雅子さま

雅子さまへの悪質な「印象操作」と、涙のワケ

時代が平成から令和になり、皇后雅子さまのご活躍ぶりが取り上げれることが多くなったように感じる昨今。とは言え、これもある意味偏見報道だと私は感じる。皇后雅子さまのご活躍は何も今に始まったことではない。

平成5年に「皇太子徳仁親王と小和田雅子の結婚の儀」が執り行われてからこれまでの26年間、雅子さまは常に皇族として国民のことを最優先に考えてきた。しかしそれらの報道はほとんどされることはなく、代わりに体調不良の報道ばかりが目に付くようになった。

疎ましい存在

敢えて言うまでもないが、現皇室の構成図の中で学が最も優れているのは雅子さまだ。もちろんそれぞれの分野に置いて得意不得意はあるだろうが、トータルバランスが最も優れていることは間違いない。(久子さまもかなりの学の持ち主であることは先に断っておく)

独身時代、外務省官僚として目に見える実績をいくつも作っており、政府要人の外交交渉でも通訳を務め、その通訳ぶりは高く評価されていた。皇室入りが決まった際には、この華々しい経歴に国民からは期待の声が高まっていたのは言うまでもない。

しかしこれをお気に召さなかったのが上皇后美智子さまである。美智子さまは完璧すぎる経歴にだけに留まらず、美し過ぎる美貌、まさに天は二物を与えたような雅子さまの存在が疎ましかった。そのときには既に男の嫁としではなく、自身の存在を曇らせる敵としか見れなくなっていたのかもしれない。

功績の報道は控えるようにとのお達し

宮内庁は雅子さまの皇室入りを心待ちにしていた。それもそのはず。つい最近までバリバリのキャリアウーマンだった女性が皇室入りするなど、前代未聞のこと。雅子さまの活躍を大変期待していたはずだ。しかしこのときに宮内庁内でまさかの通達がなされた。

「雅子さんはまだ皇室に入られて間もないですから、いろいろとご負担にならぬよう、ご公務の内容を調整してあげて下さい。」

一見、これだけ聞くと雅子さまのことを気遣ってのお達しのように感じるが、宮内庁職員はこれが意図するものが何なのかすぐに理解できた。この通達により、本来であれば雅子さまが受けるはずのご公務を別の者が受けたり、断ったりすることが度々あった。また実際には公務に参加されていたにも関わらず、いない者として扱われて実績としてカウントしてもらえないことも相応にあった。

我々国民の中には当時こう思った者もいたであろう。「期待外れだ」と。美智子さまの悪質な印象操作にまんまと騙されていることに気づことが出来なかった。

雅子さまの涙のワケ

悪質な印象操作により、雅子さまはつい最近まで国民から嫌われているのだと勘違いしていたと言う。しかし即位パレードではこれでもかというくらいの熱い声援に思わず感極まってしまったようだ。また公務で地方に出向く際も、温かく出迎えてくれる国民に心から感謝していると陛下に零していたと言う。

暗くて長いトンネルの中をひたすら彷徨い続けた雅子さまだが、やっと外に出ることが出来た。これからの雅子さまを誠心誠意支えていくことが、我々に出来る唯一の償いである。