第二章4【もう一つの婚姻】
それから数日後。
どうにか予定を付けた、女王アウラは王宮の一室で、ガジール辺境伯家長女ルシンダと、対談の時間を設けていた。
表向きの理由は、「一年後に予定されているプジョル将軍とニルダ・ガジールの結婚式の打ち合わせ」ということになっているが、本題はそこではない。
「良く来たな、度々呼びつけてすまぬ。まずは座れ」
「はい、失礼します」
対面のソファーにルシンダが上品に腰を下ろしたところで、女王はまず定石通り、表向きの話を持ちかける。
「結婚式の準備は順調か? ギジェン家側のプリモは随分と精力的に動いているようだが?」
少々含みのある女王の言葉に、ルシンダはくすりと笑い、首肯する。
「はい。幸い、まだ一年近く時間がございますので、大きな問題もなく準備は進んでおります。
さすがにプリモ卿のように、フランチェスコ、ボナ両殿下に仕事を依頼するような予定はありませんが」
ガジール辺境伯家から新郎プジョル・ギジェンに贈る物は、無難に領内の職人に依頼する予定らしい。
ガジール辺境伯領は、地方の大領地だ。塩のような、どうにもならない一部の物資以外は、領内で自給自足できる体勢が整っている。
プジョル将軍は、名高い武人だ。
領内で一番の職人に、剛竜の竜牙や覇竜の竜革など貴重な素材を使って、武器や防具を作らせれば、結婚式の贈り物として問題なく受け取って貰えるだろう。
「そうか。では、問題はなさそうだな。ガジール辺境伯家、ギジェン家、両家にとってはめでたいことだ」
女王はあえて含みのある口調でそう言った。
両家にとってはめでたいことでも、王家にとってはめでたいことではない。
言葉にはしなくとも、そんな裏の意味は明確に伝わったのだろう。
ルシンダは殊勝な顔で一度目を伏せた後、ゆっくりと口を開く。
「ありがとうございます。アウラ陛下のご温情により、我が妹ニルダ・ガジールが無事結婚式を迎えられること、ガジール辺境伯家を代表して、重ねて御礼申し上げます」
「ふむ、ガジール辺境伯家を代表して、か。ということは、今日のその方の言葉は、ガジール辺境伯家の総意ととって良い、ということか?」
圧力を掛けるように、目に力を込めてそう確認してくる女王に、ルシンダは小さく一つ首肯する。
「はい。当主である父より、正式に代行の命を受けて、まかり越しました。
その上で、我ながら厚かましいお願いとは分かった上で、今一度陛下のお力をお借りしたく存じます」
「うむ、私の助力を必要と言うか……」
女王アウラは少し目を細め、考える。
当主であるプジョル将軍を、女王の婚約者候補として縛っていた負い目があるギジェン家はともかく、ガジール辺境伯家に対しては、今回の一件はどちらかというと王家が貸しを作った立場である。
ルシンダはそれを理解した上で、あえてさらに『力を借りたい』と言ってきた。
言葉通りの話ではないことは、何となく想像が付く。
「まずは、話してみよ」
女王に促され、ルシンダは『お願い』を口にする。
「はい。話というのは他でもない、弟のチャビエルについてなのです。
幸いにして、妹のニルダはこうして婚姻が決まりましたが、チャビエルもそろそろ身を固めてもおかしくはない歳。
そこで、アウラ陛下に、良縁をご紹介いただけないかと、考えた次第です」
「なるほど、な」
ルシンダの言葉に、アウラは一つ大きく息を吐いた。
ルシンダの『お願い』の意図は明白だ。
本来、ガジール辺境伯家は独立独歩の気風が強い、典型的な地方領主貴族である。
そのため、婚姻に関しても、通常は王族をはじめとした、他者の『紹介』を必要とすることはない。
むしろ、そういう紐付きの嫁や婿を疎むほうが多い。
しかし、今回、ニルダ・ガジールがギジェン家当主プジョル将軍の正妻として嫁いだことで、ガジール辺境伯家は否応なくプジョル将軍の後ろ盾のような立場に立ってしまった。
中央の名門であるギジェン家と、地方の大領地であるガジール辺境伯家の結びつきは、王家の警戒を招くことは、誰にでも簡単に予想できることである。
だから、次代の当主であるチャビエルに、女王アウラの意向を汲んだ嫁を迎えることで、ガジール辺境伯家は王家の意向に逆らうつもりはない。と内外にアピールするつもりなのだろう。
形の上では「お願い」だが、その内実はガジール辺境伯家側の大幅な譲歩だ。
これは有益な話し合いになりそうだ。
そう感じ取った女王は、わざとらしく考え込む表情を浮かべた後、口を開く。
「確かに、チャビエル卿も、そろそろそういう話が持ち上がるのが自然な歳であるな。
大貴族であるガジール辺境伯家の次期当主であるチャビエル卿の相手として不足のない女子となると、流石に心当たりはそう多くはないが、たっての願いあれば、こちらとしても否はないぞ」
アウラの口調はかなりわざとらしいが、言っている内容に嘘はない。
実際問題として、ガジール辺境伯家は大国カープァ王国の中でも、十指に入る大貴族である。
その次期当主であるチャビエルに嫁ぐに相応しい家格の娘で、なおかつチャビエルと歳の釣り合いの取れている娘となると、その数は決して多くはない。
果たして、誰が相応しいだろうか? 頭の中で、自分の息がかかっている貴族家をリストアップし始める女王に、ルシンダは水を差すように声を掛ける。
「ただ、どうあっても男女のことは最終的には、相性、感情の問題がございます。可能であれば、正式な結婚の前にある程度の猶予を設けさせてやりたいと思うのですが、如何でしょうか?」
「む? つまり、婚姻前に婚約者という立場で、しばし婚約者をガジール辺境伯領に預けろ、と言ってるのか?」
怪訝そうな声で問うアウラに、ルシンダは静かに首を横に振る。
「いいえ。我が領地ではなく、王都での話です。来年の話なのですが、チャビエルが王都につめる予定なのです。代わりに父が領地に戻るので、入れ代わりですね」
「……ほう」
ルシンダの言葉に、アウラは低い声を上げた。
カープァ王国では、原則として貴族家は、前当主、現当主、次期当主のうち誰か一人は、王都に定住することを義務づけている。
そう考えると、現当主であるミゲル・ガジールが領地に戻り、次期当主であるチャビエル・ガジールが王都に出てくるというのは、特別おかしな事ではない。
だが、王都は女王アウラのお膝元であると同時に、プジョル将軍の本拠地でもある。
その王都に、チャビエルが住むとなれば、ニルダ・ガジールを娶ったプジョル将軍が黙っているはずがない。
それこそ、チャビエルの元に自分の息がかかった女を送り込むくらいのことは平気で、やるだろう。
(なるほどな)
アウラには、声に出さないルシンダのメッセージが明確に理解できた。
ガジール辺境伯家は、王家に対する忠誠の証として、次期当主であるチャビエルの正妻に、女王アウラの意向に沿った人物を受け入れる用意がある。
だが、それが度が過ぎて王家本位で、ガジール辺境伯家にとって不本意な婚姻だった場合には、ギジェン家との結びつきを強めてでも抵抗する覚悟もある。そう言っているのだ。
(地方の領主一族としては当然、というかむしろ以前に宣言している分、誠実とさえ言える態度だな)
アウラは、そう判断を下した。
実際、こちらの意向に沿った人間を、次期当主の正妻として受け入れると言ってきているのだから、相当歩み寄っていることは確かである。
その上で、「だからといってどんな女でも受け入れる訳ではない」と釘を刺すくらいは、貴族としては、当たり前の自衛手段だろう。
「分かった。では、王都で出会うように場を設けよう。
ガジール辺境伯家にとっても、チャビエル卿個人にとっても悪くない人選をするつもりだが、もしなにか不都合があるようならば、婚約者となる娘本人に直接言う前に、私に話を通して貰えるとありがたい」
「承知致しました。父と弟にもそのように伝えておきます」
ホッとしたように、笑顔で頭を下げるルシンダに対し、女王はせっかくの機会に、もう一押しする。
「しかし、妹、弟と来ると次は姉の番であろう。歳の順を逆にたどることになるが、其方自身の縁談もさすがに本格的に考えても良いのではないか?」
アウラの言葉に、ルシンダは今日初めて心底虚を突かれたように数度、瞬きをした後、苦笑を浮かべて首を横に振った。
「いえ、私は、もうこんな歳ですから」
未婚のまま、二十代の半ばを過ぎてしまったルシンダは、すでに自分の結婚をすっぱりと諦めている。
そうでなければ、前回の「善治郎がルシンダに興味を持っている」という話になったとき、もっと貪欲に食いついていたはずだ。
だが、そんなルシンダに、女王アウラは意図的に、口元に歪んだ笑みを浮かべて告げる。
「いや、それは早計であろう。
ハッキリ言えば、確かに其方はこの世界の常識で言えば、適齢期を過ぎている。ガジール辺境伯家の長女に相応しい縁談は、難しい。
だが、ガジール辺境伯家と同格の家、という条件に拘らなければ、もらい手はいる。どうだ、チャビエルだけでなく、其方の婚姻も私に任せてはみぬか?」
「それは……」
女王の申し出に、ルシンダは表情を強ばらせた。
適齢期を過ぎてしまい、まともな縁談は望めなくなったルシンダだが、それは裏を返せばまともではない縁談ならば、まだ残っているということだ。
ガジール辺境伯家は、カープァ王国でも十指に入る大貴族。
結婚適齢期を過ぎたルシンダでは同格の貴族家はもちろん、一段下の貴族家も受け入れてくれる可能性は低い。
だが、二段以上格下の貴族家であれば、ガジール辺境伯家の看板目当てに結婚を進んで受け入れる者は、必ず存在する。
自分の息がかかった中小貴族に、嫁げ。
アウラの言わんとしていることをそういう意味だと理解したルシンダは、一つ長い深呼吸をする。
「それは、悪い話ではない、ですね」
出来るだけ感情を切り離し、理性で下した判断をルシンダはそう口にした。
ルシンダ自身、自分の結婚は諦めていた身だ。
アウラが望み、相手の家も望むのならば、ルシンダ自身に自分を駒として扱われる事への拒否感はない。
問題があるとすれば、そうしてルシンダが格下の家に嫁ぐ事で、ガジール辺境伯家の家名が軽くなることだが、そこはニルダがギジェン家に嫁ぐ事である意味相殺される。
王家としては、プジョル将軍とニルダ・ガジールの婚姻で、ギジェン家とガジール辺境伯家の存在が、必要以上に重くなることを懸念しているのだだろう。
そうすることで、王家との距離感が正常に保たれるのであれば、それは悪い取引ではない。
ともあれ、こちらから申し込んだチャビエルの婚姻と違い、向こうから持ちかけてきたルシンダの婚姻に関しては事前の話し合いがないため、ルシンダには即答する権利がない。
「お申し出は理解しました。私の一存では返答しかねますので、正式な返事は一度父に話を通してからになりますが、それでよろしいでしょうか」
取り戻したルシンダの言葉に、女王は鷹揚に頷きかえす。
「ああ、それでかまわない。ガジール辺境伯には、宜しく伝えておいてくれ」
「はい、分かりました」
静かな口調と表情を取り戻したルシンダは、丁寧に一礼すると、部屋を後にするのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
バタンと音を立てて、ルシンダが出て行くと、部屋の中に残されるのは、女王とその側近である、細面の秘書官だけとなる。
「しかし、まあなんですな。有り体に言って、詐欺の手口ですな」
腹心の辛辣な感想を、女王は小さく肩をすくめて否定する。
「嘘は言っていないぞ。私が考えているのは、ルシンダ嬢にゼンジロウの側室になって貰うことだ。『ガジール辺境伯家と同格の家への嫁入り』ではないだろう?」
「嘘を吐いていないということと、騙しているということは両立しうるのですな」
主の真似をするように肩をすくめる細面の秘書官の言葉に、女王は流石にばつが悪かったのか、スッと視線を逸らした。
実際、これで言質を取ったと言うのであれば、ファビオ秘書官の言うとおり、『詐欺』と言われても仕方がない。
「まあ、そのあたりはある程度、話が進んだところで正直に打ち明ける。まずは、ゼンジロウにルシンダ嬢を『側室候補』と意識した状態で、接して貰いたい。
そこで、ゼンジロウがルシンダ嬢に拒否反応を示さないようであれば、正式に話を持っていく」
「まあ、ゼンジロウ様の人となりについて、一番よく知っているのは陛下でしょうから、そこはお任せ致します。
ですがだとしたら、なおのこと、チャビエル卿の結婚は成功させなければなりませんぞ。
ルシンダ様はあの通り、お家大事の価値観に染まりきったお方です。辺境伯領の将来に明るい道筋を付けた後でなければ、自らが家を出るという選択肢はとって下さらないでしょう」
「分かっている」
秘書官の言い分の正しさを認めた女王は、真剣な面持ちで首肯した。
「して、陛下。チャビエル卿の相手に相応しい女性に、心当たりはおありですか?」
少し挑発的にそう聞いてくる秘書官に、女王は片眉を跳ね上げると、自信ありげに答える。
「ああ、任せろ。
大事なことは、第一にガジール辺境伯家次期当主の正妻に相応しい家格の娘である事。
第二に、年齢的にチャビエルと釣り合い、人格的にも問題がないこと。
そして、第三に、実家が王家よりであること。
そうした条件を満たす人間に絞っても、片手に余るくらいには候補がいるぞ」
胸を張ってそう言うアウラの言葉に嘘はない。
元々、カープァ王国は封建国家の中では極端に王家の権力が高い国だ。必然的に、その国の王であるアウラは、誰よりも顔が広く、自分に直接臣従している信頼できる貴族家も多数抱えている。
だが、そんな女王の自負に、秘書官はいつも通りの無表情のまま、水を差す。
「それはようございました。ですが、条件を一つお忘れでは?」
「む? 忘れている条件?」
問い返す女王に、秘書官は小さく首肯する。
「はい。それは、辺境領地での生活に順応できる女性、ということです」
「あ……」
その指摘は、どうやら的を射ていたらしく、女王は間の抜けた声を発した。
「そうか。そうだな。王都暮らしの貴族娘に、辺境領地に骨を埋めるのは酷、か」
貴族には一般的に独自の領地を持つ地方領主貴族と、領地を持たずに直接王家に使える王宮貴族がある。
当然と言えば当然だが、アウラの手駒となっている貴族家の大半は、後者――王宮貴族達である。独自の地盤と財源を持つ地方領主貴族は、どうしても独立独歩の毛色が強い。
もちろん、信頼の置ける領主貴族も、信頼の置けない王宮貴族もいるにはいるが、大別するとやはり、王宮貴族達こそが女王アウラの支持基盤だ。
そんな、今日までの人生王都から一歩も出たことのない、王宮貴族のお嬢様達に、地方領暮らしは中々馴染めないだろう、というファビオ秘書官の指摘は、正しい。
ガジール辺境伯領の領都は人口や財政的には、十分に栄えていると言えるのだが、文化レベルは王都と比べると、やはり数段落ちると言わざるを得ない。
王都暮らしの娘が移り住めば、世間知らずな言動を取って、地元の人間の不評を買う可能性は高い。
「うむ、そうなると一気に候補が減るな。問題がなさそうなのは、レガラド子爵家の長女あたりか」
現王都の旧領主一族であるレガラド子爵家は、王家との距離も近い信用のおける家柄である。その上、レガラド子爵家は王都に居を構える家でありながら、武を貴ぶ価値観を持っているので、ガジール辺境伯領に嫁いでも溶け込めるのではないかと期待出来る。
「ララ侯爵家の三女か四女はいかがですか? 年齢的にも釣り合いが取れていると思うのですが?」
そんな秘書官の提案に、女王は眉の間に皺を寄せて、考え込む。
「……確かに条件は満たしているが、乳母上も乳母夫殿も頑固だからな。私が玉座に着いてからは、すっかり距離を置かれてしまっている。果たしてこちらの要望を受け入れてくださるか……」
ララ侯爵夫妻は、女王アウラの乳母夫婦であり、アウラにとっては事実上の家族に等しい存在である。
能力的にも、人格的にももっとも信頼のおける配下であるが、アウラが女王に即位したときに、「自分たちは女王への影響力が強すぎる。だから、王都には居られない。その代わり、北の護りは任せろ」と言って、それ以後本当にただの一度も王都に顔を出したことがない。
アウラと善治郎の結婚式さえ、代理に祝い状を持たせて送らせたほどの徹底ぶりだ。
「とりあえず、話だけでも通したらどうでしょうか? ガジール辺境伯家でもニルダ様とチャビエル卿の結婚を同時に進行することはないでしょう。
となると、チャビエル卿の結婚は最速で動き始めても、一年以上先の話。陛下の企みが上手くいって、その前にルシンダ様の側室入りが纏まれば、さらにもう一年延びるのです。
時間の余裕はまだまだ、ございましょう。
逆を言えば、二年も三年も何も言わずに時間がたてば、条件の良い女性は嫁ぎ先が決まってしまうでしょうし」
「それは、確かにそうだな」
秘書官の主張を認めた女王は、納得した様子で、そう言葉を返した。
「来年以降ならば、ゼンジロウが『瞬間移動』を会得している可能性が高いな。いっそ、使者をゼンジロウに任せても良いか」
「良いのではないでしょうか。ララ侯爵領ならば、ゼンジロウ様の身に危険が及ぶこともまずありますまい。
ララ侯爵ご夫妻にしても、アウラ陛下の夫の顔は見てみたいでしょうし、ゼンジロウ様にとっても妻の育ての親に挨拶をするのは、有益なことでしょう」
アウラの提案に、秘書官はそう賛同の意を示すのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
その日の夜。
善治郎とアウラは、後宮のリビングルームで向かい合ってソファーに腰を下ろしていた。
テーブルの上に乗っている切り子グラスの中身は果汁水であって、酒ではない。
向かい合っての話は、真面目な話。
昼間は別々に仕事をすることが多くなった最近は、その日得た情報を、こうして交換し合うのが日課となっている。
「……といった話になっている。まだ本人には打診していないが、私としてはこのままルシンダを其方の側室に迎えたい。
もちろん、最終的な決定権は其方にあるが、しばらくはそのつもりでルシンダと接してみてくれ。その結果、悪くない、受け入れられるとなったらその時は、私に教えてくれ。
私からルシンダに、正式に側室入りを打診する」
「…………」
アウラの言葉に、善治郎は無意識のうちに膝の上にのせている両拳を固く握りしめていた。
前回アウラに告げた「どうしても側室を取らなければならないのだとしたら、それはルシンダが良い」という発言に嘘偽りはないが、だからといって側室取りに積極的になったわけではない。
アウラとルシンダ。複数の異性と同時に関係を持つ未来。
文化が違うことは頭では分かっているのだが、善治郎はどうしてもそこに日本に住んでいた頃、ネットや噂話で聞いた、二股を掛けていた人間の末路を連想してしまう。
当たり前だが、現代日本では「こうして話し合いの結果、男は二人の女を恋人として、末永く仲良く三人で暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」という話はとんと耳にしない。
いくらこちらの世界の王族貴族ならば、複数の女を娶るのが当たり前だと言われても、はたして自分にそんな難しい人間関係を回していく度量があるのだろうか? 正直自信は欠片もない、善治郎である。
とはいえ、一度覚悟を決めた以上、この段階で逃げを決めるわけにはいかない。
「分かった。やってみる。ルシンダさんは結婚式のガジール辺境伯家側の責任者だから、それなりに接する機会は多いだろうから。
あ、でもどっちかというとギジェン家側の責任者の方が圧倒的に問題児だから、折衝の大半は向こうにリソースを取られそう」
善治郎の言葉に、アウラは苦笑いを浮かべる。
「プリモか。確かに困った奴だが、欲望に忠実なだけで悪意はない。その欲望も、単純に美術品や芸術家を、思う存分観賞したいというだけだ。話の分からない奴でもない。
油断はならないが、制御はそう難しくないゆえ、どうにか手綱を取ってくれ」
「了解。確かに、言えばこっちの言うことは聞いてくれるよね、あの人」
問題は何度言い聞かせても、琴線に触れる美術品や芸術家に会うと、その度に頭を空っぽにして飛び付こうとするので、その度に制止する必要があることだ。
非常に疲れる人間だが、止めること自体は容易なので、アウラが言うとおり、油断さえしなければ善治郎でも十分に対応は可能だろう。
「うむ、苦労を掛けるがよろしく頼む。後、もう一つ報告しておくことがある。
プジョルとニルダの結婚の後の話だが、ガジール辺境伯家がらみで、近々もう一組、結婚式が執り行われる可能性が高い。実は……」
「なるほど。ようはこれ以上ガジール辺境伯家が、これ以上プジョル将軍よりにならないよう、次代の当主であるチャビエルにアウラの肝いりの嫁さんを押し込む。
その嫁さん候補を呼びに行く役目を俺に頼みたい、と」
妻からの長い説明を、聞き終えた善治郎は、そう納得したように何度も頷いた。
「うむ。候補として考えているのは、レガラド子爵家の長女と、ララ侯爵家の三女と四女だ。
レガラド子爵の長女は後宮にいるので、なんの問題もないが、難しいのはララ侯爵の三女と四女だ。
ララ侯爵夫妻は私にとって育ての親。私に対する影響力が強すぎるという理由で、私が王になって以降は、王都に足を踏み入れないようにしているし、当然王となった私が、ララ侯爵領を訪れることも難しい」
アウラが王となったのは、大戦末期の話。大戦中の大部分は、王女として活動していたアウラは、当時ララ侯爵領軍を借りて、戦場に立っていた。
一方、ララ侯爵自身は、プジョル将軍の前の将軍でもある。
本来国軍の将軍位は、王宮貴族が付くことになっているのだが、当時は大戦のさなか。人材が枯渇したため、やむを得ず特例として、ララ侯爵は領主貴族でありながら、国軍の将軍職に就いていた。
その後、プジョル・ギジェンが台頭してきた時点で、まだ二十代のプジョルに将軍位を譲ったというのだから、領主貴族が国軍将軍となることがどれほどの特例であるか、よく分かるだろう。
大領地の領主で、本人の能力も高く、妻は現女王の乳母。
一歩間違えれば、女王アウラを傀儡化しているとさえ、周りに見えてしまう立場である事を理解しているララ侯爵夫妻は、可能な限りアウラとの接触を断っているのだ。
「乳母上も乳母夫殿も完璧主義者の頑固者だからな」
そう言って苦笑を浮かべるアウラの表情は、どことなく甘える感情を帯びたものであった。
自分以外に、甘える感情を見せる愛妻に、少し独占欲を刺激されつつ、善治郎は口を開く。
「それで、移動は『瞬間移動』の魔法で?」
「ああ、行きは私が『飛ばす』が帰りは出来れば、其方が自分で『瞬間移動』で使って帰ってきて欲しい。いや、大事な娘後を預かるのだから、チャビエルの嫁候補である三女と四女もその方が『瞬間移動』で送って貰いたい。
時にゼンジロウ、その方、魔法の習得状況はどんな状態だ?」
真剣な面持ちでそう問いかける妻に、善治郎は素直に答える。
「とりあえず、『空間遮断結界』は、周囲に誰も居ない状況なら十回中十回成功するようになったよ。『引き寄せ』は、同じ条件で、十回中七回は八回くらいかな。
魔力出力調整は、かなり出来るようになったつもり」
そう言って善治郎は、右手の人差し指をピンと立てると、そこから立ち上る魔力を増やしたり減らしたりして、見せる。
熟練の魔法使いと比べれば随分と遅く、拙いが、それでも自分の体から立ち昇る魔力量を自分の意思で増減出来るようになっている。
その様子に、女王は満足げに頷くと、
「うむ。其方は本当に勤勉だな。『瞬間移動』は、『空間遮断結界』や『引き寄せ』とは比較にならない高難易度の魔法だが、なんとか会得して貰いたい。
難易度は全く違うがやることは同じだ。魔法語で正確に呪文を唱えられるようになり、最適な魔力量に出力を調整し、明確に効果発動を想像する。それだけだ。
幸い時間はある。プジョルとニルダの結婚式が一年後で、チャビエルの結婚は、その後になるからな」
「『瞬間移動』か。『瞬間移動』を覚えたら、何はさておいても双王国に行きたかったんだけど」
アウラの要請に、善治郎は少し渋るようにそう言う。
シャロワ・ジルベール双王国に行って、アウラの次の出産にはジルベール法王家の治癒術士を連れてこられる用意を調える。
それが、現状善治郎にとって最大の目的だ。
アウラの要請は、善治郎の目的にとっては寄り道になる。
「ええと。頑張って早めに『瞬間移動』を会得したら、ララ侯爵領より先に双王国に行くっていうのは駄目?」
駄目で元々と思いつつ、そう確認する夫に、女王は予想通り首を横に振る。
「悪いが駄目だ。ララ侯爵領ならば、先触れの兵士と世話役後宮侍女を数人送り込むだけですむが、他国である双王国に王族である其方が向かうとなると、大事だ。
多数の護衛の兵士を事前に送り込む必要があるし、それだけの兵士は『瞬間移動』では送れないため、徒歩で移動できる季節を見計らう必要もある。
なにより、双王国、もっと具体的に言えばシャロワ王家が、間違いなく手ぐすね引いて其方を待ち構えている。シャロワ王家の目的は、其方の取り込みだろうから、危害を加えられることはないだろうが、色々理由を付けて其方の滞在期間を長引かせる可能性は高い。
そう考えると、ララ侯爵領行きと違い、双王国行きはそう簡単には許可を出せぬのだ」
アウラの懇切丁寧な説明を受ければ、善治郎も自分の考えに固執することはない。
「わかった。そういうことなら、先にララ侯爵領に向かうよ。でも、どっちにせよ、早いに越したことはないから、『瞬間移動』の会得には力を注ぐつもり」
「ああ、よろしく頼む。今から言うのは少々気が早いが、乳母上と乳母夫にあったら宜しく言っておいてくれ。たまにはカルロスの、孫の顔を見に来い、と」
自分の息子であるカルロスのことを『孫』と言う。
その距離感は乳母と言うより、もう一組の両親に近い。
なるほど、これは当人達が「距離が近すぎる」と距離を取るのも頷ける話だ。
「ん、分かった。ちょっと順番が前後するけど、娘さんを下さいって、養父さんと養母さんに、挨拶してくるよ」
善治郎は冗談めかして、そう返事をするのだった。