性を痛感し、同盟国の陣営に加わった。
今の世代の人たちは当時とは違うものの、同様に自らの存在の根幹にかかわる試練に直面している。我々がどのように対応するかによって、我々自身の民主主義の未来、そして究極的にはこの地球自身の未来が決まる。「根気強く頑張り続ける」こと(訳注:回顧録の原題に込めたメッセージ)が不可欠である。休んではならない。