※牧村さんに聞いてみたいことやこの連載に対する感想がある方は、応募フォームを通じてお送りください! HN・匿名でもかまいません。
「あゝ、家が建つ家が建つ。
僕の家ではないけれど。」
中原中也の詩の一節です。
「なんかみんななんでこんなちゃんとした感じにできるんだろう?」
って、自分、思うことがあって。それは例えば、それこそ、「○○様邸宅新築工事」って書いてある看板前を通り過ぎる時とか、同じポテチを分け合ってる友達が「最近イデコやってて〜。そう、イデコ、イデコ。個人型確定拠出年金iDeCo(パリポリ)」ってやってる時とか、なんですけど。
こういう時の「なんかみんなちゃんとしてるのに俺にはできないなぁ」感のことを、中原中也にちなんで……「あゝ、家が建つ家が建つ。僕の家ではないけれど。」っていう感じにちなんで、「中也感」って、呼んでます。
で、この「中也感」わき起こりやすいシーンの一つが、愛とか恋とか、の話してるとこだと思うんです。
「みんななんでそんな確信してるんだろう。自分が誰を好きなのか。自分が一体何者なのか。愛って、一体なんなのか。なんかなんでみんなこんなわかってる感じなんだろう?」
……今回ご紹介するのは、「自分は異性愛者の女性だけれど、女性同士で人生を過ごしたら心が踊るのではないかという思いもある」とおっしゃる方からのご投稿です。
女を愛する牧村さんへ質問です。自分は女しか愛せないのだという確信はどこから生まれたのですか。 私は女で男性が恋愛対象の異性愛者ですが、ぼんやりと将来女性と恋に落ちたり一生を共にすることもあるかもしれないと思っています。永遠不変の価値観など存在しないし、基本的に女同士の方が一緒にいて気が楽なことが多いので、素敵な女性と過ごす人生は男性と過ごす人生よりも心が踊るのではないかという思いがあるのです。 牧村さんは自分の恋愛対象は女だと確信していると私は感じました。そのような、ある種自分は自分のことを理解している、自分の感覚を正しく認識しているのだという自信はどこからやってくるのですか。
ないです。
や〜、わたしには、愛する人はいますよ。この人を知りたい、この人を感じたい、この人を見ていたい、この人が生きていく道を見守りたい、つまずいたなら手を貸したい、って、思う人はいますよ。そしてその人は、世にいう、女性ですよ。
だけれどそれはなんていうのか、ハートの奥にともる熱です。そういう「自分は自分のことを理解している、自分の感覚を正しく認識しているのだ」みたいな、大脳皮質〜! っていう論理ではないんです。
ちょっと昔の牧村朝子が書いたものだと、「レズビアンとして」とか「女を愛する女として」語ります!みたいな感じ出てるかもしれないです。この連載が始まった2014年くらいは、そういうこと言ってると思います。けれどそれは、「今まで言えなかったことがやっと言えた」という喜びと、「わかりやすくご説明申し上げなければ」という職業的義務感によるものだったと思うのです。ごめんね。決して「確信」があったわけじゃないんだ。「確信」があるように見せなければ、信じてもらえない、どうせまた「売名レズ」とか「まだいい男と出会ってないだけ」とか言われるんだ、って思ってたからなんだ。いないことにされないためには、似たような人でまとまってチーム名を名乗らないとしょうがなかったんだよね。似たようなことで悩む人に本や記事を届けるためには、やっぱり、そのチームに向けてさ、そのチーム名で行くしかなかったんだよね。
わたし自身、「交際経験は男性としかないけれど女性に惹かれるなあ」という状態だった時は、ご投稿者の方のような……わたしの言葉で呼ぶところの“中也感”めっちゃ味わってました。あゝ家が建つ家が建つ。僕の家ではないけれど。みんな「レズビアンです!」とか「パンセクシャルです!」とか、カタカナの難しい表札をおうちに出して立派なしっかりしたお家に住んで村を作ってていいなあ。僕は。僕は……。あゝ家が建つ家が建つ。僕の家ではないけれど。
で、そんなふうに「レズビアン」とか「LGBT」とかそういう言葉をみんなが名乗るようになったのはどういう経緯なんだろう、と、LGBT社会運動の発祥地であるアメリカに取材に行きまして。グリニッジ・ヴィレッジとか、ウエストハリウッドっていう、人んちのベランダからその辺のクリーニング屋までみんなLGBT社会運動のシンボルであるレインボーフラッグを掲げているようなLGBT村を歩き回りまして。住民にこう聞いたんですよ。
「どうしてこういうLGBT村に住もうと思ったんですか?」
「僕たちLGBTだって、健康で、きちんと仕事もお金も持っていて、力を合わせて暮らして行けるコミュニティを持っている。ということをみんなに見せれば、僕たちLGBTが社会的に認められるだろう?」
ヒエ——ッ!
いや、それはその人の選択だからわたしがどうこう言うこっちゃないです。その人がその、「健康な僕たちのLGBT村」をみんなに見せたい、っていう人生を選んだんでしょ。
それにね、実際アメリカでは、かつてエイズが「ゲイの癌」と呼ばれ、「あんな奴らだから神の罰が下ったんだ」と時の大統領レーガンに見殺しにされた歴史があるわけです。そういう中で、政治に殺されないためのサバイバルの一つとして、「健康な僕たちのLGBT村」が生まれたのだという解釈もできますよ。殺されそうな目にあった人が生きようとする戦略をバッサリ否定したくはねえ。
けどね、
それにしてもね、
それにしてもさあ、
ねえ!?
悔しかった。自分には、悔しくてたまらなかったですよ。悔しくないですか? ファビュラスな虹色の檻の中で、動物園の来訪者にこう言われるんでしょ。「わ〜、LGBTの人って初めて見た!」「私も当事者ですけど、自分以外のLGBT当事者は初めて」「人口の○%なんですよ」「市場規模はいくら、LGBTであることをカミングアウトしている政治家の支持基盤はこれくらい」「あのCEOも、このアスリートもLGBT」「健康でお金も仕事もある人たちなんだね」「芸術的才能もある」「毒舌!爽快!」「みんな思春期の苦しみを乗り越えて力を合わせて暮らしてる。理解して認めてあげようね!!」
悔しくて悔しくて悔しい想いをぶつけて書いたのが、『現代思想』誌上に寄稿した「拝啓 LGBTという概念さんへ」っていう短い文章です。LGBTという概念に感謝した上で、そこからの自立と別れを告げる内容です。
わたしはその、「LGBTの人たちもちゃんと生きているんだって世間の人に見てもらわなくちゃ」サンプルケースの中で生きていきたくはなかった。少数者ですと名乗る人を否定はしないものの、わたしはその数を数えるルールを作ってる奴らに素直に数え上げられてやるほど従順じゃねえわと思ったし、かつて社会運動のチーム名であったLGBTという言葉があたかも人間の種類を指す言葉であるかのように言われる中で、次の世代の子どもたちまでもその「種類」を展示する檻に閉じ込められて生きていくのを見送りながら檻の中で死ぬのは絶対にイヤだと思った。
確信なんか、してやらないわ! 徹底的に彷徨ってやる。
だってね、「自分たちは〇〇だ」って、確信している顔で名乗らなければ、「自分たちをいないことにするな」って声を上げなければ、見殺しにされてしまう人たちがいたんですよ。時の大統領に。異性との結婚をゴリ押ししてくる人々に。そんな子はうちの子じゃない、と、世間体のために子どもを追い出す家に。
そうやって見殺しにされないために、自分たちを見せるために作ったLGBTサンプルケースにね、ずっとずっとずっとずっと閉じ込められ続けてどうするのよ。それは、自由のためだったはずでしょ。本当は、自由のためだったはずだもん。
「確信を持っている」んじゃ、ないんですよ。「確信を持っている様子でチーム名を名乗って束になって声を上げなければ殺されてしまう人たちがいる」状況下においての生存戦略が、そういう、同性愛者とか、レズビアンとか、LGBTとか、そのへんの言葉を、「私たち〇〇は生まれつきで変えられない人口の○%いる存在ですよ」というふうに使う「種族的セクシュアリティ観」だった、ということです。
そういう「人間は性のあり方によってああいう種類やこういう種類に分けられる」観に、ご投稿者の方がついていきたいと思うなら、使える言葉もあります。もう一度読み返しましょうか。
私は女で男性が恋愛対象の異性愛者ですが、ぼんやりと将来女性と恋に落ちたり一生を共にすることもあるかもしれないと思っています。永遠不変の価値観など存在しないし、基本的に女同士の方が一緒にいて気が楽なことが多いので、素敵な女性と過ごす人生は男性と過ごす人生よりも心が踊るのではないかという思いがあるのです。
これは「ホモフレキシブルなヘテロセクシュアル」……つまり「同性愛に対してフレキシブルな異性愛者」、または「バイキュリアス」……「バイセクシュアルとは名乗りきらないまでも、同性にも異性にも興味を持っている」みたいな言葉で説明することもできます。ご投稿者の方はそもそも、もう自分の言葉で自分を説明できているんですよね。それでもそれじゃ物足りない、一言で言える、似たようなみんなとお揃いのチームTシャツ的な言葉が何か欲しいと思うなら、そういった言葉をお使いになるのも選択の一つだと思います。
けれどわたしは、村を出たのです。
「あゝ、家が建つ家が建つ。
僕の家ではないけれど。」
悲しみ、空虚、不安感。
「なんかみんななんでこんなちゃんとした感じにできるんだろう?」感。
そう思ってたのは多分、他人ん家ばかり見上げてたからかもしんないです。立派なお家だった。そこに住んでいたい人だっているんだと思う、出るべきだとは言わない。わたし自身だって、お世話になったと思うし感謝もしてる。けれど今は、どこにも属せない気がする不安感を、どこかに閉じ込められてたまるかという冒険心に変えて、歩いていきたいのです。あの詩句に、属することのできない孤独ではなく、属そうとしない意思をこそ込めて、歌い直しながら。
「あゝ、家が建つ家が建つ。
僕の家ではないけれど。」
この詩は、『はるかぜ』と題されています。
牧村さんの文章をもっと読みたい方はこちら!