資生堂のデザインを60年以上支えてきた描版師、匠の手仕事。

SHARE

資生堂のデザインの一角を支えてきた画工、薄希英(すすき まれひで)。
18歳から電車の中吊りや映画ポスターの描版に関わってきた彼は1961年に初めて資生堂の仕事を手掛けることになる。それから60年、多くのデザイナー、アートディレクターたちは薄氏との制作を重ね、資生堂のデザイン、資生堂唐草に息吹を吹き込んできた。

今年、薄氏の仕事の一部を紹介する初の展覧会 『資生堂唐草原画展』が開催された。(2019年12月13日に終了) 展示を準備するにあたり、薄氏と近年共に仕事をしてきた、資生堂のデザイナー渡辺真佐子と廣川まりあが、薄氏との制作過程にあった逸話や、ご本人の思いを聞く機会を得た。三人の対話から、資生堂の唐草デザインの歩みや美学をひもといていく。

薄 希英氏

「画工」とは、どのような仕事なのか。

ーー 薄さんの「描版師(かきはんし)」という肩書きは、今回の展覧会のために企画チームが考案した名前だそうですね。

 これまでは画工って名前で済ませていたんだけどね。

ーー「画工」という職業自体を知らない人も多いので、まずそれがどんな仕事なのかというところから教えていただけると嬉しいです。

 画工はあくまで職人であって、こんな風に展覧会をしたりインタビューを受けたりするような表に出る仕事ではないから戸惑うばかりですが。

廣川 印刷物の元となる最終原稿のことを「版下」と言いますけど、その最終的な原画を作るのが画工さんの主な仕事ですよね。

 うん。いまはコンピューターで作ったものをそのまま印刷所に入稿して製版するわけだけど、それを全部手作業、手描きでやっていた時代が長くあった。つまり「描版」だね。いまやほとんど失われてしまった技術に「書版製版」というのがあって、例えば商品のパッケージでもポスターでも、絵描きの人が描いた原画を藍、赤、黄、墨の4色に色分けしてそれぞれの版下を手描きで作るんです。

ーー つまり、今でいうCMYK(シアン、マゼンダ、イエロー、キー・プレート=黒に相当)のレイヤーごとに制作するのですね。

 さらにグレーとか薄赤とか特色を混ぜることもあるけれど、基本的には4色。それを僕たち画工は、原画を参考にして頭のなかで「黄色は〇〇%くらいの濃さだな」と計算しながら描く。今回の展示で「突きペン」というのを紹介していて、これはこの濃度を想定しながら点描の密度や量を変えていく技術。昔は2か月も3か月もかけてポスター1枚を作るなんてこともあって。いまのデザインの仕事のスピード感では想像できないでしょう。

ーー それで、展示でも複数の版下をレイヤー状に重ねて展示していたのですね。それらを重ねると、全体像が見えてくる。

 そう。黄色版は技術が未熟でも目立たないからヘタな若手が担当して、赤や墨の主版は腕の達者な先輩や先生がやる。とにかくあらゆる印刷物がこの手法で作られていましたから、一人ではとても追いつかないので工房総出、でやるわけですよ。まあ、それもどんどん廃れていってしまったけれど、僕は今もイラストから文字からロゴ制作まで手描きでやっている。だから展覧会のプロフィールには「唯一の描版師」なんて紹介されていて・・・。

ーー 絵師、彫師、摺り師の流れ作業で作っていく浮世絵の制作工程に近いですね。

 デザイナーと画工が一体になってやっていくという制作過程はかなり近いと思います。もっとも機械化とともに仕事も減っていきましたから、優秀な描き手たちもみんな廃業して、印刷屋さんの職人に転職したり、写真を手作業で修正するレタッチャーになった人もずいぶんいました。それももう40〜50年前の話ですから。

渡辺 そういった環境の変化があった中でも、薄さんと60年以上にもわたってご一緒に仕事をしてこれたのは、私たちの大先輩方や大勢のデザイナーたちが絶え間なく薄さんを必要としてきたということだと思います。

 ありがたいです。

渡辺 毎年夏に、新人デザイナーを連れて工房にお邪魔する、というイベントを自主的に続けてきたのですけど、これまで数多のデザイナーとの間でやり取りされてきた、手描きのスケッチや原画が何十冊もファイルされていて、見るたびに誰もが全員「わあ!」と驚かされるんですよね。デザインがコンピューター主体になった時代に、すべてが手描きであることが新鮮ですし、そこには資生堂が生み出してきた制作の歴史が確実にあるわけですから。

資生堂は2022年に創業150年を迎えるということもあって、他の制作物と合わせてアーカイブしていこうという動きがあります。その一つとして薄さんからファイルをお預かりしたのが去年の夏でした。そこから有志で整理を始めて、その一部をようやくお見せできたのが今回の展覧会です。

『資生堂唐草原画展』

 

『資生堂唐草原画展』の展示風景

ーー ということは、今回展示されているのは本当にごく一部?

廣川 1%にも満たないと思います。なにしろ膨大ですから、いまも整理を続けているところです。

 僕は裏方であって、そこでできたものはそもそも資生堂さんの成果物ですからね。この機会にすべてを手渡した、という感覚です。
……と、言いながら、私の娘や姪っ子、デザインをやっている若い人たちも見に来てくれたと聞くと嬉しくて(笑)。美術館と違って、じかに手で触れて版下を見ることができてかなり感激したらしいです。そういった見せ方も含めて渡辺さんと廣川さんには全幅の信頼を置いて、お任せしました。

ひとたび薄さんの筆が入ると、線に生き生きとした生命力が湧いてくるのです。(渡辺)

ーー ひとつの会社と60年も仕事を途切れず続けていくというのは稀なことと思います。

 ところが資生堂のデザイナーさんたちは伝統的に凝り性で、「手描き」にも独特のこだわりを持っていますよね。制作過程で手作業があると気持ちの入り方が違うということをみなさん知っている。それもあって今日まで続いてきたのだと思います。

薄さんの仕事道具も展示されている

描いたものを銀座の資生堂本社に持参して見てもらって「ここのラインがちょっと太い。ここはへこんでいる」なんて指摘を受けたら、それを上野の工房に持って帰って修正して、また銀座に行って見てもらって、なんてやりとりをずっとやってきましたね。

薄さんの仕事道具も展示されている

渡辺 資生堂から薄さんにお願いする仕事の内容にはいくつか種類がありまして。私たちデザイナー陣も手を動かして描くのですが、どうしてもバランスや線の強弱に物足りないところがある。そこで最後に薄さんに整えていただくと、線に生き生きとした生命力が湧いてくるのです。そのほかにも私たちが描いたロゴを清書していただいて、それをさらにこちらでデータ化して仕上げるというパターンもありますし、今回の原画展のようにこちらからイメージをお伝えしてイラストレーターとしてゼロから描いていただくこともあります。

薄さんが描いたラフの原画 (ZEN)

 

薄さんが描いたラフの原画 (ローズルージュ パルファム)

ーー 近年の仕事だと、どういった商品がありますか?

廣川 2015年に新たに立ち上げたルームフレグランスシリーズの、「資生堂ライフスタイルフレグランス」では、ブランドのイメージである「夜桜」のイラストレーションの制作をお願いしました。

日本の伝統工芸のような雰囲気もありつつ、重厚感もあるイメージにしたくて、夜桜の写真や浮世絵などを資料としてお渡しして、イマジネーションを膨らましていただいたのですが、このときもかなり調整と手直しをお願いしています。試作段階でも、リアル路線の桜や、伝わりやすいかわいい感じの桜、などいくつかバリエーションを作っていただきました。

「資生堂ライフスタイルフレグランス」キャンドルとリネンスプレー

 

「ライフスタイルフレグランス」の原画

 直すことは苦じゃないんですよ。そもそも、僕の発想というものが入る必要はない。あくまでもデザイナーさんの意向を組んで、歪みのない、誰が見ても抵抗を感じずに「きれいだね」と思えるものを表現する。それが基本です。

ーー 今回の展覧会であれば資生堂の「唐草」というテーマがあって、山名文夫(昭和初期に資生堂デザインの基礎を築いた、意匠部を代表するデザイナーの一人)の手がけた唐草も紹介されています。その長い歴史のなかで薄さんなりの資生堂の唐草、資生堂のデザインというのもあるのではないでしょうか?

 意外に思われるかもしれないですが、僕は唐草を「唐草」と思って描くことはないんですよ。特に仕事中は、キレイに描くことしか頭にはない。唐草の精神をデザインや商品に吹き込むのはあくまでデザイナーさんであって、僕らが描いたものを材料として、うまく使ってくれることではじめて唐草になるのです。

ーー 渡辺さんが特に印象に残っている、薄さんとのお仕事は何でしょうか?

渡辺 「ローズロワイヤル」という香水ですね。当時のディレクターが何度も薄さんに修正のリクエストをしていたのですが、その後に返ってくる薄さんの仕事は、確実にグレードアップしていました。繰り返されるそのやりとりを見ているうちに、この2人の絶妙なコンビネーションがあってこそ築かれたものが、資生堂のかたちになっているのだな、と感じました。

「ローズロワイヤル」はその名のとおりバラがテーマで、こちらからいろいろなイメージになる資料をお渡ししました。そのバラはティーローズという花びらがふわっとした品種で、それを薄さんは黒一色で描かれるのですが、それを商品のラベル、箱、ボトル、ハンディバッグに展開し、色を考えたり、構成をするのが私たちデザイナーの仕事でしたが、そうやって薄さんの仕事に色を加えていくという制作過程は忘れがたいですね。

「ローズロワイヤル」

 

「ローズロワイヤル」

 そういったやりとりは、自分としてはごく当然のものですよ。デザイナーの皆さんとは長いおつきあいですし。

廣川 宣伝部の多くのデザイナーは薄さんとのお仕事を通して、育てて頂いたと思います。

 自分からすると、僕こそが資生堂に育ててもらったという感じがしますよ。

渡辺 資生堂のミームの一つとして挙げられるのは「資生堂書体」ですが。*

*1923年当時意匠部の矢部季と、日本画家の小村雪岱が中心となって発案されたといわれている。

ーー 戦前から約100年にわたって伝わってきた資生堂オリジナルの書体ですね。

渡辺 伝統ある弊社の書体で、教本をお手本にして、1年間かけてひたすら書くのが宣伝部の新入社員の必修タスクです。そのまま描けばよいのではなくて、それを受け止めたうえで、そこから自分なりの新しい書体を生み出すことが求められるのです。

廣川 これは練習だけに及ばず、実際の商品にも生かされます。いま使っている「花椿」のロゴもそうですよね。縦に細長い時期もあったり。

渡辺 みんな個性があって違うのですが、一貫して資生堂書体である、というのがアイデンティティなんですね。その土台があるから、資生堂のデザイナーには手を動かすこと、手書きの美しさが共有されているわけです。

廣川 今回の展覧会で紹介しているイラストレーションなどはじつは薄さんのキャリアの一部で、半分以上はロゴに関わる仕事をお願いしています。ロゴの清書もタイポグラファーが描いたものを最後は薄さんに整えていただいています。

 そんな大層なものではないですが、たしかに時代やデザイナーごとの書体の変化はわかりますね。資生堂さんのデザインはどの時代も一貫したものがあると思っています。近年でも資生堂のデザインの普遍的な強さを感じることは多いですね。

唐草の原画を通して、資生堂デザインに継承されてゆく価値をみつめなおす

ーー では、今度は薄さんの印象に残っている資生堂の仕事をお聞きしたいです。

 「ZEN」という香水のシリーズは、自分なりに代表作と言えると思っています。これも唐草にまつわる仕事でしたが、リニューアルごとに必ず依頼をいただいていたんです。1960年代のオリジナルが初代でした。これが1990年代に海外向けにリニューアルされることになって、そのときも自分が担当することになったので、約30年経って自分の仕事が返ってきたような感じがありました。これは描き手冥利につきます。

「ZEN」パッケージの原画

 

「ZEN」パッケージの原画

 

「ZEN」

渡辺 当時「ZEN」を担当したデザイナー曰く「これを描けるのは薄さんしかない!」ということだと聞きました。

 難しい仕事でもありましたよ。ZENはそのあとに2012年の海外向けの限定品も担当したからなおさら思うのだけど、当時の自分の技術の未熟さに気づくところもあるし、逆にいまの自分にはこれを描く体力はないな、と思わされるところもあって。そういう経験も思い入れのある理由ですね。

ーー これも、資生堂のデザイナーとのあいだではかなりのやりとりが?

 ありましたね。おそらく十数回は往復してると思います。あくまでもラフの段階ですが。

渡辺 ラフと言ってもこの緻密さですからね……!最初から描きなおすこともしょっちゅうあったと思います。

廣川 「ZEN」に限らずですが、同じ図柄であっても、最終的な出力が紙なのか樹脂なのかによって原画を描きかえるときがあります。印刷方法で、絵の印象が微妙に変わったりすることもあります。が、薄さんは版下製作のノウハウを熟知されているので、ベストな線を選んで描いてくださるのです。

ーー 展示やアーカイブの一部を見せていただくだけでも、本当に素晴らしい仕事だと感じるのですが、気になるのはこれを継ぐ後継者が果たしているのか、ということです。失われた技術だと薄さんもおっしゃっていましたが。

 そこがつらいところです。かつての僕らの世界では朝日新聞の使う活字がもっともしっかりしているという評価があって、わざわざ買ってきて活字の写しをしたりしたものですが、デザインの主流がコンピューターになった時点で時代の流れは決まっていきましたね。

結局のところ、僕らの仕事というのは練習をいくらやったところで技術が身につくものではない、仕事をしながら覚えていくしかない。かろうじて僕は仕事を続けてこられたけれど、仕事量が圧倒的に減ったいま、若い人が経験を積める見込みはまったくないですからね。

 もう手描きの部分はなくなってコンピューターが進化して、そのまま印刷に回せる時代になるでしょうね。フィルム製版して、写真製版して、っていうのは遠回りしているようなものだからね。

廣川 そんなことをおしっしゃいますけれど、企業も新しいイラストレーターを常に探しているし、今回の展覧会で見せているような原画への関心も高まっていると思います。この先も、手描きは必要とされていくと思います。

渡辺 誰でもデザインができる時代になって、その意味ではデザインが身近にはなりましたよね。だからこそ問われるのは、そこで生まれたものが本質を突いているか、だと思っています。今回の唐草原画展を通して、あらためて、資生堂デザインに継承されてきた価値を見つめなおす、貴重な機会を得られました。デザインに溢れた時代で、労をいとわず自ら手を動かし、生きた成果物を生み出す工程は特別な意味を持ちます。その意志を継承し、資生堂のデザインに新しい価値を創出し続けていけたら、と思っています。

インタビュー・テキスト:島貫 泰介
撮影:豊島 望

「『資生堂唐草原画展』の展示風景」
写真提供:加藤 健

Profiles
  • 薄 希英 | 描版師
    1932年生まれ。18歳から画版屋の画工とし描版(写真を利用せず、直接手がきによって製版した平版)を制作。62年独立。63年頃、初めて資生堂の仕事に携わり、現在もなお、クリエイティブ本部のデザイナーのディレクションのもと、数多くのパッケージやグラフィックにおけるイラスト、文字、ロゴ制作を手描きで行う唯一の描版師。
  • 渡辺 真佐子 | アートディレクター
    東京藝術大学デザイン科卒業。1998年資生堂入社。主にパッケージデザイン、ウィンドウディスプレイを担当。2018〜2019年にかけて、ユニバーサル デザインとダイバーシティを学びに、デンマークに滞在。エグモントホイスコーレンでの留学とデザイン会社Kontrapunktでインターンシップを経て、帰国。
  • 廣川 まりあ | アートディレクター / デザイナー
    資生堂 クリエイティブ本部 パッケージデザイナー。東京藝術大学デザイン科卒業。2009年資生堂入社。国内外向けのパッケージデザインを担当。Pentawards シルバー、日本パッケージデザイン大賞銀賞など受賞。