薬物、アルコール、ギャンブル、SNS…
依存症という言葉で想起されるものは、ネガティブなものばかりだ。
本書ではそんなありとあらゆる依存症について、なぜ依存症になるのかについてのメカニズムを詳しく分析したものだ。特にSNSやネットゲームなどのIT関連の依存症について詳しく解説している。
中には「ランニング依存」なるものも存在する。これはランニングの連続記録に対するこだわりにより起こるもので、10年や20年毎日ランニングを続けているランナーは、たとえケガをしていても、ハリケーンが近づいていようとも、なんと出産を間近に控えた妊婦でさえ、毎日のランニングをやめられなくなる。これはランニングが好きだからではなく、単に連続記録が途切れるのが嫌だから、連続記録にこそ価値があると思い込んでしまっているために脅迫的に走らざるを得なくなっている状況ゆえの症状といえる。言い換えれば、世の中のありとあらゆるものには依存症が存在していて、過度なレベルになればそれは体に害を及ぼすということだ。
僕自身スマホ依存も甚だしい。ポケットにスマホが入っていないと不安になるのだ。まず時計代わりで、電話やLINEがいつ入るかわからない。子どものことや、飼っている猫、自分で作った料理などを写真に撮る機会を逃したくない。いつ何時重要なメモを取る必要があるかもしれない。わからない単語を調べなければならないかもしれない…そんな理由で、スマホを持っていないと不安になってしまう。立派な依存症。自分が残念で仕方ない。
そんなありとあらゆる依存について、なぜ起こり得るのか、いったいどういう仕組みで人間は依存症になってしまうのかについて科学的に解説してくれる。ただ依存を否定するのではなく、なぜ薬物をやめられないのか、逆にやめられた人たちはなぜやめられたのかなど、解決策も明示してくれている。
爆発的なスマホの普及によって、ゲームは常に持ち歩けるものになった。今まではゲームハードとソフト、テレビに接続して腰をしえてプレイする環境が必要だったゲームが、始めるまでのステップが圧倒的に低くなった。この時期を境に、ネット依存、ゲーム依存の患者が急激に増えたという。
プレイするためのプラットフォームが簡易化したという点だけでなく、なぜ人がゲームにはまるのかについても、具体的なタイトルを用いるこによりわかりやすく解説する。スーパーマリオブラザーズが作り出した「プレイすることがすなわちチュートリアルを兼ねている」仕組みや、テトリスが「自分の上達と難易度上昇のバランスが絶妙」な仕組み、果ては数年前に流行ったSuper Hexagonの「難易度が高いことによる攻略の喜びと、1プレイを短くすることによる繰り返しプレイすることのハードルの低さ」なんかの解説も全部が全部「身に覚えのある」内容だった。相違デザインだから、まんまとみんなハマってプレイし続けちゃうわけね…
そんなデジタルコンテンツにハマったときに、どう対処すべきかについても解説してくれているのがありがたい。例えば子どもがソーシャルメディア依存になったときには、怖がらせたりキレたりせずに、穏やかに、子どもの状況について知ろうとするべきことが大切だという。言うは易しだが、テクノロジーと生活を切り離すのは難しいので、いかにうまく付き合うかのポイントを見つけるための指標としては役立ちそうだ。
「スマホがないと不安になる」状況から抜け出すのは容易でないことは誰だってわかっているだろう。だからこそ、本書を身近に置いておくことにより、依存しすぎない、適切な距離を保つという自分への戒めを作ることが重要になるのではないだろうか。