Ken ITO 伊東 乾

@itokenstein

Ph.D Prof. Komponist-Dirigent / Raummusik Kollegium Berlin. Habe viele Interesse an der Wissenschaft und am Mitleben dadurch.

Tokio / Berlin
Joined January 2010

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  1. だから「ブロックチェーンやってます」「量子暗号やってます」「AIやってます」じゃないんですよね。その題目のもとで、どういうターゲットに何を武器にアプローチしていったい今まで何をしたのか? 例えば甘利さんだったらバックプロパゲ―ションとか、必殺の成果があるわけですよね やってる人には

  2. 問題設定と方法、ストラテジーとタクティクスが決まったら、こて試しする中でコアになるファクトを探すわけですよね。でめぼしがついたらかちっと固める。だいたいこれで初期の仕事は出せますから、その先は臨機応変の自由も増える。学術の王道だとおもいますが、文系理系の別なく

  3. クリエイティヴな仕事は、ターゲットと方法 これに尽きます。ターゲットは注意深く見ていて新しいものが出てきたらサッとそれを捕まえる金魚すくいの反射神経も大事。ブロックチェーンを意識した2014年僕はこれを貧困撲滅にターゲティングしてケネディ校のジュマさんと最初の仕事をしたけれど

  4. そういうの、物理ではあたりまえだけれど、一般にはあまりみないのかもしれません。あと、学位を取りますという若者の立場や気持ちになって親身に一緒に考える、というラボの基本姿勢が、実は東大全体ではマイナーというか、珍獣級に珍しいことなのかもしれません。これも物理では普通だったけれど

  5. 僕が「情報学環」で指導した学生、例えば第一期のI君にはゲノミクスで出てきたデータマイニングで医療情報ビッグデータを構造化する仕事を2000年時点で振りましたが、学年トップはもちろん、現在も医学部特任准教授でこれで食えている。確実に評価される成果が出るテーマを与えるのが要諦であって

  6. 水かけ論みたいなのはバカバカしく、時間の無駄にしかならないし、昨日野尻さんがチラと言っていたけど「これって何が研究として成果になるの?」と疑問に思うような ill-posedな設定では、残る波及効果のある仕事なんかできないでしょ?

  7. 折々に、追い風が吹くような領域で、いかにもな旗を掲げて鬨の声をあげるのは、お金周りもいいかもしれないし、その場は結構だろうけれど、論文の寿命が3年とか3か月とか、要するにあまり根の深い仕事にならないこともあるわけで、僕はそういうのは勘弁というか・・・興味がない。

  8. 物理でも数学でもそうですよ。長い基礎的な探求があってそのなかで精選された問題があって、それを解けば多くの人が価値を理解する。音楽は辺境なので「ゲーテの短調問題」みたいな小学生でも本当は解ける問題が残ってたりもして、そういう小さいのも含めれば随分色々やったけれど場は未だに少ないわけ

  9. お金になんないんですよあまりに基礎的で。学会も学会誌もスポンサーも何もなく、それを作るところから始めなければならなかったし。でも、出てきたものが出てきたものだから、別に僕はそれでよいし、そのうち広まればほぼ永久に残る仕事ばかりだから別段それには悔いもない、ただ自分の時間が少なくて

  10. 判らない人がName droppingとかいう場合があるけれど、一つ一つ私はコアを持って仕事をするようにしてきた。ブーレーズとの指揮法なら物理と解剖生理、昨今は機械学習など方法は使えるものを投入するけれど、それでコアになるファクト、結果を出すのが先決だから。

  11. あとはすぐれた人と議論すること。2004-5年にかけてのトールステン・ヴィーぜルとの議論は大変に示唆的でそのあといくつかの問題・・・リゲティが死んだ際の反ガリアン・ホケトゥスとか、シュトックハウゼン急逝後のバイロイトへの方向転換とか・・・直接のヒントを頂きました

  12. 結局ね、問題設定だと思うんです。僕の場合は教養学部生時代にノーノを駒場に呼んでそこで貰った「セリエリズムの元来の動機とその蹉跌、積み残した問題」をひとまとまり学部時代に貰ったおかげで、あと養老先生とか脳に興味を持たせてもらったことで30年ほど系統だって仕事が出来た。問題設定のお陰

  13. 一つ一つの問題の背景にドゥルーズ(セリー)とかアドルノ、アーレント、ダールハウス、ジャンケレヴィッチ・・・うるさい人のうるさい議論が付随しているものに物理で白黒つけるという方法に特化して そればかりやってきたから 何か残るわけで 営業中心ではバラバラで終わっていたでしょう。

  14. うちのラボも22年何をやったか振り返ると「シュプレッヒゲザング問題の解決」「ブーレーズとの指揮法の体系化」「空間音楽の脳定位とバイロイト祝祭劇場でのヴァーグナー楽劇の評価」etcそれとして音楽史に位置づけの出来る仕事を選んでいますが全貌は90年代に予見したものを順に解いているわけで

  15. IRCAMがやや軽くなったのは90年代以降、結局MIDI楽器などが沢山でて、総称「スペクトル」の団塊世代がちょっと出て、これもグリゼーが亡くなったところで打ち止め感があり、現状では汎用プラットホームを良心的なエンジニアが労作する作業が中心と思います。これはこれで価値のある仕事です

  16. ベルリンフィルは最初から鳴り物で作ったけれど、ニキシュとかの時代にはやはり系統だったものは出せていない。単に金満でいいプレーヤー集めてギャラが高かった。E.クライバーとかW.フルトヴェングラーとか問題意識を持った本物が出てくるのは半世紀近く経ってからなんですよね。

  17. メディアラボの35年が軽いのも問題設定がないからだと思います。IRCAMは明確にブーレーズが問題を設定してノーノやグロボカール、ホリガーなど招聘して初期成果を挙げた。私はそこで残ったものと取り上げなかったものを問題に据えた。87-8年に武満の名で雑誌とかやってましたから事情は分かった

  18. MITメディアラボの話も先週末こちらで出たわけですが、いまFacebookと仕事をしていて、やはり新大陸発の問題設定は軽いんですよね。倫理とか言っても逆立ちしてもホロコーストとか出てこないし。ミュンヘンのすぐ横にはダッハウ強制収容所がありますから、重さが全然違うわけ

  19. 国内はいろいろ、年末にかけて来年向けの文書作成など大変で、それをみんなにお願いして出てきてしまっているので、せめて中身のある仕事をしっかりして、成果のフィードバックで貢献しなければ。物理出身者だと色々話が早くてやりやすい

  20. ミュンヘンは深夜ですが時差も月曜朝が始まる前にいろいろ準備が進められていいもんです。量子コンピューテーションの進捗が進めるセキュリティの世代交代の議論を準備しています。TUMはフォン・クリッツィングが量子ホール効果の仕事をした大学でもあり、大変楽しい。

  21. 直接の面識はないけれど石井裕さんとか優秀な人もいると思う。正確には優秀な人を集めたのだと思う。ただ、そこから育った人と汎用的な基礎みたいなもの、何があるかと問われればよくわからない。私は地味だけれど35年確実に1000年単位で残る基礎をいくつか固めるように努力しました財務無関係に

  22. 1987-88年にかけてAT&Tベルコアと学情で「音楽と情報科学」ってシンポをやって、僕は物理学科生だったのにボードメンバーにしてもらって当時の面白いものは網羅した。出来立てのメディアラボは何もなかった。M.マシューズなどに指導してもらい今の方針の基礎を作りましたが、そういう指導

  23. 1985年から2020年というと80年代後半が非線形複雑系、90年代ならゲノムと人工生命、00年代ネットワーク10年代深層学習いくらでも本質的な仕事は出来たと思うけれど、そういう方向には行かなかった。私はこの間ずっと現役なので実感を持って言うけれど芸術の基礎には何も貢献していない

  24. メディアラボが「終わった」のは最初からネグロポンテ弟の方針が終わってたように思うんですね。AT&Tベル研はシャノンとかナイキストとか擁してトランジスタのバーディーンたちとかノーベル賞も輩出した。そういう研究指導は出来なかったでしょ?J.ピア―ス所長と全然目の高さが違ったから。ネオコンで

  25. トランプは弾劾大統領というスティグマを追っているが、その刻印すらできない どこかの島国はどうなっているのか?

  26. 私たちは生徒のセレクションをしているのであって、親御さんの如何で本来考査を行いません。が、子供の影が希薄で親の自己アピールがやたら目立つメールものすらありました。こういう傾向は負の評価につながり得ること、理解してあげるのも大事だと思います。

  27. 一点非常に良くないと思った事を記します。親御さんのメールアドレスですべて活字で答案が送られ、本当に生徒が解答したのか全く分からないものが数点ありました。基本、そのようなものは採点対象から外しますので、今後はご注意頂きたいと思います。親御さんが突出する事でお子さんのデメリットにも。

  28. ひらめきときめきのセレクションを採点しました。結果を事務に送り 一両日で合格者には連絡が 外れた人にはもう少しして一律のBCCが行くと思います 採点総評ですが 数の計算は 検算をしないで提出してしまう答案が目立ちました。音程の問題は試行錯誤がよく見える生徒が多く良い事だと思いました

  29. 愚かな提灯記事を見る 桜を見る会 は 社会を1ミリも動かさないのだそうだ 現に 内閣府支持率が 支持率を上回るところまで 充分にうごかしているというのに 間の抜けた原稿である

  30. 無残やな カブトの下のキリギリス

  31. 日本には俳句という文化があり、オランダの詩人の友人がどうしても理解してくれなかったが、べらべら あれこれ喋るのが美しいとは限らない。 沈黙 ないし 余韻 が もっとも鋭い批判になる ということもある。

  32. アンナ・カリーナの訃報 もさりながら 年月の経過もあわせて衝撃。ゴダールの画面で私のなかでは結晶したまま・・・  合掌

  33. SFCにも長年お世話になってきたし、自分の所属する場所もそういう出自なので、まったく他人事としてこれを私は言っていない。エプスタインのあだ花みたいなものが最後に爆発するかもしれないが、1985年メディアラボ&メディアアート的なるものは、実はとっくに終わっている現実があると思う。

  34. ついでにいうなら、情報学環に先立ってメディアラボを念頭に作られた組織として慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパス2学部がある。ネットの普及とともに成果を挙げたと思うが、新自由主義+デジタルガジェットという二枚看板はそろそろ通用しない時代に変容しつつあるのは否めないように思う。

  35. 例えばナム・ジュン・パイクが「メディアアート」というとき、そこには徹底したメディアそのものへの批判が露骨でしょ? メディアラボから出てくるのは自分たちのメディアの礼賛であって、つまり街頭ネオンサインと同様、PRなんですよ芸術ではなく広告、告知。だから役割を終えたら消える。プラグオフ

  36. 僕がMITメディアラボに冷静な視線を向け続けられたのは 磯崎新とのコンスタントな議論があったおかげと思う。磯さんは醒めているから、ああいう電気屋のお祭り騒ぎとミルトン・フリードマンの南米経済破壊と同根として見るような冷徹さがあります。まあそんなもんです。メディアアート。

  37. 1985年当時は、あれこれ動くおもちゃが珍しく、おもしろかった。また、当時はいまだソ連も東側もあって、コミュニストが逆立ちしてもやらないような電子おもちゃを1970年代にイージーライダーにカブレた世代を取り込んでお金をつぎ込めばクールに演出できた。情報戦の見世物の一つですから

  38. だって、あれだけお金を入れたんですよメディアラボ。何遺しました? これがあったおかげで、その後の「メディアアート界」が大きく展開した、ってなプラットホームとかありますか? いまIRCAMも色々曲がり角に立っているので非常によくわかります。残る基礎を作らないと流れて終わりになります。

  39. 好対照をなすのがNYのニュースクールでしょう。H.アーレントなどが教えにきて、ハイチのスラムでパブリック・アートなど展開したり、およそ金満と無縁、左翼ですが、これは残るアート。メディアラボの電飾は、プラグを抜けば消える歴史。

  40. メディアラボは 研究というより「見せろ!」「作れ!」「度肝を抜け!」的な アメリカンコーヒーだったので、出来た当初すでに二十歳で音楽人として定見をもちつつあった私や欧州芸術人全般には 当初から 手の込んだ電飾 というのが率直な感想だったと思います