美智子さま

美智子さま「不敬罪」を逆手に取り、雅子さまを「窮地」へと追い込む

出版社業界、特に週刊誌など少しブラックな業界で働いていると、タレコミによる情報を元に取材をすることがよくある。特に芸能関係なんかはライバルを蹴落とすためなら手段は選ばない。当時私が働いているときには、ライバルの女優を酒でとことん酔わせ泥酔状態にし、見知らぬ複数人の男性との行為を収めた写真や音声などのデータが送られて来るなんてことがザラにあった。

そしてこれは皇室も例外では無い。ただ芸能ネタと大きく違ったのは、皇室関係のネタは極めて偏った情報しか発信してこなかったと言うことだ。これに苦しめられてきたのが、今の皇后雅子さまである。

友人からのタレコミ

今でこそ体力も衰え、年齢的にも昔の知人が減ってしまったこともあり、皇居でのお茶会はめっきり開催されなくなってしまったが、まだ美智子さまがバリバリの皇后時代だった頃は、多いときには週に2回程度のお茶会が開催されていた。ご友人との時間を大切にするのも構わないが、その時間を育児に充てればいいものを…とも思うが、当時の美智子さまに苦言を呈することは、もはやクビも当然の行為。誰も意見することなど出来なかった。

お茶会には美智子さまの学生時代のご友人が来ることも多く、時には美智子さまや清子さまも交えて2時間程度の談話が繰り広げられていた。特に決まって話しのネタの半分は雅子さまのバッシング記事についてのこと。美智子さまが雅子さまへの批判的な記事をネタにする際は、それはとても生き生きと目を輝かせていたようだ。

特に驚いたのは「この記事に書かれている情報は自身が職員を使って週刊誌に垂れ込んだもの。そして内容のほとんどはデフォルメされた真っ赤な嘘。」これを悪びれることもなく話されたと言う。さすがに周りのご友人は表情が引きつっていたようだが、紀子さまはそれをケラケラと笑って聞いていたそう。そんなお茶会に嫌気が指した友人の一人が、このお茶会での音声データを週刊誌に送ってきたのだ。

捨てられた音声データ

しかしこの音声データが表にでることは無かった。当時、雅子さま批判の記事は飛ぶように売れた。知っての通り、戦後に発言の自由が認めらたことで刑法から不敬罪は外された。それにより今までは天皇や天皇制に批判的な発言は弾圧されていたが、社会的にも容認される風潮に変わってきた。

しかしこれを逆手に利用したのが週刊誌元い、美智子さまである。まさか皇族本人が皇族を咎めるために不敬罪削除を利用するなどと、当時誰が知る事など出来ただろうか。