パンク・バンド「ディープ・タン」のメンバー。左からワファ・デュフール、メリア・ボードワン、セレスト・ギネス(2018年)
Photo: David M. Benett / Dave Benett / Getty Images
Text by COURRiER Japon
国際テロ組織アルカイダを創設し、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロを首謀したウサマ・ビンラディン……に一風変わった姪がいるのをご存じだろうか?
ビンラディンの実の姪──ワファ・デュフールは、ばりっばりのパンク歌手。現在、ヨーロッパツアー中の彼女の“素顔”について「マダム・フィガロ」など複数のメディアが伝えている。
ビンラディンの実の姪──ワファ・デュフールは、ばりっばりのパンク歌手。現在、ヨーロッパツアー中の彼女の“素顔”について「マダム・フィガロ」など複数のメディアが伝えている。
いつのまにデビューしたの?
フランスの女性誌「マダム・フィガロ」によれば、パンク歌手のワファ・デュフールは、1975年米サンタ・モニカ生まれの44歳。ウサマ・ビンラディンの異母兄エスラム・ビンラディンの娘だが、現在は父親の姓を捨て、スイス人である母親の旧姓デュフールを名乗っている。
幼少期はアメリカとサウジアラビアで過ごしていたが、10歳のときに母親の出身国スイスに家族で移住し、ジュネーヴ近郊の学校で教育を受けた。その3年後には、父親の浮気が原因で両親が離婚。20歳のときにジュネーヴ大学で学士号を、その後は米コロンビア大学法学部で修士号を取得した。
2001年のアメリカ同時多発テロの際にはニューヨーク在住だった。だが、マスコミからの追及を逃れるためにイギリスに移住し、同国で数年間を過ごしている。
その後、2004年に音楽活動のためアメリカに戻り、同年29歳で歌手デビュー。
2005年に女性だけのパンク・グループ「ディープ・タン(Deep Tan)」を結成した。メンバーはフランス人モデル、メリア・ボードワンとビールで有名なギネス家出身のセレスト・ギネスだ。ちなみに一瞬、歌手のジョン・レジェンドとつきあっていたこともある。
ディープ・タン「エア」(2019年)
米誌「GQ」によれば、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ当時、ワファはニューヨークに住んでいたが、たまたまテロ当日は休暇でジュネーヴを訪れていた。
外出先で母親の携帯電話に友人から連絡があり、ワールドトレードセンターに飛行機が激突したことを知ったという。そして帰宅後に「CNN」を見て、ウサマ・ビンラディンの名前が容疑者として挙がっていることを知る。
2005年に女性だけのパンク・グループ「ディープ・タン(Deep Tan)」を結成した。メンバーはフランス人モデル、メリア・ボードワンとビールで有名なギネス家出身のセレスト・ギネスだ。ちなみに一瞬、歌手のジョン・レジェンドとつきあっていたこともある。
ディープ・タン「エア」(2019年)
テロのときはどこにいたの?
米誌「GQ」によれば、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ当時、ワファはニューヨークに住んでいたが、たまたまテロ当日は休暇でジュネーヴを訪れていた。
外出先で母親の携帯電話に友人から連絡があり、ワールドトレードセンターに飛行機が激突したことを知ったという。そして帰宅後に「CNN」を見て、ウサマ・ビンラディンの名前が容疑者として挙がっていることを知る。
9.11についてワファは次のように述べている。
「“誰かが私の街を爆破した。家に帰りたい”と思いました。電話をしましたが、誰ともつながりませんでした。後になって、人々は容疑者はウサマ・ビンラディンだろうと思っていたと言いました。そのとき、当然私も関係があると思われていると気づいたんです」
メディアにさまざまに書き立てられたワファは、当時「消えてしまいたかった」「一日中泣いていた」という。深刻な鬱に苦しみ、セラピーも受けた。
母親のカルメン・デュフールは声明を発表し、彼女と娘たちはウサマ・ビンラディンと何の関係もないことをテレビで弁明せざるを得なくなった。
10歳のとき以来サウジアラビアに入国しておらず、アラビア語も話せないというワファのアイデンティティは、完全にアメリカ人だ。「GQ」のインタビューでは、その葛藤を隠さずに語っている。
「“誰かが私の街を爆破した。家に帰りたい”と思いました。電話をしましたが、誰ともつながりませんでした。後になって、人々は容疑者はウサマ・ビンラディンだろうと思っていたと言いました。そのとき、当然私も関係があると思われていると気づいたんです」
メディアにさまざまに書き立てられたワファは、当時「消えてしまいたかった」「一日中泣いていた」という。深刻な鬱に苦しみ、セラピーも受けた。
母親のカルメン・デュフールは声明を発表し、彼女と娘たちはウサマ・ビンラディンと何の関係もないことをテレビで弁明せざるを得なくなった。
10歳のとき以来サウジアラビアに入国しておらず、アラビア語も話せないというワファのアイデンティティは、完全にアメリカ人だ。「GQ」のインタビューでは、その葛藤を隠さずに語っている。
「私はアメリカで生まれました。私がアメリカ人だということを人々に知ってもらいたいです。そして、私がニューヨークにいるほかの人たちと同じだということをわかってもらいたいのです。私にとっては、この街はホームなのです」とワファは言う。
また、ウサマ・ビンラディンには生涯で一度しか会ったことがないというワファは、「GQ」の質問に対し、「ウサマ・ビンラディンは殺人者だ」という趣旨の答えをしている。
ワファは現在、父親とは決別している。父親はスイスでビジネスマンとして成功している富豪であるにもかかわらず、ワファの大学の学費を出さないなど、ふたりの縁は完全に切れているという。

そんな父親に比べ、ワファにとって大きな存在なのが母親のカルメン・デュフールだ。スイス人の父、イラン人の母のもと、1954年にスイス・ローザンヌに生まれた65歳。「ふつうのスイス人」として育ったが、1973年にジュネーヴでサウジアラビアの大財閥ビンラディン一族のエスラムと出会った。
ふたりは1974年に結婚し、その後サウジアラビアに移住。1988年、上述の通りカルメンはエスラムと別れるものの、エスラム側が離婚を受け入れないため、法的には離婚が成立していない状態が続いている。
また、ウサマ・ビンラディンには生涯で一度しか会ったことがないというワファは、「GQ」の質問に対し、「ウサマ・ビンラディンは殺人者だ」という趣旨の答えをしている。
母のカルメン・デュフールって何者?
ワファは現在、父親とは決別している。父親はスイスでビジネスマンとして成功している富豪であるにもかかわらず、ワファの大学の学費を出さないなど、ふたりの縁は完全に切れているという。
母親のカルメン・デュフール(2004年) Photo: Eamonn McCabe / Popperfoto / Getty Images
そんな父親に比べ、ワファにとって大きな存在なのが母親のカルメン・デュフールだ。スイス人の父、イラン人の母のもと、1954年にスイス・ローザンヌに生まれた65歳。「ふつうのスイス人」として育ったが、1973年にジュネーヴでサウジアラビアの大財閥ビンラディン一族のエスラムと出会った。
ふたりは1974年に結婚し、その後サウジアラビアに移住。1988年、上述の通りカルメンはエスラムと別れるものの、エスラム側が離婚を受け入れないため、法的には離婚が成立していない状態が続いている。
2004年、およそ9年間にわたりビンラディン一族と過ごした日々や、女性の自由のない社会で暮らした経験をまとめた『遅すぎないうちに』(青山出版社)を出版し、ベストセラーとなった。
同書で彼女は、ウサマ・ビンラディンに会ったエピソードも伝えている。ある日、自宅にウサマ・ビンラディンが訪ねてきたが、スカーフをしていないカルメンを見ると、手で「シッ」と何かを追い払うようなジェスチャーをし、そのまま帰っていったという。
ディープ・タンの公式フェイスブックによれば、グループは現在ヨーロッパツアー中だ。11月20日、27日、12月3日に拠点とするロンドンでライブを行った後、12月16日にパリの「スーパーソニック」でのコンサートを予定している。
イギリスのタブロイド紙「デイリー・メール」はロンドンのペッカム・オーディオで11月20日に開催されたライブの様子を映像とともに伝えている。
ちなみにワファは、自身のルーツでもある中近東ツアーについては考えていないようだ。「GQ」誌のインタビューでは、「母が許さないでしょう。誰かに私が殺されるんじゃないかと心配しているんです」と述べる。
そもそもサウジアラビアでは、音楽やダンスにも規制がある。それでも、ワファは次のような希望を語っている。
「人々の意識を高められたらと思います。女性たちが私の歌を聴けば、私が自分の夢を叶えているということ、そして彼女たちもうまくいけば同じようにできるんだということに気づくかもしれません」
同書で彼女は、ウサマ・ビンラディンに会ったエピソードも伝えている。ある日、自宅にウサマ・ビンラディンが訪ねてきたが、スカーフをしていないカルメンを見ると、手で「シッ」と何かを追い払うようなジェスチャーをし、そのまま帰っていったという。
ヨーロッパツアーの盛り上がりは?
ディープ・タンの公式フェイスブックによれば、グループは現在ヨーロッパツアー中だ。11月20日、27日、12月3日に拠点とするロンドンでライブを行った後、12月16日にパリの「スーパーソニック」でのコンサートを予定している。
イギリスのタブロイド紙「デイリー・メール」はロンドンのペッカム・オーディオで11月20日に開催されたライブの様子を映像とともに伝えている。
ちなみにワファは、自身のルーツでもある中近東ツアーについては考えていないようだ。「GQ」誌のインタビューでは、「母が許さないでしょう。誰かに私が殺されるんじゃないかと心配しているんです」と述べる。
そもそもサウジアラビアでは、音楽やダンスにも規制がある。それでも、ワファは次のような希望を語っている。
「人々の意識を高められたらと思います。女性たちが私の歌を聴けば、私が自分の夢を叶えているということ、そして彼女たちもうまくいけば同じようにできるんだということに気づくかもしれません」