英語の民間試験や国語、数学の記述式問題の導入で大混乱をしている大学入試改革。本来、日本の競争力を高めるために大学入試改革、ひいては教育改革は必要だったはず。なぜ、ここまでこじれてしまったのか。国内トップクラスの進学校である開成中学校・高等学校の柳沢幸雄校長と、全寮制のインターナショナルスクールを立ち上げたユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパンの小林りん代表理事が、改めて改革の必要性を語り合う。対談の前編は、行き過ぎた「平等主義」に疑問を呈する。
大竹剛(日経ビジネス):大学入試改革の混乱について、教育界の論客2人に対談をしていただきます。小林さんは日経ビジネス「目覚めるニッポン」シリーズの提言で、多様性を育む教育を実践するには、大学改革は不可欠とおっしゃっていました。今の状況をどのように見ていますか。
小林りん氏(ユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパン代表理事、以下、小林氏):大学入試改革には誰もが総論賛成でした。それなのに、各論で反対されて、最終的に改革の機運が大きく後退してしまうのではないかと危惧しています。そもそも、総論が間違っていたのでしょうか。そうではないと私は思います。そこを改めて確認しないと、各論の反対で大学入試改革が全てストップしてしまいかねないと大変憂慮しています。
大竹:柳沢さんはいかがですか。柳沢さんは編集長インタビューで、学生が勉強しない大学の現状を憂いていました。
柳沢幸雄氏(開成中学校・高等学校校長、以下、柳沢氏):私は、今回の大学入試改革には総論は大賛成です。具体的には外国語では4技能(読む・聞く・書く・話す)、国語や数学では記述式問題を重視しようという方向性は非常に正しい。しかし、その非常に正しいものが、試験の技術論、まさに各論の部分でもたもたしている。それは、私に言わせれば、この30年間の日本のもたもたの象徴的な出来事です。
なぜかというと、総論に賛成か、反対かを明示しないで、各論の技術論のところで、「これはできません」と言ってしまう。「こういう場合は困るでしょう?」「このお金はどうするんですか?」と微に入り細をうかがって反論しつぶそうとする。
小林氏:私は、英語の民間試験を導入するにあたって、「完全な平等性」が実現可能であるかのように論じる方々の意見を疑問に思います。もちろん、平等性に対する配慮の必要性は大いにあると思います。しかし例えば、米国でも「SAT(大学進学適性テスト)」や「TOEFL」といった試験は各地の試験場で実施されます。都市部であれば試験場はたくさんあるでしょうが、地方だと遠くまで行かなければなりません。センター試験では試験場が700カ所ほどあるかと思いますが、それでも全ての人から同じ距離にセンター試験場があるわけではありません。試験料も1万8000円(3教科以上受験の場合)と決して安くはありません。どこまでが「平等」でどこからがそうではないのか。誰が決めるのでしょうか。
柳沢氏:そのような議論は、本当に“ためにする議論”だとしか思えません。例えば東京大学の入学試験は東京でしかやりません。しかし、そのことを誰も疑問に思いませんよね。一方、一部の地方大学は東京で試験を実施します。そこを問題視したら、東京の人はこんなに有利でいいのか、という話になります。
今回の議論では、反対する人が言う「殺し文句」には、多くの人が黙ってしまいます。その殺し文句が、例えば、「平等性」や「優しさ」といった言葉です。これらの言葉には、誰も正面切って反対できません。だけど、同時に考えなければならないのは、平等性や優しさを維持するにはコストがかかるということです。
残念ながら今の日本の国家予算はプライマリーバランス(基礎的財政収支)が成り立っていません。毎年借金を積み重ねています。大人たちは、「君たち若い人のために我々は優しさいっぱいの政策を取っているんだけど、残念ながら懐具合がちょっと寂しいから借金は君たちに付けておく」ということをやっているわけです。つまり、「平等性」を維持するといっても、そのコストを我々大人は負担しているとは言えません。それを「優しさ」という言葉の下で次の世代に負担を押し付けています。
小林氏:「完全な平等」を目指したときの代償は何かという話だと思います。柳沢先生がおっしゃった財政的な代償もあると思いますが、それだけではなく、そもそも大学入試改革が始まるときに多くの方が問題視していた、従来型の1点刻み、一発勝負で全てが決まってしまう試験を続けていていいのでしょうか。大学入試が変わらなければ、初等中等教育は本質的には変われません。今、代替案なく各論で反対している方々は、それでいいと思っていらっしゃるのでしょうか。
コメント18件
Ishiura Yasuo
デザインSV
学費免除で人生を救われた一人です。私の目標とした大学は、学費無料の学校でした。「受験に平等が必要」なら、大学に固有の名前をつける必要もないし、私学も廃止すべきです。今から思うと大学受験は人生最初のマーケティングでした。学部選びはKPI。親の
収入、自分の学力、住んでいる場所などから目標大学を決めるのは事業計画。勉強はPDCAです。...続きを読む英検の交通費を心配している国会議員がいましたが、TOEFL、英検を受験制度に組み込むと、独学で充分対応できます。学校の授業をなくして、それを交通費に補填しても総論問題ないと思います。
谷守
自営
英語の話す力、聴く力は、必要だ。
国語の記述力も、見なければならない。
必要な試験なので、実施すればよい。
やっていない、と言う反論は、やっていなかったのはしょうがない、と言う事に成る。
石田修治
定年退職
そもそも「共通テスト」は個々の大学が個別に入学試験の問題を作る能力が足りない故なのか。それぞれの大学は、学生を一体どの様な人間に育てたいのか。そのための素質を知るための道具として入試があるのだと思う。私個人的には、例えば歴史については、多く
の歴史上の出来事が何年に起きたのか、という事よりは、その出来事の歴史における評価や考察が大事だと思う。英語に関しては、読み書きよりも話し、聞く能力の方が現代においては重要であることは言うまでもない。そんな事を1万や2万の費用故に「採用できない」とは何とも情けない話だ。それならば共通テストとは別に個別の大学独自の試験項目とすれば良いではないか。元々全国のすべての大学入試を同じ基準で行うこと自体馬鹿げている。「どういう教育をするか」は大学によって異なって当たり前なのに。。...続きを読むHS
大学共通試験では公平が必要です。記述式の採点など公平性は疑問です。
又英会話は必要ないでしょう。(同様に公平性が保てない)
しかし、学力として記述式は重要です。それは九大学でそれぞれ行えばよいことです。(大学間で異なるのは当然) 英会話が
希望ならそれも各大学で定めればよいだけです。
...続きを読む確かに、今の受験勉強では、記憶力(暗記)が全てのようで、過去の受験問題10年分を暗記すれば、あとはパターン認識で対応!
電算機に勝てない努力ばかりしていては、発展が望めません。
記述問題の回答の良しあしを定めるのは、各大学の先生でしょ。外部の会社にゆだねるなんぞ仕事の放棄と同じです。 ケンブリッジでは,教授との口頭試問(一人ずつ数時間)で判定します。学力は高校の推薦状で。
自分の意見をきちんと組み立てられ、大学でやってゆけるか否かを決めます。
すべての大学が東大法科(管理養成)を目指していては、今の受験法を変える必要はありません。 でも世界競争を行う実業界では、英会話や、論理思考、論文作成等を満足した人が欲しいでしょう。
ところで、英会話は耳の問題なので、基礎英語力(中学高校)があれば後は、必要な時に耳になれれば、大丈夫ですよ。
事務員
「一発勝負で1点刻み」だからこそ、大学入試は完璧に公平だったのに、なぜ1点刻みを問題視するのでしょうか。そんなに「入り口を緩めたい」子には、AOと推薦が既に用意されています。ただ、安易な道を選んだ子供の末路は悲惨です。最近の厳しい定員削減で
都心の大学は一般入試が急に難しくなったため、一般入試を勝ち抜いた子供らと推薦組との学力差は急拡大です。「ああ、あの子AOね」と、もはや大学内カーストになっているそうです。...続きを読むコメント機能はリゾーム登録いただいた日経ビジネス電子版会員の方のみお使いいただけます詳細
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