群馬の森の朝鮮人碑裁判抗議街宣(再掲)

前橋地裁から傍聴券交付情報が正式に発表になりましたので、
街宣の日程と場所を再掲いたします。

日時:
12月9日(水)午後零時~午後1時まで
場所: 前橋地方裁判所そば、県庁の東側、前橋市役所に近い歩道

今回はいつもと場所が違いますのでご注意ください。傍聴券配布は2時半
からです。捏造史碑を放置しておけないと思われる愛国者の皆様、
強風対策に首回りを暖かくしてご参集くださるようお願いいたします。


群馬の森の朝鮮人碑の撤去を求める県民の会 
会長 佐藤みずえ

-------------------------------------------------

高天原祭5


皆様、高天原は何処にあったと思いますか。
それが、なんと、韓国にあったとは!!?。
日本人は戦前までは、古事記に書かれた日本の神話を、
学校で学び、日本と言う国は、天照大神が日本の高天原に
天孫降臨されて始まり、自分達の血統と三種の神器が
神武天皇から、現在まで受け継がれているというくらいの知識
は誰でも持っていた。
ところが、日本人が、学校教育で神話を教えられていない
その間隙をついて、いつの間にか、神話が韓国に盗まれて
しまっていたのだ!。
韓国人のなんでも起源説は有名だけれど、まさか、日本の
神々まで盗んでいたとは!。
韓国人によると日本の神話の元祖は檀君神話であるそうな。
檀君神話では、人間になりたい熊女がニンニクを食べて
強姦されて出来た子が韓国人であるとされている。
彼等の主張では檀君神話こそ、日本の神話より古く、元祖で
あると、、、、。
これを主張している加耶大学校の総長・李慶煕経済学博士は、
韓国慶尚北道高霊邑にある加耶大学の敷地内が「昔、此の地を
高天原と呼んだ」
として、何と五万坪の高天原公園をつくり、
そこに、りっぱな高天原の碑を建ててしまった。
その碑の前では毎年高天原祭りが開かれていて、
日本人も
ツアーに参加している。

(写真が見られない方は以下のからどうぞ。) 
http://nabaanooyado.blog.fc2.com/blog-entry-224.html#end

高天原祭7
高天原祭6



高天原祭8
(祭典で呼び出された神様は、西暦1世紀頃北方から高天原の
地に降りてきた、①
天神夷【田】【比】詞、②.加耶山神正見母主、
③大加耶国初代王伊珍阿?王、
④天照大神、⑤素戔鳴尊の五柱の神様(勝手に混ぜるな!。
高霊の遺跡には五世紀より古いものが出ていないのに)

高天原祭9


韓国伝統舞踊の僧舞を披露するスン・ウォさん=高天原祭で

神位奉安で香や水を捧げる高霊郡の郭龍煥郡守

高天原祭2
瓊瓊杵尊一行がここから九州・日向に向かったという天磐座
(と、主張)

高天原祭3
高天原に住んでいた神々は全員韓国人であった(と主張

高天原祭4


「高天原居住神之系譜」を掘り込んだ碑もある。
その碑には、伊弉諾尊〈いざなぎのみこと〉から天照大神
・瓊瓊杵尊<ににぎのみこと>に至る高天原の系図が
描かれている。
「古事記』の「韓国に向ひて」の韓国は「後世の当て字であって
「伽羅国」が本来であろうとし、天孫およびその一行は、
自分たちが今離れてきた故郷の伽羅の地を望みやって、
それとのつながりを確かめたい気持ちから「韓国に向い」
といったのであろう、
と記述されている。


高天原祭1


さて、この碑が建てられたのが平成11年(1999年)、
村山談話が出された平成7年(1995年)の4年後の事だった。
村山元首相は社会党党首だったが、その社会党の群馬県支部
で活躍した人が、村山談話が出された同年3月25日に群馬の森
の朝鮮人碑を建てる会の会長となり、碑を建てる会の結成集会
が群馬県女性会館で開かれた。
村山談話には 「わが国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の
人々に対して多大の損害と苦痛を与えましたー略ーここに
あらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを
表明いたします、」
と書かれている。マスコミは村山首相を
トンちゃん等と愛称で呼んで、持ち上げ、この日本人の誇りを
ズタズタに切り裂いた売国談話に抗議しなかった。
群馬の朝鮮人碑は村山談話と照らし合わせて碑文がつくられた
。この村山談話こそ、反日テロ碑のアクセルとなったのだ。
そして、反日国家から歴史を捏造されても声も上げられなくなり、
神話まで韓国起源とされてしまった。

そもそも日本の神話を消そうとしたのはGHQだ。
日本が二度と再び立ち上がれないようにするための
WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)のプレス
コード30項目の17番目に神国日本の宣伝(をしてはならない)
とある。アメリカは日本人のアイデンティティの一つが神話だと
見抜いていたのだ。8番目に朝鮮人への批判(をしてはならな
い)という項目も入っている。
GHQはもうとっくに去ったのに、このプレスコードは現在でも
マスコミの論調とピタリと一致する。
いったい日本人はどれだけ反省をすれば気が済むのだろうか。

瓊瓊杵尊も天孫降臨も、宮崎の高千穂の峰も、教えられて
いない日本の子供達。
数十年後には「あ、日本人のルーツって、韓国人なんだ、」
「高天原は韓国にあったんだ」
と無邪気に笑っているだろう。
世界では民族大移動が始まっている。
アイデンティティを持たない国はやがて地球上から消えて行く。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


(ニンニクのない檀君神話!?①室谷克実 AJER2013.1.12)

韓国の神話 檀君神話:人間になりたい熊女が
ニンニクを食べ、強姦されて人間になった。
しかし、当時ニンニクは韓国に伝わっていなかった。
ところが日本と韓国の一部の学者が、檀君神話にも三種の神器が
あり、日本の天孫降臨にそっくりなので、日本の祖先は檀君だ、
と主張、そこで、韓国人は、天孫降臨神話の原型は檀君神話で
あると、日本人も認めていると主張している。

ーーーーーーーーーーーー


言いたい放題の、嘘、捏造の歴史↓


http://nabaanooyado.blog.fc2.com/blog-entry-223.html#end
  
『韓国の伝統文化 日本文化とのかかわりの中で』金渙著より

日本の天孫降臨神話

檀君神話と日本の天孫降臨神話を比較考察してみます。『古事記』上巻に天照大神と高御産巣日神は、天孫瓊瓊杵尊に神勅を下されて、「この豊葦原水穂国はおまえが治める国である。よって命令の通りに天降りなされよ」と仰せ付けられました。こうしたことがあって、五伴の緒(五つの部曲の族長)にそれぞれ職務を分担させて従者に加え、瓊瓊杵尊は天降りなさった。その際に八尺の勾玉と鏡、それに草薙の剣の三種の神宝、それから常世思金神・手力男神・天岩門別神をも瓊瓊杵尊にお従わせになって、天空に幾重にもたなびく雲を押し分け、威風堂々と道を押し分けて、筑紫の日向の高千穂の槵触峯に天降りなされた。ここにおいて瓊瓊杵尊は「ここは遠くは韓国に面し、近くは笠沙の岬にまっすぐ通じて、朝日のじかにさす国、夕日の照り輝く国である。だからここはまことによい土地だ」と仰せられて云々となっています。いま両神話を比較してみると、①共に天孫が神の命令をうけて下界を治めるために天降りした。②檀君神話の天符印三個は天孫降臨神話の三種の神宝に該当する。③檀君神話で風伯・雨師・雲師三職能神を率いて天降ったのは天孫降臨神話の五伴緒に該当する。このような共通点と瓊瓊杵尊が筑紫の日向の高千穂の槵触峯に天降って、その第一声が「ここは遠く韓国に面し・・・」といったのを考えあわせるとき、天孫降臨神話は檀君神話が海を渡って日本に受容されたものであり、これは日本の支配階級の淵源が朝鮮半島からの渡来人であったいうことをうらづけるものです。

 伽耶大学校内で行われた第15回高天原祭に参加させていただきました。日本の建国神話にある「高天原」の故地が、宮崎県の高千穂ではなく、韓国の慶尚北道高霊郡の高霊だという説があります。
「高天原の故地」筑波大学名誉教授 馬淵和夫氏の論文によれば、韓国でも「高天原」と高霊とを結びつける学説はあるようで教授はこの地こそ「高天原」だと書かれています。ではなぜこの地なのか・・・?文章が長いのですべてをお伝えできませんが、『古事記』の「韓国に向ひて」の韓国は「後世の当て字であって「伽羅国」が本来であろうとし、天孫およびその一行は、自分たちが今離れてきた故郷の伽羅の地を望みやって、それとのつながりを確かめたい気持ちから「韓国に向い」といったのであろう。とあります。又、高霊の遺跡には五世紀より古いものが出ていないが私説の弱点とも書かれています。

『古事記』の神話ゆかりの地

ニニギノミコトが旅立った天磐座


第14回高天原祭が開催された高天原公園=加耶大学校キャンパス

神位奉安で香や水を捧げる高霊郡の郭龍煥郡守
 釜山空港から送迎バスでおよそ2時間、大河洛東江に沿うようにして北上する。西方に霊山・伽耶山(1430メートル)を仰ぐ。

 よく知られているように、高天原は『古事記』や『日本書紀』に伝えられ、イザナギノミコトが生んだ天照大神やスサノオノミコトが住んでいたという神話上の居所だ。

 その所在地について、天上説、九州説など諸説ある中で、高霊に比定したのは、30年ほど前、当地を訪れた故・馬渕和夫・筑波大学名誉教授(言語学)。日本神話と加耶神話の類似性や、考古学、言語学上の観点などから、高天原の故地と確信し、加耶大学校の李慶熙総長(当時)と意見が一致したことに始まる。

 それを受けて李氏が、加耶大学校の敷地に約5万坪の山地を高天原公園に造成。99年6月、「高天原故地」石碑の除幕式と第1回高天原祭を行った。

 今回の高天原祭(主催=加耶大学校、高霊郡)には、日本からの参加者数十人を含む学者、歴史愛好家、地元住民、学生など約300人が参席。特に今年が『古事記』編纂1300周年に当たることから、神話にゆかりのある宮崎県からの参加者が目立った。

 式に先立ち、李慶熙前総長は「韓国と日本は深い縁があります。互いに永遠に親しく交わりましょう」とあいさつ。さらに昨年11月に亡くなった馬渕氏への追悼の言葉を述べた。

 式では、加耶神話の神々と、日本神話の天照大神、スサノオノミコトに対し、「神位奉安」が行われた。高霊郡の郭龍煥郡守、加耶大学校の李尚●総長、日本の南邦和氏(作家、詩人)の3人が献官を務め、香や水を捧げた。

 この日、午後には加耶大学校で、島根大学の金秀明研究員が「島根県内の加耶文化」をテーマに学術講演。その後、天孫ニニギノミコト一行が発ち九州の日向に向かったという天磐座の史跡を見学。李氏が調査の結果、2年前に比定した所だ。

 そこは洛東江河畔にあり、大きな岩場が川面に浸っている。かつては船運が盛んで、李朝時代まで開浦渡船場があり、伽耶山海印寺の「八万大蔵経」(ユネスコ記録遺産)は、高麗時代、製作地である江華島からここまで船で運び海印寺に納めたと伝えられる。

 大学周辺には大加耶歴史館、于勒博物館、大加耶王陵展示館(総じて大加耶博物館という)があり、加耶の歴史文化を紹介。年間入場者数は、国立中央博物館(ソウル市)、国立慶州博物館(慶州市)についで韓国で3位という。

 キャンパスの北西の丘陵上には、壮観な眺めの王陵・池山洞古墳群があり、高霊郡内には、大加耶城跡、井戸跡、造船場跡、岩壁画、壁画古墳など多くの史跡が点在。古くからの豊かな歴史を感じさせる。日韓古代史に関心のある人には必見のスポットだ。