高校生の時には感激して読んだ。
「昭和 32年、名探偵といわれた神津恭介が東大病院に入院し、探偵作家の松下研三と暇つぶしに義経=ジンギスカン説の推理を始める。奥州藤原氏三代の富貴栄華の源泉は北海道を越えて、樺太、シベリアの黄金入手にあり、これにより中尊寺の黄金の仏像などを建立したと、大胆な推理を神津恭介が展開している。義経は北へ逃亡するというよりも軍資金のための黄金をシベリアまで探しにいったと推理している。該博な専門知識の持ち主である井村助教授が、神津恭介を追い詰めていくが、神津は巧みな論理ですり抜けていく。」
うーん、いま読み直すと、地名や習俗の一致があるから、源義経=ジンギスカンという仮説が成り立つ、それしか根拠はない、という内容なのね。無理ありすぎで、モンゴルの人たちにも無礼な内容。さらに、義経が湊川で死ななかったのは、藤原家との共同謀議があったというところがミソになるのに、このあたりは文献調査もされない。スタート時点で疑義があるのに、そのあとを進めていくから、小さな証拠らしきものにどんどん引っかかっていく。
(日本語のような地名がたくさんあるから、義経一行が通過した証拠であるといっている。であれば、その地名のある場所を地図にプロットしなければ。あるルート沿いに発生しているのか、てんでんばらばらに散らばっているのかで、証拠の確度が変わる。また、現地名の起源も研究するべき。いつ地名が発生し、どのような由来なのかを示さなければ。この本のままだと、日本語の「名前」とドイツ語の「name」が似ているから、日独語同一起源という説も成立してしまう。なお、源義経=ジンギスカン説は小谷部全一郎によって1920年代にすでに唱えられていた。多くの歴史学者によって即座に反論された。)
あと例によって「想像力」「夢」を持たないアカデミズム、という批判も登場する。昭和32年の作だが、このあと学会の定説にならなかった、という現実がこの仮説の荒唐無稽さを表している(同じことは梅原猛の怨霊史観にもいえる。「謎の十字架」のあと法隆寺の説明が変わったということは寡聞にしてきいていない)。
別の感想。探偵は公務員(学者)で、ワトソン役が小説家、というのは日本のミステリによくあるのだが、この関係のアヤシサはここらへんからはじまっているんだな。もうひとつ、最近の「新本格」の連中より文章が少しうまいので、とりあえず「読める」。