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おしどりの盃

作者:吉邑 正

庄吉しょうきちが怪しい説法に、はまってしまいました―-。


-女房のおおみつはどうするでしょうか―-。

-昔―-ある村に、貧乏だがたいそう酒好きな庄吉しょうきちという男が居った―-。-ある時、村おさの万蔵まんぞうの世話で、出戻りのおおみつという女を嫁にもらった―-。-お充は美しく、明朗快活な性格で、庄吉は惚れ込んでいたし、庄吉は飲んべぇなのが難点ながら、お人好しで、お充は好いていた―-。



-ただし、お充は、本当は化け物の様に酒に強い女で、最初の嫁ぎ先では、その事をあまり隠さなかったが、亭主やその親に、台所の酒を盗み飲んだと疑われて離縁された―-。-女だてらに酒に強いのは自慢出来る事ではないと覚ったお充は、庄吉にもその事だけは隠していた―-。



-お充が本気で飲む時は、いつも庄吉が酔いつぶれてしまった後からなので、彼は女房がそんなに酒に強いとは知らずにいた―-。






-そんな夫婦の居る村に、ある日、旺岳おうがくという修験者がやって来て、自分には不思議な力があると吹聴した―-。



-村人達は「なんだべ?なんだべ?」と物見高く集まってきた―-。-旺岳はその中の、茂平もへいという老人を指差し「ちょっと前に出てこられよ―-」と呼び、野良仕事で痛むという彼の腰を擦りながら、何やら呪文を唱えておったが、そのうちに茂平が「不思議じゃ―-腰が楽になっただ―-!」と喜んで言った―-。




-村人達は大した修験者じゃと感心し、旺岳は、しばらく村おさの万蔵の家に逗留する事になった―-。




-夕方になると旺岳は、万蔵の家で説法の様な事を始めたが、そんなに広くもない家に村人全員が入れる訳ではない―-。-最初は茂平の腰を治した奇跡を見て、特に感銘をうけた者達が十余名集ったが―-。




-旺岳の説法を聴いた万蔵をはじめ、十名ほどの村人達は、翌日から「旺岳様は、凄い法力を持っている―-!」と吹聴して廻る様になった―-。




-庄吉の家にやって来た万蔵は「庄吉よ―-お前ぇも、わしの家に来て旺岳様の説法を聴け―-」と誘った―-。-庄吉は「村おさが一杯おごってくれるなら行くだども―-」と応えたが、万蔵は「庄吉は、酒さえ在れば良いのじゃろう―-ええわい―-特別にわしが酒を飲ませてやるだ―-」と約束した―-。




-庄吉は夕方になると万蔵の家に出掛けて行ったが、お充は、万蔵にはいつも親切にしてもらっているし、なんと言っても夫婦の仲人なので信頼し、庄吉の事は少しも心配していなかった―-。






-庄吉が万蔵の家に着くと、先に九人の村人が集まっていて、庄吉を加えて十人となった―-。-更に万蔵ほか、既に旺岳の説法を聴いて、すっかり感化された者達が数名、後ろにひかえていた―-。



-旺岳は、村人達の前に立ち、世間話の様な事を気さくに話し始めた―-。-それは時々、くすくすと笑わせる面白い話であったが、大筋では、人の道、親の恩を諭すもので、どんな恐い修験者じゃろうかと思ってびくびくしておった村人達は、旺岳の事を気さくで、為になる良い事を言う好人物だと思い改めた―-。



-庄吉は「どうでもええが、酒はまだか―-?-まあ、万蔵のことじゃで、約束は守るじゃろうが―-」と、少しじれったく思っていた―-。




-次に旺岳は、十人の村人を五人づつに分けて対面して座らせ、各名の前にぼた餅を一個づつ置き、腕よりも長い箸を持たせて「手づかみはいかん―-箸の端っこを持って食べなされ―-」と言った―-。



-庄吉達は、ぼた餅を前にして考え込んでしまった―-。




-嗜好品など、ほとんど無い貧しい暮らしの村人達にとっては、ぼた餅は喉から手が出んばかりに欲しい物であったので、皆、真剣に考えたが、どうする事も出来なかった―-。




-すると旺岳は、急に激昂し、厳しい口調で村人達を叱り付けた―-「ぼた餅が食べられないのは、おぬし達の欲のせいじゃ―-おぬしらは、地獄の餓鬼と同じじゃ―-!」その声の迫力に皆、驚き、畏れた―-。-又、他人に叱られる事を面白いと思う者は居らず、叱られ顔の涙目になる者や、いわゆる逆ぎれをして憤慨する者が居った―-。



-旺岳は、今度は穏やかな口調になり「箸は長いので、左手を中程に添えてもよろしい―-ぼた餅をつまみ上げたら、向かい合わせに座っている前の者に食べさせなされ―-そうじゃ―-お互いに食べさせあうのじゃよ―-」と言った―-。




-庄吉は言われた通りにして、前に座っている弥助やすけにぼた餅を食べさせた―-弥助も庄吉にぼた餅を食べさせてくれた―-。-こうして、甘いぼた餅を食べた皆の気持ちは和んだ―-。-すかさず旺岳は「これは、極楽浄土の食べ方なのじゃ―-おのれの欲を捨て、他人を幸せにしようとする気持ちは、結局自分を幸せにするのじゃ―-」と諭した―-。-畏れや怒りで涙が溢れそうになっていた村人達の目は、いつの間にか感動の涙で潤んだ目に変わっていた―-。



-その頃―-お充は家に居って庄吉の帰りを待っていたが、なぜだか知らない胸騒ぎを覚えた―-。





-万蔵の家では、旺岳が集まった村人達に目を閉じさせて「おぬしが一番会いたい人は、誰じゃな―-?-前に座っている者を、一番会いたい人と思ってみなされ―-」と言ったので、庄吉は「おっ父じゃ―-おらは、死んだおっ父に会いてぇ―-」と応えた―-庄吉の父親は、彼がまだ小さかった頃に亡くなったのであった―-。-庄吉以外の者もたいていは亡くなった親に会いたがった―-。-旺岳は、対面して座っている五人に、前の者が会いたいという人の気持ちになって名前を呼べと促した―-。


-庄吉の前の弥助は、よくは知らない庄吉の父親に成りきって「庄吉~庄吉~」と呼んだ―-。



-旺岳は「その人に、言いたかったが言えなかった事を言ってみなされ―-」と促した―-庄吉は、弥助の両手を掴んで「おっ父―-なぜ死んだのじゃ―-!」と叫び、その場に泣き崩れた―-。


~万蔵の家に集まった十名の村人達が皆、亡くなったり生き別れた親兄弟に会った様な気になって感涙にむせぶ中―-旺岳は、再び皆に目を閉じさせ「わしの話も、そろそろ終わりじゃ―-おぬしらをこの場に呼んでくれた人、今おぬしらが一番感謝しなければならない人は誰じゃな?-その人の姿を心に描いて、後ろを向いて、静かに目を開けなされ―-」と言った―-。



-言われた通りに皆が、旺岳の居る方の反対側を向いて目を開けると、そこには村おさの万蔵が立って居って、感極まった皆は、万蔵に抱き付いた―-。



-旺岳は「村おさは、おぬしらの親も同然じゃ―-皆で村おさを助けて、この村を国一番の豊かな村にしようではないか―-!」と呼びかけた―-。-「その通りじゃ―-」「それは良い事じゃ―-」と、村人達は口々に賛同した―-。



-旺岳は「その為にはまず、今より半時早く起きて仕事にかかり、夕方は半時遅くまで仕事をするのじゃ―-そして贅沢をやめること―-酒が一番贅沢でいかん―-さすれば、この村は、必ず国一番の豊かな村になる―-」と断言し、そう聴いた村人達は「ようし―-やるべぇ―-!」と気勢を上げた―-。




-庄吉は万蔵に「おらは、酒をやめる―-そして仕事に精を出すだ―-」と気持ちを伝えて帰っていった―-。


-庄吉が家に着くと、待っていたお充が「あにさん―-ちっとも酔って無ぇだね―-あにさんが酔うほどは、万蔵どんも飲ませてくれねぇか―-」と訊いたが、庄吉は「おらは―-酒は、やめただ―-村おさを引き立てて仕事に精出して村を豊かにし、皆を幸せにするだ―-」と目を輝かせて応えた―-。-お充は「へぇ~あにさんが酒をやめるなんて、よっぽど良い説法だったべな―-だども、酒やめるっても、元々うちには酒は無ぇだべよ―-」と言った―-。



-庄吉は「お充も明日、村おさの家に行って旺岳様の説法を聴くとええだ―-」と興奮していた―-。




-翌日―-庄吉があんまりしつこく勧めるのでお充は万蔵の家に行き、旺岳の説法を聴いた―-。



-話の内容は、庄吉が聴いたものと全く同じであった―-。-ただ、旺岳が最後に「おぬしらが今一番感謝しなければならない人を心に描いて目を開けなされ」と言った後、目を開けるとお充の前には庄吉が立って居った―-この一点が違っていた―-。


-お充と庄吉は抱擁し合ったが、彼女は「これで、あにさんは感激しちまっただな―-無理もねぇだが―-」と、庄吉をはじめ村人達が盛り上がっている訳を理解した―-。




-帰りの道すがら、庄吉は「どうじゃった―-?-旺岳様の説法は―-凄いじゃろう―-!」と言ったが、お充は「ええ事を言ってただな―-だども当たり前の事だべ―-今より半時早く起きても真っ暗で、結局仕事ははかどらねぇだよ―-」と醒めていたのが庄吉には気にいらなかった―-。





-それから毎日、庄吉は村人達に旺岳の説法を聴く様に勧め、夕方になると万蔵の家に出掛けてゆく様になった―-。-お充は毎夕、庄吉の帰りを家に居って待っていた―-。



-お充は、旺岳の説法を他人に勧める事は決してしなかった―-。



-何度か庄吉は、お充に万蔵の家の旺岳の説法に付き合えと誘ったが、彼女は「説法なら、もう聴いたべな―-」と応え、再び説法を聴きには出掛けなかった―-。



~一月も経つと、村人達はほぼ全員が旺岳の信者の様になって、話の内容は、お布施の重要性を説き、徴収する事を目的とする様になっていた―-。-そして信者同士の結束を誓い、信者にならない者を追及する雰囲気となった―-。




-万蔵は庄吉に「お充は、なぜ来ないだべ―-?―-どうしても来ないなら、村八分にせねばなんねぇだ―-庄吉、お前ぇは頑張っとるで五作ごさくの娘のおおまつと夫婦にしてやってもええだ―-お充を追い出しちまえ―-!」と迫った―-。




-庄吉がふと顔を上げると、お松が目を輝かせて自分の方を見ておった―-彼はそれに笑顔で応え「お充は里に帰すか―-」と決断した―-。







-庄吉が家に着いた頃には、すっかり夜も更けておった―-彼は「お充―-お前ぇは、とうとう村八分になっただ―-手荒な事をする奴が居るかもしんねぇ―-はやいとこ里に帰ぇれ―-」と促した―-。



-お充は涙目で庄吉を見たが、涙はこぼさなかった―-そして納戸の中から酒の一斗樽を出すと「近いうちに、こんな日がくると思っていただ―-これは、おらの着物を売ってその銭で買っておいた酒だべ―-最後にあにさんと一杯飲みてぇと思ってなぁ―-おらの最後のわがままじゃぁ~一緒に飲んではくんねぇか―-」と言った―-。



-庄吉は「おらは、酒はやめただ―-だども、お前ぇの最後の頼みと言うなら聞いてやるだ―-」と応え、囲炉裏で湯を沸かし熱燗にして二人でしんみり飲み始めた―-。



-お充が本気で飲んだら一斗樽なんて直ぐに空いてしまう―-彼女は庄吉に合わせてゆっくり飲んだ―-。-それは、かつての仲の良い夫婦の楽しい会話の無い、暗い酒であった―-。



-しかし元々、大の酒好きの庄吉は、一升も飲むといい調子になってきて、更にどんどん飲んだ―-。-いつの間にかお充が居なくなったのも気づかずに飲んでいた―-。































-庄吉は二升ほど飲んで、前後不覚のべろんべろんになって、愚痴っぽくつぶやき始めた―-「ところで、あの旺岳は一体どこから来たんだべか―-?-旺岳の言う通りにしてて豊かになるなら、前に居った村は豊かになってるはずだべ―-そんな村の話は聴いた事もねぇ―-茂平爺の腰の痛いのが治ったって―-?-そりゃぁ気のせいだべ―-あの野郎―-いつも偉そうに言いやがって―-な~にがお布施じゃぁ―-おら達から金を巻き上げるつもりだべ―-万蔵も万蔵じゃぁ―-焼きが回ってるんではねぇだか―-お松とおらを夫婦にする―-?-あんな不細工な女におらが惹かれる訳ねぇべ―-おらんとこには、三国一のべっぴんで優しいお充が居るだぁ―-なぁお充―-お充―-お充―-お充?・・・・・・・・・・・・・・・?・・・・・-お充―-お充!―-お充!!―-お充お充お充お充・・・・・・・・・-大変じゃ―-!」やっと女房が居ない事に気づいた庄吉は、裸足で外に駆け出し、転んだり、あちこちにぶつかったりしながら探して、村外れの川の近くでお充を見つけた―-。



-庄吉は「お充―-!-おらが悪かった―-おらは騙されとっただ―-お前ぇが村八分なら、おらも村八分になってやるだ―-おらはお前ぇさえ居ってくれたら何も要らねぇ―-おらは村の衆の幸せなんてどうでもええだ―-本当は、お前ぇが幸せならそれでええだ―-」と半泣きで叫んだ―-。



-お充は振り返って「あにさんは村の衆も大事にするから、おらは好きなんだべよ―-」と笑顔で言ったが、彼女の目から涙が溢れて止まらなかった―-。


-庄吉はお充を強く抱きしめ、強引に家に連れて帰っていった―-。










-それから後―-庄吉は、万蔵の家の旺岳の説法を聴きに行かなくなった―-。-ほどなくして、旺岳はお布施と称して集めた金を持って何処かに逃げて行ってしまった―-。-やっと騙されていた事に気づいた村人達は、しだいに元に戻っていった―-。






-いかがだったでしょうか―-。




-雨降って地固まる―-益々仲良くなってもらいたいです―-この夫婦には―-。

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