美智子さま

美智子さま、雅子さまの靴に「工作」を指示 

昨日のツイッターで美智子さまの靴隠しの件について少し触れたが、今回はこれについてもう少しだけ補足させて頂く。(とは言えあまり突っ込んだことまでは書けないので、その点についてはご容赦頂きたい)

当時の宮内庁職員配置の偏り

世間で「雅子さまが皇室内で酷いイジメにあっている」とされていた頃、宮内庁の職員はそれを裏付ける証拠が表に出ないように必死だった。今でこそ宮内庁とマスコミは裏で繋がっているとされているが、当時はまだそこまで強い癒着はなく、お互い様子を見ている段階だった。

なんとかして宮内庁の状況を入手するべくあらゆる手段を施行し、やっと情報ルートを一つ作ることに成功。そこで掴んだのが、職員の人員配置があまりにも偏ったものだった。

勿論、当時の陛下及び美智子皇后が最優先されるのは当然のことではあるが、それでも「本当にこんなに必要なのか?」と耳を疑うほど、異常なまでの数の職員が常に美智子さまの周りを取り囲んでいた。そして忘れてはいけなのは取り囲んでいる職員は全員、美智子さまの家来でもあるということだ。

陛下や雅子さまの日々の行動は常に美智子さまの家来たちに監視され、全て東宮家の情報は筒抜けだった。いくら後ろめたいことが無いにしても、一つ一つの行動を全て監視されながらの生活は、さぞかし息苦しいものがあったことだろう。雅子さまが周囲の人間を信じられなくなった理由の一つもこれが原因だとされている。

皇后という絶対的な立場でありながら周りの職員や環境をも利用し、目には見えない傷を毎日毎日少しづつ雅子さまに負わせていった。美智子さまは決して自分の手は汚したりはしない。まるで雅子さまが環境の変化や皇族の人間としてのプレッシャーに耐えられず、さも自ら自爆したかのように見せかけることで、後の皇后陛下としての器の無さを国民に知らしめようとしたのかもしれない。

そしてそんな姑息なパフォーマンスに残念ながら国民は騙されてしまった。

隠した靴に工作するよう指示

雅子さまの靴隠しの件は雅子さまイジメの中の一つとして有名な話し。勿論、これも一回きりの話しではない。私が知っている限りでは三回ほどあるが、実際にはもっとあったのではないだろうか。ただ突如無くなった靴は大抵その日の行事が終わったあと、すぐ見つかることが多いのだが、翌日になっても見つからなかったことが一度だけあった。

雅子さまは物を長く大事に扱う性格故に、この無くなった靴のことが気がかりだったそう。と言うのも、普段から靴を隠した犯人が美智子さまであることは雅子さまも分かっていた。ただその時だけはすぐに靴が戻って来なかったことから、なぜ無くなってしまったのか全く分からなかったからだ。

それから1カ月ほどして、靴は思わぬところで発見された。実は靴が無くなった当日には、いつものように雅子さまのお付きの職員が靴を見つけ出していたのだが、靴の中には画鋲が2本貼り付けられていたと言う。それも踵の部分ではなく、靴の中の上の箇所に針が下を向くように貼り付けられて、一瞬見ただけでは分からないように工作されていた。もしこれに職員が気づかずに雅子さまに渡してしまっていたら、と考えると身震いしてしまう。

どのように雅子さまに伝えるべきか職員同士の話し合いの末、直接本人に伝えることを選択。「そのときの雅子さまの怒りでも悲しみでもない、もはや感情を表に出すことを忘れてしまったような表情を今でも忘れることはできない」と当時の職員は話す。

「このことは陛下にもお伝えしたほうが良いのでないか?」と雅子さまに助言されたが、雅子さまがご自身の口から陛下に伝えることはなかった。結果的にまた少し遅れるかたちで、職員が陛下に事の顛末を伝えることになった。

雅子さまの優しさにつけ込んだイジメはこれだけは終わらない。