臨時国会が閉会した12月9日、安倍首相は、記者会見で、憲法改正は「たやすい道ではないが、必ずや私の手で成し遂げたい」と述べた。このロジックであると、憲法改正がなされなければ、安倍首相がどこまでも続投し続けることになる。ややこしい話になってきた。
同じ頃、私は自民党本部において、憲法改正推進本部で講演をしていた。
私は、こう述べていた。日本には停滞感が漂っている。若者の1割しか自分が国を変えられると思っていない。50歳を超えた私ですら、「簡単に憲法を語るな」と老輩の方々に怒られる。憲法解釈が錯綜し、現実との関係が曖昧になっているにもかかわらず、「簡単に言うな」の大合唱で何も変えることができないのは、この国の停滞の象徴だ。意味不明の訓詁学と化した9条問題は、官僚・政治家・言論人らに、膨大な無駄な時間の浪費を強いており、国力を疲弊させている。今の日本にこのような事態を続けていく余裕はない。憲法の解釈を確定させる修正を行うことが国益にかなう。それが第一だ。
それを言ったうえで、どのような解釈の確定の方法が良いのか。現行憲法の仕組みをよりいっそう明らかにしながら、日本が今後も国際社会でしっかりと生きていけるように、国際法との整合性をはっきりさせる改正が望ましい。それが第二に私が述べたことだ。
このことを具体的な解釈論で言えば、憲法学「通説」(東大法学部出身者に独占されている国立大学法学部教員や司法試験・公務員試験関係者・経験者)の国際法を無視した独善的な解釈の弊害を排していかなければならない。
憲法学「通説」を信じる人々の社会運動は、国際社会の動向を反映した議論をする場をこの国から奪ってきた。日本社会の人事構造にはびこった悪習を是正しなければならない。これが第三だ(詳しくは拙著『集団的自衛権の思想史』・『ほんとうの憲法』・『憲法学の病』・『はじめての憲法』を参照)。
まずはっきりさせておきたいのは、憲法学「通説」とは、日本国憲法典を歪曲した、最初の「解釈改憲」のことだ、という点である。なぜそう言えるのかといえば、GHQ関係者は公には一度も憲法学「通説」のような解釈を提示しなかったからだ。
憲法学者らは、GHQ関係者は冷戦が始まってから態度を豹変させた、といったもっともらしい説明を施す。しかしそれはフェイクである。