例えば、フランス王。フランス王(西フランク王)においてシャルル3世というのは、893-922年に在位した人物です。 しかしそれ以前に、フランス圏を支配した「シャルル」という名前の王は既に3人いるのです。pic.twitter.com/vaJPyuKYKk
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つまり ①シャルルマーニュ(在位768-814) ②シャルル(在位843-77) ③シャルル(在位885-88) そしてその後に、シャルル3世(在位893-922)が続きます。 どう見ても計算が合いません。
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日本語の文献でもこの辺の解釈は錯綜しています。 山川の「新版 世界各国史12 フランス史」では②をシャルル1世として、シャルル2世には「触れない」。 (旧版では「②と③を共に2世と数えて」いる)
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同じ山川の出版でも、「世界歴史体系 フランス史1」では、①を「シャルル1世」と数えて②を「シャルル2世」として、③には触れていません。 なぜ錯綜しているのか。 それは「○世」という序数が使われるようになったのは《9世紀末期》であり、王は自らをそう呼んでいないのですね。
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では当時の年代記はどう書いていたのか。 「サン・ジェルマン年代記」より878年の条項。 『皇帝(フランク王)ルイの息子、禿頭の《3番目》のシャルルが死去した』 このシャルルは上記の②のシャルルです。 こっちにしたっても、今度は「2人目なのに3番目と呼ばれている」と序数が合いません。pic.twitter.com/dyyPH0Qwnk
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じゃあ欧州ではこの、ややこしいシャルルの呼びにどう対処したのか。 ①シャルルマーニュ(在位768-814) →シャルル大帝 ②シャルル(在位843-77) →シャルル禿頭王 ③シャルル(在位885-88) →シャルル肥満王 とあだ名で割り振ってしまい、その後のシャルル3世は「単純王」と呼ばれています。
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『ある人物を識別するに、(あだ名は)他の方法に比べ、格段に有効であったのである』 (岡地稔:「あだ名で読む中世史」より)
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またこのような例もあります。 ローマ教皇に、ヨハネスという名前の人物は23世までいます。 しかし、うちヨハネス20世は実在しません。 教皇ヨハネス15世(在位985-86)の時、数え間違いが起きたのです。それ以前に登座していたヨハネス14世(在位983-84)の在位を、間違えて2回カウントしてしまった。pic.twitter.com/I0da3EbH6r
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そのため後世にヨハネス15世は16世と誤認識され、本当の「ヨハネス15世から19世」が「ヨハネス16世から20世」と数えられてしまいました。 この誤りは後世に修正され、正しく「ヨハネス15世から19世」と直されました。
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しかしペドロ・ジュリアォン枢機卿が教皇として登座した時、彼はこの数え間違いを信じたまま「ヨハネス21世(在位1276-77)」を名乗ってしまいます。 そしてその後の教皇も続き、ヨハネス22世(在位1316-34)・ヨハネス23世(在位1958-63)を名乗ってしまい。
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こうして数え間違いの結果、「ヨハネス20世」は実在しない、という事態に、現在も陥っています。 そしてヨハネス23世が半世紀前に君臨していた以上、ローマ教会側からも恐らくもう修正は不可能と思われます。
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…続きます。 今度はドイツ、神聖ローマ帝国の皇帝の数え方です。 神聖ローマ皇帝の序数カウントは、実は名前によってまちまちです。 神聖ローマ帝国の君主は選挙でまず「ドイツ王」として選ばれ、その後に皇帝戴冠を果たして皇帝位に就くというややこしい手順があります。
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このため、神聖ローマ帝国の君主で「フリードリヒ3世」というと2人存在します。1人はドイツ王フリードリヒ3世(在位1314-30)。もう1人は皇帝フリードリヒ3世(在位1440-93)。 うち後者の皇帝フリードリヒ3世は、戴冠前のドイツ王の時には“フリードリヒ4世”を名乗っています。pic.twitter.com/Prh64EuD3U
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一方でこれを無視した例もあります。 1576-1612年に在位したルドルフ皇帝は、ルドルフ2世と呼ばれています。 しかしルドルフ1世という皇帝は、いません。 皇帝戴冠できなかった先祖のドイツ王ルドルフ1世(在位1273-91)を序数にカウントしたのです。pic.twitter.com/f3ZE7QEs4K
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他の例。皇帝の「ハインリヒ」と「ルートヴィヒ」という名前は、「ドイツ地域の王」をカウントしています。 ここでのドイツというのは、神聖ローマ帝国の前身となった東フランク王国も含んで、です。 神聖ローマ皇帝として初めて登場する「ハインリヒ」は、皇帝ハインリヒ2世(在位1004-24)です。
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これは東フランク王ハインリヒ1世(在位919-36)を最初に数えたためです。 ハインリヒ2世以降、皇帝ハインリヒ3世から7世までが続きました。pic.twitter.com/gBRlfkFfM5
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しかしこれでも数え間違いではないかと思われることが起きています。 ドイツ王ハインリヒ3世は1046年の皇帝戴冠後、ドイツ王を数えなかったのか自らを「皇帝ハインリヒ2世」を名乗っているのです。 しかし後世には、皇帝ハインリヒ3世(在位1039-56)として伝わっています。
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そんなこんなでなんだかんだ、「ハインリヒ」も数え間違い疑惑が残ったまま以降の皇帝も続きました。 次に「ルートヴィヒ」です。 1328年戴冠なった皇帝ルートヴィヒ(在位1314-47)は自らを「皇帝ルートヴィヒ4世」と名乗りました。pic.twitter.com/V8BDJPDw21
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しかしそれまでドイツ地方を支配した「ルートヴィヒ王」は既に4人いるのです。 つまり ルートヴィヒ1世(在位814-40) ローマ皇帝・フランク王 ルートヴィヒ2世(在位843-76) 東フランク王 ルートヴィヒ3世(在位876-82) 東フランク王 ルートヴィヒ4世(在位899-911) 東フランク王 の4人です。
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これを踏まえるなら、1328年に戴冠した「ルートヴィヒ」皇帝は「ルートヴィヒ5世」を名乗っていなければなりません。 が、現実には4世と名乗っているのですね。 これが単なる数え間違いなのか、意図があってなのかはハッキリしません。
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余談。ナポリを支配した「フェデリーコ」王は2人いる事態が起きています。 シチリア王としてナポリも支配したフェデリーコ1世(在位1197-1250,兼 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世)のあと、《シチリアの晩鐘》事件によってシチリア王国からナポリ王国が分離しました。
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その後、シチリア王国ではフェデリーコ2世(在位1296-1337)、フェデリーコ3世(在位1355-77)と続きます。 その後の時代、ナポリ王に即位したフェデリーコ(在位1496-1501)は「4世にして1世」を名乗りました。
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曰く、「ナポリ王はシチリアが分離してから代々シチリアの王位を請求してきた」から2世・3世を数えて4世と呼ぶ。 しかし、そうなるとナポリをも支配していた2つ前のツイートのフェデリーコ1世はどうなるの? ということになりますね。 あくまでナポリ単独の王として、1世とした可能性もあります。
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ところでシチリア王フェデリーコ2世(在位1296-1337)を3世、フェデリーコ3世(在位1355-77)を4世とする文献もあります。 これはフェデリーコ1世が(兼任していた)神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世としてあまりに高名だったため、イタリア語表記のフェデリーコ2世が通ってしまった。
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つまりシチリア王フェデリーコ1世を2世と誤認識したまま、以降のフェデリーコのカウントがずれてしまったという話です。
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このように、フランス王・教皇・神聖ローマ皇帝・シチリア王の例をいくつか挙げましたが… 欧州の人々、当人たちですらも間違えることもあるということを…伝えたかった…(まとめ)
#長々とお読みいただきありがとうございましたShow this thread -
追記・この一連のツイート及び、その後に頂いたリプライのやり取りで参考になりそうなものは以下にまとめております。よろしければ。 https://twitter.com/tomoshibi6o6o/status/1206924521250275333?s=21 …https://twitter.com/tomoshibi6o6o/status/1206924521250275333…
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