ことばブログ

吃音を中心に、「ことば」について心理言語学や認知神経科学の立場からいろいろなことを考えています。

「九九」は速く言えないとダメなのか?吃音のある子どもたちの苦悩を知ってほしい。

約半年ぶりの更新です。1月から定期更新をしようと記事をストックしていたのですが、ちょっと記事にしたい内容ができたので今日は更新。

 12/13に、吃音のある小学生への配慮のために小学校での掛け算の九九を競わせることをやめてほしいという内容をツイートしたところ、思いの外多くの方から反応をいただきました。

 

 

色々なリプをいただき、自分なりに思うことがあるのでそれをまとめてみようと思います。

 

吃音とは?

吃音=どもること

吃音をあまりご存じない方もいらっしゃるかもしれないので簡単に吃音の説明から。

吃音(きつおん)は『滑らかに話すことに困難さがある言葉の障害』です。吃音が障害であるかは議論がありますが、私は障害であると考えているのであえてこの表現を使います。

吃音の症状は

1. 繰り返し:「こ、こ、こんにちは」

2. 引き伸ばし:「こーんにちは」

3. ブロック:「(言おうとしている).....k こんにちは」

の主に3つです。

これに加えて思春期や成人になるについれてコミュニケーション意欲の減退や自己肯定感の低下、社交不安障害の発症など、様々な2次的な問題が生じます。

吃音のある人は意外と多い

吃音は幼児期の8%程度の割合で発症し、その後男児では6割・女児では7割程度が自然と治癒するとされています。

学齢期では1%程度の有症率とされており、学年に1人くらいの割合で吃音がある子どもがいるということになります。

思春期以降でもおおよそ同程度の割合で吃音がある人は存在すると思われますが、特定の場面でしかほとんど症状が出ない方や、自身で話し方の工夫をして周りにはわかりにくい方などもいらっしゃるため、100人に1人というのは肌感覚とは少しズレがあるかもしれません。

ちなみにアナウンサーの小倉智昭氏やゴルファーのタイガーウッズ氏、田中角栄元首相などは吃音があることで知られています。

吃音は治らないの?

幼児期の吃音についてはRidcombe ProgramやRESTART-DCMなど、治療効果が実証されている治療プログラムがあります。

一方で小学生になっても残存している吃音については、『根治』させることは難しいとされています。

しかし、治療法が全くないわけではなく、『軽減』を目指すことや『悪化を予防』することは可能です。

ツイートした背景

九九=早く言う が当たり前?

ツイートをした当日は、私が勤めている病院の吃音外来の日でした。

外来は半日で1日8-10人の方の予約が入っていることが多いのですが、その日は5名が小学2生と、なぜか同学年が集中していました。

私は必ずはじめに前回受診時から変わったことはあるか、今困っていることはあるか、を確認しています。そしてこの日も同じように問いかけたところ4名全員が

 

「九九が速く言えなくて困っている」

 

と。

実は昨年も同様の相談が2件あったため今年もあるだろうなと予想をしていたのですが、そもそも九九を「速く」言わせることが多くの小学校で行われているという認識がなかったため、ここまで同様の相談が集中するとは思いませんでした。

ちなみに他に勤めている施設や個人で行なっているオンライン吃音相談での相談も含めると、今年だけで14名の小学2年生から同様の相談を受けています。

そしていずれの小学校でも九九を「速く」言うことが推奨されていると。

僕も吃音がありますが、僕自身はそのような記憶がないので意外でした。

小学校での実態

子どもたちの話を聞くと、どうやら小学校では九九の『正確さ』だけでなく『速さ』が重要視され、そして競わされているよう。具体的には

・家での練習シートのチェック項目に「タイム」の欄がある

・グループ対抗で暗唱のタイムアタックがある

・暗唱の時に先生がストップウォッチでタイムを計り、上位の人が張り出される 

・朝の会で毎日スピードコンテストがある

などなど

暗唱ができても速く言えない子どもたち

吃音のある人は前述の通り、『滑らかに話すこと』が難しいので、『速さ』を求められることは非常に厳しいです。

子どもたちは

「覚えてるけど速く言えないから悔しい」

「覚えたから授業で言いたいけど、急いでは言えないから言わない」

「詰まっちゃうとみんなに 早く! って言われるのが嫌」

「速く言えないと覚えてないって思われないか心配」

と、九九を速く言わなければならない環境に苦しんでいます。

吃音はプレッシャーや不安があると余計に症状が出てしまう場合があり、ただでさえ暗唱する際には引っかかってしまうのに、そこに『速さ』を求められることでそれがプレッシャーとなり、よりスムーズな暗唱が難しくなります。

たかが九九、かもしれませんが、みんなの前でひどくどもり、それがきっかけでからかいや自己肯定感の大幅な低下に繋がりかねないと言うことを知っていただければと思います。

③九九の暗唱を競わせることに意味はあるのか

どうやら速く言えることに意味はあるらしい

九九の暗唱について少し調べて見た所、どうやら計算スキルは正確にできるだけでなく素早く(流暢に)できることが重要とのこと。

基礎的な計算スキルが自動化されていない(流暢になっていない)と基本的な数学的概念を理解しにくく、問題解決を強調するようなカリキュラムに参加することが難しいことが報告されているようです(野田 2014)。

おそらくこれを九九に当てはめると、正確に暗唱しているだけではダメで、反射的に答えられるまでの精度になっていないと自動化されていると言えない、そしてその到達度を測るのに時間計測が用いられていると言うことなのだと思います。

『速さ』は大切かもしれないけれど、『速く言う』ことは大切なの?

 九九が素早く答えられるようになることが重要であることは理解できました。しかし、『速く言う』ことは大切ではないと思います。

自動化の到達度を測る目的であれば100マス計算のように問題を解く速さを測ってもいいのではないでしょうか。

また、実際にどこまで速く答えられる必要があるのかも不透明です(私が調べられていないだけかもしれませんが)。

少なくとも実社会では九九を反射的に答えられる必要に迫られることはないわけで、正確さよりは優先順位は低いのではないでしょうか。

それなのに『速さ』が重視され、それによって苦しむ子どもたちがいるというのは如何なものか、と思うわけです。

競争することがプラスに働く場合もあるらしい

リプを拝見したところ、どうやら『競うこと』がモチベーションとなるお子さんは多いらしく、またそのような動機付けがないと暗唱に取り組むことが難しいお子さんもいらっしゃるようです。

特に後者については知りませんでした。

そうなってくると吃音のある子のために競うことをやめさせてくれ!と言うのはちょっと我が儘かもしれません。

ですが、例えばカルタ形式にして大会にするとか、競争も「スピード部門」と「正確さ部門」を作るとか、計算テストの形式で競うとか、色々とやりようはあると思います。

九九を速く答えられることが大切で競うことがプラスになる場合があるとしても、『速く口頭で言える』必要はなく、そこを評価することは妥当ではない気がします。

④九九だけの問題ではないし、吃音のある子だけの問題ではない

吃音の子が困るのは九九の暗唱だけではない 

今回私がツイートしてプチバズったのは九九の暗唱に関するものでしたが、吃音のある子どもたちが学校生活で直面する壁は九九の暗唱だけではありません。

「自己紹介」「日直当番」「朝の会・帰りの会の司会」「職員室への入室時の挨拶」「教科書の音読」「学活や総合学習での発表」などなど、吃音のある子どもたちが苦手とする場面は学級での活動や授業において数多くあります。

ではなぜ今回私は「九九の暗唱を早く言わせること」に異議を唱えたのか。

それは前項の通り、「意味がない」と思われるからです。

自己紹介や日直、司会、発表なども九九の暗唱と同様、またはそれ以上に苦戦する子が多いです。

しかしそれらは今後の人生において何度も直面しうる場面であり、吃音がある子でもある程度は乗り越えられるようになっておく方が望ましいと私は考えています。

実際に私が日々お会いしている小学生のお子さんたちの多くがこれらの場面で苦労していますが、周りへの配慮を依頼したり適切な準備をしたりすることで乗り越えていっています。

これらは多少の労力をかけてでも乗り越える価値があるものだと思うのです。

一方で九九の暗唱を速く言わせることは労力をかけて乗り越えるほどの価値があるもの、乗り越えなければならないものではないと思います。

むしろ、吃音のある子にとっては、吃音が悪い方向に進んでしまうきっかけとなる可能性が大いにある、極めてリスクのあるものでしかないのではないでしょうか。

個別の配慮ではダメなのか

「吃音のある子がいるクラスだけ配慮すればいい」「吃音がある子だけ免除にすればいい」など、個別に対応すれば良いのではないか?と言うリプをいくつかいただきました。

確かに個別での配慮も必要ですし、当然私も親御さん経由・あるいは直接担任の先生にお願いをしています。

しかしそれでもご理解いただけないケースがあることも事実ですし、子ども自身が九九の暗唱の辛さを親や先生に訴えることができていない場合も少なからずあります。

また、「吃音がある子だけ免除にすればいい」と言うのも結局はその子の自尊心を傷つけることにもなりかねず、安易に行うべき対応ではないと思います。

なので、本当に必要なものでなければ、学校として、あるいは国として九九の暗唱に「速く言う」ことを求めることをやめてほしいなと思うわけです。

家での練習に「速さ」を取り入れるのはいいかもしれませんが、大勢の生徒の前でそれを披露したり、順位づけられたり、と言うのはマイナスでしかない気がします。

同じようなことが吃音以外の「目に見えない困難さ」を抱える子どもたちに言えるのではないでしょうか。

これは「吃音」や「九九」に限った話ではない問題

先ほど暗唱の代替案として「カルタ形式」や「記述形式」を提案しましたが、逆にこれらのらの形式で困るお子さんもいる、と言うことも忘れてはいけません。

ちょっと引っ込み思案な子は率先してカルタの札を取れないかもしれないし、書字障害がある子どもは速く書くことができないかもしれない。

結局、みんながみんな困ることなく 一斉に取り組める何か という物自体なかなか難しいのだと思います。

なので、今回は「九九の暗唱を急かすことをやめて欲しい」という訴えをしましたが、「みんなを同じ尺度で競わせて、同じ尺度で評価すること」を、それが「合理的で必要なこと」でなければやめて欲しいな、というのが僕の気持ちです。

こういう現実があるからこそインクルーシブ教育であるとか、教育における個別性であるとかが叫ばれるようになってきたのではないでしょうか。

最後に

ツイートやこの記事を読んでくださった方々へ

吃音・ASDADHD・読み書き障害・場面緘黙・構音障害などなど、普通学級に通っている子どもたちでも、様々な苦手さを持っている場合があります。

自分が当たり前にできると思っていることでも、上手くできない・苦手な人は結構います。

その事実を1人でも多くの人に知ってもらえたら嬉しいです。

そして、吃音という悩みを持っている人がいることも知ってもらえるともっと嬉しいです。

九九に悩む吃音のあるお子さんの保護者の方へ

まずお家での練習は無理に1人で暗唱させず、一緒にせーのでいってみましょう。

吃音のある人の多くは、2人以上で同時に読んだり話したりするときは不思議と流暢です。

練習のたびにどもってしまっては、九九への苦手意識が高まる一方です。

そしてお子さんに、学校の授業で困っていないか、困っているならどうして欲しいかを聞いてみてください。その上で担任の先生にもぜひ相談しましょう。

 

追記 

「九九の速さを競わせるのをやめてくれ」と少々極端な主張になってしまいましたが、まず吃音のあるお子さんに対して十分な配慮をしてくださっている先生方も多くいらっしゃることは承知しています。

あたかもほとんどの先生が無配慮であるかのようにも捉えられかねない表現となってしまったことは申し訳なく思っています。

しかし、吃音がある児童がいることを知っていても、九九に関して配慮が必要であることを承知されていない先生もいらっしゃることは事実です。

また、速く言えなくても、速く読めなくても、速く書けなくてもいい、それぞれが自分のできるところ・得意を伸ばしてそれが評価される世の中になればいいのにとは、吃音臨床を通して日々感じていることです。目指すべきはそちらですね。

この記事とツイートで、通常学級における苦手さのある児童への配慮と授業内容について少しでも考えていただけると嬉しいです。

 

私はこんな人です.

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