営業マンが「絶滅危惧種」になっていることに気づいていますか

ある資本家からの問いかけ①

日本創生投資の代表で、『サラリーマンは300万円で会社を買いなさい』『資本家マインドセット』などの著作がある三戸政和氏。日本型サラリーマン社会の在り方に疑問を投げ続けてきた氏は、いま、「日本企業を支え続けてきた営業マンたちが近いうちに職を失うことになるだろう」と予測する――。

反発があるかもしれないが

「これからの時代、営業はいらない」「営業という仕事は無くなる」

こんなことを突然言われたら、あなたはどう感じるだろうか――。
 
過激な言葉に反発を覚えて、この記事を読むのをやめる人がいるかもしれない。

しかし、私は本気だ。決して注目を集めたいがために、でたらめに過激なことを言っているのではない。

はじめに断っておくと、現在バリバリで働いている営業マンの方々を「いらない」と言っているわけではない。私はこの国の営業マンの有能さを知っている。彼らのお陰で、いまの日本経済が成り立っていることも理解している。彼らへのリスペクトは十分持った上で、それでも伝えなければならないと思っているのだ。「営業はいらない」と――。

これから私が話そうとしていることをいくつか項目だけ並べてみよう。

・AmazonによってBtoCにもたらされた大変革は、BtoBの現場でも起き始めている。
・医療業界では、営業の代名詞と言えるMR(医療薬事情報担当者)を代替するサービスがすでに浸透している。
・フィンテックが銀行業界を脅かしているように、セールステックの存在感がますます大きくなっている。

これらの事実から導き出されるのが、これからの時代、ビジネスの世界で「営業はいらなくなる」という結論だ。10年後にはこの社会から営業という概念がなくなっているかもしれない、と私は思っている。

先日亡くなった投資家の瀧本哲史さんも、2011年の著書の中でこう予見していた。

<資本主義社会の中で(中略)今後、生き残っていくのが難しくなるのが、会社から与えられた商品を、額に汗をかいて単に右から左に移動させることで利益を得てきた営業マンだ>~(『僕は君たちに武器を配りたい』より)

変化はすでに忍び寄っている。気づいたときには世界はもう変わっていた、ということにならないよう、私は、営業マンの方々に「いまの現実から見えてくる、営業職の暗い未来」について伝えたい。そして、彼らに、これからの社会で目指すべき道について考えてほしいと思っているのだ。

しばらく私に付き合ってほしい。まずは身近なところから、話を始めよう。この項の主人公は、サザエさんに出てくる「三河屋さん」だ。

 

三河屋さん、リブート

言うまでもないだろうが、三河屋さんとは、サザエさんに出てくる酒屋さんだ。サブちゃんと呼ばれる若い青年がサザエさんの家に定期的にやってきて、いわゆる御用聞きをする。

サブちゃんのコミュニケーション能力は高い。サブちゃんはちょうどいい時間に、玄関ではなく勝手口から入ってきて、サザエさんやフネさんと軽快な会話を交わしながら、「醤油、切らしていませんか」とか、「熱燗がおいしい季節ですよ、日本酒どうですか」などと注文を取り、その商品を後で届ける。

【PHOTO】iStock

現実世界では、三河屋さんのような御用聞きはもういないだろう。三河屋さんはサザエさんの世界だけの存在だ。

勘違いしないでほしいが、私は「三河屋さんを駆逐したのがAmazonだ」などと短絡的なことを言いたいわけではない。三河屋さんのような御用聞きが姿を消した理由は、消費者の生活や購買スタイルが変化したことにある。何よりスーパーマーケットの登場の影響が大きかっただろう。

私が指摘したいのは、この現代において、三河屋さんの担ってきた役割が再度重要な意味をもってきているのではないか、ということだ。

三河屋さんは、サザエさんの家を訪れて、たとえばこんな言い方をする。

「そろそろビールが切れる頃ですよね、1ケース、入れときましょうか」

これは、三河屋さんが、サザエさん宅の家族構成、お酒を飲む人の数や好みなどの家族事情、購買の状況、消費スパン、季節条件などをすべて把握しているからこそ出来るレコメンドだ。

だからサザエさんは「ちょうど切れたところだったの、ビール1ケース、お願いね」とまた追加の注文をしてしまうわけだ。

このシーン、何かに似ていないだろうか。

そう、現代の三河屋さんは、勝手口から現れるのではない。スマホの中に現れて、「あなたに必要なモノ」、「あなたがほしがりそうなモノ」をレコメンドしてくる、あの機能だ。一度は姿を消した「三河屋さん」が、テクノロジーが発達した結果、私たちの社会に再び現われたのだ。